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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

おじさんは拾えない。

2006年02月08日(水)

 日本には殺処分される犬がずいぶんいるということですし、化粧品や医薬品の動物実験に使われる生き物もたくさんいるそうです。「犬ちゃんはどうしているかなあ」という話になって「やっぱり運が良いとか悪いとかというようなことはどうしても避けがたくあるもんだねえ」と嘆息しました。

 息子がアルバイトをしている体育館のある公園では、昨日からの冷え込みで、また命を落としたホームレスの人がみつかったと言うことでした。時々、あることなのだと以前から聞いていました。「犬なら拾ってこられるけど、おじさんは拾ってこられないからなあ」と私。そう言いながら、以前は居候のいる家がいっぱいあったことを思い出していました。居候って物語や落語の中にはよく出てきますが、昭和30年代には、ほんとうに居候のいる家がありました。

 旧来の家族を解体して、新しい家族の形を追求するという小説が書かれはじめたのは80年代の半ば、つまり昭和の終わり頃でしたが、その頃から居候のいる家って少なくなってしまったみたいです。皮肉なことなのか、それとも必然なのか、どちらなのでしょう。それにしても、気の毒に感じることがあっても「おじさんは拾ってこられない」のです。人間のほうが過酷な現実に襲われる可能性があるような、そうでないような複雑な気持ちです。

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