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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

8月15日

2007年08月15日(水)

 「お母さんの部屋は霊安室だよ」と言われるくらい冷房を効かせた家の中から外を眺めても、日差しの強さがはっきりを判るここ数日の東京です。漢文の黒田先生がメールに「ドッコイ暑」なんて洒落を書いてくれました。いつもは四字熟語の多い黒田先生のメールですが、あまりの暑さに四字熟語もカタカナと漢字の駄洒落になって溶け出したみたいです。学校で私の助手をしてくれている深野女史からは、梨が届きました。早速に皮を剥いて食べてみましたが、これが暖かいのです。甘くて暖かい!

 パスポート取得のために川越まで行ってきました。パスポートも30年前に初めて取得したときに比べれば、いとも簡単に取得できるようになりました。30年前は、県庁に行かなければならず、その頃は千葉県の住人でしたが、県南の館山から千葉まで出るだけで半日はかかりました。で、県庁の窓口はものすごく混雑していて、これまた手続きを終えるまでに数時間が必要でした。今は、川越のアトレでものの10分もあれば手続きが終了。しかも10年間有効のパスポートがとれます。96年に10年間有効で作ったパスポートが昨年の秋に失効していました。詩人の城戸朱里さん夫妻にソウルへ行こうと誘われてパスポートの失効に気づいたのです。
 うちの仏壇にある母の写真は千葉県庁でパスポートを作った時に撮影したものです。ついでに言えば父のほうは船舶免許の写真です。

 暑い。暑い。暑い。川越駅についたところで、二人の女性が「あ、ここの木を切っちゃったんだ。それで椋鳥がいなくなったのね。夕方になるとここの木に椋鳥が集まってきてうるさい、うるさい。すごい声で鳴いていたものね」と話していました。

 パスポート用の写真を撮影。10年前の写真と比べてみると若返っているような気がします。若返っているだけでなく美人になっている。ま、ここまで来たら、そんなに客観的判断が重要とも思えないので、そう思っていたって、どこからも文句はでないでしょう。法政大学の教職員証明の写真よりもずっと良く映って入る気がします。もしお葬式に使うなら、絶対のパスポートのほうで御願いしたいものだなと、一枚余分にとった写真を眺めているうちに審査窓口に呼び出されて、受け取り方法の説明を受けて申請はお終い。

 で、表に出るとこれがまた暑い、暑い、暑い。暑い階段を下りてホームにでれば、小川町と森林公園の区間で線路点検のために運転見合わせの電光掲示がありました。あとでわかったことですが、小川町と森林公園の間の線路が暑さのためにゆがんでしまったのだそうです。
 急行で池袋に出て、知人への残暑見舞いにシャーベットを届けるように高野で手配して、それから、生春巻きを6本買いました。で、今度は地下鉄で和光市まで戻り、銀行へ行くために駅前の派出所の前をとおりかかると半旗が出ていました。旗竿の先端の金の玉を黒い布で覆い、だんだらの旗竿の途中で日の丸が萎れていました。祝日に国旗が出されているのを見たことはあるのですが、8月15日に半旗が掲揚されているのは、初めてみました。私が迂闊でこれまで気が付かなかったのでしょうか?

 半旗という言葉を覚えたのは、小学校一年生の時です。私が通っていた船形小学校では、毎朝、6年生が国旗を掲揚していました。それが、ある日、ずるずると旗竿をすべり落ちて、半分くらいのところでひっかかっていました。朝礼の時、校長先生が、校長の名前は忘れてしまいましたが、白い頭が五部刈りにした痩身の先生でしたが、その校長が声を荒げて「ああいうのは半旗と言って、国全体が喪に服するときにだけ掲げるもんだ」とものすごい勢いで怒っていたのです。学校に半旗を掲げるなんて縁起でもない!」とかなりのお怒りでした。それ以来、半旗というものを見ると、怒る校長先生の頭が浮かぶのです。なぜか顔を思い出せません。きっと一年生で背が低かったので、頭だけを見上げていたのでしょう。白い頭を振りながら怒ってました。

 で、8月15日の半旗ですが、思い出す限り、記憶にないのです。いったいいつから8月15日に半旗を掲げるようになったのでしょうか?派出所の前には、日に焼けたお嬢さんたちが集まって、椋鳥よりも騒がしくおしゃべりをしていました。どうも、どこか外国へ旅行に行って帰ってきた高校生の集団のようでした。

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