九州西部の風景と朗読
2012年01月31日(火)
鳥栖、長崎と転戦して熊本。でんしゃにいっぱい乗った。たのしかった。えきべんも買ったし、くまモンストラップも買った。在来線の快速で福岡から鳥栖にいくまで、ものすごいアロエの大株を見た。大きな花咲くサザンカも見た。かもめで鳥栖から長崎にいくときには、カササギをみた。それから有明海の波がしずかに寄せるところもみた。山側に日が沈んでいった。海側は逆光もなくて、じつにおだやかにしずかに暮れていった。波がひたひたと寄せて、かえさずに(ほんとはかえしているのだが)そのまま吸われていくような静けさだった。海苔の養殖が美しかった。長崎は「姉の結婚」で、ようく見知っておったので、はじめての感じがしなかった(駅周辺ははじめて)。ランタンで光りかがやいていた。鳥栖の「ライブ万事OK」大盛況であった。C野さん、ありがとうございました。長崎のカフェ豆ちゃん、お客がぎっしりつまったときの京橋の「ユマニテ」や西荻の「数寄和」みたいな感じで、声のとおる感じもとってもよくて、つい「トーク」というより「詩人の聲」の長崎出張みたいなノリになり、朗読をがんがんと。たーのーしーかったーー。やっぱり朗読は楽しい、なぜこんなに楽しいか、コリンウィルソンかA川Y治氏に聞けばわかるかも。人を征服しつつイケちゃう感じなのかも。豆ちゃんのY田さん、そしてO野さん、ありがとうございました。東古川町のカフェ豆ちゃんで、岡野雄一マンガ展、開催中。あたしはそれに、花輪代わりに行ったのである。
再送・予告 鳥栖で「ライブ!万事OK」鳥栖篇
2012年01月27日(金)
やって来ました、佐賀は鳥栖! 九州各地で大人気の「ライブ!万事OK」鳥栖篇でございます。 悩みを持っておいでください。泣いて笑って、すっきりいたします。
「ライブ! 万事OK」 1月29日(日)午後1時半〜3時半 サンメッセ鳥栖 くわしくは とす男女共同参画市民実行委員会 0942(85)3508 http://www.city.tosu.lg.jp/2908.htm
タケと合宿
2012年01月26日(木)
急いで書かないとタケのいのちに置いてけぼりにされてしまうようで焦っている。とにかく寝ている、一日中、死骸みたいな顔して。前は、つまり数ヵ月前は、何日かにいっぺん、生きてるのかなと心配になって触ってみてたのだ。でも今は一日に何回も、生きてるのか、ほんとに生きてるのかと、あたしが触り、S子が触る。動きもどんどんゆっくりになり、表情もとぼしくなってきておる。食べることだけは忘れない。ぬうっと台所にやって来て、タケ、何をしている、行って座れ、といわれながら、そこに何を見るでもなく、何を考えているようでもなく、ただ、立っている。食べたいのだ。でも何を? といわれてもわからないふうで、タケはそこに立っている。 ゆうべは、さんにんでいっしょに寝た。合宿のようなものであった。ぴーちゃんだけ自分の部屋(とりかごという)で寝た。風邪を引いて以来、あたしは下の部屋で寝ているので(つれあいにうつさないよう)ニコもどうどうとベッドにあがってきていっしょに寝ておる。夜中にはと気がつくとニコがこっちをじーっとみつめていたりする。タケはいつものあたしの仕事部屋とS子の部屋の間か、居間の小さい灯りを常夜灯みたいにつけてある下で、寝ている(どっちにもベッドがある)。でもきのうはタケの新しいベッドを下の部屋に入れてやったら、すなおについてきてそこで一晩中起きずに眠った。二日前は夜の間二度もあたしを起こしにきて、そのたびに起きていって出してやったのである(でも朝、うんこを家の中でもらしてしまった)。朝目が覚めて、まだ犬たちが寝ているのを感じるのはとても楽しい気分だった。
タケの落とし文
2012年01月26日(木)
タケが、かったるくてかったるくてしかたがないように歩く。そもそも散歩にいこうと誘った時点で、気がつかないか(耳が遠い)その気がない。犬クッキーをちらつかせるとよっこらしょといいながら立ちあがる。ニコはその時点で、あたしの足にうしろから体当たりしながら(だからときどき膝の裏に命中して、かくんとなる)あたりを飛び跳ねており、リードをつけようとすると喜びのあまりからだをくねらせるのでなかなかリードがつけられない(というのを毎日くりかえしておる、学習しないのである)。しかしタケにはリードはつけない。つけると、家を出たところで固まってしまうからだ。リードをつけなくてもかたまることはよくあるが、クッキーをちらつかせればしぶしぶ歩く。少しいってまたクッキー、それが欲しさに小走りになることさえある。むかしはクッキーなんてやらずにどこまでも歩いた。あたしは甘いのでいつもポケットにクッキーを入れておき、呼んで来たときなどやっていたのだが、ちょっと前には、やっぱりこうしてクッキーでつって歩かせるようになっていた。今、売り出し中の隣の分譲地が、まだ作りはじめて土地の造成をやっていた頃だ。そうやって歩く老犬を見て、工事のおじさんたちが笑って、いちいち袖の下を受け取りながら歩くのかいなんて話しかけてきたものだ。でもその頃は、20メートルくらいで1こ、てな割合だった。今は10歩で1こだ。そうして歩きながらうんこをぽとぽと落としていく。おしりをつぼめずに、ただ歩いているのにうんこをするようになってからだいぶ経つ。だから気をつけていないと、拾えない。きょうも、歩いてると思ったらうんこしていて、うしろに歩幅間隔でぽつんぽつんと落ちておった。あわてて拾いにもどって、みつけのはひからびかけて車にふまれたうんこの群れ、やはり歩幅間隔で落ちていた。ぜったいタケのだと思って、新鮮なのといっしょに拾おうとしたら車にふまれてぺしゃんこになってひっついているんだな、これが。ああたいへんであった。袋がやぶけて爪のあいだにいっぱい入ってしまった。
映画と自堕落
2012年01月25日(水)
ひとりなのでうんと自堕落なことしてやろうと思い、夜の6時にビールのみながら映画見ながら部屋の片づけを始めたところ(それのどこが自堕落って? 6時に映画ってとこと、仕事あるのに片づけしてるとこ、ビールも2本のんじゃおうかなーともくろんでいたとこも) それはWinter's Boneという映画で、方言というかスラングというか(英語字幕つけたのに)何いってるのかよくわからなかったけれどもすごくよかった。こういう映画をみて、ものすごいリアリティあるじゃんと思ってじーんとしている自分に驚いた。でも考えてみれば、これは2001年にアイダホで起こった子どもたちの立てこもり事件の背景にとても近い。その事件を下敷きにしたのが「河原荒草」だったので、さんざん調べて想像していた世界であったのだ。リスを撃って殺して皮をむいて料理するところは見たことないから書こうとも思わなかった。犯罪や麻薬のこともだ。あたしの想像していたものより、河原荒草より、2001年のアイダホ事件より、もっとずっと厳しい現実を描いた映画だった。日本語字幕でもう一回みたい。今、熊本のDenkikanでやっておる。で、けっきょく、見終わって、めしばなに出てきた韓国ラーメンを夕食にして(これも自堕落のひとつ)ビールは1本でじゅうぶんだった。で、それからBrokeback Mountain を見て泣いた(5回目くらい。これ好きだ。でもやっぱり何いってんのかわからないのだ。こっちも英語字幕つきで見た)。自堕落だった。Essential Killing も見始めたが、見終わらずに寝ると思う。おっぱいのところだけみたかったのだ。仕事はぜんぜんできなかった。あたりまえだ。
るすばんと反論
2012年01月25日(水)
るすばんしておる。家族はみんなサンタバーバラ。あたしが残ったのは風邪のためだが、みんながいなくなったとたんにからりと治ったので、なにほんの片道3時間、あたしの走りなら行って帰って、犬たちたった数時間るすばんでOKじゃんと思ったが、やめといた。サンタバーバラはつれあいの講演なのだが、今回のを逃したらこんどいつ聴けるか、聴いとかなくてはと、つい無謀なことを考えた。誕生日も、毎年、今年を逃したらもういっしょに祝ってやれないかも、と思って必死で帰ってくるが、いまだに生きているので、まだ機会はあるかも。起き抜けにA紙でA川氏が詩の朗読について批判してるらしいというのを又聞きし、検索してみて、あらましを知り、その文章読んでもないのに(でも前にも、A川さんのそういう趣旨の文章何回も読んだような気がする)ついったーで腰砕けの気弱な反論を試みておった。バカである。読んでからしろ、と言いたい、自分に。しかしどうも、この、論争とか、反論とか、批判とか、うまくできないたちで、昔から困っておる。人からはそう思われてないようだが、いたって穏やかな性格なのである。衝動的に離婚したりゲルを解体したりするだけで、ちょっと車の運転が荒くてきゅうりの刻み方がやかましいだけで、ほんとにじみちな、穏やかな性格なのである。→そしたらそののち、S木M郎さんが口達者で反論いくらでもやったるでえ的にいっぱいついーとしていたのでおもしろく読んだ。
帰らんちゃよかとOK
2012年01月24日(火)
きょうやってた万事OKは沁みた。他人事ではなかった。2月2日の西日本新聞にのります。いつもはこんな前にはやらずに直前にやって、担当Sさんを困らせているのだが、もうすぐ移動なので、しかたなくやっておったところ、沁みた沁みた。おもわずYouTubeで(それまでNetflixでQueenとかJoan Baezとかのドキュメンタリーを見ながら仕事してたのだが)ばってん荒川の、ところがばってん荒川のがなかったので、島津亜矢の「帰らんちゃよか」を探して、いっしょに歌いながら書いていたのであった。この曲の「どうせ」というところ、あたしならトル。それがあるせいで、子どもによけいなプレッシャーがかかる。「どうせ」がないと、もっとすなおな歌詞になる。詩人からの老婆心てことで。え? これがほんとの老婆心って?
父と風邪とSageのケーキ
2012年01月24日(火)
ある日父と気持ちのいい会話ができて、ああやっぱりおとうさんだなあと思うとする。あたしもよくやってる、おとうさんをちゃんと支えてあげてるのかもと思えるとする。しかしそのつぎの日に電話すると、父は前の日のいきおいはどこにもなくなり、あーとかうーとかしか言えない年寄りに老い果てていて、娘のことなんかどうでもよくなっていて、自分が死んでるのか生きてるのかもわからないようすになっている……ときがままある。なんにも、なんにも、常なるものはないということだ。きのうの父は、あたしが風邪がひどいといったら「早く寝るんだよ」と何回もいった。母みたいだった。母は言ったが父は言わなかったことだ。風邪があんまりひどいので、明日予定していたサンタバーバラ行きはS子が代わってくれることになった。つれあいの講演なので、あたしはただの運転手。きのうは買い出しにいったS子とトメが、母のために、Sageのケーキと、カリフォルニアロール(好物、握りのおすしより好き)と、カラムーチョ(こういうジャンクなものが好き)と、大福を買ってきてくれた。ぜんぶ食べた。Sageのは、ひさしぶり、さつまいものプディング、これは苦すぎるカラメルが「くーーーーっ」というほどいい味を出しておる。いきなりオトナの世界にひきずりこまれる。まわりが柔らかくて低刺激なので、よけいに度肝をぬかれる。もう一つは客がそれをめぐってバトルしているという「ナポレオン」このカスタードがまた、「ちょーーーっ」というほどオトナのカスタード、こんなカスタードがクリームパンに入っていたら不穏で不穏で心がざわめいて、毎日食べていられないなと思うほど。しかし、このところZionのパン屋のクリームパンにうつつをぬかし(これはクリームパンとしては絶品といえるんだけど)Birdのカスタードを作ってたべていたあたしとしては、たまにこういう最高級品を味わってしゃっきりしないとオトナとしての矜持を忘れてしまう……って何をいってんだかわかんなくなった。とにかくすばらしいということだ。
父と歳時記
2012年01月22日(日)
父に電話、「ばるとが優勝だ、きょうはいろんな賞金とかもらえるから、おっかさんが見たらよろこぶだろうなあ」といっていた。おとうさんだれが好き? ときくと、「いちばん好きなのは隆の山だ、こんど十両におっこっちゃうけどね」「それから千代大龍ってのがいて、学生のときからこの男はどこまでいくかなあと注目してたんだ、本名がめいげついんとかいうんだ、すごいんだ」「それから稀勢の里とか、琴奨菊とか」、それから平清盛の話になって「でもあれはね、見てるとよくなってくるんだろうけど、今はまだなんだかわかんない。清盛と義朝がきょうそうするんだってよ、そんなばかな話があるかい、めちゃくちゃじゃない」と。じゃーよくわかるように清盛の本送ってあげようかというと、「まーそれはいい」とことわられてしまったが、「あんたに頼みがあるんだけど」という。「俳句の歳時記、いちばん小さいやつでいいから送ってくんない?」と。どうしたの、ときくと、「このごろ新聞で毎日読んでるんだよ、だからさ、おれも作ってみようと思って、文庫でもいいし古本でもいいからさ」と。そんなヤル気を出してくれたのはひっっっさしぶりなので、おとうさんすごーい、おとうさんエラーイ、を連発してその場でワンクリックでAmazonで歳時記を注文したのであった。ほんとは父のところにも、あたしの家にも、ふるい歳時記があるのは知ってるが、それじゃ景気づけにならないだろうと思ってちゃんとしたやつを新品購入にした。
風邪
2012年01月22日(日)
また風邪ひいて、ズンバ行けない。全身いたい。これはズンバに行けば治ると思うのに、行けないから治らない。熟成樽出しコンブチャをちびりちびりと飲んでおる。じつによい味になったわい。
また父に電話
2012年01月21日(土)
それでまた電話してみたら(ばるとが勝ったあたりの時間だ)やや元気で、お風呂に入ったらしくて、「まあしょうがないよ、年だもん」と。「腰から下がいちばんダメになってるね、腰掛けてりゃいいんだけど」と。「薬がききすぎてんじゃないかといってたけど、おれ、昼間ぼーっとしてても、夜眠れる方がいいもん」と。そりゃそうなのである。反論はいえないのである。薬がたとえ老体を弱めても、それで寿命がちぢんでも、それこそ望むところなのである。「ちょうどお風呂に入ったときにKさんが来てくれて、せなか流してくれた」と。昔はぜったい他人にはだかを見せなかった父である。まるくなったなあと感動せずにはいられない。「まあしょうがないよ、年だから、きょう明日でどうにかなっちゃうようなことじゃないよ」といってたが、こっちは、きょう明日でどうにかなっちゃうんじゃないかと、それが気がかりなのである。
父の具合とタケの寝姿
2012年01月21日(土)
きのうはネットの具合が悪くてまた電話がつながらなかった。それで父に電話できなかったが、きょう早めにかけると、朝食でヘルパーさんのいる時間であった。父が出たが、何もいわずにすぐK崎さんに受話器を渡すので、わけがわからず、父に戻してもらったところ、「おれに聞くよりK崎さんの話を聞いた方がよくわかると思って」と。それでK崎さんに聞いたところ、きのう立ち上がれず、すわってもいられず、ごはんはたべたが(かれいのにつけと野菜のにしめ)すぐ横になって相撲はみたそうだ。こんなに顔色の悪いのも、動けなくなったのもはじめてだとK崎さんはいった。「今朝はどうかなと思ったけど、なにごともなく、お元気で、もうテーブルにすわっていらっしゃいました」と。父は「救急車はよばないでください云々」の張り紙をしてあり、ヘルパーさんたちと主治医にはちゃんと伝わっている。K崎さんがきのう帰るときも、朝来たときも、この張り紙が脳裏にあったろうなとあたしは考えた。受話器をまずK崎さんにわたした父の行為は、つまり父が、きのうあたしが電話できなかったことなど覚えておらず、自分が具合悪かったことは覚えていたということだ。そのあと、また電話してみたが、やはりいっぱいいっぱいな感じであった。恐怖にさいなまれているのかもしれない。一方タケは、あたしら(ニコとあたし)が散歩にいこうが郵便をとりにいこうがトメを迎えにいこうが買い物にいこうが、ぴくりとも動かずに、ぐったりとした死骸みたいな格好で自分のベッドに寝ておる。
トメとまっちゃ
2012年01月20日(金)
ゆうべはトメの宿題がおわってなかったのと、あたしの親鸞のゲラが出てきて、正信偈やっぱりなおしたくなってるのとで、3時ちかくまで起きていた(あたしはふつう)。トメが、おわらなーいねむたーいといってたので、とっときのようかんを出し、まっちゃをつくってやったのだが、実はトメののむ「まっちゃ」とは、うどん用のどんぶりでたてて(ちゃんと茶筅でたてる、泡立て器でやりたいが我慢しておる)砂糖を入れて、あっためた牛乳をそそぐ、というしろものである。M子やE藤さん(お茶をかなり真剣にやっている人々)に見せたら、何を言われるかと思いつつ、つくっておる。これを勉強の忙しいときの気つけ薬として飲んできたトメが、おとなになって、とってもスノッビィなお茶の場に遭遇し「えっ、砂糖もミルクも入ってない」と驚いたらおもしろいのだが。
父の呂律
2012年01月19日(木)
きょうも父は呂律がまわっていなかった。その上、6時ちょっと前にかけたときも、6時ちょっとすぎにかけたときにも、なんだか会話が通じなくて、6時半にかけ直したときにやっとなんとかしゃべれたのであるが、呂律がまわってなくて何いってるのかわからないのである。眠り薬のせいとしたって、きのうは4時前だったからまだしも、きょうは6時すぎで、まだこんなにへべれけなのはちょっと効き過ぎておる。本人はいたってはっきりしゃべっているつもりで、白鵬が負けたとか、稀勢の里も負けたとか、I牟礼さんがテレビに出てるとか、ダルビッシュがどうとか、言っているのであったが、テーマはわかっても内容はぜんぜん聞き取れなかったのだ。何度も聞き返すと「だっておれは一所懸命しゃべってるんだよ」と言うのである。それで、電話を切ってから主任ヘルパーのS村さんに電話したのであった。携帯にかけたが、S村さんの落ち着いた声が聞こえたときはほんとにほっとした。S村さんもあたしの話を聞いて、ミン剤のせいかもしれない、これから今日担当だったK崎さんに電話してみます、薬をしらべてみます、と力強く言ってくれた。ほんとうに、S村さんたちのおかげでこの綱渡りがやっていけてるのである。
タケの排泄と犬用階段
2012年01月19日(木)
ごはんのあとだいぶたって、片づけてる最中にタケがうめいて、はっと見たら、マット(新品のふかふかのやつ)の上で、転んだときの父みたいに姿勢をくずして動けなくなってかたまっておった。マットにふかぶかと沈んでよけいに動けなくなっていた。助けあげようとしたら、小声で「やめてよ」みたいに言ってたけど、すでにやわらかいうんこを1回分まるごと洩らしてあった。父みたいだった、姿勢も、行動も。でも父じゃないから、マットを洗いながらつい「タケちゃんみちみちうんこしてーー」と歌ってからかってしまったが、タケはぜんぜん意に介してなかった。いい性格だ。そして夜半、本格的な下痢に突入した。父と話すと、話題の半分が下痢のことやうんこのことなので、排泄とは人間の生きざまになんと深くかかわっておるのだろうと、もとから好きだった話題ではあるが、再認識するのである。そしてまた、犬を飼うということは、まさに一日に2回(や3回)かならずうんこを拾うということだから、排泄に、まじまじと向き合う行為であるのだ。うむ、生きざまそのものだ。 きょうはそれから、ドラッグストアで犬用の簡易階段を見たので買ってきた。車に出入りするのに、前から考えていたが、使わないだろうなと思うのと、大型犬用のがないので、買わずにきた。でも今日のは10ドルだったから、まあいいかと思って買ってみた。そしたら、車に入るときに使うことができた。降りるときはじゃまそうに避けて飛び降りていた。
コンブチャと伝道
2012年01月19日(木)
培養中のコンブチャのタネがものすごくぶ厚くそだったので、Mみさんに連絡したら、欲しいといってくれて取りに来てくれた。大びんに培養中のは、息ができるように布のふたをかぶせてあるので、できた液体は、すっぱいがなめらかで落ち着いた味だ。そうやって培養したやつを、小びんにわけて、きっちりふたをして、密閉してまた時間をおいたら、そっちは微炭酸になった。あたしはそっちのほうが好きだ。Mみさんには、両方とも、持って行ってもらった。コンブチャ教の伝道をしているような感じである。
父をほめる
2012年01月18日(水)
きょうは父がよくしゃべった。しかし呂律がまわってなくて、酔っぱらってへべれけの人としゃべってるみたいだった。しかし内容はしっかりしていた。こないだのスイミン薬増量のせいだ。以前もこんなことがあり、薬がぬけなくて、朝おきられなくてふらふらして転んで、転ぶと精神的なダメージが大きい上に、転ぶのはたいてい歩いているときで、歩いているときというのはたいていトイレに行く途中で、転ぶついでにもらすことも多いので、それでよけいダメージが大きいのであった。それで主任ヘルパーのS村さんが薬のせいだと見抜いて、減らしてもらうことになったのであった。今日は、呂律のほかはしっかりしていて、「よく寝たから頭はすっきりしてる」と自分でもいっていて、芥川賞のことや、清盛のことや、時代劇専門チャンネルは字幕が出ないのがおおいからつまらないということや、それでこの頃洋画チャンネルを見てるということや、ヘルパーさんがきたら何食おうかなあ、かきあげにしてもらおうかなあということや、どんなにてんぷらが好きかということや、白鵬が負けたことや、タバコを吸い始めたことや(これにはぎょっとしたが、父が「おれ、もう90だよ? タバコやめたのも健康のためだろ、今から健康のために吸いたいのをやめたってどうしょうもない」というから、そのとーりと思わざるをえないのだった)、とにかく35分間しゃべりづめにしゃべっていた。おとうさんひとりでよくがんばってるもんね、といったら、「そうかい、一人でもそう思ってくれる人がいたらいいや、おれも自分でもよくやってるなあと思うもん」と、「そんなこと思ってくれるのは日本中、じゃないな、世界中だな、世界中にあんたひとりだよ」とうれしそうに言うのであった。あたし一人じゃないよ、ヘルパーさんたちは四人ともみんなそう思ってくれてるにちがいないし、Y夫たちも思ってくれてるにちがいないし、だから少なくとも7人はいるよ、といったら「そうかい」と。89になっても、こういう状況でも、やはり、よくやってる、がんばってるとほめられ、自分の存在を受け止めてもらうのはうれしいのことなのだなと思い直した、直したというのは、ほんとはもっともっと、ほめて、うけとめて、あげないといけないなと思いつつ、この頃の父の生き方があまりにも後ろ向きで、ろくにしゃべってもくれないので、どうしてもほめるような会話にならないのが気にかかっていて、無理してほめなきゃなあと、きのうも考えていたからだ。実際、「この頃しゃべるのがめんどくさくってさ、人に向き合ってちゃんとわかるようにはっきりしゃべったりするのがめんどくさくなっちゃうんだよ」と自分でも言っていた。でもおとうさん、それじゃどんどんボケちゃうじゃない? といったら、今日はとても前向きに「そうだね」と。だからますますほめたくなって、うんとほめた。達成感がある(あたしに)のはなぜだろう。
アカシアとコショウノキ
2012年01月18日(水)
アカシアが三分咲きくらいになっておるが、よくよく見ると、葉のかたちがマジでちがう。それにともなって木の形もちがう。ネムノキみたいなさわさわした葉は全体がやわらかくて流れる印象、固い葉は上に突き出すような印象、長い葉のがいちばんふつうの木の印象。コショウノキも、よくよく見ると、二種類の葉があるではないか。ひとつはネムノキみたいな、マメ科みたいな感じの葉、もうひとつはもっと固い、照葉樹みたいな感じの葉。樹形もちがう、とうぜんながら。いったいほんとに同じ科なのかわかんなくなってきた。でもアカシアにはみんな黄色いぽんぽん花が咲くし、コショウノキには赤い実がなる(胡椒とはちょっとちがうが、スパイスとして使える。サーモンによく合う)。同じ科のものは、末端よりも生殖関係の器官が似ているそうだ、花とか、実とか。これは生物学専攻のS子に聞いた。それにしたって違いすぎる。植物のことは、wikiの日本語版、英語版、それからgoogleやgoogleの画像や、調べまくりながら確認しまくりながら書いてるのだが、あと少しでwikiの英語版がストに突入するらしい。←それにつけても「図書」に連載中の「木霊草霊」をどうぞよろしく。
父とむくみ
2012年01月17日(火)
電話の調子が悪くて、話しているうちに切れてしまった。Skypeでかけてみたが、これも途中で切れてしまった。で、なかなか電話がつながらなかったが、とうとうつながり、話しているうちに切れちゃったので、今日はもうあきらめた。「お風呂に入ろうと思ってあるきかけたところに電話がなったから、とったけど、ころびそうなんだ、……ああっころんだ」と実況中継であった。悲痛な声で「態勢たてなおすまでまってて」というから、しばらくそのまま待っていたら、立ち上がれたらしく、はあはあ言いながら受話器にもどってきた。まってる間、ずっとテレビが、すもうのあとのニュースが、大きな音で聞こえていた。「足のむくみひどかったろ、あれがおしっこ出るようになって治った、すごいんだよ、出るわ出るわ、パンパース(はくおむつを愛用している)何回もかえなきゃいけないくらい」といっていた。「お風呂は出鼻をくじかれたからもう入るのやめた」といっていた。お風呂嫌いは遺伝である。
雨と映画
2012年01月17日(火)
きのうは雨だった。夜半ぐーたら仕事しながらBoys don't cryという映画をみて、ちょー感動して、ついでにBrandon Teena Storyを見た。そういえば、おとといは、Mrs. Doughtfireというのを見たのだった。何やってるんじゃ、仕事せい、と思うでしょう、思ってますよ、あたしも。
父と清盛
2012年01月16日(月)
父に電話したら(6時すぎ)もう寝ていたらしく、寝惚けた声で、しかも横になってしゃべっているから声がもごもごしていて、どうしたの?ときくと「老衰だよ、長いことないから」と。そんだけ寝てりゃ眠れなくなるわなーーといいたかったが我慢した。きのう父は、眠れないので入眠剤を多くしてもらったといっていたのだ。しかし父の退屈を思えば、寝たくなるのもとうぜんと思える。寝ることで唯一退屈から逃れられるわけだから。明日の朝またかけるねといって電話を切ったら、1時間くらいしてかかってきた。まだ横にはなっていたが(声でわかる)さっきよりははっきりしていて、「さっきは寝惚けていたから、あんたが、おれがもう死んじゃうと心配したらいけないから」といい、きのうあたしが清盛みたいけど見られないといっていたので「清盛だけどね」と話し出し「あんたどこまで知ってるかわかんないけど」といいながら、清盛のストーリーを10分間かけて話してくれた。かなり微に入り細にわたっておった。これで清盛がすべてわかった。その上、父もボケていないことが判明した。「じゃね、これから本格的に寝るよ」といって電話を切ったが、やはりどう考えても寝すぎだ、薬を飲んだって、ほんとにちゃんと寝られるのかと心配になったのである。
父と退屈
2012年01月15日(日)
ひさしぶりに父と15分話した。ここのところ電話しても何も話してくれずたいへんつまらなく会話が持たず向こうも切りたがるので5,6分で会話は途切れた。そもそも日本にいたときも、たいへんつまらなかったのである。もう何にも興味はなくなってるように思えた。きょうは、格別にいろんなことに興味があったわけではない。ただ「たいくつだ」という気持ちをあたしに言いたかったらしい、それを聞いていたというだけだ。「しかたがない」と何度もいってた。「何にもやる気にならないから、ただ「テレビを見るしかない」と。「強盗でも入って殺してくれたらいいけど、こんな金のないうちには入ってくれないもんなあ」と。たいくつでも、なんとかしよう、たとえば本をよむとか新しいことをしようって気にはならないんだよね、ときくと、「うん、ぜんぜんならない、あんたはまだまだ先だけど、いつかわかるよ、こういう気持ちが」と。「清盛は楽しみにしてるけど、おもしろいかどうかわかんない、おれなんか理屈っぽい年寄りで、源平のことはさんざん見てきたから清盛はこうっていうイメージがある、それをいきなりこわされてもいいのかわるいのか」と。でもあたしは見たいよ、見たいけど見られないといったら、「そうか、あんたは見られないんだな、かわいそうに」と。じゃー今日、清盛みて、あしたどうだったか話して、といったら、「そうだね、あした話してあげる」と。その虚無のただ中に生きてるってことだけでも、すごいことだ。15分よくしゃべった。虚無にひきずられそうになる。でもひきずられないだけの力があたしにはある。娘としては、こうして15分間ぐちをこぼしてくれるだけでも、向こう側にいっちゃってこっちを振り返りもしない父よりはずっといいと思える。
木
2012年01月15日(日)
近所に大きな古い、少なくとも百年かそれ以上生きてそうなコショウノキが二本あって(このへんにコショウノキはいくらでもある。うちにも幼いのが一本ある)道におおいかぶさっていた。通るたびに「木のとんねるー」とか思って感動しておった。それが今日、切り倒された。昼過ぎに帰ってきたS子が、家に入ってくるなり「木が切り倒されている」と報告し、家族みんなで心配をしたがどうにもできない。市が、電線が圧迫されてしかたなくなって切る措置をとったのか、あるいは木が病気になったか。木の裏には、貸し家然とした小さな家が数軒建っている。その木がだれのものかもよくわからない。夕方になって、おそろしくきれいなピンク色の夕焼けだった、東の空も西の空も染まっていた、犬たちとトメとで、そこまで歩いていった。昔はよくタケと歩いた道だ。犬のいる家が2件ほどあって、塀越しに吠えられる。今日も吠えられた。咲きかけたアカシアが何本もあった。それは葉がユーカリ(のある種)みたいに細い柳葉型だった。黄色いぽんぽん花も細長かった。午前中にYMCAの敷地で観察していたアカシアは、古い枝からは花が出ずに、古い枝からあたらしい灰緑色の枝葉が伸びて、そこに丸くて黄色いぽんぽん花が咲いてた。葉は丸くて互生して固かった。それからつぼんだオキザリスが一面にあり、多肉植物の植えられた庭があった。で、木は、「なくなった」のが遠くから見えていたのである。メキシコ人が何人かそこで後片付けをしていた。きれいになんにもなくなっていた。細かい木屑であろう、しきりに掃いていた。跡地は思いがけなく小さかった。6畳くらいなものだ。そこに家を建てることも考えられまい。道のこっち側から見たのだが、気がつくと下にいっぱい葉が散り落ちていた。
ピットブルとシェパード
2012年01月14日(土)
カノコがピットブルを飼っている。ピットブル、賢くてかわいいが(ふつう世間ではそんなふうに思っていないのがミソだ。国によっては飼育禁止のところもある)シェパードの頭のよさとはレベルが違うといっておった。パピヨンは賢いが(なんたって犬のIQランキングでは堂々の8位入賞)やはり日々シェパードとはレベルが違うと感じている。そこには、雄と雌の違いがあるかもしれないし、個体差もあるかもしれない。雌は賢くて陰険で防衛的だから攻撃的で、雄はその反対、というのは、カノコやあたしにかぎらず、何人もの友人たちから聞いた意見だ。タケならできるのに、タケなら解るのに、と思うことがしばしばある。ニコにできてタケにできないのは、足にひっからまったリーシを自分で気づいて自分でほどくことだ。これだけはタケはできない。IQランキング第1位のボーダーコリーの頭のよさはものすごい、とまたカノコがいっておった。友人に飼ってるのがいるそうだ。その上かれらは多動的なので(それは公園で知り合ったボーダーコリーたちを見ていてよーくわかった)多動たす高IQで、タイヘン面倒なことにもなりうるそうだ(なってるそうだ)。シェパードの問題は(タケだけかも)、どんなに頭がよくても、基本的に、とても抑うつ的な性格を持っているので、若い頃(一瞬でそんなものは過ぎ去る)をのぞくと、抗うつ剤のんだほうがいいんじゃないの? と人に言われるほど、落ち込んで暮らしているところだ。その上、落ち込むあまりに疑い深くなっており、人はどろぼうだし、犬はみんなオオカミだから、撃退しなきゃならないと考えているところだ。しかし,同じ傾向を持っていた(と飼い主の証言がある)弟犬は、タケよりは脳天気であった。雄雌の違いもあるか。……同じ犬という種類なのに、犬種によって、あるいは性別で、なぜこんなに違いができていて、それを差別とも思わずに、われわれはこうして話題にしちゃえるのか。てところが昔から不思議である。→それにつけても「文学界」に連載中の「犬心」をよろしくデス。
犬語の翻訳
2012年01月14日(土)
タケがついに犬語に翻訳を。このごろしきりにやるのが、車に乗り込み、犬クッキーをもらう前に、要求がましく前に乗り出しつつ(タケは後部座席にひとりですわる)助手席の下にもぐりこんでいるニコに無言で歯をむく行為である。家の中でもやらないではなかった行為というより表情だが、このごろあんまりひんぱんなのである。で、ニコはわるいことはなんにもしてない。ニコも犬クッキーを待ってることにはかわりはない。買い物であたしがお店から帰ってきたとき、散歩のあとも、車に乗り込めば「ごほうび」のクッキーが習慣になっておる。で、これは何をいいたいのだろうと考えた。とにかくニコはなんにもしてないのである。で、考えついたのが、「あたしが先よ」だ。焦点はクッキーだ。それを「あたしが先」とニコに主張しておるのだ。しかしこのことばは、実はタケは日本語で知っている。繁みの多い道をリーシなしで歩いているとき、あたしがしょっちゅう「あたしが先」といってるからだ。それはあたしが先を歩いて、万が一にも向こうからくる犬に、タケから出くわさないようにするためだ。で、タケはそれを犬語に翻訳したのである。つまりこんど繁みの多い道をリーシなしで歩くとき、あたしもタケみたいに、無言で歯をむき出してやればいいのか。犬語習得の第一歩、ドリトル先生がオウムにことばを教わったときのようだな。
ヤシの花粉
2012年01月14日(土)
風が吹いている。サンタアナじゃないと思う。干上がるようにくそ暑い(サンタアナの特徴)わけではない。しかし風が強い。それでヤシの木がざわざわ揺れて、ヤシの木から煙がもうもうと流れていく。なにかと思ったら、花粉である。
予告 鳥栖で「ライブ!万事OK」鳥栖篇
2012年01月13日(金)
やって来ました、佐賀は鳥栖! 九州各地で大人気の「ライブ!万事OK」鳥栖篇でございます。 悩みを持っておいでください。泣いて笑って、すっきりいたします。
「ライブ! 万事OK」 1月29日(日)午後1時半〜3時半 サンメッセ鳥栖 くわしくは とす男女共同参画市民実行委員会 0942(85)3508 http://www.city.tosu.lg.jp/2908.htm
予告 長崎で「ペコロスマンガ展」に
2012年01月13日(金)
長崎のカフェ豆ちゃんで、ペコロス岡野雄一さんがマンガ展「ペコロス、母に会いに行く」を開いてます。鳥栖のライブ万事OKがおわったら、たちまち「かもめ」に乗って長崎にいって、ペコロスさんのマンガを見ながら、朗読して、話をしようと思ってます。とにかくペコロス岡野さんのマンガはすばらしい。認知症で施設に入っているお母さんを描いたマンガ群です。かわいくて切ないのです。そして巧いのです。プロの漫画読みのあたしがいうんだから間違いはない。
1月29日午後7時から 長崎市東古川町1-5 カフェ豆ちゃん チャージ1000円とドリンクオーダーお願いします。 くわしくは http://d.hatena.ne.jp/cafemame/
予告 熊本で「比呂美の部屋」窪寺さんの巻
2012年01月13日(金)
お待たせしました、熊本学園大プレゼンツ「比呂美の部屋」第六回
2月2日午後6時半から RKKロビーにて(熊本市山崎町 交通センターからすぐ) Denkikan窪寺洋一さんの巻「映画のゆくえ」 熊本の映画文化を担うDenkikanの社主の登場です。
主催 熊本学園大学、RKK、熊本近代文学館 そして熊本文学隊 くわしくは文学隊HPで http://d.hatena.ne.jp/kumamotoband/
予告 福岡で藤枝さんと
2012年01月13日(金)
なかよしの藤枝守さんに誘われました。藤枝さんとは音づけ「般若心経」のプロジェクトをやってる仲だ。
九州大学リベラルアーツ講座「感性ーもうひとつの知をひらく」 伊藤比呂美「読みとき般若心経」←なんというてきとうなタイトルだろう、あたしがつけたようだ タイトルはてきとうでも中身は真剣、朗読やら話やら、藤枝さんとの会話やら 【とき】2月3日 午後6時半〜8時半 【ところ】冷泉荘 福岡市博多区上川端9-35 【といあわせ】リベラルアーツ講座実行委員会 092-985-4562
http://www.reizensou.com/event/
タケの走り
2012年01月12日(木)
秋くらいには、今年中生きてるかなんてひそひそ言われていたのに(おもにつれあいから)タケはとっても元気である。今日などは、散歩にいって、近所の教会の駐車場を走っておった。馬の駈歩のような波打つ動きである。ニコの走りは、地面から5センチほど浮き上がって一直線に「飛んで」くるような水平運動の走りなのに、タケのは「3節の歩き方で、3本の肢が接地している時期と、4本の肢すべてが地面を離れている時期とがある」(wiki)という馬の駈歩の定義があてはまる。つねに犬クッキーを持っているあたしが敷地のこっちの端にいて、向こうの端にいたトメとニコが、あたしのほうへ駆けだしたので、タケは、すわクッキー、と勘違いしたのが動機であった。勘違いではあったが、来ればいつもクッキーをやるのだ。甘やかしているのは重々承知の上。しかしじゃー若返ったかというと、そういうことはなく、さっきも、ほんの1メートルくらいの距離にいたのに、タケ、タケ、と何回呼んでも、S子が呼んでも、あたしが呼んでも、何の反応もなかった。耳が遠いのか、ボケているのか、年取って因業になってて、返事なんかしてやるもんか、馬鹿馬鹿しいと開き直っているのか、わからないのである。
めしばなとカムジャ麺と客ごはん
2012年01月12日(木)
食料庫をごそごそやっていたらコリアンのポテト・ヌードルというのが出てきて、何だか見覚えがあると思ったら、「めしばな」1巻に出てきた農心のカムジャ麺というやつじゃないの。前にコリアン系のマーケットに行ったとき(そこはクリームパンがおいしくて、焼肉用の肉がおいしくて、キムチがいろいろあって、漬け物がおもしろくて、ショウガやレンコンが安いので、ときどき行く)出来心で買ったと見える。食べてみたら、おいしかったけど、他のインスタントラーメンをあんまり食べないから比べられない(インスタント焼きそばはめちゃくちゃ好きなのだが)。でも、なによりも「めしばな」に出てきた食べ物をやっとたべられたということがとてもうれしい、所詮あたしはおばさんで、立ち食いそばとか牛丼とかを食べる機会はありそうにないのである。「めしばな」でクリームパンとランチパックを取り上げてもらいたいものだ。きのうは客よんで、フェイクのチャイニーズフード、客よばなくちゃいけないから呼んだけど、しめきりで忙しくて料理なんかしていられず、けっきょく麻婆豆腐とか餃子とか芙蓉蟹とか、まー、日本の学生街の安い中華屋的メニューをたんに大皿につくって出しただけであったが、みんなそんなのは知らずに「おおーー」とか言ってよろこんで食べてくれた。1時間でできると思って6時から取りかかったが(みんなを7時に呼んでいた)S子が野菜を刻むのや餃子包むのを手伝ってくれて、それでも1時間半かかってしまった。
10日
2012年01月10日(火)
成人式がきのうかおとといに変わっていたのを知らなかった。15日じゃんといったら、H田に「おばはんそれは昭和やで」といわれた。それでナゾがとけた。だれもがみな口裏を合わせたように「じゃー10日に」「10日には」「10日まで待ちます」といってたことだ。で、今はしめきりにあおられておる。今回ばかりは生還できる気がしないが生還しなくちゃならぬ。お餅ばかりたべてたんでしょう、とS枝さんにはいやみをいわれたが、お餅たべてない、すきじゃないので。でもジョーバはしていたので口答えできなかった。きのうは逃避できいてたM浦さんの声も、きいてたら何にもできないので、きょうは潔く聞きやめて、かわりに生月島のかくれきりしたんのおらしょとかさからめんたとかを聞いておる。美しすぎる。皆川達夫の「洋楽渡来考」というCDだ。仏教わすれたわけではない。ちょっと考えこみすぎていっぱいいっぱいになってしまったので、お休みしておるのだ。
鎮魂
2012年01月09日(月)
注文しておいたケセン語訳聖書の「ルカ」と「ヨハネ」がとどいていたので持って帰ってきた。いま、それをiTunesに入れておる。これで「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」とぜんぶ揃った。しかしタイトルの頭に番号を振らないとあとでめちゃくちゃな順番になるので、手動でぜんぶ振っている。すごい手間がかかるけど、必須だから。ヨハネはほんとは「完売しました」とかいてあったけど、「かなり汚れてますし箱もありませんが、それでよければ」と出版社のE-PIXの人が売ってくれた。実は「ルカ」はもっと汚れていて、本が反っているし、ページも濡れて乾いてゆがんでいる。「マルコ」も表紙がハゲている。でもこれだけが、あたしがこの手で実感し得たあの大震災だ。この本たちがかぶった波や恐怖、救い出した人の手をひしひしと感じるのである。それをこんどはあたしの手で、ひとつひとつ、iTunesに入力しながら、ひとつひとつ聞いている。震災の直後にI牟礼さんにこの本のことを聞いた。Y原さんの企画した「言葉を信じる」のことでI澤さんとやりとりするうちにまた聞いた。それで「マタイ」を注文したのが4月18日、手元にとどいたのが22日か23日だ。それ以来、この声を、ずーっと聞きつづけてきた。そしてまだ聞いている。
植物とコンブチャ
2012年01月05日(木)
帰り着いたら南カリフォルニアはサンタアナのようで、くそ暑くて乾いていた。前日に娘たちが水をやってくれたようだが、まあ、あいさつと思って水をやった。前庭はすっかりナスタチウムとオキザリスにおおわれている。オキザリス、まだ花は一つ二つしか咲いてない。壁際のジャスミンは、2つともこんもりしてきており、よく繁ってるほうは花を咲かせている。地植えゴムノキの裏にスイセンがすっかり隠れているので少し切ってやったら全身が出てきた。つぼみもつけていた。バラ科赤い実(トヨンの類)はやはり枯れるだろう。ナスタチウムとオキザリスの中から、無くなったと思ったサルビアがのびてきて赤い花をつけている。しかし小バラはすっかり埋没してしまっている。ユリオプスは両手をひろげて咲いている。こないだ刈り込んだほうのユリオプスはようやくトラウマから立ち直ったようだ。ゼラニウムの大群の中にキョウチクトウが埋もれて見えなくなっている。食べられてしまうかもしれない。鉢植えのツバキはクリスマス前に咲いてた2つの花がすっかりしおれているので切り取った。つぼみはあるがまだどれも咲かない。ここで言っているオキザリスはOxalis pes-capraeという種で南アフリカ原産、ここでは雑草扱いされているが外来種である。家の中は乾きめに保たれているが、れいによって飲みたがりのブレクトランサスが乾ききってひしゃげていたので、水に浸けてやった。今みたら少しよみがえってきている。大びんに培養していたコンブチャがすっかりたけだけしく菌が育っていて、飲んでみたら押しも押されもせぬりっぱなコンブチャになっている。あんなに甘かったのに、今やたいへんなめらかに酸っぱい。
移動と漫画
2012年01月05日(木)
UAのLAX行きが遅延でたいへんな目にあった。最初提示されたのはLAXではなくシアトルへいき、そこで10時間ほど待ってLAX へ、そして最寄り空港へという案であったが、そんなことしてたらシアトルで行き倒れになるなと思ったので、LAXに行かずにサンディエゴへ行くとか、LAX止まりとか、いろんな手を考えた結果、AAに乗ってLAXへいき、そこでUAのローカル線に乗り換えて最寄り空港へということになり、ほっとしたのもつかのま、AAのチェックインカウンターで乗り換えのための時間がみじかすぎるといわれ、一つ後に遅らせるためにはまたUAのカウンターにもどらないといけないといわれ、しかたがないから、S子に万難を排してLAXまで迎えにきてもらうことになった。乗り慣れないAAは5つならんだ席のど真ん中であった。しかしゲート前の極小雑誌コーナーに立ち寄ったところ、けっこうすばらしい品揃えで、「めしばな」の2巻、「姉の結婚」の2巻、「とめはねっ」の9巻、「よつばと!」の11巻と、ついにビートルズが出てきた「僕はビートルズ」の載ってるモーニングが買えて、機内は快適であった。しかしLAXでは出口の前の税関で空前の大行列。そもそも旅券審査の列も、日本に比べたら大行列で、それを意に介していないアメリカの役人たちは感覚が鈍磨しておる。これでは乗れる乗り継ぎも間に合わなくなってしまう。ぜったい何かオカしい。というわけで、LAXから乗り継ぎなくて正解であった。AAの機内食はUAよりなんぼかマシだが、酒が有料。 「姉の結婚」は1巻だけ読んだときは(読み慣れない女用漫画のせいもあり)いまいちの感想だったけど、読み込んでみるとおもしろいじゃないの。「よつばと!」は不思議だった。写真から描いてるようだ。その静止画像にマンガみたいな幼児がリアルに動いている。
父と正月
2012年01月03日(火)
今年のお正月は、父と差し向かいでいても、ハレやかな食べ物を食べていても(でも、はぜの甘露煮とたたきごぼうと昆布巻とお多福豆が各100グラムずつに、きんとんとかまぼこと伊達巻きしか入っていないおせちは、まるで去年のグルーポンのおせちのようだった)、父はすっかり遠くのほうへ行っちゃってこっちを振り向いてくれないのでとてもつまらなかった。それでもどこかであたしを頼っているのはよーくわかる。願わくは、それがたんに自分の世話をするものの一人としてではなく、56年間ずっと可愛がってきた娘として向かいあってほしいのだが、どうも今年は、彼自身が生きることでいっぱいいっぱいで、そこまでの余裕がないようだ。お年玉もほしかったけど、くれなかった。食べてる最中も、トイレに行って帰ってきて下痢の話をしたりもする。いろいろ父が喜ぶだろうという企画を(めずらしい食べ物とか映画のDVDとか)しても、自分の興味、というか、自分の世界にないものは受けつけなくなっており、あっさりと却下され、あるいは予定の変更をよぎなくされる。だから何にも自主企画はできないで、彼の単調な、水戸黄門みたいな単調な生活にくくりつけられて逃げられない。ときどきあたしにパシリ的仕事を要求する。それが雑な口調のときは(たまにある、娘としては聞いたことのない口調である)おもわずむかついて、おっとっとと自分をなだめる。何を、余裕のない人間にむかって本気になっておるのかと。父の悪口を友人にこぼち散らすのは、かえってよくないということもわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやあそこもいやと声に出していってるうちに、父の悪いところばかり見えてくる。しかしそれは父の本質ではなく、本質は老いに裏に隠れているのだ。本質は、あんなに可愛がってくれて、自分よりも大切に思ってくれて、頼りにもしてきたおとうさんだ。だから、父の欠点をあげつらうようなかたちの愚痴はこぼさないことにした。
漫画
2012年01月03日(火)
明日帰るので咳き込みながらゲルの解体。今回は持ち帰る本が多い。大量に注文しておいた仏教関係、その他、漫画も二冊、「リアル」と「プロチチ」。大晦日に、なんか気持ちがどんとこい的な感じになって、本屋で大量にあれもこれもと買ってみた。この漫画がスゴイ、とかいうおすすめのもいろいろ買ってみたが(成人女用漫画のコーナーだったらしい)、持って帰ろうと思うほどよかったのは「プロチチ」だけだ。「デラシネマ」の四巻と「リアル」の最新刊はさすがに読みでがあった。あったが少しだけこっちの方向でいいのかという疑問が残る。残るが読んでしまう。「めしばな」はおもしろかったが小粒だった、いや小粒だったがおもしろかったというべきか。「テルマエロマエ」の新刊は残念な展開だった。あと「昭和元禄落語心中」「花のズボラ飯」「姉の結婚」「うどんの女」「オキザリスの旗」…仏教の本に比べたら安いからつい買ってしまうんだなあ。「信長協奏曲」も最新刊がでていたが、プロの漫画読み(と名乗るか、オイ)としては、知ったものを追いかけるより新しいものを経験したいという気持ちに負けて買ってない。というか、これはそんなにおもしろいと思わないのだが、へんに納得するところがあって(前田犬千代のキャラとか、キャラも展開も明るいのにやたらに暗い画面とか)ずるずる読んできてしまった。今回は新規にゲットした漫画じゃなくてT浜さんから返って来た「七夕の国」を丹念に読み返したりしていたのである。こないだ買ってざっと読んで貸して返ってきた「エマ」も「乙嫁語り」も読み返さぬままだ。
馬12
2012年01月03日(火)
きょうは白い馬、首を振りながら走るのが癖のエンジェルかと思ったが、違う馬だ。半分純粋アラブで、半分パロミノで、ブラシしてやってると甘噛みをする。名前は忘れた。この馬に乗るのははじめてであった。鐙に立って馬の口に集中しながら歩いていたら、とつぜん馬が何かにつまずいて、あたしはひとたまりもなく転げ落ち、次の瞬間には地面の上で仰向けになっておった。それからプラ箱を台にしてよじ登ろうとしたらプラ箱がすべってまたこけた。伊藤さん今日はさんざんな目にあってますね、と先生に容赦なく笑われた。しかしこの馬は、反動が少ないので速歩でおしりがはねあがらない。乗りやすい。でもコーナーを回るのはてきとうにやるし(ほかの馬は任せておけばきっちり回る)、先生の合図でぱっと出てしまうから(先生はあたしに言ってるので、馬がそれで動いては指揮系統がめちゃめちゃになる)任せておけない。きょうの練習は速歩と軽速歩、速歩がゆっくりの速度で手堅くできた。しかしきょうはたづなの長さをきにしすぎであった。伊藤さんはどうしても行け行けになるから、馬がいつも自分の下にある感じなんですよ、馬はつねに自分の前にいるような気持ちで、馬のリズムを感じて、と。はやあしっと先生が言うのを聞いて、常歩から速歩に移行する。そこで、あたし自身はゆっくり出してるつもりなのに、先生には、いきすぎてますよ、気持ちがはやりすぎてますよ、もっとていねいに、といわれる。いったい馬はどこで感じているのか。先生はあたしのはやる気持ちを前のめりになる姿勢から見抜いているようだ。つまり馬も重心から感じるのか? きのう「アバター」見ながらジョーバしてたので、つい、髪の毛の中にうねうね動く触覚があって、メモリスティックみたいに、馬側の触覚につなげて、と思うが、そんなものはないので自分で感知せねばならない。練習がおわってブラシかけてるとまたかぷりかぷりと甘噛みされて、遊んでもらってる感じでたいへんうれしく、馬のよだれにまみれたところで、こんどは馬場の犬の群れ(ダックスが4匹)に遊べ遊べとわらわらからみつかれてこれもまたたいへんうれしく、全身から犬と馬の気がたちのぼっておる。落馬のせいで右腕が上がらなくもなっておる。
新年
2012年01月01日(日)
年が明けた。今年もよろしくお願いいたします。
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