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伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

ナスタチウムと父と孤独死

2011年06月30日(木)

数日前から庭いっぱいに小さなナスタチウムの芽が。芽とか子犬とか子猫とか人間の赤ん坊とか、幼いものはみんなかわいいので、つい摘み取れずにいるが、これが伸びれば、よく知ってるたけだけしいナスタチウムになる。きれいな花を咲かせて目クラマシしているうちに、蔓を縦横無尽にのたくらせてあたり一面をおおいつくすというのが、連中の魂胆だ。でもほんとにかわいい。これは昔の日本では、キンレンカとかノウゼンハレンとか呼んでたものだ。こんなにたけだけしいものだとは知らなかった。ゆうべは、父が、「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない、ルイじゃだめだし」と言い出して(ときどき言いたがる)つい「それは聞くのがつらいから言うのやめようよ」といったら、「ときどき愚痴こぼしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」と言うのであった。たいへんうっとうしいが、そういう気持ちを持つ父の気持ちをわからないではないのである。たまたま電話が切れちゃって、5分くらいしてからかけなおすと、父も多少反省していた。父とあたしは同じような性格をしているので、仲直りはものすごくかんたんにできる。「両方とも相手の気持ちはわかっているんだから、おじいちゃんはそう言いつづけるしかないし、おかあさんは、言わないでおこうよと言いつづけるしかない」と人の心理をよく理解する娘に言われた。こういう状態を回避するには、死を若いうちからシミュレーションして、死ぬときは一人だと考えておかねばならないのだ。てなことを善導もいっておる。あと新聞なんかが、孤独死だなんだとかき立てるのをやめねば、なかなか、死ぬときは一人だという考えを持つようになれない。

マリーゴールドとビンカ

2011年06月28日(火)

ゼラニウムの異臭については重々承知していたが、このたびマリーゴールドを植えて、ついて、つぎつぎに咲いて、枯れた花を摘み取ったところ、はじめて嗅ぐ異臭に度肝を抜かれた。ビンカが、地面を緑でおおいつくすために植えたので、花は期待していなかったのに、いきなり一個咲いた。青い青い花である。こっちではニチニチソウもビンカと呼ぶ。で、ビンカはほんとはvincaで、唇をかまなくちゃいけないのだがめんどくさいので、びんか、と発音しておる。

JR九州のCM

2011年06月27日(月)

JR九州の新幹線の祝開通のCMが、カンヌの何かを取ったそうだ。地震のすぐあととNちゃんが、すごくいいCMがある、と教えてくれたのだ。きのう、また見てみた。とにかくなんだか感動するCMだ。知ってる地名がどんどんでてくるのがうれしいやら楽しいやら。180秒バージョンは熊本と鹿児島で一回ずつしか放送しなかったらしい。トメとふたりで何回も何回も見ちゃった。それにつけてもきのうの「夢」はひどかった。

クロサワとテレプシコーラ

2011年06月26日(日)

こないだ友だちに「オーケストラ!」を貸したら、友だちがクロサワの「夢」という、とてもつまらない映画を貸してくれた。あたしらは二人ともNetflixというネットのレンタルDVD屋の会員なので、自分が借りた映画を横流ししているのだが。マジでつまらなかった。友だちも別にすごくおもしろがっていたわけじゃないからいいのである。ここにいると2年にいっぺんくらいはクロサワは好きかと人にきかれる。実はあんまり好きじゃない。三十郎と用心棒くらいだ、おもしろく見られるのは。きのう行ったBookOffで、「テレプシコーラ」の第一部の読んでなかった分を手に入れて熟読中。山岸凉子を読んでしまうと、ほかのバレエ漫画が読めなくなり、こないだ「ブラック・スワン」を見たときもびくともしなかった。ナタリー・ポートマンはぜひチカちゃん役に抜擢したい。

移民局と掃除

2011年06月24日(金)

芸能人のマラソンランナーがカンボジア国籍を申請しているというニュースを読んでいろいろ考えた。ロシア国籍を取得したスケート選手のコメントも読んだ。こないだ移民局へグリーンカードの書き換えにいき、そこでついでに相談してきたからだ。てなことを考えながら部屋を掃除して拭き浄めた。すごくきたなかったのだ。

買い物と数独

2011年06月23日(木)

トメが何かのアレルギーで顔を腫らして寝込んでいるのでうちの中がとっても静か。きょうはD&Jを空港に送り、その足でコンボイにいってBookOffの偵察を。そしたら岩波文庫や講談社学術文庫ががばっと増えていた。無計画に買い始めたらひどいことになると思ったので、うちの蔵書をチェックしてから出直すことにしつつも、小西甚一先生の「俳句の世界」と「日本文学史」というのを買っちゃった。俳句ぜんぜん興味ないのに。高校時代、小西甚一先生にはさんざんお世話になったので、恩師のような気がしてしょうがないのである。あと「カラスはどれほど賢いか」と「とめはねっ」を数冊、これはこっちに持ってきてないので。こないだから大島弓子が読みたいのだが「グーグー」しかなかった。なんたることだ。日本で本屋にいって何万円分買ったってブログに書く気はしないのに、こっちのBookOffにいくとつい書きたくなる。やはりここでは、本そのものが希少なので、本を買うというより狩りをするという意識なのだな。それから隣の日本食屋で、病児用に特売のあんみつとかすてら。自分用にクリームパン(ここのはおいしい←あたしがいうんだから間違いはない)。さしみとかナスとかキュウリとか。
ところで、問題が200問入った数独の本がついに終わった。よく解いたものだ。最後の方はちょーー簡単で物足りなかった。これは「tame sudoku」なので、こんどは上級の「wild sudoku」を買おうと思っていたけど、終わった今となっては、このまま数独とはお別れした方がいいという気がしきりにする。いや、ほんとに、この200問の間に、何度人生を踏み外しかけたかわからない。飛行機の中で時間をつぶすには最適であったが、つぶしてはならぬときにも思いっきりつぶしてしまった。

通常営業いたしております

2011年06月22日(水)

H田に、ブログを見たがなんかあったのかと言われて、しばらく書いてないのに気づいたのである。まー、今はやっと平穏にもどったところだ。トメ(すでに夏休み)に日本語の漢字をやらせている。でも書きなれてないから、字のかたちがうまく取れないのである。それで昨日はひさしぶりに習字道具取り出して「教」とか「放」とか書かせてみた。つくりの「ぼく」がむずかしいらしい。自分の字もひさしぶりに見たが、あいかわらず、すごくいやな字だ。なんというか、人格が字に出るというけど、あたしの字はほんとのあたしより数倍、あくどくてしつこくて自信過剰でこだわりがある。そしてきまりごとから外れられない。前、お習字にハマったとき、この字と格闘していたが、どうにものがれられなくて、やめたのであった。

む。

2011年06月17日(金)

むかついている。寄るでない。

めがね

2011年06月14日(火)

じつは数日前からめがねがなくて、内心ひじょうに不安であった。こないだ日本で作ったばかりのめがねである。この二年ほど、めがねをなくしたなくしたなくしたなくした、なんかに憑かれてるんじゃないか呪いをかけられてるんじゃないかと思うほどなくした。それで作った作った作った、最後のほうは、高いとこで作るのが勿体なくなって、3900円なんてとこで作ったりした。それもなくした。しまいには作りもしなくなって、てきとうに買ってきた。最後に買ったのは99セントストアのやつだ。それもなくした。まー、とにかくそれでとうとうこないだめがねを作った、それがない。やっぱりめがねのブラックボックスみたいなとこがあって、そこにはまっているんだと思うとおそろしかった。しかしどこかでなくすことに慣れて感覚が麻痺してしまって、ここ数日間、麻痺した頭で、あーなくしちゃったなーと、またつくらないとー、と(高かったのに)考えていたのである。それが今日出てきて、呪いのせいでないことがわかってたいへんうれしかった。しかも探すついでに3900円のも出てきた。あとの6つのめがねにも出てきてほしい。

文学隊からのお知らせ

2011年06月13日(月)

俊寛やロビンソンクルーソーがネットあったら楽しくて漂流や流刑をやめられないだろうなあと思っていたが、facebookやtwitterをやり出したら最初はうはうはやってて、もうみやこに(ないしはロンドンに)かえらんでいいとか思っていたにちがいないが、そのうち、あまりの人の行き来の多さに閉口してだんまりになってしまうのだろうなあと今は思っておる。それはともかく。
熊本文学隊橙大学第二期が11日土曜日に橙書店であった。熊本ではそれを記念しての大雨であった。坪井川があふれて遊水池にだばだばと水が流れ込んだ(3階のEさんがメールで教えてくれた。うちは1階)。
橙大学は雨にもかかわらず盛況であった。主演は谷口絹枝と松本ゆきちゃん。テーマは樋口一葉であった。次回は8月20日佐多稲子。文学隊のフェミ批評を一手に請け負う谷口さんのきぬえ節がさらに炸裂してやまないのである。もちろん子連れOK。1500円飲み物つき。文学ですが、ぜったいに飽きさせません。詳しくは文学隊HPで。

園芸家と犬

2011年06月11日(土)

おとといナスタチウムを根こそぎしたのは締切からの逃避だった。きょうのは書いたものを忘れ去りたいがためである。だから必死だった。必死になって根こそぎしたら、ぽっかんと場所があいてしまった。そこに、この春は(去年も、その前も)植えた覚えのないオキザリスだカモミールだカリフォルニアポピーだと、きれいな花が満開になり、最終的にナスタチウムがおおいかぶさっていったのである。きょうは植えるつもりで、買ってきた、買ってきた、買ってきた、透明な小バラや、花咲くセージや、色つきカラーや、メキシコ色のマリーゴールドや、しぶといニチニチソウや、昔なつかしクレオメや、半日陰の青色ビンカや。植えても植えてもぽかんとあいてるので、とうとうレモンの小さい木を植え込んだ。食べられるものを植えるのはあたしの主義に反するのだが、レモンの花が、昔親しんだ柿の花みたいで、つい惹かれたのである。ああ、ふしぶしが、ぐきぐきいっておる。働いている間じゅう、ニコがそばにすわって見ていてくれた。しかし今考えたら、節操のない植え方をしてしまったように思えて後悔しておる。まじで節操がない。しかしもう植え直す気力が残ってない。

父の機嫌とナスターシャム

2011年06月09日(木)

父の機嫌はまだ悪い。きょうは前庭のナスタチウムを取り除いた。実はもうだいぶ取り払ってあり、少しだけ残って、地肌が出ていたのだが、その地肌が、地肌が見えてるなんてものじゃなく、あちこちが盛り上がっていて、どう見てもゴーファーなる妖怪が棲みついているのである。そこをずかずか踏み込んでみれば、案の定、落とし穴があちこちにあり、足がずぼずぼ穴に落ちていくのであった。ゴーファーというより、ロケット団が潜んでいるかのようだった。こないだまできれいだったナスタチウムが見るも無惨にしなび枯れておる。でも蔓を引き抜くたびにばらばらと種がおちた。こうして来年もまたナスタチウムが日本の夏のヤブガラシやクズのようにはびこるのだ。あたしはユリが好きで、毎年性懲りもなく植えるのだが、毎年ゴーファーに食われている。駆逐したいが殺生は気が進まない。とはいっても、家の中のねずみは、電気ねずみ取りで殺している。きれいごとは言うまい。死んだねずみは、前庭のゼラニウムの繁みに落としたら(ずぼっと落ちた)そのままちっとも臭わずに分解されてゼラニウムをさらに咲かせた。
暮れに植えたトヨンはついたようで、ようやく花が咲いておる。でも1月に植えた山ライラックは姿もかたちもなくなった。2月に植えたテイカカズラも、挿し芽をしておいたクジャクサボテンも、なんとなくついたようだ。

父の不満

2011年06月08日(水)

きようは散々であった。ここのところ電話の調子が悪く、父のところに、二三日電話していない。それで向こうからかけてきていた。そしたら今日はものすごく不満そうに「たまにはそっちからかけてくれよ」と言われた。じつは今、スカイプのヘッドフォンも調子が悪くて、スカイプからもかけられない。あちこちいじっていれば直せるのだが、父はすぐ切ってしまうので直す時間がない。一昨日は直そうとして、「ガマンして受話器をきいていてくれる?」と頼んだが、やはり声が聞こえないと辛抱できなくなって切ってしまうのであった。電話できないんだからしょうがないなあと思って、ここ二三日、のうのうとしていたのは事実である。やはり「かけなくちゃ」と思わずに済むと、気が楽なのである。きのうはネットできしめんと冷凍のかきを送ったのだが、それを言うとたいへん不満そうな声で「取りに行くのがつらいからそんなもの送らないでくれよ」と言われた。ほかにも本をいろいろと(あたしの)注文してあったので、それを言うと、さらに機嫌が悪くなった。ものすごくむかつくのだが、顔に出さないし(出したって見えないし)声にも出さないで、はいはいと聞いておる。

タケとサッカー

2011年06月06日(月)

またタケのことだが。今日久しぶりにサッカーやりに連れて行ったら、喜んでテニスボールくわえて(サッカーボールにかみつかないためのストッパー)ボールを追うのだが、以前は、年なのに元気だ、といつも思ったものだが、つまりそれほど走ったものだが、今日は、ボールをやりとりするトメとあたしの間で、あ、右さん、あ、左さん、という具合にウロウロしているだけなのに気がついた。実はこないだからそうだったような気がする。日本に行く前も、こんな感じだったような気がする。日本に行く前は、隣の公園を全行程歩きとおせた。でもやっとこさだった。帰りがのぼりになるからだ。それで、毎日、全行程というわけではなく、ときどき坂の下までおりなかったり、公園の向こう側に車をとめて(そうすると坂をのぼりおりしなくてすむ)坂の下を歩いたりしていた。それが13歳の誕生日の前後だ。あれから一ヵ月くらいが経つ。犬の1年は7歳とよく言うが、ということは、タケの肉体の上には、もう2年弱が経ってしまったということか。

ながらくのごぶさたでした

2011年06月05日(日)

ときどき隠遁したくなる。俊寛とか。ロビンソンクルーソーとか。マウンテンマンとか。大草原の小さな家とか。人なつっこい性格なのでそうなりきれずにいる。そういうわけで、このように、ときどきふっと書かなくなる。そして戻る。そもそも生まれ育った東京を離れ離れて熊本に移り住み、さらにそこから奥地へと入り込み、カリフォルニアくんだりまで来ちゃった身としては、ここはいちおうの市街地だけど、マウンテンマンのような気分なのだ。あたりに人語(つか、日本語)を解する人はいないし。書かない間、いろんなことがあった。日本に行って帰った。梅雨に入りかけであった。いろんな人に会った。朗読した。いろんなところへ行き、人としゃべり、いろんなものを聞いたし、読んだ。心の中にしまっておく。いつか話す。

   
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