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詰め物をした鳥
2004年12月24日(金)
どうも老眼らしいと気付いたのは今年の秋口でした。昔から眼鏡がかけたくてしかたがなかったので、いよいよ念願がかなうようです。子どもの時、母の眼鏡をいたずらでかけたら「そんなに急いでかけなくても、今に絶対、眼鏡なしではいられなくなるんだから」と言われました。 なんで眼鏡の話から始めたかと言えば、眼鏡とくれば次は「孫」。眼鏡と孫がそろえば立派なおばあさん。これもなりたかったもののひとつ。おばあさんになりたい。やっぱり言われました。「そんなに急いでおばあさんにならなくても、そのうちちゃんとおばあさんになれるよ」そうかな?なるべく体力のあるうちに、例えば孫と水泳ができたりするうちにおばあさんになりたいのですが、しかし無闇に「孫」を作られるのも考えものだし、これは眼鏡より難しい。
で、眼鏡をかけたおばあさんと、クリスマスにお腹に詰め物をした七面鳥を食べたい。これこそ、私がこの世に生まれて初めて望んだ願いでした。ああ、ずいぶん時間がたってしまったけれども、どうやら一歩ずつ、その願いに近づいているようです。孫の立場とおばあさんの立場が違っちゃっているなんてことはどうでもよろしい。「マッチ売りの少女」の絵本を読んで以来、この念願がかなう時をずっと待っていました。
お腹に詰め物をした七面鳥ですが、これが長い間、憧れの食べ物であり、同時に謎の食べ物でした。なにしろ日本で売ってくる七面鳥も鶏もお腹は空っぽでなにも入っていません。なまじの鶏の丸焼きよりも鶏のモモ肉のから揚げのほうがずっとおいしいということになっていました。外国の小説を読むと、鶏の丸焼きはごちそうなのに、なぜ日本だと小骨が多くて高価なばかりのつまらない食べ物になってしまうのか?謎をとく鍵はお腹の詰め物が「つまらない」ところにありそうです。で、昨年、ちゃんと詰め物をした鶏を発見しました。お米や栗が鶏のお腹に詰まっています。これが旨い。鶏で蒸し焼きにした穀物これこそごちそうの本体なのです。
今日はそ詰め物をした鶏を売っている唯一の日。
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