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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

今年も残り2日

2007年12月30日(日)

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 ああ、なんてこどだ!今年はあと2日しかないのにもう9時間もすぎちゃった。あせってますって言いたいところですが、なんとなく「まったり」してしまっています。このまま行くと「まったり」が「のんびり」になり「のんびり」が「だらだら」になって今年が解けてしまいそう。それもいいかなと耳もとでささやくのは悪魔か、天使か、いったいどっちだろう。

 これまでの経験ですと、新聞連載をしたあとは家の中がぐちぐちゃになっているのです。とうてい自分で散らかしたとは思えない。パソコンに向かっている間に座敷童子か、なんじゃもんじゃの神様か、あるいは物につくというつくも神か、わからないけれども、そういうものが、好き勝手放題に大暴れしたとしか思えないような散らかり方をするのです。

 だから、今年は新聞連載を始める前に、コンテナルームを借りました。家の中から物を少なくすれば、それだけ片付けが楽になるってことで、借りたコンテナルームですが、子どもたちが一度、荷物を運びこんだきりで、まだ使いこなしきれていません。で、たよりの子どもたちですが、今朝は二人とも二日酔いで寝ているの。やっぱりこのまま、「まったり」が「のんびり」になり、「のんびり」は「だらだら」に流れて落ちて行くのでしょうか。こういう時にかぎって頭後部で「お座敷小唄」がエンドレスで流れちゃったりします。

「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も
     雪に変わりがないじゃなし
           解けて流れてみな同じ」

小川国夫さんのおうちで

2007年12月24日(月)

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 さくらえびをごちそうになりました。

 さくらえびは駿河湾特産で、ほかではとれないそうです。なんでも明治時代にこのえびを発見した漁師の兄弟がいて、それ以来、大事にとっているみたい。さくらえび漁の季節になると富士川の川原で、えびを天日に干すそうです。
「猫がとるんじゃないかって心配になる眺め」
 と小川さんが言っていました。生のさくらえびを見せてもらいました。紅色に透き通っているえびでした。

 さくらえびをごちそうになる前に、小川さんの「悪食の話」ってのがあって、これがすごい!とてもここには再現できません。一緒に小川国夫邸にでかけて司修さんが
「ああ、みかんを食べているときでよかった」
 と言っていましたし、私も途中で聞くのが怖くなりました。長谷川郁夫さんに至っては、どうもこの小川さんの「悪食の話」を聞くのは初めてではないらしいんだけど、みかんが喉につっかえたらしく、顔を赤くしてげほげほやってました。

 ほんとさくらえびの掻き揚げをいただいている時じゃなくて良かった。で、さくらえびの掻き揚げの時は「虹」の話。主語がはっきりと思い出せない(さくらえびがおいしくて、そちらに気をとられていたの)「僕は」だったか「人は」だったか、ともかくその存在は「虹のようなもの」で「やがて見えなくなるけれども、虹がかかっていたことはみんな覚えているでしょう。消えちゃうから美しいの」っていう話を小川さんがしていました。

 司さんはカナダで見た虹の話。遠くからだと見えるけれども、近づくときらきら光る光の粒しか見えなくなる虹を見たそうで、車だったから、何度も遠くに離れては虹の全体像を見て、近くによってきらきら光る光の粒を見たそうです。

 小川さんのうちに行く前に、「おたあジュリア異聞」の挿絵を描いてくださっている宮本恭彦さんのお兄さん夫妻と虹の話をしていました。宮本さんはものすごくたくさんの虹があっちこっちにかかっているのを見たそうです。なかには端から端までくっきりとした虹もあったということでした。小川さんのおうちには宮本さんご夫妻もご一緒しました。

ぎゃぼも冬支度

2007年12月22日(土)

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 のだめカンタービレに出てくるマングースの着ぐるみをうちでは「ぎゃぼ」と呼んでいます。「ぎゃぼ」も冬支度です。娘の部屋にいったら、3匹いる「ぎゃぼ」のうち2匹が毛糸の帽子をかぶっていました。ピヤニカを持っている「ぎゃぼ」は帽子をかぶった「ぎゃぼ」の後ろに隠れています。

12月の銀杏の木

2007年12月17日(月)

 ネットで皇太子妃が紅葉狩りという記事を見つけて「おや?」と思いました。記事を読んでみると、神宮外苑の銀杏並木の下をお散歩されたという内容でした。今年は11月中旬に、急に冷え込んで思いのほか、銀杏も欅も桜も美しい色に染まりました。

 飯田橋から市ヶ谷に続く土手では、さすがに桜の葉はみんな落ちてしまいましたが、まだ銀杏だけは、いくらか黄色い葉が枝に残っています。池袋に買い物に行った娘が「お母さん、12月も半ばなのに銀杏が黄金色なのはヘンだよ」と言っていました。会社のある日は銀杏並木をつくづくと眺める閑もなかったから、それに気づかなかったということでした。

 95年の秋に、東京競馬場で行われた天皇賞のレースを知人と見物した帰り、みごとな銀杏並木の下を歩いたことがあります。夜空に黄金色が輝くようでした。オウム事件で大騒ぎの年で、事件のことを話題にしながら銀杏並木の下を歩いていたのでした。私が子どもの頃は、11月の御酉様というと、毛皮のコートを着た女性もいて、なんだか熊みたいだなと眺めていました。それだけ寒かったということです。95年からおよそ12年で2ヶ月、紅葉がずれたとすると、あと10年たったら、紅葉に2月頃になる計算ですねと、ある教室で言ったら、聞いていた人たちが大笑いをしていました。2月の紅葉ってのは、想像しただけで笑い出したくなるようなところがあるみたいです。

 たぶん2月まで紅葉がずれ込む前に、亜熱帯の植物が野山を占領してしまうでしょう。植物の旺盛な生命力は住みやすい土地を求めて、移動してくるでしょう。鳥とか虫の力を駆りながら、どんどん北上するのではないでしょうか。植物は何にも言わないけれども、もくもくと新天地を切り開いてしまいます。きっとバナナなんかも手近なところで栽培できるようになっているかもしれません。だって春の桜の方はここ数年、卒業式には咲いているというのが当たり前になってきているのですから。

 まだ小学校に通っている頃、NHKの朝の番組で、東京都内をいろんな人が散歩するというのがあって、そこに詩人の新川和江さんが出演していたことがありました。落ち葉を踏んで歩くというテーマだったと思います。新川さんは「銀杏の落ち葉は湿っているから、ひらがなでかさこそかさこそと書く感じがする」とおっしゃっていました。ひらがなの「かさこそ かさこそ」って、そうだなあと子ども心に感心しました。あれからもう40年もたっているのに、今でもその番組のことを覚えている自分に呆れるような心地がします。学校へ行く前にご飯を食べながら見ていたテレビでした。

そうそう海苔の季節でした。

2007年12月15日(土)

 伊藤さんのコラムを読んでいて、思い出したんだけど、海の水が冷たくなるこの季節は海苔の季節でした。今は海面にぷかぷかと浮く海苔の養殖網もあって、かなり水深の深い海や、波の荒い海でも海苔を養殖できる技術がありますけど、昔は遠浅の海に乗り粗朶を建て、養殖用の網をはって海苔を作っていたから、有明海のように遠浅の海でなくては、海苔の養殖ができませんでした。

 幼稚園に通っていた頃は、横浜の金沢八景にある平潟湾も海苔の養殖が盛んで、今頃になると自家用の海苔を干している漁師の家もありました。紙を漉くのと同じで、四角い木枠をつかって、四角く海苔を梳いて、それから天日に干すの。
 すのこに四角く梳かれた海苔が並んでいて、市松模様を作っていました。養殖網から離れたて、流れてくる海苔を海岸で掬って、自分で漉いてみたこともあるのですけど、これはなかなかうまく行きませんでした。海苔を四角くするための枠は父が作ってくれました。網から離れた海苔だからそれほど量が多くないってこともあって、生海苔を酢の物にしたりしていました。これは、潮干狩りが始まる3月頃のことですね。アサリを採りに行ってついでに、海苔も救ってくるのです。
 お歳暮に自家製の海苔をいただくこともありました。干す前の海苔は、黒というよりも紫色をしています。

 海苔粗朶は竹の棒で、竹の棒が遠浅の海に等間隔に並んでいるんです。今では海苔粗朶のかわりに、平形湾に繋留されたヨットのマストが並んでいます。

ポインセチア

2007年12月14日(金)

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 伊藤さん、うちでもポインセチアを一鉢買いました。花屋さんに行ったら、今年はポインセチアの品種がたくさん出ているって話していました。いろいろ迷ってけれそも、結局、真っ赤なやつでツリー仕立てになっているのを選びました。
 あとね、きれいな白い斑(ふ)が入っているのもあってそれも欲しかったの。

支離滅裂な机の上

2007年12月09日(日)

 仕事が混雑しているときは、家の中を注意深く片付けている。そうしないと、何か重要なもの、再発行の手続きがめんどくさいものを失くすから。ところが、である。机の上だけは支離滅裂になる。以前はこんなことはなかった。家じゅうが支離滅裂な状態に陥っていても、机の上だけは片付いていた。そうしないと、自分がなにを書いているのか解らなくなるから。が、パソコンが入ってから、いつも机の上は支離滅裂になっている。

 パソコンのための机と、書き物机の二つを部屋においているせいで、書き物机はとりあえずに物置代わりに使われるからそういうことになるのだけれども、その支離滅裂な机の前で、これまためちゃくちゃな本の読み方をしている。知人からもらった本、自分で買った本、前から読まなくちゃと思っていた本、そのたもろもろ、ちょっとづつ読んでは、またほかの本も読みという状態。

 なんかねえ、栄養不足みたいな感じっていうのか、へんてこりんで、困っている。しかも、これが楽しい。なんでだかわかんないけど、楽しくて仕方がない。頭の中まで支離滅裂になっているのかしら?

ちょっと、おもしろかったこと

2007年12月08日(土)

宝石屋の主人を驚かす
 知人と丸の内中通りを歩いていて、小さな宝石屋があったので、ショーウィンドウを覗き込んだ。もう日が暮れていたせいもあるけれども、左目があまりよく見えないこともあって、ウィンドウのガラスに頭をごんとぶつけた。目から火花が出るほど、ごんとやった。「ははは」と笑った知人が、頭をぶつけたくなるほどの宝石とはいったいどんなものかと、これまたショーウィンドウを覗き込もうとしたとたんに頭をごんとぶつけた。
 どうも、ショーウィンドウのガラスが通常よりも分厚くできているらしいのだ。二度も「ごん」「ごん」やったものだから宝石屋の奥から主人が出て来てとおりのほうを怪訝な顔で眺めていた。
 宝石屋の主人はグレーのスーツを着た美人だった。

タクシーの運転手を驚かせたこと
 「東京駅まで」とタクシーを拾って、後部座席で「年収」の話をしていたことがある。幾らくらいもらえるかとか、幾らぐらい欲しいのかとか、そんな話だった。
「あんまりばかなことを言っていると、また、どっかに頭をぶつけちゃうからな」
 と、話の相手は不思議なことを言った。と、そのとき、ちょうどタクシーは東京駅に到着した。支払いを済ませた次の瞬間、車を降りようとした話の相手は「ごん、ごん」と二度も、タクシーの天井に頭をぶつけたのである。一度目は勢い良く「ごん」とぶつけ、二度目はあわてて「ごん」とぶつけたのであった。隣にいた私も驚いたけれども、タクシーの運転手はもっと驚いていた。運転を仕事にしている人には、車体から響く衝突音ほどどっきりとさせられるものはないのは想像がつく。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
 運転手さんは早口で三度も同じ言葉を繰り返した。
 これは去年の暮れのこと。

ジャック氏のボーナス、クリちゃんの三ツ星、キクチ君がキクちゃんになる話
 金曜日6限の授業を終わって飯田橋の駅までクリちゃん、キクチ君と歩く。ボーナスが出たというジャック氏が電話をしてきて、いつもの「ブリッジ」で遅いご飯を食べようということになった。「ブリッジ」の向かいの文教堂に派手なミシュランの広告が出ていたので、ジャック氏が来るまで、ミシュランを見物しようということになった。けれども、日本語版は売り切れ。残っていたのは英語版だけ。
 クリちゃんがミシュランで3つ星を獲得した恵比寿のレストランで彼女と食事をした時のことを話してくれた。王子様が出てきそうなレストランだ。クリちゃんの話はおもしろかったけれども、そのおもしろい細部が、今朝になると思い出せない。ただ、おもしろという波みたいな感じだけがしわしわと残っている。
 キクチ君はある人物から時々「キクちゃん」と呼ばれているらしい。私、クリちゃん、ジャック氏の三人でそれを聞いて「えっ」とか「へえ」とか「ほんと!」とそれぞれに驚いたり、感心したり意外だったりして、同時に三人三様の感嘆詞をもらす。感嘆詞の見本みたい。
 ジャック氏はあいかわらずボーナスが多すぎること(少なすぎることじゃない)を嘆いていた。

なんと、灯油が1,700円だって!

2007年12月06日(木)

 北海道旅行から帰ってきた息子が、北海道じゃあ灯油の値段があがってたいへんなんだと話していたが、ネットで灯油が一缶1,700円台になったというニュースを見つけた。

 正直に言って「ええっ、ああぁ」という感じ。一缶750円くらいで買えた年もあったのだから、それからくらべたら1,000円も上がっている。いや、1,000円以上の年って石油ストーブを使っている我が家では、記憶していないから、こんなべらぼうな上がり方は初めてだ。

 これじゃあ、灯油がなくては冬を越せない北国の人は、暮らしていけないって値段になっている。まだ、上がるのかしら? ガソリン代の値上がりも深刻だけど、車はあまり使わないから、灯油のほうが衝撃が大きい。

酔っ払ったあとで

2007年12月05日(水)

 ちょっとだけボードレールの「悪の華」を安藤元雄訳で呼んでいたら、しごく、幸せだった。ぼやぼやとした靄のかかった夕暮れで、西の空が淡いブルーとピンクに染め分けられてゆく時刻の物憂さが、身体にしみこんでくるようだった。学校にいたり、街に出かけていたりすると、空の高いところから振ってくる物憂さは、身体の上をすべり落ちてしまうものだ。

 もっと、ぼんやり本を読んでいたいけれど、ああ、仕事、仕事、仕事しなくちゃ。

 昨日、新丸ビルで鴨を食べた。鉄砲で撃った小さい鴨を炭火で焼いたやつ。それから、丸の内中通りをペニンシュラホテルまで歩いた。丸の内警察のそばで、ちょっと前まで占領期の名残のような英語の看板が出ているアーケードのあったビルがホテルに建て替えられていた。

 ペニンシュラホテルのバーで飲もうと思ったら、満席だった。エレベーターに乗り合わせたサラリーマンのおじさんとお兄さんの中間くらいの年齢の人(いったいいくつだ?)が「こんなところ、世間知らずの女の子を連れてきたら、すぐに口説けるよなあ」って話していたけど、たぶん女の子のほうがリサーチは詳細にしているはずだろうなって、苦笑いがもれたけど、気づかれなかったみたい。白い制服のきれいなボーイさんがいた。ボーイさんだけど女性。親切そうな微笑の持ち主だった。

 なんて、思い出している閑に仕事しなくちゃ。東京駅から有楽町、汐留あたりはここのところ、急速に再開発が進んで、だんだん見たことがない街になっていく。

今年の秋

2007年12月03日(月)

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 今年の秋も終わりです。

薔薇の土を買う。

2007年12月02日(日)

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 薔薇を植え替えるための土を買ってきた。植え替えにはちょっと遅い気もするけれども、寒くなるのも遅かったのでまあいいかと思っている。

 一重の赤い花が咲く茎の太いつる薔薇で、一昨年までは春にも秋にもたくさん花をつけていたけれども、今年はさっぱりだった。そろそろ植木鉢の土の力がなくなってきたみたいなので、ビニール袋に「薔薇の土」とかいてある大袋を買ってきた。

 ベランダに植木鉢を並べるのはいいけれども、最初の頃、つまり20年前は土を買うのには、ものすごく心理的抵抗があった。土なんか買わないで、どこか空地か斜面からとってくればいいような気がして仕方がなかった。周囲には雑木林が多いので、良い土がいっぱいある。けれども、いざ、土を取りに行こうとすると今度は不審者と間違われそうで、それはそれで心配だった。水道ってものが珍しかった時代にはきっと水道代を払うのに、心理的抵抗があったのかもしれないなあとその頃、想像してみたりした。

 そう、そう。ミネラルウォーターが出てきたばかりの頃、飲み水なんかわざわざお金を出して買う人がいるのかいって大人が話していたのを覚えている。いや、私が育った家だって、水道はあったけれども、井戸も併用していて、飲み水としては井戸水のほうがだんぜんおいしかった。ポンプも電動じゃなくて、手動だったから飲み水は「只」でしかも「ミネラルウォーター」だった。

 でも水道代を払うのに心理的抵抗があったことなない。が、土となると違って、どうしてもどこかから掘ってこなくちゃいけないような気がしてならなかった。

 で、その心理的抵抗のために最初は「赤だま土」とか「腐葉土」など土の種類を選んで、自分で配合していた。とは言え、しょせんベランダなので、配合してもなんだかちまちましている。なんだかプラモデルとか、そういうキットがそろった玩具を組み立ているみたいな気分だった。そう思った時「パンジーの土」とか「薔薇の土」とか「観葉植物の土」とかいてある袋の土を買うのになんの抵抗もなくなってしまった。

 薔薇の土を買うことは買ったけれども、またしばらく植え替えをする時間がなさそう。でも、土さえ買ってあれば、ちょこっと閑になった時にさっさと植え替えができるだろう。

   
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