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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

ツイッター200日

2011年03月01日(火)

 ツイッターを始めて200日。いや、正確には201日目になった。なかなかおもしろい遊び道具であることは間違いない。個人で持てる小さなラジオ局みたいな感じだし、出入り自由なコミニケーション・サークルを作るのにも向いている。

 で、この200日にあったことで、思い出すことを並べてみる。
 最初は海上保安庁の尖閣諸島映像流出事件。ツイッターで動画が流されていることを知った。で、たぶんそのあとだと思うけど、ツイッターが不調になって、総務省までが出張ってきたということがあった。ツイッターのようなシステムは一見自由に見えるけれども、情報操作がしやすいことは、ツイッターが登場するずっと以前に話題になっていた。で、システムに異常が出たのはそのためじゃないのかと聞くと、たいていの人は「ツイッターは動作が不安定だから」という答え。確かにふだんでも、キャパシティ・オーバーの「鯨」がよく表示されるので、そうした日常的な不調なのかもしれない。

 お次はなんだっけ? あ〜これは何だろう? と思うことが何度かあったが、印象だけ残っていて、事柄は記憶していない。北朝鮮が韓国の島を砲撃した時もちょうどツイッターをいじっていた。その時もなにか「あれ?」と思うような動作があったような、なかったような。

 年が明けてから、チュニジアが不安定になっているというニュースがタイムラインに出てきて「あれっ」と思っているうちに、あれよあれよでジャスミン革命だってと、正直な感想としては「これはなんか胡散臭いなあ」というものだった。あまりにもスムーズに行過ぎている。ソーシャルネットワークによる市民革命というのが、なんだか簡単すぎる感じがした。ちょうど映画「フェイスブック」が話題になっていたし。
 私の頭に浮かんでいたのは、ちょうど2年前のグーグルによる大学図書館の書籍のテキスト化計画と、それにともなう著作権者の権利問題、それから1年前の電子籍騒動というか、電子末端デバイスの売り出しの騒ぎなどと「流れ」が似ている気がした。最初は「理想とビジネスが肩を組んで」現れる。それから、実際の現場が戸惑いの声をあげたり、ことが理想的には進まないことがわかって、右往左往と言う流れ。あ〜、似ているなあと思っていたら、エジプトでムバラク政権が倒れると、これは素直には行かなくって、すったもんだ。グーグル社が電話回線でネットを利用できるように計らったり、ハッカーグループが登場したりと、なんだか舞台裏がちらりと見えるような、感触もあり。

 この件に私が興味を持つのは、私がデビューした年1978年の群像6月号で、江藤淳と本多秋五による「無条件降伏論争」があったからだ。すご〜く大雑把に言えば、占領軍であるアメリカによる言論統制と世論誘導がどのくらい無意識に日本人の言語活動の中に入り込んでいるかを問いかける論争だったわけで。幾つもの文学論争と同じように、この論争も決着はついていないのだが、江藤淳が指摘した側面は、ネットの登場で、さらに進化し、巧妙になり、強行になっているのではないかと考えられるから、どうしても興味を持ってしまう。

 反政府運動はエジプトから北アフリカ、中東全域に広がりを見せている。緊張する状態の中で、情報がどう伝わるのかは、ツイッターは、新聞、テレビ、ラジオにはない速度で、その事態を刻々と伝えてくるので、釘付けになってしまう。それにしても、誰が何をたくらんで仕掛けたのかは知らないけれども、北アフリカと中東を巻き込む騒乱状態を「指先の運動」で作り出してしまうなんて、こんな「けしからんことはない」という腹立ちがあった。そうこうするうちにリビアが内戦状態に入る。アラビア半島でも騒乱の気配はくすぶっている。

 なぜか、北アフリカと中東について揶揄したツイートが消えた。で、「消えた」とツイートすると元のツイートも戻って表示された。北朝鮮で住民蜂起があったというニュースをツイートしようとすると、これができない。「これができない」とツイートしてみるとフォロワーの人から「雲のみえざる手」という御返事が。なるほどねえと頷くことしきり。記憶している限り、政治的なコメント以外は、あまり理解できないへんな動作はなかったように思える。

 これが私のツイッター200日。

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