ルイ
2012年05月28日(月)
きょうともだ動物病院の先生から、ルイの写真が送られてきた。夏なので暑がるからということで、丸刈りにしてもらった……もともとは先生の提案である。昔、父がやって、みっともなさにへきえきしたことがあって、あたしは躊躇していたのだが、娘たちがルイのためなんだからというので、とうとう、先生の提案どおりに。しかしそれが、案の定というかなんというか、醜いのなんの。おっさん犬だから顔つきもおっさん臭く、しかもてんかんの後遺症で舌がべろんと垂れさがっており、丸刈りのからだはむちむちすぎ(少しやせたかも)、顔だけ毛がたっぷりと残っている。でもルイはルイなので、見た瞬間、「あっルイだ、かわいい」と思う自分がなさけない。こんなにみっともないと、検疫で入れてくれないんじゃないかと危惧しておる。
おめでとう、実におめでとう。
2012年05月28日(月)
きのうカノコのけっこんしきだった。けっこんしきとひらがなで書きたくなるような、ささやかなしきだったようだ。Kandoteki. Simple de tottemo iikanji. とサラ子から報告がきた。出席者は当人たちと、サラ子とトメ、あと友人の牧師さんとその夫。近所の公園でやって、近所の高級レストランでごはん食べたらしい。facebookを見たら、さっそくP(夫)は名字を変えておった。妻も夫も、つなぎ名前に変えるといっていた。
また父の話
2012年05月24日(木)
父のことばかり書いている。こんどは婦人公論の「漢である」だ。こないだはかけなかったが、毎月2回の連載で、ずっと読んでくれてる「漢たち」(おんなたち、と読む)に近況を知らせなきゃと思って書き始めたら、また泣ける。折しも巨人が9連勝、なんで父の生きてるときに勝たない、と残念でたまらない。
父の話
2012年05月22日(火)
「文学界」の連載の「犬心」の次の回、タイトルは「ルイのお爺さん」、書きながら泣けて泣けてしょうがなく、顔じゅうくしゃくしゃにして書いたのである。どうしても父のことを書かねばならないのであった。ずっと書きたくなくて、こないだの「漢である」のしめきりは全然違うことを書いた。詩手帖の詩は書けなかった。でも12日しめきりだった「図書」連載の「木霊草霊」くらいから、やっぱ書かないとーーみたいな気になってきた。で、書いた。大きな木が死んだ話だった。それは「生きている木と死んでいる木」というタイトルだ。かたや木の話で、かたや犬の話。どんなに木や草が好きでも、やっぱ犬にからめたほうが泣ける話が書きたくなるわなー。
電話しなくちゃ
2012年05月21日(月)
夕食のあと、友人に電話しなくちゃいけなくて、起ちあがりながら「I have to call 」といって、つい「my father」とつづけてしまった。「I have to call」には「my father」がかならずついてくるのだ。途中で止めて、「C」と友人の名前を言い直したが、S子もつれあいもそれを聞いていたのである。
日蝕 さらに
2012年05月21日(月)
どきどきして見てたら5時半すぎから、空がいい具合に曇って、かえってはっきり欠けていくのが見えた。半月くらいに欠けるまでよく見えた。ところが、その後、曇りすぎてしまったのである。なにしろうちのほうは海に面している。夕方には雲が発生しやすいのである。それで見えなくなってしまって、もう出てこなかった。沙漠にいた友人が、くりあにぜんぶ見えた、といっていた。東京の友人が、玉川大学には天文台があるからよく見えたといって、写真おくってくれた。バンクーバーの友人は雨で見えなかったそうだ。とにかく一日大騒ぎした(しめきりからの逃避かもしれない)。半月くらいまで見えたからけっこう満足である。98ドルの溶接用ヘルメットは買わないでよかったーーーと思った。
日蝕メガネ つづき
2012年05月21日(月)
それで、サングラス、家中のをかきあつめたら5こ。いちばん大きいのにつれあいが白内障の手術をしたときに病院からもらってきた遮光フィルムをはりつけ、ぜんぶかけて、外に出て見てみたら、くっきりと、子どものときにすすで曇らせたガラスで見たときみたいに、よく見えるではないか、ただ今午後の4時。S子にしらべてもらったら5時半になるということで、どきどきしながら待っている。でもほんとは、いきなり日がかげって、わあああ、あまてらすさまが……とかいってうろたえたほうがおもしろい。
日蝕とミント
2012年05月21日(月)
すっかり忘れていたのが日蝕だ。今朝になってからばたばたし始めて、でももう遅い。日蝕用メガネを探して、近所のアウトドア専門店に行き、スポーツ専門店にいき、HomeDepotの溶接部門にいき、シドロス(というおしゃれ通りがある)の山登り専門店にいき、そのあたりのオモシロイ雑貨屋に行き、その近所のDixielineというHomeDepotみたいな店に行って溶接用品をみたが、どこにもなかった。いちばん近いのはHomeDepotで見た溶接用ヘルメット(顔面をすっぽり隠す宇宙飛行士タイプの)だったが、安いやつでも98ドル、しかも係のおにいさんが「どこまで効果があるかわからないし」といってたのであきらめた。手ぶらじゃなんだから、ミントを3鉢買って帰ってきた。どこでも売ってなかったミントがDixielineには各種豊富に揃っていた(きのうHomeDepotで買ったのは他のハーブとの寄せ植えであった)。灯台もと暗しであった。ミントを植えようと思うその理由は、とにかく雑草みたいに広がるといってみんながいやがるほど強いらしいから、ならばミントで埋めつくしてやれと思ったからである。ミントが山盛りの収穫できるくらいになったら、ミントチャツネを作って、サモサとパコラ(インド風てんぷら)を作る。
庭仕事
2012年05月20日(日)
怪力トメがキャンプから帰ってきたので、連れてHomeDepotへ行き、土の大袋を7袋、黄バラ、青アジサイとピンクアジサイ、ラズベリーとブラックベリー、ペチュニア白、ミント他を買い込み、家に戻り、イチジクを植えた花壇を掘り起こし、枯れていたセージを取り除き、おおいかぶさっていたブーゲンビリアと戦い、だいぶ刈り込んで、花壇の上を開け放し、陽があたるようにしてから、土を中に入れ、ぜんぶ植え込んだ。全身が糞臭くなった。
鬼婆
2012年05月19日(土)
「おばーちゃん」なんて呼ばれるのぜったいいやだ、とだだをこねておったら、カノコからメールが来て「お母さんは、絶対ババのほうが似合ってるって。『おばあちゃん』の略だとは思わずに『鬼婆』かなんかの『婆』って思えばいいじゃん」と。それならいいかも。婆。鬼婆の婆。山婆の婆。糞婆の婆。業突婆の婆。
甘酒屋
2012年05月17日(木)
ニジヤで麹が安かった。で、きょう作り始めたのが甘酒だ。こないだNちゃんちで作りたてを味見させてもらってうまかったのなんの。ただのおかゆに麹混ぜてお湯入れて、お釜で保温すればできあがり。すごーーーく甘くなった。しょうがをしぼり入れたら、うまいのなんの。さっそくDに電話して、Amazake飲むか? といったら、飲むというので、持って行った。いやーーーこんなにうまくできるとは。詩人やめて甘酒屋になれるな、こりゃ。麹はいっぱいあったから、半分は塩麹にした。これは前につれあいから嫌い宣言されてしまったが、前みたいに塩麹尽くしをつづけなきゃわかんないだろうと思って、漬け物とかにひそませることにする。
母の夢
2012年05月16日(水)
その前に長い、意味のつながらない断片的な夢があった。それからA上さんとしきりにいろんなことを相談していた。あたしの事情を説明していた。「東京いくんですか、私もいきますよ」とA上さんが言った。で、いっしょにどことかに行こうという話になった。で、東京で、講演かなにかやって、A上さんに、じゃーまた、といってすたすた歩き出したら、すぐそこに子どもの頃住んでいた家があって、母が昔みたいに庭のゴミを竹箒で掃き出しているところに出くわし(そのゴミには濡れた黒い葉がいっぱい入っていた、これはきっときのうのへどろかいだし作業のせいだ)、「あらあんた帰ってきたの、おとうさんにお線香あげときな」といわれて、庭にぶらさげてあるお線香たてにお線香をともし、家の中に入っていくと、母は掃除しながらこぎれいに暮らしていて、父は、死んだばかりであった。あたしは一人になった母を案じているのであった。家の中はビニールがしきつめられて、改装中みたいだった。「あんたこないだいつ帰ってきたっけ?」といわれて、うーん、元旦かな、いや三十日だったかなと答えると、「ならいいんだけど、あんまり働いてばかりいるとそのうち倒れちゃうよ」といわれた。大きな冷蔵庫がなくなっていて小さな一人用になっていた。あけるとケーキがいくつも入っていた。こんなにケーキどうしたの?ときくと「M脇さんが持ってきてくれたんだよ、あんたが帰ってくるだろうって」。食べようと思って戸棚のガラス戸を汚しながらお皿を出したら、母は、あたしが汚すそばからそれをぴかぴかに拭き上げた。ルイは? ときくと「そこにいるよ」といわれて、気がついたらすぐそこで寝ていた。目がさめて、ああ母の夢だったなとしみじみと思い返した。子どもの頃住んでいた家のまんまだった。年は60くらいだった。父の死んだ後の家に、ちゃんと掃除してこぎれいに暮らしているけど、哀しいこと、あたしをすごく待ってること、一人で寂しいことが、クッキリと、鮮やかに出てきた。そして眠れなくなったので書きつけておこうと思って下に降りてきたら、A上さんからメールが来ていた。すごく愉快なメールだった。笑った。笑えてよかった。
夏祭りと金魚
2012年05月16日(水)
S子の記憶によれば、あの金魚は、日本人会の夏のお祭りの金魚すくいでもらってきた一匹だそうだ。日本人会のお祭りで、日本人学校はいつもかき氷屋と金魚すくい屋を担当している。あたしも以前、金魚すくい用のあみ作りを手伝い、かき氷屋のおばちゃんをやった。技術がないので、かき氷を作るというより水の中の缶ソーダを売ってたのだったが。いかにもアメリカの男の子が年取ったという感じの、でもちょっとダンディな、うちの父に似た感じの(うちの父はちょっとダンディだった、いや娘バカじゃなく)2世か3世の老人がやってきて、「Strawberry and Azuki」と注文していたのが印象的だった。
ハチよ
2012年05月16日(水)
母の日にイチジクの木をもらったので前庭に植え込むつもりで、それならついでにこないだ買ったメイヤーレモンの木も植え込もうと思って、Mエルに相談したら、前庭にレモンを植えて、中庭の花壇にイチジクを植えろという。花壇には池がはめこんであって、ホテイアオイが生えてるがまあはっきりいって腐ってみどろが池になっておる。その周りは、カンナやセージやゼラニウムが野放しで、池の中同様わけがわかんなくなっておる。水じゃないからへどろにはならないが、枯れ葉と枯れ枝と生きた葉と生きた枝が縦横無尽に寄りかかり合って、へどろ様の繁みとでもいうべきありさまだ。それでMエルがセージや何かを切り開き始めたから、あたしは池をきれいにしようと、へどろやみどろをかいだしていたのだが、ものすごく臭くて気味の悪い作業であったのだが、そのうちにすーいと赤いものが! 金魚が一匹まだ生きていたのである。驚いたのなんの、何年になるか。まだ生きていたのである。しかたがないから、へどろ水といっしょにすくって、小鉢に入れて、あたしは水槽を買いに走った。池のかいだしをやってる最中、つれあいが駆除業者をつれてきた。駆除業者はふしぎな面体の男で、ネズミ男そっくりだったのであるが、それはともかく、裏の壁にハチが巣を作っている。駆除することに決めて、ハチたちにはほんとに申し訳ないと思っている。しかし家族の生命を危険にさらすわけにはいかないのだ。トメはもう何度もハチにさされたから不死身だといっている。ネズミ男とその助手が20世紀少年みたいなかっこでもどってきて、何か散布して巣を落とした。その間も、Mエルとあたしは花壇で働いていたのだが、一匹のハチがぶんぶんいいながらあたしのところへ飛んできて、しばらくホバリングしてまた戻っていった。ほんとにごめんなさい。
ひさしぶりの荒れ地の散歩
2012年05月15日(火)
午後、タケがいいように寝ていたので、ひそひそ声でニコを誘って、昔よくいっていた荒れ地を踏破して見晴台から下を眺めて長い下り坂を下りて芝生に到達し、芝生の上で遊び、長い登り道をゆっくりと歩いて、崖の下から急な登り道を上って荒れ地に戻り、建物の裏をとおって駐車場に帰るというコースを歩いてきた。ピンクセンブリが見たかったからだ。案の定、ピンクセンブリは満開だった。アレチハハコも満開だった。トヨンの繁みがものすごくぶ厚くなっていた。海底アカバナも今をかぎりと咲いていて、ところどころにキャスカ草も咲いていた。キャスカ草というのは、ベルセルクを夢中になって読んでいた頃みつけた花で、13巻までのキャスカのイメージの凜とした花だったのだ。荒れ地の仲に踏み込むときにいつも通るあたしの道は、セージですっかりふさがっていた。あたしがセージを押しのけながら無理矢理押し通ると、下のほうをニコが難なく通り抜けてきた。芝生の上で、拾った棒をさんざん投げて遊んだ。ニコは必死でついてきた。芝生のところに生えているアメリカプラタナス、葉が繁っていたが、ひとりまったく葉の出てないのがあった。枯れているのだ。そしてそれは前からキノコが出るので気になっていた木だ。
すごくいやな夢
2012年05月15日(火)
すごくいやな夢をみてねっとりとした不安にさいなまれて目が覚めた。どこかの海辺で、帰国する手段がなくて困っていた。違法手段で入国したので、出国もまた違法手段によらねばならず、それがみつからないのであった。日本には父どころか母も待っていた。自分は大丈夫だろうと思ってても、大丈夫じゃないことが(ほかの人々と同じように)あるわけだし、これ以上にっちもさっちもいかないという局面に追い込まれることは自分には起こらないと思っていたが、そのとき(今こそそれが起きている)になってみると案外とほかのいろんな局面にいるときと変わらぬものだ、こうやって万策尽きて人は滅んでいくのだなという感想に追い込まれていくのが、ほんとにこわかった。たんたんと風景はあり、風がふき、波が寄せて返した。手は血まみれだった。男の髪の毛を丹念にほぐし、梳かしたり編んだりしていた。
パン・タデウシュ(ワイダ)
2012年05月14日(月)
忘れていた。きちっとどこかにメモしておかねばと思っていた。5月29日のDenkikanでの浜野佐知監督とのトークのさい、「百合ダス」に何を連想するかといったのは、アンジェイ・ワイダの「パン・タデウシュ」だ。映画の邦訳は「パン・タデウシュ物語」らしい。リアリティというものがよく似ているというか、同じようなスタンスをもってつくられていたような気がする。それだからこそ、画面の色の美しさも、これでもかというほどだった。そしてそれは「百合ダス」もそうであった。
拷問の結果
2012年05月13日(日)
きのう寝たくなかったのも、きょうなんだかやる気にならないのも、ぼーっとしてるのも、すべてつれあいのせいかと思っていたが、もしかしたらきのうの朝、トムのところにひさしぶりにいって拷問されてきたせいかもしれない。ほんとはズンバにいきたいんだけど、やっぱりつきあいと思って、つれあいの行ってる個人トレーナーのところに週2回いっている。そしていろんな筋肉の運動をさせられる。きのうは新開発のひもをにぎってすわっては立ち上がる運動をさせられた。それがひどく残ったようだ。そもそも金曜日は、まずエアロビクスのハードなクラスをとってから行くので、トムのところについたときには疲れはてているのだ。
映画と鮭
2012年05月12日(土)
寝たくなくて、Netflix(というネットで見られて、じっさいのDVDも郵便で送られてくるレンタルDVD屋に加入しているのだ)で、「ブロークバックマウンテン」と「アマデウス」とナショナルジオグラフィックの「犬の科学」と「狼たちの午後」を見ていた。ブロークバックは何度見たことか。出だしの空の雲がいい。山のなかで寄り添ってくる犬がいいし、馬かいい。こういう生活したいなあといつも思う。アマデウスは、サリエリの曲からモーツァルトがフィガロの曲をつくるところがすきだ、ここだけ何回も何十回も見すぎて、とうとうNetflixに供給とめられてしまったのだが、きょうログインしたらまた見られるようになっていた。またそこだけ見た。「犬の科学」を見ていたら、商売まちがえたかもしれない、犬のハンドラーみたいな仕事したかったと思った。昼間、スーパーの魚カウンターで、10ドルの鮭と8ドルの鮭があった。10ドルのほうを買いつつ、店のおじさんに(といってもきっとあたしより年下)どう違うんですかと聞いたら、「こっちのがずっといい」といわれた。思わずトメと大笑いだ。バカな会話であった。しかしせっかくのいい鮭が、焼きすぎてしまった。
センダン
2012年05月10日(木)
トメの学校から家に帰る道すじで、すごい花が咲いている木がある。花は白と紫が二重で、細い十字に見える(でも4片ではなく、5片だろうとあたしにはわかっていた)それが木全体をびっしりとおおっている。そしてその花におおわれた木全体を、照葉樹みたいなぴかぴかした緑の葉が垂れさがるようにびっしりおおっている。木のかたちはまるみを帯びたふつうの木。とくべつ、どうという特徴のないふつうの木。で、あんまりきれいなので、通るたびに速度をゆるめて感嘆しておったが、とうとうきのう、車をとめて、トメに花と葉を少しずつちぎり取ってくるように命じた。これがいい子で、そんな恥ずかしいことを、親に言われるままにするのである。で、確信したのだ。これはセンダン。ムクロジ目のセンダン科のセンダン。漢字で書くと栴檀。熊本の坪井川の河原にいくらでも自生しておる。成長が早いから、20年ほど前にできた遊水池に生えだしたセンダンが、もう大木になって陰をつくっておる。河原の自生した木だけじゃない、いかにも植えられたふうの公園にも処処にある。冬には葉が落ちて黄色い実が垂れ下がる。それを見て、長い間、これはハゼノキと思いこんでいた。ハゼノキは、肥後藩が奨励したという蝋をとる木なのである。たしか大津から阿蘇に行く旧街道沿いに植えられていたはずだ。昔、見た、見て、あれはハゼノキと教えられた覚えがある。で、このセンダンがセンダンであるとわかったのは数年前だ。母が死んで、5月に帰って、しみじみと河原を歩いて確認していったのだった。ハゼノキとセンダン、実はそっくりなのだが、花が違う。センダンははなやかで美しいが、ハゼノキのは目立たない。そしてこのたび、太平洋のこっち側で、トメが取ってきたのはいかにもセンダンで、すっきりした細身の5片で、くっきりとした紫と白で、えもいわれぬ芳香があった。すずやかな、風のなかに鳴りひびくような、芳香であった。センダンは双葉よりかんばしというあのセンダンは、じつはこのセンダンではなくて白檀のことだ、とwikiにも、ほかのサイトの説明にも書いてある。これだけの芳香があって、まだ足りないのかボケと空にむかってののしりたい感じ。今、センダンは、坪井川の河原のあそことあそこで、いっぱいに花を咲かせている。今回カリフォルニアに帰ったときにはまだ咲いてなかった。でも今咲いてるはずだ。見なくてもよくわかる。かなり咲いていたノイバラは、もう爛熟しきって河原じゅうが天花粉をはたいたみたいに白くなっているはずだ。
16時36分
2012年05月08日(火)
今は日本時間で16時36分である(カリフォルニアは12時36分で、うちの中は寝しずまっている)。ちょうどヘルパーさんが来てごはんを作ってもらっているところだ。今電話すれば、ヘルパーさんの手前もあるから少ししゃっきりした声を聞かせてくれる。それでよく電話をこの時間にかけた。でもへたをすると裏でルイがわんわん吠えて、ヘルパーさんに食べ物をねだっているから声が聞こえないこともある。そのときは、またあとでかけ直すといって切る。ときどき大相撲の実況をしてくれる。そのうち「あ、ごはんだ」というから、じゃまたね、といって電話をきる。ヘルパーさんが帰ったころにまた電話することもある。6時前なら白鵬が取り組み中だ。6時半頃なら、巨人の試合がはじまっている。その頃はもうこっちはだいぶ遅くて3時頃だ。こんな遅くまで起きてるのかい、なんていわれて、もう寝るとこ、またあしたね、といって電話を切る。あーたいくつだたいくつだと愚痴をこぼされるだけのときもある。あたししかぐちをこぼす相手がいないからしかたがないと思って辛抱強くきいていられるときもあれば、きいてるのがつらすぎて早々に切ることもある。Y田さんに、おとうさんとの会話をかきとめておいたらどうかといわれて、書きとめるようになった。そうしたら以前より辛抱強く、ぐちをきいていられるようになった。もっともっときいてやればよかった。
ニコと歯
2012年05月08日(火)
8時からの予約でニコを歯磨きにやった。そしたらっっ獣医から電話がかかり、治療費12万で、歯を7本抜かねばならないと。釈然としない。まったくもって釈然としない。出て行く直前までニコはあたしのわきでべったりこっちにからだを押しつけて寝ていたのである。それがS子に呼ばれて、階下にかけおりていって、獣医につれていかれて、次に知ったのが歯7本だ。まったくもって釈然としない。しかしニコは麻酔かけられており、歯磨きの結果は出ており、それによると歯7本を抜かねばならないということであり、麻酔が効いてるうちにやってしまわねばと獣医は電話の向こうでこっちの決断を急いでおり、YESというしかないじゃないかーーーー。ああほんとに、まったくもって釈然としない。ニコあんなに可愛いのに、ずっと口は臭かった。生後3か月でやってきたときから口は臭かった。今回の全身麻酔歯磨きでそれが治るかと思っていたが、それどころじゃなく歯が7本。そして出費が12万。
燃え尽き症候群なのにタケが
2012年05月07日(月)
燃え尽き症候群とM子に言われつつ、ぬったりしてるのもいい加減にしようと自分でも思って仕事を始めたが、去年、お母上を亡くしたR子さん(やはり海外のとーーーくに在住)からメールが来て、「もう母に会いにあの暑い日本に行かなくていいんだというのが信じられません」と書いてあって、またまた泣いちゃったのである。ほんとにR子さんのいうとおり、もうあんなふうに待ち焦がれている人はいない(これもR子さんの言)んだなあと思うと、また泣いちゃったのである。しかし今、ぷーんと足元でにおう。さっきからタケがおならしているせいである。でも今回はとくに臭いと思ってよく見ると、うんこが出ておる。涙なんかぱっと乾いた。タケは平然としている。それでそこに座らせたまま片づけた。ふつうのいいうんこで助かった。でも部屋がとても臭くなってるので、あたしはもう寝ることにする。明日の朝までにはニオイもとれてることと思う。「漢である」を書いてたが、まだ父のことは書く気にならなかった。夫のことを書いた。まあ、憎まれ口のようなものだ。こんなに憎まれ口をたたいているこの夫も、死んだら父みたいに恋しがって泣くのか。
ぬったりする自分とタケと父と月
2012年05月07日(月)
ぬったりしていたら連休が終わったらしい。原発もとまったらしい。まだメールの返事かけてないところがある。そろそろ立ち上がらねば、そして朝はちゃんと起きてズンバにも行かねば。ゆうべはちゃんと定時ごろに寝たのに、半日も寝てしまった。起きたのは12時近かった。タケが回復していて、ごはんを作っていれば興味しんしんにみつめておるし、あたしが居間に行けば立ち上がって居間にくる。さんぽ?と聞くと立ち上がるし、ぐずぐずしているとニコを叱りつける。昔のままだが、やはり身体は衰えが激しくて、前よりがくがくした歩き方になっているし、体が硬直したようなところもある。そしてなんとなく右側にかしいでいる。脳梗塞をおこしたのではないかというつれあいの観察はあたらずともとおからずだ。それは金曜日で、あたしはまだ日本だった。S子から刻々連絡が入り、タケのようすが伝わってきた。S子はタケが死ぬと思っていた。ずっと寝っぱなしだったようだ。うんこもおしっこも垂れ流しであった。S子だけじゃなく、以前はものの役にも立たなかったトメがきちんと片づけているようであった。帰るまで(死ぬのを)待っててと思いながら帰ったら(火曜日)タケは立ち直りつつある。表情ははっきりしている。散歩にも行く。食欲もある。しかし立ち上がるときに立ち上がれなくてくずおれることもある。と書いていたら、悲鳴が聞こえて、いってみると、今さっき、外におしっこに出したタケが、入り口で、バンビが生まれたときみたいに、腰を落とし、両前足をひろげてもがいておる。肩や背中を抱えて助けおこそうとすると、ひいいいと悲鳴を上げる。それでタオルを前に敷いて、前足をそこにかからせて(けっきょく木の床ですべっているのである)全体を抱え上げて、タオルの上を歩かせるようにして、元どおり、あたしの部屋に帰ってきた。こんなことしてても、思い出すのは最後のほうの父のことだ。きのうの月は凄まじかった。大きさも凄かったが、出る場所がいつもよりずっと南よりに見えた。それはどうしてだろう。あしたはニコがとうとう歯磨きにいく。しつこい口臭が治るかもしれない。T田先生から連絡が入り、ルイはよく食べよく眠り、散歩も楽しみ、快調だそうだが、暑がりらしくはあはあいってるので全身刈り込んだらどうかということであった。前にも父がそれをやったが、あのときの醜さは忘れられない。しかし娘たちはやるべきだと主張しておる。うーーーむ。
蓋つきのつぼとコーヒー
2012年05月05日(土)
何年も何十年も前から、父が、これに二人のお骨を入れて撒いてくれといってた小さな蓋つきのつぼがある。すっきりしたいい形のつぼである。そこに骨を入れて持ってきた。むちゃくちゃだ、とカノコに呆れられた。S子はとても自然に手を合わせて拝んだ。おいてある。蒐集したGルやJのつぼの間に。父の死体はちっともこわくもなんともなかった。死んだものが怖くてさわれないあたしがおそれていたことだ。実際はいくらでもさわれた。それは死体ではなくて父の体だった。納棺師さんがきれいにやってくれたのに、3日間も置いてあったので口があいてきてしまった。だからあたしは最後までそれを閉じさせようとしてみた。葬儀社の人がキクの葉にコーヒーをつけて口を濡らすようにいった。コーヒーで、というのはS叔母の提案である。缶コーヒーは父のコーヒー好きを知ってるS村さんが供えてくれた。だからあたしがキクの葉でコーヒーを父の口に滴らせた。少しあいていたからちょうどいい具合に口に中にコーヒーがしみこんだ。
これも不安夢
2012年05月05日(土)
子どもの頃住んでいた家に、今みたいにひとりで(熊本での状態)住んでいるが、父が死んでいろいろと走りまわっているが、そこにNさん(のような人)が帰ってきたので、散らかしっぱなしで片づけようがなく、今日カリフォルニアに発つという日に、いつもはきちんと片づけて出て行くのだが、朝起きてみたら、部屋は乱雑きわまりなく、ものは出しっぱなしで散らかりっぱなしで、障子にはすべて毛布がかけてあり、雨戸は半分引きだしてあり、異様に室内が暗くなっており、しかもエアコンがついてむし暑くなっており、暗くて時間がわからないようになっており、しかしまだ飛行機には間に合うので、エアコンをとめて、雨戸を戻して、あとはもうこのままでいいやと腹をくくって外に出て行く直前で目が覚めた。
コンピュータの時刻
2012年05月04日(金)
コンピュータの時刻を日本に合わせてあった。父に電話するためだった。それをカリフォルニア時間にもどそうとして、もどしかけてやめたのは、そうだ、しめきりの正確な日時を知るためにはこっちのほうが便利だということに気がついたからだ。
タケのことその他
2012年05月04日(金)
タケのことをかいたらまちがって消してしまった。むかついて書き直す気になれない。その他はぼーっとしている。寝るときに寝て起きるときに起き、発酵ドリンク(ビールとかワインとかコンブチャとか)をてきとうに飲んでいる。父に電話しなくていいというのが何よりも違和感がある。いつもの景色がまったくリアリティなく目にうつる。
いろんなことをした
2012年05月01日(火)
成田でビールをのみながら飛行機を待っておる。いや…めまぐるしい数週間だった。いろんなことをした。「歎異抄」が出て、「万事OK」が出た。九州市民大学で話をして、泗水図書館で話をした。A山さんたちの能をみに水前寺公園にいった。B場さんたちにあった。数寄和でカノコとやって、ジュンク堂で歎異抄をやった。箱崎水族館でカノコとやって、好信楽でN田さんたちにあった。県庁でK野さんにあった。A上さんとロシア正教の復活の大祈祷にいった。熊本学園大で山折先生の講演をきいて仏教のことを話した。T浜さんと山折先生と浄国寺で待ち合わせ、谷汲観音をみて、山折先生とI牟礼さんちにいった。「百合子、ダスヴィダーニャ」をみて、H野監督としゃべった。カノコをつれて障害者施設の「栞」にいき、カノコをつれて八代の老人ホームシラサギに行った。東京でIメラさんたちとごはんを食べた。T哉と何十年ぷりかにあった。Y夫やS一ともごはんをたべてわいわい話した。まだいろんなことをした。新幹線に何回ものった。ルイと同居して、たくさん散歩した。車のなかがルイくさくなった。M脇さんやE藤さんやR子さんとたちばなしした。T浜さんやO野さんやB場さんが遊びにきた。M子もきた。M子さんやH田とのんだ。Nちゃんとごはんをたべた。いろんなことをした。
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