|
|
|
|
|
|
苦瓜
2011年09月26日(月)
鵜の目、鷹の目と言いますが、ほんとうに鳥はよく見ているものだと関心します。うちのベランダに実っていた苦瓜が鳥に食べられてしまいました。
風船蔓と苦瓜をベランダに植えたのは5月のこと。よく育って茂りました。しかし、台風12号の運んできた潮風には勝てず、茶色く枯れ始めたところで、緑色の苦瓜がなっていることに気付きました。それまで茂った葉に隠れていて、おおきな実がなっていることに気付かなかったのです。苦瓜のほうも、うまく隠れていたというところでしょう。
苦瓜は黄色く熟しました。そして、台風15号がどうやら我が家の近辺を通過。黄色く熟した苦瓜が見事に鳥に食べられているのを発見したのは、台風15号が通過した翌日でした。黄色い皮の中には赤くなった種が。鳥さん、さあ食べて、おいしくなりましたよと言わんばかりの苦瓜でした。でも、鳥って苦瓜を食べても苦くないのかしら。
新幹線遅延
2011年09月25日(日)
9月21日(水曜日)の東京は台風15号の通過のために交通機関が大混乱しました。台風15号は浜松へ上陸。そのあとは陸上を進んだのですが、勢力はさして衰えませんでした。東京付近を通貨したのは、夕刻の帰宅時間で、どこの駅も大勢の乗客で大混乱したそうです。
23日は久しぶりの大阪行き。東京駅の切符の切符売り場は閑散としてました。「今日は静かですねえ」と駅員さんと話をして、乗り込んだのはいつもの20時50分の大阪行き「のぞみ」。この時刻の「のぞみ」に乗ると、大阪には23時20分頃に到着して、日付が変わらないうちにホテルへ入ることができます。いや、できるはずでした。
「のぞみ」が臨時に停車したのは浜松駅。「豊橋駅付近で新幹線と人が接触しました」のアナウンスがありました。1本前を走っていた新幹線が、豊橋駅から3キロ付近で停車しているとのことでした。「警察がまだ現場へ到着していません」のアナウンスもありました。新幹線が人と接触したという以外に詳しいことは判りません。ふっと気付くと、私が乗っていた車両の隣りに、もう一本、新幹線が停車していました。これは、けっこう時間がかかるかもしれないと、予感しました。
先駆車両の車体の検査は済んでいますが、警察の現場検証が続いています。そういうアナウンスがあって1時間半ほどは何もアナウンスはなし。通路では車掌を捕まえて事情を聞く人も出てきました。外を見ていると、浜松駅へ、さらに3本目の新幹線が入ってきました。これがけっこうなスピードで、一瞬、追い抜かれるのかと思えるほどでした。いささか「むっ」としたのですが、この3本目の新幹線も減速して停車。深夜の浜松駅に3両の新幹線が並らびました。23時を過ぎていました。
それからも何度か「警察の許可を待ってます」というアナウンス。新幹線と人が接触したというアナウンスの段階で「ああ、人身事故かな」と思っていたのですが、なんだか奇妙です。東京の電車で「人身事故」と言えばたいてい飛び込み自殺を意味しているのですが、「人と接触」という表現は聞いたことがありません。
あとで判ったことですが、豊橋駅の防犯カメラに線路へ降りる男の人の姿が映っていたとのことでした。どうやら、走行中の新幹線に接触した人は、性別の判断もつきかねるほどの状態になってしまったようです。ニュースには類推的な書き方がされていました。 警察の検証が長引いたのは、ひょっとすると新幹線の線路内へ何か危険物でも持ち込まれたというような疑いもあったからなのかもしれません。
2時間19分ほど遅れた新幹線がようやく動き出しました。豊橋駅は徐行して通過。駅を過ぎてもしばらくはゆっくりと進んでいました。名古屋駅に到着したのは午前1時。すでに在来線は運行していませんから、名古屋駅には休憩用の車両が用意されているとのことでした。名古屋から意外なほどたくさんのお客さんが乗り込んできました。名古屋からは各駅停車になるとのことで、岐阜羽島、前原、京都と停車しました。大阪駅到着は午前2時前。大阪駅にも休憩用の車両が用意されていました。「朝5時まで御休憩いただけます」のアナウンス。5時になれば各方面への始発が動き出すのでしょう。
改札口は大混雑。「特急料金の払い戻しがされます。改札付近の係員から、遅延証明をお受け取り下さい」と繰り返しアナウンスされていますが、改札付近には、それらしい係員の姿は見当たりません。あるのは自動改札だけ。うっかり自動改札に切符を入れて、切符がそのまま機械の中へおさまっては困ると思ったのは私だけではないようです。おかげで改札を滞った人でごった返していました。で、通りがかった駅員に事情を聞いた人がいて、自動改札へ切符を入れると「遅延払い戻し」の印字がされるのがわかりました。そうなら、そうと言ってくれればいいのになあと、ぼやく人も。果たして自動改札へ切符を入れて、ちゃんと切符が出てくるのかしらと、少し疑いながら切符を入れたところ、出てきたのが冒頭の写真の切符です。赤い字で遅延の印字がされていました。
四万温泉
2011年09月20日(火)
群馬県は温泉の宝庫です。草津温泉、伊香保温泉と回ったので、四万温泉へもおまけで足を伸ばしてみました。台風12号の影響が出てないか、それもちょっと気になっていました。伊香保温泉が山の斜面に開けた温泉なら、四万温泉は谷あいの温泉です。
渋川あたりでは茶色い濁流だった川の流れも四万温泉まで山あいに入ると、清冽な水がごうごうと流れていました。四万温泉といえば積善館のお風呂が有名です。ガイドブックを見ると積善館の湯殿の写真が出ています。積善館は古い旅館ですが、男湯も女湯も同じように作ってあります。このごろでは、時間によって男湯と女湯を交代させる旅館も珍しくありませんが、私が大学生であっちこっちをうろうろしていた頃は、圧倒的に豪華な男湯に、つけたしみたいな女湯と言う温泉が多かったのです。考えてみると、こんなに山深いところに立派な湯殿を備えた旅館があるのも不思議なことです。
伊香保温泉にも草津温泉にも温泉療法を研究したベルツ博士の名前が残っています。けれども、私はベルツ博士のことをよく知りません。軽井沢は保養地として開けるまえは追分と呼ばれていたというのは、室生犀星の随筆で読んだ記憶があります。保養地の軽井沢と伊香保、草津のベルツ博士はなにか関係があるのかしら? それと四万温泉の積善館のモダンな湯殿は、なにか関係があるのかしら? そんな疑問がちょっと頭に浮かびました。
台風12号のもたらした雨はここでもすごいものだった様子で、積善館のお湯をくみ上げるポンプがいかれてしまったそうです。それでお風呂はお湯を抜かれてました。なんでもなければ。日帰り温泉としてお風呂にだけ入るということも可能だそうです。ちょうど積善館に泊まっていたお客さんが 「すっごい雨でしたよ。雨音がすごかった」 と話してくれました。お湯が抜いてあったので湯殿を見学させてもらうことができました。
さて、また台風です。沖縄でうろうろして、そのまま西へ抜けてしまうはずだった台風15号が関東に近づいてきています。
伊香保温泉
2011年09月19日(月)
草津温泉から2日おいて、今度は伊香保温泉へ。快晴。すてきに良いお天気。もちろん関越は全線問題なく通行できました。で、伊香保まで2時間。草津への8時間はいったい何だったのだろうと呆気にとられる速さでした。こういう便利さになれているから、ちょっと台風が来ると、大慌てしてしまうのですけど。
伊香保は山の斜面に温泉宿が並ぶ温泉街です。中心部の石段街は、少しずつ改修工事が進んでいるところでした。共同温泉の石段の湯は以前の場所から、県道よりへ移動していました。大型観光バスの入れそうな駐車場もふえていました。射的屋があるのは昔どうり。でもお土産屋さんは、おしゃれな店になっているところも。石段街を登って伊香保神社を通り過ぎ、元湯の露天風呂に入ってきました。記憶していたよりも小さい露天風呂でした。このごろ、自分の記憶はたいへん怪しいです。露天風呂では、ツーリングの途中のライダーの姿もありました。
台風12号では利根川もどうどうとにごった水が流れていましたから、渋川駅から程近い落合簗はどうなったことやら、と気になっていました。ホテルから簗に電話を入れてもらうと、営業中とのこと。簗は補強してあったので、流されずに済んだとのこと。で、簗に出かけました。お腹に子がいっぱい入った落ち鮎の塩焼きを食べてきました。利根川の向こうに榛名山を見ながら、初ノンアルコールビール。ビールというよりも麦ジュースでした。甘いし。でも、運転をすることを考えると、なんとなく心理的不安が。「騙されているんじゃないだろうなあ」と疑り深くなってしまいます。
伊香保温泉のホテル前に朝取りの野菜を売りに来ていた農家のおばさんと少しおしゃべりをしました。台風でりんごの実がこすれて傷だらけになったこと。今年は天候不順で野菜の出来がおかしいとのこと。そのほか諸々。おしゃべりをしているうちに、たくさんおまけをしてもらいました。丸なすと梅干を買ったら、胡瓜、みょうが、りんご、生姜をおまけしてくれました。丸なすは実がしっかりしていたおいしいなすでした、
草津温泉
2011年09月16日(金)
草津温泉の入り口に、路面に特殊な舗装を施して車で40キロ走行すると「草津良いとこ、一度はお出で」のメロディーが聞こえるという道路があります。この舗装は群馬県内の温泉入り口などには、それぞれの土地にちなんだ曲の舗装がされているそうです。
草津に行った日は、南の海上を台風12号がのろのろと進んでいました。紀伊半島に甚大な被害をもたらしたあの台風です。関東でも群馬県の山沿いは大雨。おかげで関越は本庄児玉から渋川伊香保までが通行止め。旧中山道の国道17号は大渋滞。で、草津まで車で8時間もかかってしまいました。ようやく草津に入ったと、くたくたの耳の響いてきたのが、道路の舗装の奏でる「草津良いとこ〜、一度はおいで〜」の響き。まるで地の底から響く悪霊の声のように聞こえました。いまいましいこと限りなし。
台風はのろのろで、翌日も四国を自転車なみ、どうかすると歩く速度で進みました。良かったことと言えば、ふだんは観光客で大混雑する草津の湯畑をゆっくり見物できたことでした。おおきな源泉がぽっかりと口をあけているという眺めはやはり壮観でした。
硫黄を採取する木の樋。黄色い粉の硫黄を買って帰ったこともありました。草津のお湯は、強いお湯で、金属の装身具がたちまち黒くなってしまうこともあります。
お湯が落ちるところに石が緑色になっているのも印象的な眺めでした。伊香保あたりまでは山の湯という感じがしますが、標高1600メートルの草津は山さえ突き抜けた感じです。
伊勢うどん
2011年09月12日(月)
おうどんのしたに、甘辛いたれが入っている伊勢うどんを久しぶりに食べました。鳥羽、伊勢、名古屋、草津、伊香保と回った合宿旅行。隠れたテーマは「うどん」だったかもしれません。
伊勢神宮のおはらい通りで、伊勢うどん。鳥羽でも伊勢うどん。名古屋へ出てきしめん。きしめんは関東風に言えばひもかわうどんです。草津で鍋焼きうどん。伊香保では水沢うどん。こんなにうどんばかり食べるのも珍しい。どちらかと言えば蕎麦喰いで、お昼はお蕎麦と言うこともよくあります。東京では滅多にうどんを食べません。時折、鍋焼きうどんを食べるくらい。これが大阪になると逆になって駅そばのきざみうどんを食べるのが楽しみ。なんと言っても大阪のうどんはお汁がおいしいのです。
でも伊勢うどんにお汁はありません。あるのはたれ。たれを白いうどんにまぶすようにして食べます。感触としては、甘辛団子のおうどんバージョン。最初はちょっとびっくりしました。おうどんと言えば、お汁を楽しむものとばかり思っていましたので、あれ?あれ?あれ?でした。今度は2回目。これは、これはちょっといいかなあと、伊勢うどんを食べました。
名古屋のきしめん。お正月に味噌煮込みを食べてたいへんに美味しかった。私の育った家はお祖父さんが名古屋から出てきた人だったので、きしめんの乾麺を、親戚からお土産にもらいました。ひもかわという言い方ときしめんという言い方の両方を使っていました。今度は冷やしきしめんを食べました。でもせっかく名古屋にいたのだからやっぱり味噌煮込みを食べればよかったかなあと少々後悔。ひどく暑い日でなければ、迷わず味噌煮込みを選んでいたと思います。
草津の鍋焼きうどん。台風12号がのろのろと四国に近づいていたのです。標高1600メートルの草津の町は雨。寒いくらいでした。こんな時はやっぱり暖ったかな鍋焼きうどん。草津だったらお蕎麦を食べようという気になってもよさそうなものなのに。なぜか鍋焼きうどんが食べたくなりました。
伊香保で水沢うどん。うどん、蕎麦、ラーメンなどがあるお店に入ったのですが、突然、大勢さんのお客さんに入ってこられたお店のほうが猛烈に水沢うどんをプッシュ。ご主人一人でてんでん勝手に注文されたら、対応不可能というわけです。で、水沢うどん。これがすこぶるおいしいうどんでした。腰の強いうどん。それから摺り降ろしたゴマの入ったお汁。汁をつけて食べる冷やしうどん。ゴマの入った付け汁がさっぱりとしておいしいうどんでした。店主が「うどんになさいよ」と猛烈プッシュするだけのことはありました。
御塩殿神社
2011年09月10日(土)
夫婦岩がある二見ヶ浦には何度も行っています。伊勢神宮に参拝する人が旅装をといて禊をするのが二見ヶ浦だったそうです。ということは、今度の旅行でゼミ生の皆さんに説明するために知りました。子どもの頃はあのカエルがいっぱいいるところは「なんなのだろう?」と不思議に思っていました。子どもの頃に住んでいた家の池のそばに二見ヶ浦のお土産のカエルが座っていましたから。で、みつけましたHP管理人豆蔵君そっくりのかえる。二見ヶ浦興玉神社の入り口にいたカエル君。しかし、どっかにでかけるとなんとなく豆蔵君そっくりのなにかがいるってのは、もしかして豆蔵君はなにかの神様のお使いなのかな。ちなみにカエルは猿田彦命のおつかいなのだそうです。
伊勢神宮の御塩殿神社が近いことも、今度初めてしりました。地元の人は、たんに「御塩殿」と呼んでいるそうです。御塩殿神社は伊勢神宮のお塩を作っている塩田があります。お天気も良かったので、御塩殿神社に回ってみることにしました。野や山、それに浜には、なぜかとっても清浄感にあふれる場所があります。陽の光のさしかた、風の通りかた、植物の育ち方などが、とても心地よい場所です。子どもの頃は野山や浜で遊んでいて、そういう場所を見つけては、そこを「秘密の場所」にしていましたが、神社もそういう「秘密の場所」っぽいとことにあることが多いです。御塩殿神社もやはり、自然の清浄感のある場所にありました。
清浄と清潔ってちょっと違う感じがします。清潔ってのは、がんがん消毒しても得られるけど、清浄ってのはそもそも消毒薬さえ拒否しちゃうようなところがある。そんなふうに思うことがあります。
お社の入り口で椿の木がたくさん丸い実をつけていました。茂った樹木のつくる陰が心地よい参道を通って簡素なお社の前へでました。製塩のための小屋はこのお社を海岸のほうへ回りこんだ松林の中にひっそりと立っていました。どこか、この近くに塩田もあるはずですが、見つけることはできませんでした。塩田で、濃度を濃くした塩水を、釜で煮詰めて塩を作るのです。伊勢神宮の製塩は年に2度行われると私が読んだ本には書かれていました。そもそも伊勢神宮がこの地に鎮座するようになったのは、海の幸、山の幸に恵まれた土地だったからだそうです。
御塩殿神社を見て、それから海岸を二見興玉神社まで歩きました。入り口で向かえてくれたのが、例の豆蔵君似のカエルですが、陶器のカエル、あの懐かしい我が家の池のふちにいたカエルがいなくなっていました。以前はおびただしいほどあちらこちらに置かれていたのですけど。なにかカエルを片付ける季節とか行事があるのでしょうか?それともこのごろはカエルの置物を奉納するという習慣がなくなってしまったのでしょうか? 目立ったのは写真のコンクリートのカエルだけでした。 近鉄鳥羽駅で岩やの塩羊羹というお土産を見つけました。塩羊羹は江ノ島のお土産にもあるのですが、岩やの塩羊羹のすきっりとした塩味がすっかり気に言ってしまいました。もちろん羊羹ですから、甘いのですが、塩味がその甘さと良い塩梅に調和していて、ああ、また食べたいという気になっています。御塩殿神社に行ったせいかもしれません。
鳥羽伊勢名古屋・草津・伊香保
2011年09月09日(金)
鳥羽、伊勢、名古屋それから草津、伊香保と旅行が続きました。
鳥羽に出かけたのは5歳のときでしたから、実に45年ぶりでした。水中翼船に乗ったのをぼんやりと覚えている程度。タクシーの運転手さんに聞くと「昭和40年代が観光の黄金期だったねえ」というお話でした。千葉で暮らしているという運転手さんの娘さんも、震災後しばらくはお孫さんと一緒に鳥羽へ避難してきていたとのこと。今年は震災後、観光客もめっきり少なくなったようです。宿泊したのは鳥羽の駅から山を越えた相差という町。山超えの道に白い百合がたくさん咲いてました。
百合といえば初夏と思っていたので、不思議に感じて調べてみたら外来種のタカサゴユリと日本のテッポウユリの交雑種のシンテッポウユリらしいとわかりました。鳥羽に2泊して二見ヶ浦、伊勢神宮と回り、帰りは名古屋によりました。二見ヶ浦では、伊勢神宮のお塩を作っている御塩殿神社にも行ってきました。地元では「御塩殿」と呼んでいるとのこと。御塩殿神社から二見ヶ浦の夫婦岩まで、海岸を歩きました。すばらしいお天気。が、この時はもう、紀伊半島に大打撃を与える台風12号が南の海の上に発生していました。
草津は台風12号が四国に上陸するかしないかという日に出かけて行きました。群馬県の山沿いでは記録的な豪雨が降っていて、関越自動車道は本庄児玉から渋川伊香保までが通行止め。国道17号は大渋滞。さらに山越えをして長野原に出て、草津にたどり着くまでに8時間もかかりました。四国に上陸するはずの台風は、時速10キロののろのろ状態。上陸してからも速度は上がらなかったのは皆さんご承知のとおりです。草津の宿に到着した晩は、落雷もあり、一時、非常用の電気を使いました。翌日も時折叩きつけるような雨でしたが、湯畑だけはゆっくり見物してきました。
草津から伊香保へ。台風が通り過ぎて、山はすっかり秋の気配でした。日陰も涼しく、夕方になれば肌寒いくらい。ホテルの前へ朝取りの野菜を売りにきていた農家のおばさんに聞くと、台風の風で、収穫直前の林檎が枝にこすれて傷だらけになってしまったそうです。
伊香保の石段街は、再整備の途中らしく、自動車用の道路に面して広場が出来ていました。石段もすっかり新しくした様子。共同浴場の石段の湯は、以前よりも少し自動車道に近い場所に新築されていました。
|
|
|
|
|
|
|
|
|