気持ちの良い日
2005年09月30日(金)
さらりとした空気でお天気も良く、暑くもなければ寒くもない。こんな気持ちの良い日が2日も3日も続くのは一年のうちでそう何日もありません。
以倉紘平「夜学生」(編集工房ノア刊)をさる人からお借りして読んでいます。大阪の国語の先生をしていた著者のエッセイです。この本は新聞広告を見たときから読みたいと思っていました。かつての夜間高校の生徒たちへのオマージュ。90年代に入ってからの教員としての戸惑い。読んでいると触発されて思い出すことがたくさんあります。
少し飛躍した感想ですが「貧しい時代」に育った親が「豊かな時代」に生きなければならない子どもを育てるのはたいへんなことだなあと思わずため息が出ました。自分の稼いだお金を工面して少しでも学ぼうとしたかつての夜学生には、同情と共感を示す著者ですが、学校を落ちこぼれて夜学に回ってくる生徒とはうまく付き合えないのです。世の中がすっかり変わってしまったという感想からは「豊かさ」に傷ついている魂に対する想像力は生まれてこないのです。それも無理のないことと言え、著者が詩人でもあって、「なぜ詩が生まれないのか」と疑問を呈しています。たぶん、現代の詩は「豊かさ」に傷つく魂が歌い出すものなのでしょう。しかし、そこは著者の理解の範囲ではありません。
それにしても良いお天気です。
料亭好きです。
2005年09月29日(木)
昨日の杉村太蔵発言のコラムを書いていて、なんだか料亭が気の毒になってきちゃいました。それでなくても高級フランス料理とか超贅沢イタリア料理屋なんかにおされぎみの料亭です。日本酒の消費量が減少して蔵元さんが困っているなんて話も耳にしますが、料亭がもうちょっとはやると、日本酒ももう少し飲まれのでしょう。
贅沢というか、率直に言えば高いから、そんなに頻繁にはいけませんけどね。空間の使い方から言えばお座敷の料亭は西洋料理の高価なレストランよりも贅沢だし、食べるものは和食だから軽い感じで、ゆっくりおしゃべりしながらお料理を食べるのは、やっぱり楽しいです。
国会議員にならなくても、行けますよ。料亭は。華美なホテルや空輸の食品だらけのレストランに行くことを考えたら、料亭のほうが安いかもしれません。いや、ボーナスはたくだけの度胸があればなんとかなりますから。高級ホテルのレストランなんかボーナスはたいたなあって感じの若い女性がいっぱいいるのに、なんで料亭にはいないのかな?いや、料亭ってお客さんをはちあわせさせないようにしているから(その辺が秘密っぽい)ボーナスはたいたお嬢さんたちもいるのかもしれません。
新橋演舞場の金田中にはお芝居を見てお昼を金田中でというバスのパック・ツァーのお客さんが入っているのも見かけますから。
自民党は過保護だぞ!
2005年09月28日(水)
昨日、杉村太蔵議員がした謝罪会見をお昼のテレビ番組でみました。ううん、自民党は過保護だし、それに私の感覚だとわざわざ党本部で誤れなくちゃならないようことを言ったとは思わないんですけどねえ。
で、そのお昼のニュースで森田健作と八代英太が出てともに杉村太蔵を弁護。なんだか、結果として杉村議員への対応で、自民党の古い体質が透けて見える感じがしてしまいました。「料亭にいける」といった杉村議員より政治家=料亭というイメージを作ったこれまでの政治家の行動を反省したほうがいいんじゃないでしょうか?
国会議員としての品位に欠けているなんて言ったらチーズのかけらを持って「すしくらいとってくれてもいいじゃないか」なんてぼやいていた森前首相だって、ものすごく品位に欠けているじゃないですか。ま、あれはとってもおもしろく拝見しましたが。自民党は森喜郎にも党本部で「前総理大臣としての品位に欠けてました」なんて謝罪会見をさせるつもりかしら?
ま、事故を起こすといけないからBMWは止めておいたほうがいいかもしれませんが、「BMW買いたい」というサラリーマンの気持ちがわかる議員がいるのはいいことなのではないでしょうか?歳費がたくさんもらえるってそりゃあ、驚くのは当たり前ではないでしょうか?よく考えると当たり前のことしか言っていないので、わざわざ謝罪会見開くなんて、自民党の「謝罪」が安っぽくなっちゃうのではありませんか。
スマートな豆蔵さん現る
2005年09月26日(月)
久しぶりにこのホームページの管理人の豆蔵さんが現れました。ほんとうは豆蔵師匠と呼びたいのだけれど「それだけはごかんべんを」というまんじゅう怖いみたいな申し入れがご本人からありました。
房総半島沖を台風が通過して、すっかり涼しくなった夕刻に現れた豆蔵さんはなぜかスマート。5キロ体重が減ったのだそうです。 「へええ、夏痩せ?」 「いや、まあ、そんなところで、へへへ」
さて最後の「へへへ」という笑いは何を意味しているのでしょうか?それにしても5キロってのはこんなにスマートにすっきり見えるものなのでしょうか?
天高く馬肥える秋なんて言っていないで、私も少しやせたいなあ。
仙台朝市のきのこ
2005年09月25日(日)
仙台駅前の朝市には秋になるときのこばかりを扱う八百屋さんがでます。9月なかばではまだ山のきのこが出回るには早い時期でした。市に出ていたのは、韓国産のまつたけと塩漬けのきのこでした。きのこの塩漬けは東京周辺ではあまりお目にかかりません。赤いきのこも茶色いきのこも両方買ってみました。生臭いフレッシュなきのこよりも塩漬けがすきという人がいるかもしれません。塩抜きは水につけるだけ。急ぐ時は少量の食塩を入れたお湯で煮出すと良いとお店のおばさんに教えてもらいました。
思いがけずエリート教育
2005年09月23日(金)
衆議院選挙で当選した杉浦泰蔵議員が話題になっています。26歳。自分で「平リーマン」って言ってました。ネットではあいかわらず賛否両論ですが、好意的な見方をしている人もけっこういます。それから「なってしまったものは仕方がないからがんばれ」式のやや消極的?な応援もみかけます。
テレビの受け答えを見ているとなんとなくおもしろい人だなあと思います。それから、杉浦議員を取材している若い記者が嬉々として表情をしています。おもしろがっているだけではなくて、心楽しいという表情です。きっと人をひきつける魅力があるのでしょう。
思いがけずというか、はからずもというか、なんと言ったらいいのかわかりませんが、これから国会議員として勉強をすることになるのですが、これってすごいエリート教育ではないでしょうか?杉浦議員一人に現職国会議員があれこれと、教育して行くわけですから。学校教育のエリート教育とはわけが違います。そう考えるとどんな議員になって行くのか楽しみになります。
世の中にはおもしい運命を持った生まれてくる人がいるもんだなあと思いました。
ここほれわんわん
2005年09月21日(水)
今朝、息子と雑談をしていました。選挙の話になってライブドアの堀江貴文は「ここほれわんわんの犬みたい」という発言。犬が「ここほれわんわん」とほえるとそこにはお金(小判)が埋まっているのですが、それをもらうのはお爺さんで、決して犬ではありません。犬の好きそうな骨とか肉とか、ましてやドッグフードが出てくるのではないのです。なんだか解ったような解らないような話ですが、昨年のプロ野球騒動といい、ライブドアとフジテレビの対決といい、今度の選挙といい、なんだかホリエモンは「ここほれわんわん」という感じが言いえて妙でした。
今度の選挙で目立った人といえば小池ゆり子環境大臣がいます。選挙後はさっそく次のポストが取りざたされています。民主党は前原誠二を代表に選びました。小池ゆり子も日本新党出身なら、前原誠二も日本新党出身。この二人がもし自民党と民主党のトップとして選挙戦を戦うことになったら、日本新党というのは短命な政党でしたが、それなりにすごい政党だったのだなあということになります。これもなんだか「ここほれわんわん」です。
選挙後の街で聞いた話。「これで日本も変わってゆきますねえ」というのはタクシーの運転手さん。金曜日の夜のお客さんが少し増えたとのことでした。「ミニインフレが来る」というのは会社をリタイアしたおじいさんたちの雑談。もうちょっと早くにインフレがくれば不良債権の処理が楽だったのに、なんで年金生活に入ってからこんな結果がでるんだというため息まじり。「中曽根の息子は恨まれてるね」というのはあっちこっちで聞きました。中曽根参議院議員は今回の選挙では改選にはなっていないのですが、解散の引き金を引いた張本人と見られているようです。
このしたやみ
2005年09月20日(火)
毎年、日大のゼミ生の皆さんとは館山セミナー・ハウスに出かけて行くのですが、そのたびに「このしたやみ」が話題になります。
月夜の散歩でなにが一番怖かったか?と質問すると樹木が生い茂って道に覆いかぶさっていたところの暗さという答えが返ってきました。このしたやみです。
樹木もこの世を生きている生き物ですから、それが作り出す闇は単純に暗いというだけでなしに、エネルギーがこもっています。闇の中をとおりぬける時には、木霊の気配がするのでしょうか?
私がいちばん怖かったのは、大きな御別荘の勝手口の木戸が内側に向かって外れているのを見つけたときでした。「すわ!賊が入ったか!」なんて思ってしまったのですが、「南総里見八犬伝」や山岡荘八の「徳川家康 」の読みすぎでしょうか。ここのところ、長い小説をこつこつ読んでます。
青い海とあおい月夜
2005年09月19日(月)
「月がとっても青いから遠回りしてかえろかな」という歌をよく父が歌ってました。音痴だったんですけどね。この歌をカラオケで歌う人を知らないのですが、父は自転車をこぎながら歌ってました。
昨夜も、その前の晩の良い月夜でした。西の空にはまだ夕映えが残っているうちに、東の山の端から、明るい月が昇ってきました。月明かりのしたの散歩を日大のゼミの諸君と試みました。照らされると身体まで青く透き通るような感じがする月明かりというものをぜひ体験してもらいたかったのです。こんなことはお天気しだいなので、計画してできるものではありません。
赤々と東の空に昇った月は、オリオン座が少し顔を出すような深夜になるとしんと冴えた色に変わって輝いていました。畑が青く光るような月明かりでした。
翌日は館山セミナー・ハウスのある西岬海岸で、バーベキュー・パーティ。一日中、凪ぎて青い海を眺めていました。夕方には潮も満ちて、みんな、こんがり、バーベキュー状態。たぶん、お家に帰ってお風呂でぴりぴりする肌に悲鳴を上げている人もいるでしょう。
青い月夜と青い海の二日間でした。月明かりの写真を掲載したいのですが、あの感じは私のカメラではとうてい作映不可能です。
秋になりました。
2005年09月16日(金)
昨日の暑さとはうって変わって、東京は秋になりました。最高気温は26度くらい。昨日まで30度を越える暑さとはくらべものにならないくらい風が心地よくなりました。
新橋の高速道路のガードの下にあるモツ焼き屋さんが、道に並べているテーブルで、ともだちとちょっと一杯。のつもりが、とんでもない時間になんてことにならないように、勤め帰りのお客さんで込み合いだしたことを潮時にして、おみこしを上げました。と、これを書きながら、言葉って土地(空間)に住んでいる生き物なのかなあって思いました。なぜって、「おみこしをあげう」とか「潮時」とか、近頃、あまり使わなくて忘れがちになっていた言葉が、自然に浮かんできたからです。これも涼しくなったおかげかもしれません。
牡蠣の養殖場
2005年09月15日(木)
松島の駅前にある食堂には大きな牡蠣の殻が山積みにされてました。写真はどことなくブドウ畑を連想させる牡蠣の養殖場です。宮城県は生牡蠣の生産では日本一。駅前の食堂では大きな牡蠣を焼いて食べさせているとのことでした。寒くなったら牡蠣がおいしくなるでしょう。
松島や、ああ松島や
2005年09月14日(水)
宮城の松島に始めて行って来ました。「松島はわらうがごとく、象潟はうらむがごとし」と「奥の細道」にはありますが、荒々しいはずの太平洋に、ぽっかりとのどかな多島海がひらけているところがすてきでした。
沖には水深2メートルほどの瀬もあり、春の大潮の時には潮干狩りをする人もあるのだそうです。小さな島に黒鯛を釣る人の姿がありました。観光船の船長さんが「この辺じゃあ、悪いことをすると島流しにしちゃうんです」と冗談を言うと、船内がわっと沸きました。
牡蠣の養殖も盛んに行われています。海中に支柱を立てての牡蠣の養殖場はなんだかフランスやドイツの垣根造りのぶどう畑を見ているようでした。来年は「うらむがごとし」の象潟に行ってみようかなという気になりました。
自民党大勝
2005年09月12日(月)
選挙は自民党大勝でした。投票率も67パーセント前後まで上がっていたようです。
ところで、自民党が壊れだすのはこれからではないかと私は思っています。旧社会党が解体したのは、はやり選挙で歴史的大勝利を収めたあとでした。
首相は来年9月の任期いっぱいで退陣すると昨夜も言明していました。この約束を破れば急速に支持を失うでしょう。しかし、小泉首相が退陣したあと300人近い議員の率いる党首はそう簡単に出るものではありません。負けた民主党ばかりか、自民党もこれまでと同じやり方と取りまとめて行けなっていくでしょう。
この選挙は、小渕政権の時から始まったバブル期以降の整理解体が郵政民営化でひと段落することを意味していると思います。軍人も凡人ももうこの世の人でなく、ただ変人だけが残って、この仕事にケリをつけたということでしょうか。
選挙です。
2005年09月11日(日)
選挙というのは、午前中に雨が降って午後から晴れると投票率が上がるのだそうです。今日は、我が家の周辺は午前中はかんかん照り、午後になって一天にわかに掻き曇り、ぴゅうぴゅうと風が吹き、ものすごい雨が短時間に降りました。それから涼しくなりました。こういう天気って、どうなんでしょうか?
選挙管理委員会の発表だと、不在者投票は800万人。2時現在の投票率は39パーセントを超えているそうです。前回が59パーセントくらいだったので、このぶんで行くと60パーセントを超えるのは間違いないですし、久しぶりに70パーセントの可能性も出てきました。投票率の低い都市部では終了間際の駆け込み投票もけっこうありますから。
それでどうなるんだ?昨日、ニュース番組を見ていたら、「自分の周辺ではそんなに騒いでいない。マスコミが騒いでいるだけ」とコメントしていた映画評論家の女性がいましたが、街頭演説に集まる人の数とか、家の子どもたちの話を聞いていると今回はマスコミが騒いでいるだけでもなさそうです。
個人的な性質だと思うのですが、現実からあまりにずれた言葉を聞くと妙に腹立たしくなる癖があって、昨日は何某政党からの投票依頼の電話の応対で、危うく怒り出しそうになってました。でも、今日は選挙で駆けずり回った人たちは、投票箱の蓋が開くまでは家で寝ているんでしょうね。起き上がる元気もなくしてるんじゃないかと思います。家の周りを回っていたウグイスさんなんて、昨日は舌を噛むじゃないかってくらいの早口で、声はウグイスどころかガチョウみたいに枯れてました。
\(^○^)/300回突破
2005年09月10日(土)
「豆の葉」もいつのまにか300回突破しました。というわけで明日は選挙。今日はどの候補も、ぶったおれるまで走り回るということになるでしょう。
おソースのプール
2005年09月09日(金)
大阪の八尾、京都、名古屋と歩いてきました。大阪の梅田阪急駅の地下街で、串揚げを食べました。立ち飲み屋さんなのですが、なぜかオバール型の入れ物がテーブルの中央にあり、中には真っ黒な液体が。壁には「ソースの二度付けはご遠慮願います」の張り紙が。
カレーライスを入れるような深めの鉢に入っているのはソースだったのです。その隣りはラーメンのどんぶりに入った生キャベツ。このキャベツは食べ放題でした。 ははん、これがうわさに聞いたソースのプールかとまじまじ眺めてしまいました。串揚げは一本100円から200円。お店の人が親切にこまごまと注文ととってくれます。で、「アスパラとじゃが芋と烏賊それにたまねぎ」と注文してからあたりを見回すと、串揚げで一杯やっているのはおじさんばかりでした。
で、問題のオバール型の入れ物に入ったソースですが、これが見た目ほど辛くはありません。ウスターソースですが、あっさりとしているくらいの薄味でした。おじさんたちの寄り道の串揚げ屋さんでした。
雲、雲、雲
2005年09月08日(木)
九州にさんざん雨を降らせたあとのちぎれ雲です。ちぎれてはいますが、ひとつひとつの塊は触ったら硬そうなくらい。この雲間から光が射すとものすごく明るいのでした。台風がやって来た軌跡を考えるとこの雲はずいぶん遠くのほうからはるばると、しかも自転車なみの速度で旅をしてきたのだなと、妙に感心。今頃はオホーツク海でこの雲のなれの果がアシカやトドと遊んでいるかもしれません。
風の音と皆さんのたより
2005年09月07日(水)
ごうっと吹く風の音で目を覚ましました。新聞の朝刊には「鈍足台風」の文字。来た来た。台風が来ました。日本海側を進んでいるせいか、空にはもくもくとした灰色の分厚い雲がちぎれちぎれに飛んでいます。雲間から、さっと差し込む光は異様なくらいに明るくてまぶしいくらい。
こんな日に豆蔵さんは山形行きの列車に乗っているはずで、台風めがけてまっしぐらという形です。豆蔵さん、気をつけてね。
スタッフ・ルームにはカルフォルニアにおすまいのやまんばさんがお見えです。日本では台風カトリーナの被害が報道されていますが、なぜかカルフォルニアでは果樹が枯れているとのこと。夏の間は雨が降らないのは例年のことで、特別、旱魃ではないそうです。果樹が枯れている理由は謎です。ガソリンは一日に10セントも値上がりをする日があるって話で、車がないと生活できないアメリカではかなり厳しい状況みたいです。
そうそう、スタッフ・ルームに遊びにくるやさぐれさんは広島でホテルに缶詰になっていたみたいです。昨晩は広島も大嵐でたいへんだったでしょう。
銀座の地下の映画館で
2005年09月06日(火)
銀座の地下の映画館で「星になった少年」を見てきました。でも、昨日はまるで放水車100台で一斉放水したような雨を経験しているので、地下はちょっとなあといささか躊躇。そのせいか観客は10人くらい。
で、その10人も不思議な人たちで、黒いワンピースを着た二人組みの若い女性と、男性4人女性3人のグループで、こちらもなかなかおしゃれな服装をしてました。グループのほうは最初、高校生かな?と思っていたのですが「おまえそれじゃ、高校生だよ」なんて会話が聞こえてきて、どうやら大学生らしいことが判明。
それにしても文部省推薦みたいなすごく健全な映画を男女7人で、映画館の真ん中の席で鑑賞というのも、なにやら不思議な光景でした。
幸い、映画を見ている間は雨は降りませんでした。え?映画はどうだったかって?柳楽優弥の映画ではなくて、そのお母さん役の常盤貴子の映画でした。ともかく常葉貴子をすごくきれいに撮ってました。タイトルが「象使いの母」だったら、もっと見る人が増えたかもしれません。
ホーム・アローン
2005年09月05日(月)
ともかくものすごい雨でした。振り出したのは7時過ぎで、雨音で気付いたのです。続いて9時過ぎにばきっという猛烈な音。爆発音みたいな大きな音でしたが、なんの前触れもない雷でした。それからぴかぴかごろごろ。雨脚のさらに激しくなって、裏の白子川は今にもあふれ出しそうなくらいに水かさをまし、川面には白い波がさかまいていました。
こんな晩にお家に一人。停電でもしたらこころ細いので蝋燭を出して、なぜか家の中をうろうろ。それから出かけている子どもたちにメールを打ちました。あとネットで雨雲の位置を知らべてみると細長い雲のようで、降ってないところは全然、降っていないようです。情報としてはネットよりもラジオのほうが詳しくて早い様子でした。うちの近くでも30人ほどの人が浸水した住宅にとりこのされたようで、消防自動車が吹っ飛んで出動して行く前にNHKの第一放送がその情報を流してました。ああ、おうちにひとりは怖いよお(><;)
なんだか地球にできた魚の目みたいな台風が近づいています。豆蔵さんのおうちは浸水しませんでしたか?
すいている昼間の首都高
2005年09月04日(日)
すいている昼間の首都高を走りました。日曜日で、もう夏休みも終わったので、もしかしたら、首都高はすいているんじゃないかという甘い期待で進入してみたのですが。こういう期待はたいてい後悔でお終いのなるはずなのに、今日は首都高はすいていました。
明るい時間にすいすい走れる首都高なんて。怖いです。もちろん夜はもっと危険なのは承知なのですが、頭でそうわかっていても視界の開けている昼間のほうがずっと怖い感じがしました。運転がもっとうまかったら快適と感じたかもしれませんが、羽田線に入ってとたんに前方も後方も一台の車もいない時間がしばらく続き、これくらいスピードの出しすぎをやるんじゃないかと怖かったことはありません。
混んでいるのに慣れすぎているのでしょうか?
ヘルメットと懐中電灯
2005年09月03日(土)
「こりゃ、いきなり地理学科のゼミだあ」 「いや、地学科だろう」 ヘルメットと懐中電灯をお借りして防空壕に入ったとたんにそんな会話が交わされてました。ひんやりとした空気が肌に気持ちいいくらいの温度です。
台風11号の影響でかなり湿っぽく、洞内にはうっすらと霧が出ていました。懐中電灯で壁を照らすと、そこには見事な地層が走ってました。サンドベーシュにグレー、微妙な色合いの地層が30度ほど傾いていました。このあたりは関東大震災の時にはかなり隆起したそうですが、地層の傾きはそれ以前の大きな大地の運動によるものでしょう。いったいどうしたらこんなに見事に地層が傾くのだろうという傾きでした。
赤山はもし海の中にあったらおまんじゅうみたいな形の島になっていただろうという山です。ほかの山とは繋がっていません。山全体が鶴嘴を使った手掘りで巨大な防空壕になっています。写真は防空壕の略図ですが、実際はもっと込み入った通路がたくさんあります。黄色い部分が一般に公開されているところです。
市営の50メートルプールは館山市内に最初にできた競技用プールですが、そのプールと比較すると防空壕全体の大きさがわかります。
赤山防空壕探検
2005年09月02日(金)
館山市には自衛隊の館山基地がありますが、もとは日本軍の航空隊基地がありました。1945年8月15日の終戦のあと、最初の米軍が上陸したのが、9月2日で館山だったそうです。上陸部隊の中には若き日のノーマン・メイラーもいたそうです。
戦争末期の本土決戦に備えて作られた赤山防空壕が公開されています。法政のゼミの諸君と覗いてきました。赤山は館山航空隊のすぐ裏の小高い山です。防空壕の中は温度が一定なので、一時はキノコ栽培に使われていたということです。
今日から始業式、それにしては暑い
2005年09月01日(木)
今日から始業式って学校も多いですね。しかしそれにしては暑いです。ふるさととか故郷という言い方がありますが、「学校に通った町」という意味の言葉が何かありませんでしょうか?
日本中、いや世界中に「学校に通った町」を持っている人はたくさんいるだろうし、昔のふるさとと同じように「学校に通って町」に特別の思いを抱いている人も多いでしょう。なのにそれを簡単にいう言葉がないというのはなんだか不自由な気がします。 横浜市金沢区生まれで、小学校、中学校、高校を館山で過ごした私にとって館山は「学校に通った町」です。もう30年も前なんて信じられないです。JRの駅前はすっかりさびれてシャッター通りになってますが、町は北側に広がって、安房一万石といわれた平野全体に住宅地や商店街が出来ています。
久しぶりに安房高校のそばをとおりました。周囲には槙を2メートルくらいの高さに刈り込んだ生垣のある家があります。槙の生垣は昔と変わらずに今でもあおあおとしていました。こんなみごとな生垣はほかの土地では見たことがありません。
新聞で十字屋館山店の閉鎖を親会社のダイエーが決めたという記事をみつけました。私の母は十字屋館山店の呉服部の仕立ての仕事をしていました。もともと十字屋のあったところは、大きな旅館でした。小学校へ通う途中で旅館の玄関を覗くと避暑のお客さんが寛いでいました。今もあったら泊まってみたいような木造建築の旅館が館山市内には幾つもありました。小学校の同級生にも旅館の子がいました。どこも無くっています。
それにしてもこの暑さの中に始業式はたいへんです。
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