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I GO TO金沢八景
2005年04月27日(水)
叔母や叔父はいまでも京浜急行の金沢八景周辺に住んでいます。京浜富岡と金沢文庫の叔母を誘って、母の(叔母たちから見れば姉)お墓参りに行ってきました。が、連休前で大渋滞。都内の環八が混雑するのは毎度のことで驚きませんが、なんと東名も横浜町田のインター手前から渋滞。そのさきの保土ヶ谷パイパスはまったく動かず、自宅を出てから京浜富岡まで5時間もかかってしまいました。夜なら一時間に道です。27日のことです。
さらに間抜けなことに富岡の叔母の家を探すのに一時間近くも費やす始末。子どもの時から何度も尋ねている叔母の家ですが、その頃はまだ住宅造成されたばかりで今とは少し景色が違います。三島由紀夫の「午後の曳航」の最後に出てくる富岡の場面は、ちょうど叔母の家が富岡にできた頃を描いています。山が切り崩され、更地が階段状に並んでいる住宅地です。
山を造成してできた住宅地も40年近くの年月が過ぎると再び樹木が大きく育ち、生い茂り、家々を取り囲むようになっています。生きているものの力はすごいなあと思うのですが、住宅造成地はまた山に戻り始めているのです。もちろん家は新しく建てられたり改築されたりしていますが、それ以上に自然は修復力を発揮しているようです。叔母の家の庭には3匹のヒキガエル、それも巨大なやつが住んでいたり、ハトの雛を3羽も飲み込むほどの大きな蛇がすんでいるという話でした。住宅造成のためにいなくなってしまったと思われた動物や植物がいつのまにか戻ってきてきるようです。
そんなわけで、子どもの時に見慣れていたはずの景色がすっかりかわり、車で出かけた私は大慌て。叔母は叔母で、私の車が階段状の造成地を上へ行ったり下へ出たりしながら、なかなか家の前にたどりつかないのを、はらはらしながら眺めていたそうです。
久里浜からフリーで房総の金谷へ。金谷からはできたばかりの東関東自動車道館山線であっと言うまにお寺のある館山まで飛ぶような速さでした。新しくと言ってももう開通して数年になりますが、まだ造成のあとが残る高速道路を走るたびにサルになってような気分がします。だって、そのあたりはサルが木の枝から枝に飛びうつりながら移動する以外に、通るものがいなかった場所ですから。
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