不倶戴天の敵
2006年11月26日(日)
睦み合って、この世の外に抜け出られるような恋人とめぐり合う。これはもう望外の事と、そういう予感のする恋に迷い込んだところがどこでどう掛け違えたのか、すれ違ったのか、もつれにもつれて、この世にあるうちはすっきりすることがないという筋書きを考えてみました。ともに天を抱かず、つまり不倶戴天の敵になるというやつです。同じこの世の外に抜け出さなくちゃどうしょうもないにしても、正反対のベクトルというシニカルな結果になると物語ってどうかなあ?
ま、そんなことになったら、読むほうもかなりシニカルになっちゃうでしょうけど。ああ、コートが欲しいという物欲に駆られた結果として、ずいぶんシニカルな物語を考えちゃったもんだ。
物欲に駆られる
2006年11月23日(木)
ああ、コートが欲しいよ!なんて言ったら今年はもう一着作ったじゃないって言われそう。
はい。確かにつくりました。出来上がって日にすぐに横浜の会合に着て出かけたら「これからオペラを始めるのですか?」って言われちゃいました。緑とグレーの織柄で、薔薇の模様だから。娘は「なに、その派手なの」って言ってました。確かにボタンにライトストーンが入っているから派手って言えば派手です「いいよ、いいよ森の妖精か、緑のおばさんみたいで、素敵ですよ」って息子が言っていました。お前、それってぜんぜん褒めてないって(ぷんぷん)とくに「緑のおばさん」ってところが。横断歩道で旗を振ってやろうかしら。裏地はブルーにして、内ポケット(いわゆる隠しってやつ)をつけて「EMIKO」のネームも入れちゃいました。「えっ、本名でネーム入れたんですか」とゼミ生のM君。悪いか、本名でネーム入れて。でも、このコートって合着なので、文学フリマがあった日曜日(12日)から急に冷え込んでもう着られなくなっちゃったんです。来年の春までお預け。
で、見つけちゃいました。革のなめしがものすごくいいコート。細身のトレンチ。でもちゃんと私でも入るサイズ(これがそんじょそこらでは見つからないの)店員さんも「軽くて着心地が良くて、しかもお安いですよ」って、私もそう思います。ただ「お安いですよ」という比較対照がエルメスなのが泣き所。そりゃ、エルメスに比べればお安いです。舞い降りてた物欲大魔王と戦いながら、公孫樹の紅葉が見事な光が丘公園を散歩してきました。え、コートなしで散歩していたのかって?もちろんコートは着てました。ベージュ色のPコートを。
そういうわけで、今夜の東京はちょっと寒くて寂しい雨が降っています。カルフォルニアの伊藤さん、もうすぐ東京のお越しとのことですが、暖かくしてやって来てください。そうだ、とてもごついところが伊藤さんによく似合う裏革(バッグスキン)のコート着てましたね。あれがもう必要になってます。あのカウボーイが着ているようなコート。
休日の電車
2006年11月19日(日)
先週は日曜日に、今週は土曜日に午前中の電車に乗りました。平日の午前中とちがって圧倒的に遊びに出かける人の多いのんびりした電車です。で、日曜日の電車がずいぶん華やかになったなあと思いました。おしゃれをしている人が多いのは当然と思われるかもしれませんが、一昔前は、普段着は「安い服でいいや」という感じで、なんとなく張り合いのないものを着ている大人の間に着飾った子どもが混じっているという感じでした。
小さな子どもを抱っこしたお父さんが増えたのも最近の日曜日の電車の眺めの新しいところです。こういうことって、ある日、「あれ!」という感じで気が付くのですが、ではいつからかな?と思い返してみても、なかなかいつからなのかわかりません。そうして、赤ちゃんを抱っこしたり、小さいお嬢さんに擦り寄られたしている若いお父さんの身なりがとてもよくなっています。それぞれによく似合うものを着ていて、なかなか感じがいいです。平日だと、来ているスーツの印象から、この人は商社か、金融関係かなとか、きっとメーカーの営業さんだな、あるいは、建設会社みたいなどと、見当がつくのですが、日曜日はそれぞれの職業はあまり見当がつきません。それより、何か家庭の個性みたいなものがその服装に表れているような気がします。
先週の日曜日は秋葉原で開催された文学フリマのために、今週の土曜日はつくばエクスプレスに乗るために秋葉原にでました。こんなに毎週、秋葉原にでるようになるなんて思っても見ないことでした。
伊勢丹
2006年11月16日(木)
伊勢丹で最初にカルバン・クラインの麻のスーツを買ったのはまだ大学生の時で、これは今考えるといささか老けた感じの買い物でした。もっともその頃は、老けた感じというと地味と同義語で、20代後半から30代の女性の服といえば、家庭の主婦向きという感じでしたから、麻のスーツなんて珍しかったのです。で、今、これを書いていて、カルバン・クラインのコートって買ったことないなあと気付きました。
なぜか突然、赤が着たい!という気になったのは、母が亡くなる前の年の11月でした。もっとも、その頃、母は寝たきりの状態で、病院に入院していました。今で言えば介護状態ですが、その時分は介護なんていう言葉もありませんでした。で、介護状態はこれからどくくらい続くのかまったく解らなかったのです。5年かもしれません。10年かもしれません。実際は翌年のお正月過ぎに容態が急変して亡くなったのですが、伊勢丹で赤いセーターを買ったときはもちろん、そんな運命になっているなんて知りませんでした。
カルバン・クラインの赤いセーターは肩の部分が水平に開いているという変わった形でした。病院にいた母をお正月に館山の家に連れ帰りました。片道5時間くらいの道のりを寝台付きの自動車で帰ったのです。久しぶりの館山の家でした。母が使っていた部屋からは洗面所が見えるのですが、その洗面所で赤いセーターを試しに着て鏡に姿を映していると、蒲団の中から 「それ、よく似合うね」 と言ってくれました。その時の声は左半身が麻痺して、発音も不明瞭になった人の声とは思えないほど鮮明でした。お正月を館山の家で過ごして、病院に戻って一週間ほどで、突然、容態が急変したのです。病院から「すぐに来て下さい」という電話をもらったのは、息子の3歳の誕生日を祝うケーキの蝋燭を吹き消している時でした。
木枯らしの歌を思い出したくて……
2006年11月14日(火)
なんか木枯らしの歌があったなあと、考えているのですが、思い出せそうでなかなか思い出せません。
コートの話の続きです。こんな木枯らしが吹き始める季節に新宿のサブナードで臙脂色のコートを一着買いました。気まぐれだったので、後からサンローランのものだと知りました。というか、会計の時にあんまり高いのでぎょっとしたのです。でも、ものすごく気に入っていたので、やや(値段には)諦めの心境で買ってしまいました。臙脂色で、やはり腕のしたあたりの線で切り替えが入っていました。切り替えのしたにはたっぷりのタックがとってありました。背中のタックのとりかたが美しいのと、臙脂色の生地が玉虫で、光の具合で黒く見えたり赤が勝って濃い赤に見えたりしました。袖の肩のところにもいくらかピンタックととってありました。ピンタックでぎろがった袖が袖口のカフスできゅっと締められるという形でした。丈は膝丈。
このコートで感心したのは、袖を通さずに肩にかけているときの広がり方の美しさでした。外国映画を見ていると肩にコートをかけているシーンをみかけますが、なるほど、肩にコートをかけるためにはそれなりの設計がいるのだと納得したものでした。高校生の時から着ていた紺色のハーフコートをお別れをしたのはこの頃だったかもしれません。臙脂色のコートを気まぐれに買った翌年には上の息子が生まれましたから、もう25年も前の話です。
木枯らしが吹きました。
2006年11月13日(月)
日曜日は秋葉原で文学フリマがありました。そして前夜から冷たい雨が降って、木枯らしが吹きました。木枯らしが吹くと厚手のコートの季節です。
つんつるてんの学生コートとあんまり生地がよくなよれよれのトレンチコートのほかにもうひとつ、高校の時に着ていたコートがあります。これぞお気に入りのコートでした。ハーフコートよりもやや丈が眺め(七部丈)の紺色のウールコートでした。最初は裏地にタータンチャックの生地を張ったフードがついていたのですが、うるさいのでフードははずしてしまいました。衿はスタンドカラー。背中は腕の下あたりの線で切り替えが入っていて裾広がりのフレアーになっていました。このコートがことのほか気に入っていました。
最初は制服の上には着ていなかったのですが、終いには制服の上でもこのコートを着るようになりました。大学に入ってからもこのコートを着て通学していました。その頃は西荻に住んでいたのですが、近くに詩人の江代充さんも住んでいて「どうも、そのコートを着ると不思議な雰囲気になるねえ」と言われたことがあります。街をすたすたと歩きながら宙を睨んでいる姿を見かけたのだそうです。
そのあと、しばらくしてからラルフローレンのPコートをやっぱり紺色で着るようになるのですが、Pコートを気に入るきっかけみたいなものはこのハーフコートにあったような気がします。去年、久しぶりにベージュのpコートをやはりラルフローレンで購入しました。紺色のPコートの裏地がぼろぼろに擦り切れてしまってから、もうPコートという年でもないだろうと、そのあとしばらくPコートを着なかったのですが、ふとした気まぐれから色を変えて、着てみたらなかなか着心地が良かったのです。ベージュ色のPコートなんて格好悪いと感じていたのに、それにもかかわらず、気に入ってしまいました。
トレンチコートの集団
2006年11月10日(金)
制服以外はとくに服装の規定がなかった私の高校では秋口になると薄い蝉の羽のようなカーディガンを羽織るのが流行ってました。薄さを競うような感じで、みんな白いカーディガンを着ていました。そして冬になるとトレンチコート。
カーディガンは女子だけですが、トレンチコートのほうは男子も着ていました。2年生の11月の修学旅行でも学生服の上にそれぞれが好みのトレンチコートを着て京都の街を歩いていました。夜の自由時間には新京極の通りでお土産を物色してもよいことになっていました。そういう学校は多いらしく、宵の口の新京極の通りには日本中から集まった中学生や高校生が犇いていました。どの学校も制服の上には何も着ていないのですが、私の学校の男子どもは、トレンチコートの肩をそびやかして歩いていました。そのうちのだんだんと、同じ学校どうしで固まりを作るような歩き方になって、トレンチコートの大集団になってしまいました。ちょっと威圧的でした。
その威圧的な集団を「あれ、あんなに固まって歩いている」と見送ったら、そのあとから先生が追いかけてきました。ややあわてた調子で「うちの連中を見かけなかった?」と聞くので、新京極の通りが下る方向をさして「あっちへ行きましたよ」と教えたら、大急ぎで追いかけて行きました。あとで聞くと「あんなに目立つ格好でかたまってはどこかほかの学校とのこぜりあいになりかねない」と心配したのだそうです。実際、新京極のとおりでは、学校どうしがぶつかった乱闘になるなんていうブッソウなことも時々起きていました。
私が灰色のトレンチコートを買ってもらったのは修学旅行の翌年のことでした。ただ安物で、生地がくたくただったので、あんまり気に入りませんでした。トレンチ特有の張りが足りないというのか、あの新京極の通りで先生を心配させたようなびしっとした感じがなかったのです。
学生コート
2006年11月09日(木)
いったいいつ、女子高校生のスカートはチアガールみたいに短くなってしまったのかという話題を時々、いろんな年代の知人と喋ることがあります。「私の頃は長かった」とか「私のときはもう短かった」などなど。いろいろに思い出しているのですが、不思議なことに長い丈から短い丈に以降した時期を知っている人にはまだ巡り会ったことがありません。謎です。
それにしてもあんなに短い丈のスカートでは「スケバン」なんて出来ませんねというのは共通した意見です。まあ、現役の高校生を知らないので、おばさんたちはそんなことを言っているのですが。で、スカートが短くなったせいか、高校生が着ているコートも丈の短いピーコートが多いようです。もしかするとピーコートが制服として取り入れられるほうが先で、それから短いスカートが流行りだしたのかもしれません。
中学校の時、学校指定の学生コートを買ってもらいました。紺色のステンカラーのコートでした。このコートは形はともかく、生地が安っぽくて好きになれなかったのですが、高校生になっても着ていました。ちょっと意地みたいなものです。高校では制服以外に服装の指定はなくて、トレンチコートが流行ってました。衿が大きくて肩章がついているもので、色は紺、灰色、茶色、カーキ色など様々でした。こういう派手なトレンチコートは生地のよしあしがはっきりわかります。もっと平たく言うなら、値段が出てしまうのです。安いコートを着るくらいなら、中学の時の学生コートでいいやっていうことでつんつるてんの学生コートを着ていました。
小学校はジャンパー
2006年11月05日(日)
会う人ごとに「いつまでも寒くなりませんねえ」と言うのが最近、挨拶の代わりみたいになっています。一の酉が過ぎたというのに、寒さ知らずのお天気です。今日も地下鉄の中であった人が「だって夏の背広着ているんです」って教えてくれました。初夏から夏にかけて着る合着の背広で外出できてしまうこのごろのお天気です。
で、コートの話の続きです。小学生の時、何か記憶に残っているコートってあるかしら?と考えてみたのですが、これと言って記憶に残っているコートがありません。雪の日に家の前で撮影してもらった写真では大きな格子の柄のコートを着ているのですが、このコートの記憶がないのです。千葉県の最南端の館山では、冬でもセーターがあれば充分で、あまりコートを着ることがなかったのでしょう。
横浜から館山に越したのは小学校に入学する年でしたが、男の子が長ズボンを履いているのを、奇異に感じました。もっとも、館山の子には半ズボンというものが奇妙に見えるようです。ずっとあとのことですが、高校のともだちが「東京の子どもが足を出した半ズボンをはいているのが気持ち悪い」と言っていました。我が家では逆で子どもが長ズボンなんて履くものではありませんとばかり、冬でも弟は半ズボンで過ごしていました。東京の子どもの半ズボンを気持ち悪がっていたともだちによれば、草むらの多い田舎では、半ズボンは虫刺されや蛇に噛まれるなどの危険があるそうです。へえぇ、そんなものかしらと、妙に感心しました。気候的には横浜よりはずっと半ズボンに適したいたのに。
コートとは縁が遠のいた小学生時代を終わって、中学生になると、制服の上に着る学校指定の学生コートを買ってもらいました。私はちょっとした意地で、この学生コートを高校生になっても着ていました。
コート 大好き
2006年11月04日(土)
夏の初めに買ったローライズの半ズボンは結局、外出の時に履くことはなかったなと、思いながら鏡の前で履いてみました。そこへ息子がやってきて 「ああ、エッグ・スタンドだ」 うまい!座蒲団2枚なんて、言いたくなるくらいの絶妙のタイミングだったんですが、丸いお腹がつまり玉子ってことでしょ、それって。まったく(ぷんぷん)。
コートはそんなことありません。だからコートが大好き。でも夏の初めにアニエスbで見つけた麻のコートは細身過ぎて入りませんでした。まったく(ぷんぷん)来年は麻のコートを注文で作っちゃおうかな。でもなかなか気に入る生地ってないのです。
いちばん最初に着たコートは弟とお揃いでした。白と赤が霜降りになった毛糸のコートで、フード付き。フードの縁と袖口には黒いウサギの毛が張ってありました。コートを着て撮影した記念写真はカラー写真が出始めたばかりの頃のものですから、今ではもう薄茶色(セピア色)になっています。出始めの頃のカラー写真って色あせしやすかったのです。今年はフードとか襟元にフェイクの毛皮がついたコートが流行るみたいですね。
落ち葉の匂い
2006年11月03日(金)
いつもは寝ぼ助の娘が朝早くに支度をして出かけて行きました。なんでも仙台へ紅葉を見に行くのだそうです。ここのところ、毎年、秋が来るのが遅くなっていますが、11月になるとさすがに寒くなってきます。飯田橋あたりでも、毛糸のマフラーをした人の姿を多く見かけるようになりました。
デパートなどのショーウィンドーを見ていると、けっこうデコラティーブなファッションが流行っているみたいで、網タイツなんかがかなり出回っています。こういうのって流行っているときしか買えないので、今年は余分に買っておこうかしら?25年ほど前にパリに旅行したときも、網タイツが流行していたのですが、東京に戻ってみるとほとんど売ってませんでした。そういうものを東京の女性も身につけるようになったというのか、それとも流行に時差がなくなったというのかどちらなのだろうと足の装飾を眺めています。いや、落ち葉の匂いの話を書こうと思っていたのに、話がそれてしまいました。
網タイツの話にそれてしまったついでに、思い出したことをひとつ。若い女性が網タイツをはいているのを見ると「昔の年上の女の人は意地悪だったねえ」とついつい昔を思い出してしまいます。ちょっと色っぽい服装をしたり、変わった身なりをするとじろりとした目で眺めて皮肉っぽいこ言葉を投げかけてきたりしたものです。ああいう意地悪な感覚って、なんだったのかしら?あんな目で眺められたら、デコラティブなおしゃれなんて出来たものではありません。そういう意地悪がなくなって良かったなあって思います。
そうそう落ち葉の匂いの話。飯田橋から市谷に続く外堀の土手を夜、歩くと桜の落ち葉の匂いがします。春の花の時にはそれほど匂うということがない桜ですが、秋の落ち葉の季節にはほんとうによく匂います。桜餅のあの葉っぱの匂いです。この匂いに包まれると桜餅になった気分(笑)昼間の人通りの多い時にもきっと匂っているのでしょうけれども、夜8時を過ぎて人が少なくなった土手は、闇が甘く匂っています。
緑色のコートに青い裏地を付けたものを注文しました。隠しのポケットを入れてもらって、名前の刺繍も入れてもらいました。もうすぐ出来上がってくるはず。注文服なんて作る人は少なくなってしまいましたが、ポレタ・ポルテよりも、なんとなく出来上がるまでの時間が楽しみです。
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