中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

Firefoxというもの

2010年06月30日(水)

 Yすけくんから源氏関係のデータを送ってもらった。データ便というので来たけど、あかないのである。前にもデータもらってあかないということがたびたびあったのである。それで抜本的解決をせんとてデータ便のページの相談とか質問とかを見ていたらMacの問題がかいてあり、Mac対応はしてないのでFirefoxというのをダウンロードせよと書いてあった。そこでダウンロードしてみたら問題なくデータは開いた。つまりこれはSafariの代替物で、これを通せば、データはするすると通るらしい。今までの問題が一気に解決、その上、前々からこのページがなかなか書き込めないという問題があったのだが、これも改善されるかと思って、やってみている。つまりSafariじゃなくFirefoxからここに来るのである。あした出発で忙しいというのに朝はJフリーからスカイプ電話がかかってきて楽しく長話しちゃったし(しかし仕事場や起き抜けの顔をみられながら電話でしゃべるのは困る)それからこのFirefoxでだいぶ時間を費やした。それからJリーが、SさんのSばるに書いたJリー論を翻訳してくれといってやってきた。それから犬鳥用フードを買いためにいき、郵便を出しにいき、つれあいのためにはおいしい夕食を饗せんと思い、なべにしようとトメがいうのでそれ用の肉や魚を買い込み(こっちは寒いのである)これから荷造りと植物に水やり。きのうの夕食は、Jリー、DアンとKarl Straussのビール専門店にいった。そこはKarl Strauss の産地直送ビールがある上に、食べ物も(基本的にはビール食だが)よそのビール専門店よりはまともな、こじゃれたものを出す。飲んだのはテストセット、TowerIPA,Rye IPA, Pintail Pale Ale(アメリカ風に苦みつよい)AmberLager, Red Trolleyと Windansea Wheat Hefeweizenの6種のんだが、Red Trolleyと小麦ビールがうまかった。

ネズミとニコとウサギとウディ

2010年06月29日(火)

 移動が秒よみである。家にはネズミが出没しておる。ニコがときどき追いかけておる。軒ではまた小鳥が卵をだいておる。ウサギのケージ(と呼んでいるが、じつは庭の一画。ここに鳥のえさや果物や野菜を捨ててある)にはウサギやリスが出没しておる。すべて世はこともなし、と。きのうはトイ・ストーリー3を見に行った。笑って泣いた。かなしいことのいっぱいある映画だった。

Royall Tyler訳

2010年06月28日(月)

 こうして源氏を読んでいるのも7月に宇治でシンポがあるためなのだが、あたし以外の出席者はマジで源氏よみのプロたち。いつもてきとうなあたしが、自分だけが「どしろうと」という状況に心底びびっていて必死に予習しているわけだが、どんなにやったってそれは付け焼き刃でしかないことはわかっている。宿題の多い詩祭でも必死で宿題やってたのに(オランダの詩人ヘルマン・ホルテル)今また宿題、なんかトメの生活とかわらんな。といいつつも、ここではゲットできるものにかぎりがある。寂聴訳とウエイリー訳の日本語訳、それから青空文庫でゲットした晶子訳(でも柏木までしかない)しかないのである。しかたがないからこれだけは手を出したくないと思っていたロイヤル・タイラー訳に手を出しつつあるが、これがまたまたまたまた、そこらの英語とわけがちがって難しいのなんの。どうすんだ、こんなものというくらい難しい。しょうがないから他のと対訳だ。これで読んだ気になってるというのが学生時代からぜんぜんかわんない。この本はむかーし出たばっかりのとき、日本文化を背負った日系人として買わずにおれなくて、つれあいのクリスマスプレゼントにしたのである(当時はまだスコッチでお茶を濁していなかった)。つれあいは読んだが、感想はもちろんはかばかしくなかった。繊細なところのあまり無い男なのだ。熊本に帰れば注文した岩波文庫の原文がひとそろいとどいているので、帰ったら一気読みだーーと思っているが、それまでこのタイラー訳を読まねばならぬ。英語読むのはほんとにつらい。だからこんなの書いてさぼっているワケだ。まったくトメとかわらんな。

鎌倉時代の話だった

2010年06月27日(日)

 コンピュータでウインブルドンをみられることを発見したつれあいは、今朝もはよから、どれ、テニスを拝見なと、いたそうか、と言って仕事部屋にひきこもってしまった。サッカーには彼は何の興味もない。昨夜はつれあいとトメとで「ロビンフッド」を見に行ったので、それ以来wikiにて、親のカタキのようにイギリス12、13世紀の歴史をしらべている。おそれていたラッセルクロウ、年取りすぎ太りすぎはぜんぜん気にならなかった。ケビンコスナー版よりずっとおもしろかったのである。監督はリドリースコットで、グラディエイターもキングダムオブヘブンも何回みたかわかんない。脚本はブライアンヘルゲランドで、それは邦題「ロック・ユー」の監督であった。あれも何十回みたかわかんない。あれで遅ればせながらフレディ・マーキュリーを知り「カンタベリー物語」を読んだ。あれはおもしろかった。つまりあたしはこういう歴史コスチューム戦闘ものが大好きなのである。蒼天航路もセンゴクもアルカサルも大好きだ。ちがう次元だが、ロードオブザリングスもベルセルクも大好きだ。昨日からずっと、晶子訳源氏を青空文庫で手読みしている。源氏には戦いがぜんぜんない。

サッカーとアップルストア

2010年06月25日(金)

 きのうサッカーを、M子にみろみろといわれていたのだが、テレビ、うつるかどうかわからないし(ウィンブルドンはうつらない、とつれあいがいっていた。最小限パックなのだ)忙しいので買い物に行ったりしていた。そしておひるたべてたレストランの店内でたまたまテレビを見て、勝ってるのを見たのであった。実はルールも知らない。このごろやっと野球がわかってきた。サッカーまで手が回らない。つれあいはテニス好きで、サッカーや野球にはなんの興味もない(さっきつれあいはとうとうコンピュータでウィンブルドンをみていた)。こっちでは乗馬とサッカーは女の子のスポーツっぽいのである。買い物の予定のなかにはApple Storeにいってトメ用ラップトップのバッテリーを買うというのが入っていたが、Apple Storeの前はものすごい行列で、聞けばiPhoneの新発売できのうから人々がテント張って並んでいるという。お店の人が並ぶ人に水のボトルを配っていた。われわれは別件なので、すぐに入れてもらった。iPadを見た。美しいけど、あたしには何の役にもたちそうにない。仕事部屋につみかさなって崩れ落ちそうになっている本を一掃してすべてああいうので手読みできるようになったらどんなにいいかと考えるけど、無理だ。

ヨーロッパトウキらしい

2010年06月24日(木)

ヨーロッパトウキという和名の植物らしい。Angelica archangelica というのが学名らしい。ここまでわかればwikiにも出てた!! と!をいくつも連発したい。しかもアンゼリカといえば食用だ。砂糖漬けのケーキ素材だ。日本ではフキで代用していると昔読んだことがある。フキといえばキク科で、こっちはセリ科だ。しかし、興奮した。とうとうみつけたとき。しかもトウキとはなんぞやと思ったら当帰芍薬散のトウキである。やっぱネットはやめられないよねー、と誰に同意をもとめておるのだろう。これとヴィクトリア女王(飛行機の中で「Young Victoria」という映画を見たのだ)と静物画(ロッテルダムで17世紀オランダの静物画にほれこんだのだ。ビールとにしんが描いてあった)について調べていて、ここ数日どれだけ時間をついやしたかわからない。ときどき考える、この調べて知りたいという欲求はどこからきているのか。

ヤスとロンとビールとエゾニュウ

2010年06月22日(火)

ロッテルダムに着いてすぐ、あたしの友だちのYモトはいつ来るのか?と聞いたら、みんなが口々に「あーヤスね」と答えるので、あたしもそう呼ぶことにした。ヤスがやってくるまで、あたしはひとりぼっちでほんたうにさびしかつた、とヤスにいったら、こないだまでいたセルビアでもKずこさんにそう言われたと言っていた。見た目も、しゃべる英語も、人との接し方も、まったくの他人からみたら、やはりそこに文化民族としてのsimilarityを感じられるのだろうなと思われるようなヤスとあたしであった。
ロッテルダムで気に入ったのはHoeGaarden、白ビールだな、すっぱくて繊細だった。アントワープではTongerlo Prior Tripel, これもすっぱ系、絶品、それからロッテルダムでヤスにおごってもらったのが、地元のおじさんが飲んでいたので注文したPalmのドラフト、表面にシャのかかったような、飲みやすい、でも奥行きが足りない。Affrigem Tripel そそりたった白い壁のようなすっぱさ。Affligem blondフルーティーだがいまいち。WestmalleのDubbel野趣に富んだ、夏安居のような。「さむざむしい野の雨の後、いちめんの草っぱら、ブリューゲル風の猟犬が向こうを走ってるような」とヤスが表現した。詩人である。生にしん(名物)をたべたときはハイネケンしかなかった。でもにしんとはうまく合っていたのである。ロッテルダム周辺の路傍でよく見たのが、エゾニュウそっくりの巨大なセリ科の植物、今、花ざかり。しかし名前がつきとめられない。それから真っ赤なケシ。

まだ帰ってない

2010年06月21日(月)

詩祭、最後の日のパフォーマンスさんざんだった。穴があったらはいりたい。19日はあちこちで、日本のパスポートをみせるや「今日は日本と対戦だ」といわれた。「どうせオランダがかちますから」といいながら、セキュリティをとおしてもらった。それからチューリヒ空港についてDンと子どもたちに迎えてもらってDンの家に行き、ごはんたべてしゃべって子どもとあそんで寝た。それから20日一路カリフォルニアのはずが飛行機がおくれて、いままだJFKのホテルに足止めくらっている。NYはおそろしくむしむしする。昨夜はいくつもの飛行機の客が足止めされたらしく、ホテルのシャトル乗り場もホテルのチェックインカウンターもごった返していた。

風車とにしんと一人の冒険

2010年06月16日(水)

宿題の多い詩祭、いざはじまってみたらとっても楽しくて毎日熊本にいるときみたいに社交的な生活をしておる。ひとりでごはん食べるのがすごくいやなので、みんないっしょに食べるシステムはとてもたすかる。詩人というのは基本的にみんなある程度シャイで、気のいい人たちで、おだやかで人と人との間にかすかな距離をつくるのがうまくて、しかもすっとんきょうなところがある人たちだ。どの言語でもどの文化でも。オランダ詩人のYンにはさんざんオランダの歴史、政治、サッカー、王室、宗教など講義をしてもらったので、ここにいる人たちのなかでいちばんくわしいかも。きのうはすべてがオレンジ色なので、すわ、ハロウィーンの月命日かと思ったくらいだ。きょうはぽかりと予定がなかったので、朝から苦労してキンダーダイクという風車群のある世界遺産にいってきた。車かりてと思ったら借りられなくて、しかたがないので公共交通機関(船)をのりついで行った。結果としてはいい手段だった。河の交通はとてもよかった。風車群はすばらしかった。コウホネとスイレンがあった。クマツヅラ科もムラサキ科もゴマノハグサ科もセリ科もサクラソウ科も(どれも名前を知らない)とてもよかった。いろんなことを考えながら2万歩以上歩いた。帰りにへとへとでおなか減っててビールのみたかったので、ビールは酒屋でいいやつを調達したが食べ物が買えなくて、ふと立ち寄った揚げ魚屋で、なんと懸案のにしん(今が旬なので、みんなから食べろ食べろといわれてきた)をみつけた。それと、魚屋にこれもオランダ名物とすすめられたうなぎのマリネみたいの、それとKroketとあったからつい注文したの(あたしはコロッケが生卵のつぎに好き)を買って帰ってホテルでビール飲みながら食べた。にしん、青魚が苦手なので、ダメかと思ったが、ぺろりと食べられた。塩がきいてて新鮮で甘くて実にうまかった。コロッケはエビクリームコロッケだった。疲れはてて夜の朗読(人の朗読)いけないかも。

アムステルダムからロッテルダム

2010年06月12日(土)

アムステルダムについて最初に見たのは白い現代風の風力発電機だった。地上を走ったら、高速道の両側に、エゾニュウそっくりのセリ科植物がにょきにょきと生え、花は白かった。あちこちに風車があった。羽は動いていなかった。野は緑で、群生するケシは赤かった。野はいちめん、ぬれた緑だった。

つらいことだらけ

2010年06月11日(金)

朝4時半に家を出て行かねばならないので寝ないで起きておった。つらい。とてもつらい。本がいっぱいになった。それもつらい。仕事が、おわってないのや始めてもいないのや。だからやっぱりコンピュータとキイボードをもっていかねばならない。それもつらい。宵の口に、娘たちと口論した。それもつらい。そだっているのだからいいのだ当然であると理解しようとしているがやはりつらい。全存在をひっくりかえされる感じである。でつい口論に。バカである、あたしが。「おっぱい」のターミネーターなんてやってるからよけいみしみしとひびくのである。しばらく電話できないよというと父がじつに寂しそうであった。それもまたつらいといえばつらい(しかたがない)。

父とテレビとおっぱいとべーラー

2010年06月10日(木)

おとといか何か、父に電話したら、今「男子禁制」みてるんだといった。多少でもLaLaの役に立つかと思って、スカパー15パックの中に入れといたのである(あとはジャイアンツ専門とその他のスポーツと洋画がいくつかに時代劇専門チャンネル)だ。その日は巨人の試合はやってなかったし、洋画もろくなのがやってなかったのである。で、父語録「言ってることはよくわかんないけど、あんたが出てるから」「きれいな人が出てる、あんたが、どういうわけか、いちばんこぎたない」「きょうは、あんたが元気そうなのを見られてよかったよ」
ところで「良いおっぱい悪いおっぱい」の完全版をつくっておるのだ。いやーこんなにたいへんだったとは。若い頃ってなんであんなに無防備にものが書けたんだろう。信じられないくらい。ターミネーター比呂美が未来からやってきて1985年のおっぱいをターミネートする、という趣向だ。中公(から文庫になって出る)のM浦さんもべーラーなので、ふたりでしんけんに考えた。

宿題の多い詩祭また

2010年06月09日(水)

宿題の多い詩祭の出席者のなかにKムHスンさんという人がいるというのをJフリーが言っていた。すごくおもしろい詩を書く人でしかもあたしと同い年だし、会ってくるように、と。同じ極東の、同じ年の女どうし、会うのはやぶさかじゃないが、おたがいに言葉も通じないし、詩もしらないでどうやって会ってコミュニケートできるのかなあと多少不安に思わないでもなかったのだ。つまり海外の詩祭って、まるで闇鍋なのである。Y元さんみたいに読み書きべらべらなら見本市みたいにおもしろい相手を探せるだろうが、あたしはどうしてもちょいと英訳読んだくらいじゃわかんないのである。そしたらいいことを思いついた。韓国の友人Hンさんに聞いてみたらどうかと。それでメールしたらすぐ返事がきて、Hンさんの訳したKムさんの詩をあたしに、あたしの詩をKムさんに、おくってくれたのである。持つべきものは友。宿題もやったからなんとなく気が楽になった。飛行機にのるのはすごくいや。涼しくてとっても湿っている。荒れ地でJスに会った。

詩祭と宿題

2010年06月08日(火)

もうすぐロッテルダムのPoetry Internationalの詩祭にいくのだが、宿題の多い詩祭で、今はオランダの印象派左翼詩人だというHerman Gorterの「五月」を必死で読んでいる(平凡社世界名詩集大成15北欧東欧篇)。その前はペルシャの語り物、「ライラとマジュヌーン」(平凡社東洋文庫)を必死で読んでいたが、こないだ、それはやらなくていいというメールがきた。どっちかというと、印象派より語り物のほうがとくいであるのだが。詩の印象派って知らなかったからつれあいに聞いたら、絵の印象派についてとくとくと解説しはじめ、絵じゃなくて詩だってばというと、そんなのは知らんと言われた。たしかに光りとか色とかが多いといえば多い。21ページの詩のなかに、「黄金」が42、「白」が58、「赤」(紅や血や茜色も含む)が40、「青」が18、「黄色」が17回使われている。数えたのだ、しこしこと。ほかにも「色とりどり」だとか「ワイン」とか「草」とか「色彩」とか色をあらわすことばは確かにタップリ使われていて、しょうしょううっとうしい。しかし21ページも長編詩を「五月」なんてテーマで書こうとしたら、北国の人だし、色を使うよりなかったのかもと考えた。この詩祭には、人々が何十人もかかわっているらしく、いろんな人から入り替わり立ち替わりメールが来る。みんな英語の名前じゃないから覚えにくく、みんな筆達者でつらつらと書いてくる。英語は読めないことになっているのに困ったことである。いつも返事が遅れて何回も催促がくる。それがまた、申し訳なくも気が重い、ときに悲しく怖ろしい。

ゆめのき

2010年06月07日(月)

昼寝していたらへんな夢を見た。日本で、子連れで、キリスト教の団体にまぎれこんでしまってそこの主宰者と話しこんでいるのだが、言ってることがよくわからないし、その人は好きなタイプの女でもないのでもう帰りたいなと思っている。そこで舞台をやっていたが、男のダンサーが数人すっぱだかでおどっていた。ギリシャ風なのだと主宰者が説明した。音楽を覚えていた。そしたらS子の電話に起こされたが、時差ぼけ中なので、目がさめるまでにすごく時間がかかって長い間苦しみながら這いずっていかねばならなかった。起きてきて、頭のなかに鳴っている音楽、何だったけと考えて、iTunesで探し当てたら、 JCSの「The Temple」の曲だ。で、寝入る直前にBookOffで買ってきたばかりの「キリスト教」という本を読んでいて、そこにイエスが神殿でやったことやその影響について書いてあったのである。これってすごくね? 

小鳥とエスキナンサスとカンチャラグア

2010年06月06日(日)

入り口のドアの外にエスキナンサスをぶらさげてある。その中に去年も小鳥が巣をかけて今年も巣をかけた。日本にいく前、5月12日に行ったのだが、そこにはたまごが三つあった。いや、見てないからもう孵っていたのかも。帰ってきたら、6月1日に帰ったのだが、羽の生えたひなが三羽すわっていた。今日みたら、だーれもいない。巣立ったようだ。きのう1日は見なかったからもしかしたら昨日巣立ったのかも。だからエスキナンサスにひさしぶりに水をやった。それを数羽の小鳥が塀にとまって見ていた。巣立った連中かも。「かも」が連続するけど、ほんとにすべてguessだから。昨日荒れ地にいったら、春の最後のピンク花が咲いていた。リンドウ科の「カンチャラグア」で、リンドウ科らしくクッキリした花らしい花、丈の低い草に咲く花、そしていかにも人工的な、何の躊躇も後腐れもない、目のさめるような青みがかったピンク色。それが荒れ地の地面いちめんに満開である。これが咲くともう春の花もおわりだ。あとは乾いていくばかり。

チャットとtwitterとfacebook

2010年06月05日(土)

あけがたに(なんか誰かから声をお借りしてるかんじがする……)仕事ひとつ終わらせてぼーっとしてたら(でもM浦さんからの催促メールのやりとりはやってたときだ)JフリーからSKypeがはいっていて、使い方がわからなかったが、あちこちいじってるうちにチャットができた。チャットというもの、はじめてやった。楽しいものじゃのう。Twitterってのもこういうものか。Facebookはいろんな人とお友達になったのはいいが、なーんにもしてない。ときどき「いいね」を押すくらいだ。やっぱ、あたしゃ古い人間なので、こういうとこでちんたらブログやってるくらいが関の山なのかも。カリフォルニアに帰ってきたら案の定歩数が減っている。犬どもが役立つかと思ったら、老犬と雀犬はなかなか歩きたがらない。2千歩コースも最後はよれよれだし、3千歩コースはうんざりした顔でついてきていた。家の中ではつれあいが不機嫌でもてあましている。やっぱちょっと家をあけすぎと思う。でもしょうがない。こっちの苦労もわかれよ、とか思うが、やっぱりそれは無理なんだろうなあ。来週のロッテルダムがほんとーーに余分だった。引き受けたのをいまさらながら後悔しているが、しかたがない。

寝て起きる

2010年06月03日(木)

そういうわけで時差ぼけで、いつ起きてていつ寝てるのか自分でもわかってない。夕方寝ていてトメに起こされたときは、深海魚が所用で海の表面にあがっていかねばならないときのような心持ちであった。アーサー・ウエイリー版の源氏物語のさらなる翻訳を読み始めたが、やったらめったらおもしろいのである。

万歩計と太宰治とインビクタス

2010年06月03日(木)

飛行機のなかでインビクタスをみた。すっきりしていてとてもよかった。ラグビーって走るおすもうみたいなスポーツだった。ユマニテの朗読会は、「般若心経」だけやろうと思って準備したのに、その直前にNHKのラジオ深夜便の録音があって、一冊ぶんのお経を朗読しちゃったので、まんぷくな気分になっていて、まえーに書いた太宰治への手紙をコンピュータの中から探し出して、それを朗読したのであった。もちろんお経もやった。万歩計を買ってからというもの、1日が数字であらわされる。ちょこちょこ動くので、ちょいと街へ買い物に行けば、1万歩なんて楽勝であった(日本では)。でもなんにもしない日は3千歩くらいだった。こっちでは買い物にいって下通りから上通りから新市街なんて歩きができないぶん、歩数がいかないんじゃないか。さっき散歩にいったらいつもの散歩コースで2千弱であった。犬どもがいやいやついてきた。犬ってのは、ほっつき歩きはすきだし、ボールを追っかけて走るのもすきだが、エクササイズ歩きはきらいなのである。

かえった

2010年06月02日(水)

カリフォルニア。東京の詩人の聲にきてくださったみなさん。ほんとにありがとうございます。

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ