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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

杜甫草堂のジャン卓

2005年02月01日(火)

 マージャンはいつ頃、日本に入ってきたのでしょう?三島由紀夫の「豊饒の海」第一部「春の雪」に宮家に嫁ぐことが決まった総子がマージャンを習う場面があります。これはフィクションですが、大正の末頃には実際に家族でマージャンを楽しむ宮家もあったようです。

 文化大革命時代の中国ではマージャンをする人の姿などみかけることはなかったそうですが、今はまた街の中、いたるこころでマージャンをする人の姿を見かけるようになりました。商店の店先などで、お客をそっちのけにしてマージャンをしている商売人もいます。

 杜甫が住んだという草堂が成都にあります。この杜甫草堂のある公園の中に気持ちの良い茶房がありました。茶房は中庭を囲むような建物で、庭のテーブルとお茶を飲んでいると、中庭を挟んだ向かい側の棟で、四人の女性が熱心にジャン卓を囲んでいました。いや、正確には5人と二人の子どもです。

 子どものひとりはまだ這い這いもできないような赤ちゃんで、白い髪をおかっぱ型に切りそろえたお婆さんに抱っこされていました。このお婆さんは、気が向くとジャン卓の女性と交代でマージャンに加わっていました。おばあさんに変わって赤ちゃんを抱っこしていた女性がどうやら、この赤ん坊のお母さんのようでした。

 もう一人はかわいらしい女の子で、この子はジャン卓の周りを回って、それぞれの手の内を見比べていました。年のころは7歳か8歳くらいです。もうマージャンのルールがわかっている様子で、それぞれの手のうちが解っても、顔色もかえずに眺めていました。

 女性たちは冬の短い午後をマージャンに興じて過ごすのが日課のような様子でした。これが私が見たなかでいちばん穏やかなマージャンの様子です。しかし、あの静けさは、案外、真剣な勝負であったかもしれません。

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