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真夏の怪
2008年08月17日(日)
芥川竜之介の「羅生門」を読むと、都のはずれの羅所門には人の遺骸が放り出してあった様子が書かれています。「羅生門」のもとになった今昔物語の時代、平安末期には、葬られることもなく放り出された人の遺骸を都でも見ることができたようです。
役所に勤めている知人から、以下のような話を聞いたことがありました。
8月の暑い盛りのことで、役所が閉まる直前に死亡届はどうのように出したらいいのかという問い合わせの電話がかかってきたそうです。で、その問い合わせに答えると電話の主は「今日は止めておきます」と言い出したのだそうです。役所の窓口が閉る時刻だったので、そう言い出したみたいです。死亡届ならば、通常の窓口のほかに、夜間でも受付があると言っても「今日は止めておきます」一点張り。そこで「仏様はいったいいつ亡くなられたんですか?」と聞くと「三日前」というので、驚いたと言っていました。 「死亡届がないと火葬にできませんよ」とたたみかけるとまた「今日は止めておきます」の返事。で、電話が切れてしまったということでした。
こんなに暑い日が続いているのに、いったいどうしているんだろう?と気になってしょうがないと言っていました。去年の夏に聞いた話です。
死体遺棄事件というとたいていは殺人事件とセットの罪状で、容疑者が捕まってから、殺人事件の捜査に切り替えられることが多いようです。が、殺人ではなく、単純な死体遺棄事件の雑報をふたつ見つけました。
一件はお母さんが病死して困った兄弟二人の話。母親の遺体をトランクに詰めて放置したというもの。母親と同居していた兄は「お母さんが死んでどうしたらいいかわからない」という遺書を残して自殺していたそうです、弟のほうは八戸駅のベンチでぼんやりとしていることろを逮捕。もっともこの場合の逮捕は「保護」に近いような気がします。40歳前後の兄弟でした。
もう一件は50代の男性がやはり母親が病死して「葬式代がない」という理由で遺体を遺棄したという事件。
二件ともお金にも困っていた様子がわかりますが、困っていたのはお金だけじゃないようです。それにしても人のつながりが薄くなるって言うのは、こういうことをさしているのでしょう、
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