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評論集の編集と講談社文芸文庫
2010年10月05日(火)
評論集を編集しています。1978年から2008年までの、編年体になる予定。書名はまだ仮タイトルですが「書評、時評、本の話 1978〜2008」になる予定です。今年の12月に出る予定なのですけれども、手元にあったスクラップにかなり抜け落ちがあるので、原稿の収集に時間がかかるかもしれません。
以前、伊藤さんに「あれを読んで私と同じことを考えている人っているんだと思ったの」と言われた朝日ジャーナルの「育児書」も収録しました。この「育児書」というエッセイの原型はクロワッサンに書いた記事です。クロワッサンの記事は、私からお願いして書かせてもらったものです。こうした育児書関係のエッセイが伊藤さんの「良いおっぱい悪いおっぱい」に繋がったかどうかはわかりませんが、ともかく育児書は小児科医などの専門家による啓蒙的な時代から、自分の手で子どもを育てる人、つまり、当事者の書くものへと変わっていったのでした。評論集では文芸評論に限らず、初期の頃の育児書などについて書いた文章も含め、本にかかわりのあることについて書いたものを広く集めました。
同時並行的に進めていたのが講談社文芸文庫の「女ともだち」で、年表作成は東京女子大学の近藤裕子さんにお願いしました。近藤さんは那須にご滞在中で、年表のチェックはメールですることになりました。こういう仕事だとメールはすごく便利です。また文庫解説は角田光代さんにお願いしました。まだ角田さんの解説は読んでいませんが「良い原稿でした」と講談社の担当編集者の人から連絡をもらっています。今から角田光代さんの解説を読むのを楽しみにしています。
ぼやく。ささやく。つぶやく。
2010年10月03日(日)
まだちょっと「ぼやきたい雲」が胸からお腹へかけてふわふわと浮いている感じ。「ぼやきたい雲」は近頃、出現した「雲」で、今までだったら、すぐに積乱雲に発達していたのだけど、雷を落とす元気もなくなったのか、それとも鈍くなったのか、どっちだろう。「ぼやきたい雲」は白くってふわふわしていて、あっちへ飛びこっちへ流れしている。
しばらく「ささやく」ってのを忘れていたようだ。「ささやかれた」こともないし、「ささやいた」こともない。「ささやく」ってどんな感じでしたっけ?「ささやく」って「囁く」とか「私語く(ささやく)」って書くときがあるのだけど。口に耳が三つねえ。
田原総一朗さんが出ていた「ガキの使い」を見ていたら、マイブームは「ツイッター」だと言っていた。ははんなるほど、と納得。そのツイッターって、なんか「つぶやく」って感じと違うなあと思っていたら、星野智幸さんに「さえずる」って意味だって教えてもらった。小鳥のさえずり。烏とか、鶴とか、鷲や、鷹は「さえずる」とは言わないのだろうなあと、嘆息。
ぼやきたい。
2010年10月01日(金)
ぼやき漫才ってのがありました。なんかぼやきたい。たぶん一番の理由は、マンションの外壁塗装工事をしていること。建物全体に防護用の網が張り巡らされています。だから、ちょっとぼやきたいってわけ。三度目の大規模修繕です。一回目のときに比べたら、防護用の網もずいぶん改良されて、家の中もそれほど暗いわけじゃあないんですけど、やっぱりぼやきたい。
二つ目はフォーラム神保町のメンバーの魚住昭さんからウェブマガジンの「魚の目」にエッセイを書くように依頼されているのに、まだ、書けないこと。「象の鼻毛」っていう通しタイトルまでは決めたのですけど、なまじ400字詰め原稿用紙7枚のきちんとしたフォルムのあるエッセイを書こうとしたために、なかなか着手できないでいます。ネットを使うようになって、全体のフォルムを考えずに書き出してしまう文章を書くことが多くなったので、逆にしっかりとしたフォルムの文章を書きたいと魚住さんには話したのですけど、ツイッターを始めたおかげで、現実には、輪郭やフォルムのない断片的な文章ばかり毎日、タイプするはめに。ウクレレ漫談をやっていた牧伸二なら「あ〜あ、やんなっちゃった。あ〜 驚いた。」って歌いたいような心境。
ま、ぼやきたいんです。ぼやかしてよ。
伊藤さん、日本は急に寒くなりました。
2010年09月28日(火)
東京だけじゃなくって熊本も寒くなっている様子です。こちらにお帰りになるときは、どうぞ気をつけてくださいね。だって、涼しいってのがなくって寒くなったのですから。くそ暑い→寒いなのです。
ツイツイ ツイッター。
2010年09月28日(火)
あれ? 豆蔵ちゃん留守なのかな? ※留守でした。(豆)
トップページに「文学界」10月号に姜英淑さんの「海岸のない海」の翻訳が載っていることをお知らせして下さいとお願いしたのだけど? 翻訳者は吉川凪さん。
ツイッターを始めたのは「豆畑の友」のお問い合わせフォームが故障して、それがきっかけでした。だいたい、PC関係の新しい機能とかシステムってのは、使い始めると、しばらくは「中毒」することになります。私はあまり機械好きではないんだけど、この「中毒」期間だけは、機械好きな人の気持ちが想像できます。で「わあ。」と驚いている姜英淑さんをツイッターで見つけたのは、いつだったか? 日本語もハングルも混在で表示できるのには、驚きました。中島京子さんが、姜英淑さんと英語でやりとりをしているのを見て、日本語の解る姜英淑さんなら、ローマ字でもいけるかと試みたところ「HA,HA,HA」のお返事が即座に来ました。さらに豆蔵ちゃんにグーグルの翻訳機能を教えてもらって、こちらの書込みを韓国語に翻訳可能になって(どんな韓国語だか解らないけど)そんな具合にやりとりができるようになりました。「へえ」の連続。
で、ついついツイッターを見ているとフォローした小説家、評論家が並んで「原稿が書けない」「原稿を書かなくちゃ」って、つぶやいているというよりも大連呼。そういう追い詰められた心境を知らないわけじゃあないから、「ああ、これはたいへん」と眺めているうちに、自分の原稿の締め切りを忘れる始末。なんだかなあ? なんだかなあ? これっていいような悪いような、不思議な1ヶ月でした。
英雄の作り方2
2010年09月24日(金)
イギリス小説だと「シャーロック・ホームズ」が有名ですが、フランスだと「怪盗ルパン」。この二つの国の人気小説が、探偵と怪盗になっているところは、国民性を感じさせておもしろいと思います。で、島国日本はイギリスぽいのかなと思いつつ、考えてみると、歌舞伎の世界には「ねずみ小僧」とか「石川五右衛門」など大泥棒が大活躍。文楽では、近松門左衛門の心中物があり、こちらは横領犯など。「名探偵明智小五郎」が登場するのは近代になってからですが。江戸川乱歩も怪盗、怪人はたくさん書いています。
さて、「秋葉原無差別殺傷事件」の犯人を英雄視する視線は、かならずしもマスメディアの拙速で作り出されただけでなく、なんとなく、世の中の人の心がそのような英雄を求めていたという側面があることを「英雄の作り方1」で書きました。「ネットでは加藤智大被告は神」とか「神」の一字を分解して「加藤は ネ 申す」とか「加藤を神格化しろ」などの書込みが見られることをフォーラム神保町の聴講者の方から教えてもらいました。通常、犯罪報道などの勉強会や検討会では、虚構を排除して事実を見詰めようとするという方向で思考を重ねて行きます。が、私は秋葉原無差別殺人事件に、事件の周辺にいる人々が「虚構」を求めていることを感じとりました。フィクションの作者としての直感です。
この直観力がもっと強ければ、今頃、大勢の人に楽しんでもらえるエンターテイメント(娯楽作品)を大急ぎで書いているところなのですが、残念ながら、そういう資質には恵まれていなかったようです。娯楽作品を書く資質には恵まれませんでしたが、フィクションそのものを否定する気はさらさらありません。人間の精神にとってフィクションは重要な役割を果たしていると信じています。それで今回の秋葉原無差別殺傷事件の周辺にいる人々を見ているとフィクション、つまり虚構に飢えているという側面があるように思えました。「アエラ」の記事はそのあたりの雰囲気を報じていますが、まだ、虚構に飢える人々の気持ちというスジに絞りきれていなかったのかもしれません。だって、これは通常のジャーナリストの態度とは逆に虚構そのものを肯定しなけば、見えてこない現象なのですから。講師の中島さんを混乱させたのも、私がそのあたりの指摘で突然、ベクトルの向きを逆転させたためだと反省しています。時々、思考のベクトルを逆向きにしてみるのが好きなんです。だからノンフィクションの作家にならずに、フィクションを選んだのでしょう。
で、そのフィクションを求める力と言うか、エネルギーが微弱な感じがしています。微弱陣痛という言葉が浮かびました。お産の時、陣痛は来るのだけれども、微弱なまま、長時間にわたって続き、陣痛のクライマックスが来ない症状を言います。微弱な陣痛が長時間続くと母体は疲労しきってしまいますし、ひどいときには、母子ともに死に至ることもあるそうです。現代では陣痛促進剤などを使いますから、微弱陣痛で死亡なんてことはめったにないでしょう。 お産はそういう手当てがあるのですけれども、虚構を求める社会的心理が微弱陣痛状態のままになったら、どういう現象が起きるのか? それが私の興味でした。
ピカレスク・ロマンの虚構が作れない社会というのは裏を返すと、例えば、優れた為政者も生み出せない社会ということになりはしないでしょうか? 英雄の作り方を忘れてしまった社会。いや、英雄の作り方を思い出そうとして、なかなか思い出せない社会。そんなイメージです。もっとも村上春樹の「1Q84」の青豆は殺人者なのだから、ピカレスク・ロマンはとうに成立しているとも言えなくもないのだけれど? あの小説はなんとなく、ピカレスク・ロマンという感じがしないのは、なぜだろう?
なんなんだ。この騒ぎは!
2010年09月22日(水)
「公文書偽造事件を調べていた主任検察官が、証拠偽造で逮捕された」って、理解しがいた事件というか、何というか、一番の疑問は「なぜそこまでして、事件を成立させたかったのか?」ということです。主任検察官によるFDデータ偽造が報じられたのが今朝。主任検察官が最高検に逮捕されたのが夜に入ってから。
まさか関連はないと思うけれども、21時過ぎ、つまりNHKのニュースが半分ほど過ぎた頃にツイッターにアクセスしようとすると、ホームに大きなhの文字が出てアクセス不能。10時過ぎに豆蔵君から「どうもツイッターにアクセスしないほうがいいですよ」というメールが来ました。豆蔵君情報によると、携帯などからは問題なくアクセスできるらしい。どんなことが起きているのか機械音痴の私にはわかりかねますが、ツイッターの脆弱な部分を攻撃されたとのことでした。最初はウィルスかと思ったのですけど、ウィルスではないってことで、なんだか奇妙なことがおきているらしいです。
今夜あたりツイッターで「検察官によるFDデータ偽造事件」の感想を、有名な人のものも、無名な人のものも聞いてみたいものだと思っていたのに。「まさか関連はないだろうけれども」と言うのは「もしかしたら関連があるの?」の意味の裏返し。
加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』を読んでいたら、太平洋戦争中の戦死者の数は新聞の地方版には掲載されたけれども、全国版には載らなかったとありました。みんな大本営発表を信じ込まされたとは聞いていましたけれども、そんなふうに、情報を細かく分けてしまうという手段をとっていたなんてのは初めて知りました。情報操作として手が込んでいるし、現代でも使えそうな手段だなと感じました。さらに戦争末期になると民需に応じる会社の株価が上昇したともありました。情報操作、情報統制をしても「口コミ」は生きているのです。と言うよりも情報操作、情報統制をすればするほど「口コミ」はよく機能するものなのかもしれません。民需の株価が上がったと言うのは「長谷川巳之吉」を読んだときに、戦争末期に出版各社が空前の利益を上げていたと知ったときと同じ驚きがありました。
だから「たぶん関連はないだろうけれども」「もしかしたら関連はあるの」なのです。
英雄の作り方1
2010年09月21日(火)
9月16日のフォーラム神保町のことで気になっていることをもうひとつ。
会場でコメントするときに資料の中にあったアエラの「加藤よ裏切ったな」という記事を少し悪く言いすぎたとあとから、やや思い直しました。この記事はネットにもあったもので、検索すればたぶん今でも読むことができます。秋葉原無差別殺傷事件の公判を傍聴した人が被告に裏切られたと感じていることを報道しているものです。記事そのものは、この事件を見詰める人の視点を切り取ったもので、良い記事だと思います。ただタイトルのつけ方が曖昧なので、私の印象がぶれてしまいました。
これまでの事件報道ですと、メディアが安易な解釈に走り、そのイメージが広がってしまうというパターンが多く、時にはメディアの安易な解釈が、読者や視聴者のメディアに対する軽蔑を招くことも多々ありました。10年くらい前に護国寺で起きた「お受験殺人事件」と呼ばれた事件も第一報から「あ、固定観念で報道している」と感じられた事件でした。メディアはお受験加熱のために、よその子を殺すという行動に出た母親の事件として報道しましたが、実際はお受験をする小学校は抽選で入学者を選んでいるのですから、そういうストーリーは成り立たないのです。この場合は情報の享受者のほうが事情をよく知っていて、報道に対して冷ややかな反応をしていました。
「秋葉原無差別殺傷事件」の場合は当初、メディアは派遣切りにあった青年の凶行という報道をしました。これは第一報の段階ではそう間違いではないと思います。しだいに詳細がわかってくると、当初にイメージされた事件とは異なるものがあることもわかってきます。 が、この事件ではメディアの情報の享受者の中に、最初のメディアが建てたイメージに添って犯人に英雄的な存在になって欲しいと願う人がいることです。アエラの記事はそうした現実を報道している記事としては良い記事だったと思います。私は、タイトルの中にこの記事は 「犯人」を問題としている記事ではなく「犯人に英雄を見ようとしている人」を取り上げているのだということを印象付ける何か一言が欲しいなあと、そう思いました。そうじゃないと、私は事件報道というと、すぐに犯人について書かれたものという思い込みで読んでしまいますから。(この項目 続く)
丘の上の花屋さん
2010年09月20日(月)
丘の上の花屋さんの様子がおかしいなあと、覗いていたのは7月のはじめでした。最初は定休日でもないのにお店が閉まっていて「どうしたのだろう?」と不思議でした。そのうち、どんどん、花が枯れて行くのです。花屋さんのお店は小さくって、シャッターもないお店です。閉まっているときは、緑色のネットが張ってあるだけなので、お店の中をよく見ることができます。
最初は切花が枯れ、それから苗物の元気がなくなり、観葉植物さえかさかさし始めた頃には、お店全体が雑然とした枯れ色に染まりました。「しばらく休業します」の張り紙が出たのは、そうした頃でした。張り紙が出て2、3日すると、枯れた花が片付けられていました。
今年の夏の猛暑は、残っていた鉢物さえみんなダメになってしまいました。ネットの向こうのお店の中にお花はすっかりなくなって、がらんとしたまま8月が過ぎて行きました。前を通るたびにいったいどうなっちゃうんだろうと、心配になっていました。 花屋さんの御主人が、お店で鋸を使っている姿を見たのは先週のことでした。ご主人に何かあったのかと心配していましたから、ちょっとほっとしました。最初の日は熱心に鋸を使っているので、そのまま通りすぎました。どうやらお店の模様替えをするようです。次の日に通りかかると、ちょうどこちらを向いた時だったのでちょっと会釈しました。事情を聞いていいのか、悪いのか、少し迷いましたが「どうかなさったのですか?」と聞いてみると、お母さんのお加減が悪かったとのことでした。今日、通りかかると、今度はきれいなワンピースを着た女の人が花屋さんのご主人と立ち話をしていました。きっとお店の前を通る人は「どうしちゃったのだろう」と気になっていたに違いないのです。
買物に行った成増駅前の商店街で、お婆さんが二人で手をつないでシャッターに張られた張り紙を見ていました。シャッターの張り紙はひどく乱雑な張り方をされていて、いったい何の張り紙だろう?と不思議に思って近くに行ってみました。シャッターが下りていたのは日本振興銀行の支店でした。チェーン店の飲み屋さんやコンビニが並んでいる一画にそんな銀行が出来ているなんて初めて知りました。お婆さん二人は手をつないで張り紙を読んでいるのです。 ひとりのお婆さんが、債権者説明会が開かれる会場の名前を読み上げて「なんだかこれもニセモノみたいな名前ねえ」とつぶやくと、もうひとりのお婆さんは「全部ニセモノなのかしら」と嘆息していました。 張り紙は「支店閉鎖のお知らせ」「預金保護について」「債権者説明会の告知」など5枚ほど。こんな光景は映画でしか見たことがありませんでした。手をつないでいたお婆さんは、この銀行にお金を預けていたのかしら?小学生が手を繋いで初めて街に出てきたみたいな様子のお婆さんふたりでした。
買物を終えて、再び花屋さんの前をとおりかかると、ご主人がお店の扉にニスを塗っていました。どうも、今度はお店に扉がつくようです。 「きれいになりますね」 声をかけると 「明日からまた開きますから、どうぞ、よろしく」 というお返事でした。また、お花がたくさん並んだ花屋さんに戻るのかと思うとちょっとうれしくなりました。それにしても成増にあったお豆腐屋さんとか、魚屋さん、八百屋さん、小間物屋さんなど、顔なじみになったご主人や奥さんのいたお店は、いつのまにか、見なくなってしまいました。お店の人たちはどうしているのでしょう。
形而上学の不在
2010年09月19日(日)
フォーラム神保町の中島岳志氏による「秋葉原無差別殺人事件」のリポートについて、ゆっくり考えています。後から反芻するように考えるのが癖なのですけれども。事件のディテールには考えさせられることが幾つもあるのですけれども、なによりも気になっているのは「形而上学の不在」という現象です。
形而上学と言ってもそう難しいことではなくって、例えば加藤被告が強く持っていた存在承認の欲求ですが、なぜそれが「存在とは何か?」という疑問の方向へ発展しなかったかというような事柄をさしています。一般の報道では、派遣の仕事を断られたために凶行へ及んだということになっていますが、実際はもう職場を辞めたくなっていたようです。一般に言われているような派遣切りが理由ではなく、むしろ職場を解雇されるのが、短期的に延期になったことが彼を苛立たせた様子も見てとれます。存在承認の欲求が大きい人は往々にして風来坊になるということを中島さんのリポートの帰りに聴講者の人とお話しましたが、そこで思い出すのは「フーテンの寅さん」でした。また加藤被告が掲示板を荒らされたことが一番の原因だと裁判に話していることを聞いて私は「寄席芸人の心理」という言葉を使って会場で感想を述べました。観客とともにセンス(趣味)と感覚を共有する空間を作り出すことを喜びとする演者によって、それは存在を否定されたにも等しいことになるのでしょう。言葉を変えれば「殺された」と感じうる現象です。
自分で気になっていたのは、この事件のレポートを聞いた感想に「フーテンの寅さん」や「寄席芸人」と言った喜劇の属する言葉が出てくることでした。事件の重大性に比べてあまりにもアンバランスな例えです。その理由が解らなかったのですが、「形而上学の不在」ということを考えてみると、なんとなく、自分の感じていたことが解りかけてきました。
掲示板上の「ネタ」がしだいに「ベタ」になって行くというのは中島さんのリポートにあった内容です。ところで「ネタ」はなぜ「ベタ」になって行くのでしょうか?「ネタ」は虚構、「ベタ」は実際と一般的な言葉に置き換えて考えてみると、「ネタ」が「ベタ」になる過程の手前に「ネタ」とは何か、つまり虚構とは何かという問いかけが現れても不思議ではないのです。実際的な行動の手前で現れることが予想される形而上学への入口が閉ざされていた、あるいは扉は開いていたのだが、形而上学が不在だったというイメージが湧いてきました。
喜劇は、形而上学への回路を一時的に塞いで、生真面目で硬い気分から人を救い出すという機能を持っているのですが、秋葉原事件でなぜか喜劇の比喩が頭に浮かぶのは「形而上学の不在」が逆説的な形で事件全体に介在しているからではないでしょうか? 事件全体というのは、加藤被告一人が、そうしたものを抱え込んでいたのではなく、あまり社会という言葉を使いたくないのですけれども、社会が広範に「形而上学の不在」という現象を抱え込んでいたことが凶行へ向かう遠因になっているという印象を持っています。
形而上学の入り口は「問い」でしょう。その「問い」に答える何かがなかったのです。「問い」に答えるのは「答え」ではなく「問いを承認すること」だとすると「問い」というのは、我々が日常の言葉では「生きる意欲」と呼んでいるものにたいへん近いのではないでしょうか?
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