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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

北アフリカと中東が気になる

2011年03月05日(土)

 今はもう大昔。大学の教室に座っていた頃、東西冷戦をどう解消して行くのかという講義を受けました。そのなかで、ソビエトのテクノクラートをアメリカに留学させて、アメリカの価値感を学ぶだけでなく、幅広く身につけてもらうという政策がありました。1970年代後半のこと。ああ、なんて自信に満ち溢れた政策をとるのだろうと、講義を聴いていました。ベルリンの壁が崩壊するよりも10年も前の話です。ソビエトの崩壊なんてまだ誰も考えていませんでした。明治大学を囲む塀には左翼セクトのたて看板がびっしり並んでいましたし、同級生がセクトの領袖を間違えられて学内でぼこぼこに殴られ、血だらけになるなんていう事件もありました。終戦後の日本の学生もアメリカは留学生として受け入れました。私の身近にもフルブライト留学生だったという人がいました。

 江藤淳が本多秋五と「無条件降伏論争」を群像の誌上で始めたのは1978年の5月号もしくは6月号だったと思います。これは群像のバック・ナンバーを調べれば解るのですが、それより、私が新人賞と取ったときの群像なので、そういう記憶をしているのです。「なんだろう、これは?」と首を傾げながらも真剣に読んだものでした。論争は大学の一年生が理解するには複雑過ぎるものでした。

 30年後の智恵で江藤淳の主張を簡略に要約するとアメリカが占領政策として持ち込んだ価値感に、縛られすぎていないかというのが主張の骨子になっていたと私は思います。このことについて秋山駿さんとお話したときに「江藤さんはああ言うけれども、アメリカに無理矢理にというより、自分たちでそれがいいと思ったとこもあるんだよ」と言ってました。秋山さんの言うのも事実。江藤さんの指摘と発見も事実だと、私は考えています。折衷的な考えというよりも最初にソビエトのテクノクラートをアメリカに留学させて、価値感を体験体得してもらうというような政策をとるのですから、誘導と自主的な価値の獲とくの両面が現れるのは当然のことでしょう。江藤淳が「無条件降伏論争」に発展する指摘を始めた背景には、第二次世界大戦の経験をどう文学作品化するかというテーマがあったはずですが、これについてはもう少しよく研究してみたいと考えています。そして、「戦争は犯罪か?」という主題の提示があったことはよく記憶しています。

 「勝てば官軍」「負ければ賊」と、戦争は勝敗によって優劣が決まり、優劣が決まることによって、正当性は勝ったほうに付与されるというのは、これまでの歴史の中で繰り返されたことです。が、勝ったほうが道徳的に善であり、負けたほうが道徳的な悪であるというようなことはないはずだという主張はなるほどなあと耳を傾けたくなりました。アメリカは戦争に道徳を持ち込んだのだと、これも江藤淳の主張にあったことでした。江藤淳は昭和53年の「無条件降伏論争」以降、アメリカの占領政策の実証的な研究を始めます。江藤淳「閉ざされた言語空間」には占領軍としてのアメリカが日本人の私信を検閲していたことなども資料をもとに描かれてました。考えてみるとアメリカも外国(日本ですが)を占領するのは初めてだったわけで、ずいぶんと慎重な政策をとった様子が「閉ざされた言語空間」から読み取ることができます。おそらくこの占領政策はアメリカが外国へかかわる時のひとつの原型的な経験になっているのでしょう。

 北アフリカのチュニジアで起きた民主化運動と政権転覆は、ソーシャルネットワークによる市民革命と当初は報じられてました。当初の報道に接して私が感じたのは「ああ、30年前の江藤淳の指摘」と同じことが北アフリカで進行しているのではないかという疑念でした。単純に「革命は善」「民主化は善」という報道に対する反発も感じました。エジプトに飛び火すると、背景にあるアメリカのネット関連会社の姿がちらりと見えました。このあたりの感じ方は「ツイッター200日」に書いたとおりです。それからリビアの騒乱へ。

 リビアは内戦状態へ向かいつつある様子が報道されています。カダフィ大佐は国際刑事裁判所が捜査を始めています。「武器を持たない市民対圧制者と」という構図なら圧制者が「犯罪者」として指弾されることに違和感を感じませんが、リビアの場合はほんとうのところ何が起きているのか、報道だけでは解りません。それから江藤淳の問題提起である「戦争は犯罪なのか」ということにも、それほど明確な答えや、衆知を集めた議論の成熟があるとは思えません。武器を持たない市民を大量に虐殺するのは、犯罪だといわれれば、頷けるところもあるのですが、では原爆を日本へ投下したアメリカはそれを犯罪だと考えているのでしょうか? 東京、名古屋、大阪など主要都市の非戦闘員を空襲で焼死させたのは「犯罪」に問われることはないのでしょうか?朝鮮半島で行われた戦闘については? インドシナ半島に散布された枯葉剤については? 湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾は?と連ねて行けばきりがないのです。国際刑事裁判所規定起草に、アメリカは深くかかわりましたが、後に批准を回避しました。政治的に利用されるという理由です。
アメリカが悪いといいたいわけではありません。「戦争に犯罪という構図を持ち込んでよいのか」と疑念があると思っているだけなのです。日本の右翼が主張するような「日本は悪くなかった」と自国の正当化のためにそれを主張するのではなく、価値感の異なった国家が衝突した場合に「負けた国」の弁護ができるような、そういう歴史的経験の感覚を開いて欲しいなあと、そんなことを夢想しています。リビアのような内乱、内戦状態の場合は一方的にどちらかを悪と決めるけることが内政干渉にならないのか? という疑問も持っています。ちょっと短絡的な言い方をすれば、北アフリカから中東で起きていることは、戦後日本で起きたことの、より複雑に発展させながら反復しているように見えているのです。ソーシャルネットワークが出来て、例えば占領軍が私信の検閲を目立たないようにやったという世論操作は、さらにやりやすくなっているのではないでしょうか。しかも、それをやるのが政府というような公的な組織ではなく、クラウド・コンピュターを持っている私企業でも可能だというところが、新しい要素です。企業は国家と違ってインターナショナルな組織、つまりグローバルな組織も作ることができますし、国家のように議会に縛られることもありません。リビアの内戦状態で、カダフィタ大佐が政治的信頼を失ったために「刑事」責任を問われることはあっても、シリコン・バレーの誰かが騒乱を引き起こした責任を問われることは、おそらくありません。江藤淳の「わすれたこと わすれさせられたこと」を読み返してみたくなりましたが、アマゾンの中古では文春文庫で3,500円もの値がついていました。

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