中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
伊藤製作所「豆畑支所」
   
 

馬と坐禅

2013年01月25日(金)

あと馬にも。いつもどおり。23日は速歩、マルコで。24日は軽速歩、ロカビリーで。肩ががちがちにこるのがわかる。きのう、ロカビリーを降りたころに、トラックが一台来て、どさんこが乗っていた。会員のひとりが買ったばかりのどさんこだそうだ。小さくて、毛がふわふわのぼわぼわで、ずんぐりして、目がきょろきょろしていた。かわいかった。2歳の雄で、名前はブルー。つまり黒馬(あお)なのだ。飼い主がいうには、もう3か月いっしょに暮らしているから、ずいぶ慣れて、自分を飼い主とみとめているそうだ。かわいかろう。今日はしめきりがせっぱつまっていて行かれなかった。きのうの夜は坐禅だった。馬と同じようなものだった。いつものとおり雑念ばかりだったが、40分はあっという間に過ぎた。

熊本とレトルトカレーと落語

2013年01月24日(木)

今回の日本はレトルトカレーにはまっておる。朝に晩にレトルトカレー。日本てすごい。カリフォルニアにはこんなにない。あたしはじゃがいもの入ってないカレーが好みなんである。あとは欧風もインド風もアジア風もなんでもOKなんである。スパイスの効いた本格的なのが好きなんである。こういう食べ方は父譲りだ。同じものをずーっと飽きるまで食べていたい。22日の夜に、新春寄席というのにいった。歌丸の「紙入れ」と小三治の「うどんや」凄かった。いやマジで凄かった。

いやな夢を忘れた

2013年01月15日(火)

ものすごくいやな夢を見て、夢を見ながらいやだなこれを書いたら残ってしまうので書かないようにしようと思っていたようないやな夢だ。それで目が覚めてもそれについて書きもしなかったし、言いもしなかった。そしたらちゃんと忘れられた。それがきのうかおとといの話だ。今になってどんな夢だったか思い出そうとするが、数人の人とケンカしてるような、身体的にケンカしてるようなそんな場面が入っていたような気がする。

お知らせ 佐賀の講演会

2013年01月14日(月)

「人生万事OK」
日 時:2013年1月19日(土)14:00から
場 所:エスプラッツ 3Fホール
参加費:1000円
(予約、チケット等のお問い合わせはピピンまで)
TEL:0952-27-8846 Email:pippin@po.bunbun.ne.jp


ひさしぶりなので全力投球、まかしといてください!

また ズンバと自分の分析

2013年01月14日(月)

(つづき)やたらにうまい人も何人かいる。もともと、若いときから運動全般とくいだったのだろうなという動きの人もいる。ダンスの心得があるのか、天然のものか、動きが華麗な人もいる。ある人は、年の頃は70代、はでな動きはぜったいしないし、腰が悪いらしくて、スクワットもローンチもしないのだが、その都度、自分でてきとうにサルサをしている。そのサルサが、じつに堂に入っている。サルサはじめて50年とでもいいたげな貫禄がある。
で、あたしはどういう動きをしているのかといえば、まじめ。地に足がつきすぎていて、躍動感に欠ける。これは子どものころ運動をしなかった祟りだろうし、田んぼの中をはいずりまわって生きてきた祖先たちの血かもしれない。ただ観察力はある。いや、うぬぼれじゃなく。先生の動きを瞬時に解読して、先生が使いたいと思っている筋肉はどれなのか見抜くのだ。ところがそこで、身体能力がついていかない。ちゃんとできていたら、ものすごく正確な、四角四面の、ラジオ体操みたいなものになってるだろうが、できないので、ぞろっぺいな動きにとどまっていられる。右と左がわからないという致命的な欠陥はいかんともしがい。ズンバをはじめてから、よりその欠陥が気になるが、いっこうに直らないのである。つまり右だの左だのいわれてもわからないし、右腕と左足を同時にしぜんに出す動きができない。体の部分を別々に動かすことができない。まあしかし、あたし程度にへたくそな人はたくさんいる。あたしの前と右隣にいつもいるPやKも、クラスの中では大ベテランだし、腰はめまぐるしく動かせるが、あたし程度のへたくそさがある。特別、運動をせずに生きてきて、今ここでズンバにであった、という身体の動かし方だ。

漢である ズンバと観察

2013年01月13日(日)

(つづき)しかし、あたしらは漢(おばさん、と読んでください)である。自分らがCのような未熟者だったときのことはよく覚えている。口には出さねど、一人一人の顔にそんな感慨が浮かんでいるのも見て取れた。だから、みんな、とりあえずとても礼儀正しく、Cを受け入れ、一曲終わるごとに拍手なんかして、Cをねぎらいつつ、腰をまわしておったのである。
きょうあたしは少し遅れた。無意識のうちに、いこうかいくまいかためらいがあったと見える。Cを軽んじる気持ちがあったと見える。漢として、恥ずべきことである。で、2分くらい遅れていったら、いつもの場所はもう取られていた。それは前から2番目のいちばん端っこなのである。それで前から4列目、ほとんど最後列に近かった。でもそれだから全体がよく見渡せた。80人はいるだろうと思われるクラスである。Mのときはもっと多い。なかに二人ほど、もう長くやってるのに手足の動かし方がむちゃくちゃな人がいる。まったく人と揃うということができていない。右も左もあったもんじゃなく、手も足もばらばらである。でも本人たちは一所懸命なのが見てとれる。数人、動いているつもりで動いてない人がいる。それは、やや、というか、かなり高齢な人たちで、熱心に毎回来るし、本人はちゃんと動いているつもりで、汗を拭いたり水を飲んだりしている。あの動きで汗をかくのかということが不思議だったが、あるとき、中の1人が、ズンバに来るようになってずいぶん引き締まったと実際に汗をかいてあたしに言った。でも証言してもいいが、彼女は、どうして?というくらい動いてないのである。人の動きが見えてないのか、自分の肉体が思うように動かないのか。そういうのも観察しているとほんとにおもしろい。

漢である ズンバとMの不在

2013年01月13日(日)

きょうのズンバはつまらなかった。いつものMでなく、Mの助手のCだった。CはMのクラスの最前列、よく見えるとこにいつもいて、クラスじゅう飛び回っているMのかわりに、振り付けをみんなに見せる役目なんかもつとめている。Mの振り付けはぜんぶ伝授されてある。感じはけっして悪くない。棒のような体の、背の高い二十代前半だ。クラス全体、いつものメンツで、いつもの振り付けで、いつものように動いていたが、熱狂がなかった。「熱狂」だ。いつもはそれでむんむんしておる。それは、Mの存在が生み出すのである。だから、いつもより手先は伸びなかったし、しゃがみかたも浅かったし、腰はまわらなかった。きえーひえーと声をかける大向こうも、きょうは静かだった。すべて、Mのリードで熱狂をつのらせていくうちに、火事場の馬鹿力みたいな瞬発力を一人一人が発揮して、腰を沈め、腰をまわし、雄叫びをあげるのである。で、気がついた。あたしはズンバに毎日いってるが、運動が主目的だったんじゃなく、Mの、それからJの、人心掌握術を見学にいってるようなものだ。腰を回すのが楽しいから行ってるんじゃなく、MやJにノセられて、腰を回させられるのが楽しくて行ってるのであった。

父の家の夢

2013年01月02日(水)

父の家を片付ける業者がきている、前をとおって廊下の向こうにある自分の家に入る、オウムの置物がある、父がいつもそばに置いていたもので、捨てるか捨てまいか気になっている、やっぱり取っておこうとトメと二人で戻ると、もう片付けられてしまって無い、という夢。

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ