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すってんころりん
2010年10月29日(金)
台風が近づいています。東京でも、早々と木枯らしが吹いたと言うのに、今度は南から台風です。昨日は終日冷たい雨が降っていました。
法政大学の55年館、58年館は一見するとなんの変哲もない古いビルディングですが、コンクリート建築では名建築とされているそうです。大江宏の設計で1958年に建築学会賞と芸術選奨をとっています。建築にも少し興味を持っていたときにそれを知りました。使われているコンクリートの質はすばらしく、またコンクリートを固めるさいにつかった木枠の跡が残っていますが、これも良い材を用いたようで、コンクリートの打ちっぱなしの建築でも初期の丁寧な仕事が見られます。
55年館58年館を外濠校舎から眺めると、太い大きな柱が1階から7階(55年館は6階まで)までダイナミックに走っているのが一望できます。いつだったか入学試験の時、学校へ詰めていて、このすばらしい眺めに気付きました。太い柱と丈夫な床。この二つだけで構成されたシンプルな建物です。外壁や内壁は、取替え可能なパネルが用いられています。内壁にブロックが積まれているのは、創建当時の建材としては、ほかに良いものがなかったからでしょう。この建物から、何の変哲もなさそうな老朽化したビルの中にある価値を、自分の目で発見して行くという楽しみをもらいました。建物の重要な構造部分だけを作り、あとは順次、取り替えて行くというのは、建築思想としても、先進的で、かつ、環境への配慮が求められる現代性を失っていません。取替え可能な部分に、強化プラスチックなどの新しい建材を用いれば、それはそれは見事な建物になることは間違いありません。美しいだけでなく、建築と建材の流れというか変化を見ることも可能でしょう。昭和30年代初頭の法政大学のある種の理想主義も建築から感じ取ることができます。
学校にとっては宝物みたいな建物と、私には思えるのですけれども、残念ながら、取り壊し計画が進んでいます。取り壊しについては、デザイン工学部から反対がでました。私がショックだったのは、取り壊し反対の意見を「情緒的な反応」と受け止める人が多かったことです。場合によってはOB、OGのノスタルジーという受け止めかたもありました。そのような受け止め方がでるのは、コンクリート建築についての一般的な知識が乏しいからなのでしょう。それは仕方がないとしても「情緒的な反応」の中身を知ろうという気持ちが乏しいのに、ショックを受けました。
もともと私が建築に興味を持ったのも、建物の細部の名前を知らないと、小説が書けないという理由からでした。空間についての名辞が乏しいと物語のための空間を広げることができないのです。木造の建物は、そこに使われた技術を惜しまれて愛されますし、レンガ作りの建物は近代化のシンボルとして喜ばれるのに、コンクリート建築だけは、見るべきものも見てもらえずに、取り壊されるのでしょうか? コンクリートこそ、私たちのふるさとだと言うのに。今、生きている人の大半はコンクリートの病院で生まれているはずですから(笑)
胸の中に小さな棘が刺さっています。話をすり替えると言われそうですが、小さな子どもが何かにおびえて泣いていても「情緒的反応」として軽くあしらうのでしょうか? そういう比喩を思いつくのは、理由が二つあります。ひとつは情緒の軽視という姿勢への反発。もうひとつは「情緒的反応」の裏に、たいへんに現実的なものが潜んでいることへの注意力の乏しさ。そのふたつを私は感じました。で、そんなことを考えながら、58年館と55年館の間を繋ぐスロープを歩いていたら、すってんころりん。後頭部をしたたか打ち付けてしまいました。頭蓋骨がゴンと鳴りました。
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