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神田駿河台下
2011年12月29日(木)
考えてみると、学生の頃、うろうろしていたエリアってそう広いものではありませんでした。
西側はお茶の水の駅から線路沿いに坂を下って(雁木坂って言ったと思います)水道橋の駅あたりまで。線路を挟んで向こう側は、神田明神や湯島聖堂まで行くことも珍しいくらいでした。東側は聖橋まで。中央大学が八王子に引っ越して、ニッパンのビルが出来てからは、ニコライ堂のあたりに行くことも少なくなりました。今は明大通りと言われている坂を下って神田駿河台下の交差点は、左へ行くことは滅多にありませんでした。
だいたいうろうろしていたのは、すずらん通りと白山通り、それに明大通りの内側です。それでも、大勢の人が行き交って目が回るような広い世界に放り出されている気がしたものでした。駿河台下の交差点は大きい交差点ですが、明治大学の裏側あたりには、路地がたくさんあって、それを猫のように路地から路地へ歩き回っていました。製本屋さんがけっこうあって紙の匂いがしてました。あと、揚げ物の匂い。それからコーヒーの匂いとカレーの匂い。
靖国通りにガラス張りのタキイのビルが出来たときは、あれができてからちょっと雰囲気が変わったねと言ったともだちがいました。が、そのタキイのビルがすっかり取り壊されていました。あとにはきっと大きな建物が建つのでしょう。震災のあと、4月の半ばにこのあたりを歩いたときには、なんだかがらんとした感じがしたものでした。
この頃、家内制工業(マニュファクチャー)と本というようなことをぽつぽつ考えるのですが、考えていると明治大学の裏の路地をフォークリフトが走り回っているのが目に浮かんできたり、大きな封筒を持ったメッセンジャーボーイさんが急いで走り回っていたりするのが浮かんできて、なんだかあんまりまとまった考えになりません。御用納めのあとの神田あたりはきっとひっそりと人気もなくなっていることでしょう。
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