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打ち明け話
2008年06月13日(金)
打ち明け話ができにくい世の中になったなあと感じることがあります。いや、別に私が打ち明け話をしたいわけではないのですけど。
へたに打ち明け話をするとじっと耳を傾けてくれる人はほとんどいなくて、いきなり、解決法やら解釈やら、まあ、その場の勢いで回答だけを言われるみたいなことが多いです。私もこのごろは人から打ち明け話をされることが多くなったから、もしかしたら、そんなことをしているのかなって考え込んでしまいました。なんか、試験問題に答えるみたいに打ち明け話に答えちゃうって癖が、ものすごく広がっている気がします。試験問題の答える訓練はずっと小さい時からしているけれども、他人の打ち明け話につきあう訓練はしてないから仕方がないってそういうことでもないんだけど。
人間の内面への無関心ってのは、どんな社会で幾らかはあって、それは仕方がないことかもしれませんが、そういうものが過度に広がると、心象風景とか、内的な葛藤が、人間の現実の行動にむき出しに出てしまうってことがあるみたいです。すさまじいことになるわけで。
ここ数年、学生の皆さんが提案した短編を4月から6月のゼミで読んでいました。今年は違うことをしているのですけど、昨年まで学生の皆さんの持ってきてくれた短編を読んでいました。で、その短編小説ではむごたらしい殺人事件が描かれていることが多くて、本心を言うとちょっと閉口していました。ただ小説は所詮作り物ですから、そこに描かれた殺人事件は、作者と読者の間に成立した心象風景と読めば読めないこともないのです。
もっともそこに描かれたむごたらしい殺人の場面と心象風景として読み直すのは、小説を長い間、書いてきてその発想法などを幾らか承知しているからそう考えられるのでしょう。そうでないと、心象風景をそのまま現実に置き換えることも可能なわけで、ため息が出てしまいます。幕末には血みどろの芝居がもてはやされたそうです。お岩さんが出てくる「四谷怪談」なども幕末の血みどろ繻美から生まれた芝居だと聞いたことがあります。 人間が心の中に育てる価値観というものも、ずいぶんいろんな方向へ育って行くものなですね。
しかし、6月ってのはなんでこんなに惨劇が多いのでしょうか?打ち明け話以下のことは秋葉原の通り魔事件のニュースを見ていて、考えたことです。秋葉原の通り魔事件の前に、女性をさらってばらばらにしてトイレに捨てたという陰惨な事件もありました。その事件そのものは4月の出来事ではありましたけど、なんでこう次から次へと「絵空事」のような事件がおきるのでしょうか。
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