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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

環八の50年

2006年04月10日(月)

 50年前に環八の工事に着工したとなると、私なぞは生まれる前ですが、車の走っている道路そのものが珍しかったでしょう。環七はまだ車の少ない時代の設計の影響で、なんだか窮屈な道路になっていますが、環八のほうは、完成が遅れたぶんだけ、横への拡張工事が進んでいるというのか、環七よりも走りやすい道路になっています。それだけ道路沿いに建物が少なかったとも言えるでしょう。

 環八というと思い出すのは、横への拡張工事と立体交差の工事の二つです。自分の記憶でまず鮮明なのが、井荻あたりの拡張工事。それから、谷原の立体交差工事。谷原の立体交差は、娘が子どもの時に「トンネルだ!」と言って喜んでいました。家の周囲にはトンネルらしいトンネルがなかったのです。それから西武線井荻駅わきの踏み切りをまたぐ立体交差の工事。この工事はおおがかりなもので、かなり手前から地下道に入ってJRの荻窪駅の近くの交差点の四面道まで出ます。

 四面道も私が高校生のころに立体交差化の工事をしていました。四面道の近くに井伏鱒二さんが住んでいるんだと聞くのは、ずっとあとのことですが、どのあたりに井伏さんの家があるのかは知らず終いでした。

今は川越街道との交差の工事をしているのを見ながらうちに帰って来ることがよくあります。工事、工事、工事の50年だったのですね。完成したら、環八を自分の車で運転して一周してみようかと思います。それにしても高度経済成長移行に東京に住むようになるということは環八の外側に住むというのと同じ意味だったような気もします。

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