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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

股間で蝉がなく

2006年03月19日(日)

 ええと、なんというタイトルだと思われた方がいるかもしれませんが、実際、昨日の朗読会で自分のテキストをそう読んでしましいました。読んだのは集英社文庫の「豊海と育海の物語」に収録した「うさぎ狩り」の一場面です。「鼓膜」という字をなぜか「股間」と読んでしまったのです。「あ、」と思っても、そのまま何食わぬかおで進行してしまうことでも出来たのですが、つい焦ってしまいました。

 そこで「股間じゃなくて鼓膜です」と訂正したところから、頭に血が上って、ほとんど逆上せんばかり。そのまえに伊藤さんの身体の部位の話をしていたのです。「ほと」とか「くぼ」とか「まら」とか、そういう単語が並んでいたのが頭に残っていたのかもしれません。で、股間で蝉が鳴いてしまったんです。「あれは油蝉だったの?つくつく法師だったの?」なんて聞かれました。

 80年代の伊藤さんの詩の仕事は、それまで卑語とされていたような言葉をおおらかに使うことで、猥褻性を無化させる仕事をなさっていました。卑猥とか隠微とされるような要素をもって健康で明るいものに変えて行く仕事だと言ってもいいでしょう。あるいは猥褻性の解体という言い方もできるかもしれません。

 「日本霊異記」を題材にした「日本ノ霊位(ふしぎ)ナ話」を書いた頃から解体した猥褻を再構築させ始めたように私は感じていたのです。猥褻ではなくて官能的なものを再度構築させようとしているという感じは「河原荒草」ではもっと強く押し出されています。官能と命の息吹の繋がりが詞(ことば)によって呼び出されているのです。股間で蝉が鳴いてしまったのは伊藤さんが「日本ノ霊異(ふしぎ)ナ話」を読み終わった直後のことでした。「豆畑の昼」を読もうか「うさぎ狩り」を読もうか迷った挙句の出来事でした。

 伊藤さんは勇猛果敢に猥褻性の解体にいどんじゃいましたたが、私のほうは隠微なものを暗がりから明るみに引きずり出したかったのです。それで「豆畑の昼」を書いたので、そのあたりの話をしたかったのですが、股間で蝉が鳴いてしまって、支離滅裂。いやあ、参りました。
 

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