フラソワーズ・サガンと森村桂
2004年09月28日(火)
今朝の新聞に森村桂さんの訃報が載っていました。自殺?らしいのですが。
庄司薫とか森村桂とか、あるいは鈴木いずみとか、そういう作家の仕事の延長線上に村上春樹や山田詠美、吉本ばなながいるような気がします。そういう文学史を組み立ててみるのもおもしろいでしょう。
数日前の新聞にはフラソワーズ・サガンの訃報がありました。最初に来日した時に「週刊女性セブン」で対談をしました。すごい皺の深い顔に驚いたのを覚えています。深い皺の刻まれた皮膚は、濃密なと言いたいくらい細かい毛の覆われていました。産毛のようなその毛はライテングの具合でぼんやりと金色に輝いて見えるときもありました。幾らか赤みがかった白い肌が金色の毛で覆われ、そして深く皺が刻まれていたのです。そのときのサガンは50歳くらいだった勘定になります。皺は深いけれども柔らかく、表情の変化とともにゆるやかな曲線を描いて風紋のように変化するのでした。通訳の入る対話をそっちのけにして、よほどまじまじと皺を見詰めていたみたいで、今でも目にくっきりと浮かびます。
対談をした時のことを新潮社「波」に書いたのですが、今まで書いたエッセイの中でも一番書きにくいエッセイでした。なぜって顔の皺ばかり目の前に浮かぶのだけれども、そのことは書かなかったから。豆しぼりの手拭をねじってスカーフのかわりに首に巻いていました。フランス人だからサマになるけれど、日本人だったら笑っちゃうようなファッションでした。
フラソワーズ・サガンとかコレットなどのフランスの女性の小説家がいなかったら、私は小説を書こうと思わなかったかもしれません。小説に対するいちばん甘い願望はフランスの女性作家によって触発されたのかもしれません。
久しぶりにフィリップ・ロスの小説「ヒューマンスティン」を読んでいます。アメリカの田舎町の大学が舞台なので、懐かしいような本の名前や哲学者の名前が出てきます。とくにフランス人の女性の教授の周辺には、懐かしい名前がごろごろしています。
私の少し上の作家、例えば中上健次などはフォークナーを読んでいましたし、その上になるとヘミングウェイを読んでいました。フィリップ・ロスやそれに南米のガルシア・マルケスが日本に紹介されたのは、私が大学に入る頃でした。
ただ懐かしいのではなく、何か歴史の流れの中で見晴らしの良い場所に出てきているなあという感じがしています。
それにしても今年はいやに「自殺」の文字が目につきます。今日はお月見。旧暦8月15日の十五夜です。
スクープ(特ダネ)はスクープ(幽霊)?
2004年09月23日(木)
北朝鮮北部で大爆発があったというのは、発電所を作るための発破作業だったということで落ち着いたようです。まったく疑問がないわけではないのですが、そういうことになったので、空騒ぎでした。
北京発の情報と思ったのは私個人の思い込みでした。どこでそんな思い込みができたのか、記録を残しているわけではないでの見当がつきません。これも思い込みは怖いのひとつでしょう。
今朝のネットでは読売が北朝鮮がノドンミサイルの発射準備に入ったと報じています。自衛隊が発射に備えて配備され、日本政府もそういう情報があることを認めてみます。これもスクープはスクープで終わってくれると良いのですが・・・。何か今までと違うことが北朝鮮国内で起きているのでしょうか?いまのところ(23日午前)このニュースは読売しか報じていません。
ひがんばながかれても
2004年09月22日(水)
ひがんばなが枯れても暑い日が続いています。光が丘公園を散歩してきました。萩が花盛り。お彼岸ですね。
昨晩(21日)のジャイアンツ戦の観客が少なかったのや、テレビの野球中継の視聴率が低かったことなどから野球人気の凋落傾向を指摘する記事をネットでいくつか見かけました。実際はパ・リーグの球場には大勢のファンが詰め掛けていたわけですし、注目を集めている対戦カードは巨人・横浜戦ではなかったうえに、多少、巨人に対する反発によるボイコットも含まれていた現象で、必ずしも野球人気の凋落を表してはいないでしょう。
こういう記事はよく世論操作だと言われます。しかし、実際は世論操作でも何でもなくて、たんに記者の現実を把握する力が衰弱している場合もあります。だから「良い」と言うのではなくて、意図的な世論操作よりもよどほタチが悪い場合も多々あるように思えます。
巨人一極集中という強固な固定観念を持って、昨日の巨人戦の視聴率や、球場への入場者数などを見れば前述のような記事も、書いている記者は「ほんとうのこと」を書いていると思い込んでいることもありえます。他の球場への入場者数を調べたり、注目される対戦カードの様子などを見れば考え方や見方が修正されそうなものですが、一度、思い込むとそれがそうは見えないのです。
「そんなばかな」と思われる人もいるかもしれませんが、記事を書く直接の当事者に聞いてみると意外なほどよくあることなのです。現実を見て、情報を把握し、言葉で現実のスケッチをするという作業は、けっこう書き手に負担をかけるもので、かなりエネルギーが必要です。そのエネルギーが枯渇すると、観察に基づく感想を文字にするということができなくなってしまいます。
プロ野球観戦の楽しみ
2004年09月21日(火)
昔、日本ハムに落合がいた頃、誰もいない後楽園で日本ハムの試合を見ていました。観客が少なくてもホームランを打つ落合選手が好きでした。一度だけ試合後にインタビューをしたことがあります。
プロ野球ではありませんが、明治が東大に負けてしまいました。昨日は祝日ですが、明治大学は月曜日の振り替え授業。月曜日は祝日が多いので、振り替えで授業をしないと時間が足りなくなってしまいます。出講して、野球部の学生さんの立ち話をしたのですが、一場が抜けたのはかなり痛いようでした。ここはひとつ気を取り直してがんばって欲しいと思います。いや、外野席の観客としてはそんなことしかいえないのですが、久しぶりに神宮へ行こうかなという気になりました。春は優勝したのですから。
落合はいまや中日監督、ついでに優勝もかかっているし、日本ハムのほうは新庄選手がとんでもない大活躍。新庄はアメリカに行っていい意味でのショーマンシップを持ってきてくれました。
プロ野球はおじいさんやおばあさんと孫がそれぞれの楽しみ方で楽しむのことができるエンターティメントだなあと、スト明けの試合を見て、そういう感想を持ちました。60歳から野球を始めたいという人は少ないでしょうけれども、60歳になったら毎日でも野球を見たいという人も、孫と野球をみたいという人も 大勢いることでしょう。
プロ野球のストライキの議論を聞いていると野球を衰退産業と見ているとようですが、そもそもそれがおかしいのではないでしょうか。産業の中には役割を終えて縮小に向かう産業も実際あります。かつての石炭産業がそうでした。銀行は大型公共投資への融資からほかの産業への融資にビジネスモデルをかえることをここ10年要求されてきました。そうした衰退産業の整理の発想の延長でパ・リーグの経営が取りざたされているように見えます。それで、良質な観客という大事な財産まで失うようなばかげたことをしているのではないでしょうか?
日本の政府は海外からの観光客の誘致ということを言い始めています。観光は名所旧跡景勝を訪ねるだけでなくて、スポーツ観戦も含まれます。パ・リーグもほんもののパシフィック(環太平洋)リーグといえるような築き上げることができれば、いっそう、おじいさん、おばあさんと孫が一緒に楽しめるでしょう。
確かに野球は国民的スポーツではなくなってしまいました。しかし、だからといってもう観客動員はできないかと言えば、そうではありません。観客は国境の向こうにいるということに目を向けてもいいのではないでしょうか?物を輸出することも大事ですが、人に来てもらうという仕事もあります。ネットでホテルの予約もできれば試合のチケットも購入できるのですから、それは不可能ではありません。
プロ野球の経営責任(番外)
2004年09月20日(月)
ゆうべからずうっと考えていたんだけど以下のような罵倒しか浮かびませんでした。
プロ野球球団の経営責任を無視して、教団側がストライキをした選手会に損害賠償を求めるならば、それはたとえて言えば以下のようになります。
打率0でかつ、たびたびエラーをかさねた選手が試合中に負傷したことを理由に年俸の上積みを要求するようなものです。ばか。
法律のほうがもしそんなに経営者側に有利にできているならば、法律のほうを変えればよろしい。頭の悪いやつにもすっきりと解る法律を作ったらよえろしい。いや番外でした。
プロ野球球団の経営責任
2004年09月20日(月)
こだわってしまいますが、プロ野球のストライキでなんだかヘンだなと思っていたのは、球団の経営責任について誰も何も言わないことです。そもそもパリーグが赤字で規模を縮小しようとしたことからこのストライキが始まっています。
で、もし球団経営が赤字であるとすれば、その責任は選手にあるのではなくて経営者にあるのです。選手は毎年の契約更新の時に試合の成績を問われています。それは選手の仕事が野球をすることだからです。経営者は球団の財政を黒字にするか、もしくはとんとんに採算がとれるようにするか、最低でも赤字の幅を小さくするのが仕事です。もし、それがうまく行かなければ、シーズン中の成績が悪かった選手と同じように責任を問われるべきです。
経営者はその仕事がうまくいかなかったからこそ縮小を考えたのです。確かに縮小もひとつの方法ではあります。が、その時、経営者は経営責任を問われるべきです。その経営者側が、まだストライキが決行される前から経営者側は損害賠償を求めると言っていました。損害賠償を求めると言うのでは経営者側はまったくの被害者になってしまい、そもそもの経営責任を放棄したにも等しいことになります。
リーグの縮小は経営事項であって、労働基準法で正当なストライキの権利を認められた雇用問題ではないからというのが、損害賠償を求める根拠になっています。それは、選手に対しての経営責任を負っている球団の経営の失敗はまったく無視した考えかたと言わなければなりません。こんな理屈が通るなら、プロ野球だけの問題ではなくなってしまいます。うまく言えませんが、資本主義の社会の根幹を揺るがすようなルール無視をそこに感じます。もし、縮小よりも他に方法がないとしても、それを納得させるだけの説明と情報の開示が必要になります。そうした経営者側の責任を果たさずに、交渉の最中に損害賠償という言葉が出てくるのは誠実な対応とは言えません。
損害賠償という言葉が出てくるのは、球団経営者は金を出す側、選手は金を出してもらう側という発想に縛られているという感じがするのです。しかしほんとうにプロ野球にお金を出しているのは、観客です。もしそれがスポンサーによる提供であったとしても、観客はスポンサーの商品を買うとか、電車に乗るという形でお金を出しているのです。そこで、経営者は球団の黒字経営をする努力をするのがお金を出してくれた人に対する仕事であり、選手はおもしろい試合を見せるのが仕事なのです。
ストライキをした選手はファンサービスをし、ファンにストライキへの理解を求めました。しかし、球団経営者側はテレビや新聞が伝える限り、ストライキという結果を招いてしまったことを詫びる態度は示していません。あの読売新聞でさえ、球団経営者側がそうした態度を示したことを報道していないのですから、たぶん、そんな態度は示していないのでしょう。ストライキは本来、経営者の責任を問うものなのです。そのような視点が欠落した報道が多いので、なんだかもやもやしていたのです。
昨日のサンデープロジェクトで野村克也氏が「今まで何もしてこなかった漬けが回った」と言っていましたが、それは経営責任のことを具体的には指し示しているのだと思います。
法律上の解釈以前に経営の失敗を無視して選手会側に損害賠償を求めるようなことを球団がするとすればこんなモラルハザードな話はほかにないと思います。
プロ野球ストライキ
2004年09月19日(日)
特別な野球ファンでもないくせに、プロ野球のストライキには自分でもおかしいと思うくらい興味を持っています。そして古田がんばれという心境になっています。
昨日、パック・イン・ジャーナルでストライキについて話ましたが、それで、この問題に興味を持った理由が少しわかるような気がしました。
プロ野球は新聞やテレビという20世紀のマスコミとともに歩んできたプロスポーツです。ネット時代に入って新聞やテレビは、これからの行き方に悩んでいます。それとプロ野球のリーグ再編問題がダブって見えているのです。
話の方向が少し変わりますが、ネット時代に入って、よく良質のコンテンツが求められているという話を聞きます。スポーツは音楽と並んで言葉の壁が低い分野です。ですからオリンピックなども成り立つわけです。スポーツというコンテンツはグローバルな性質を持つネットには向いている分野です。
野球に限って考えれば日本のプロ野球はすでに70年の歴史を持ったいるわけで、これをネット時代の良質なコンテンツにする工夫をすれば、日本の重要な産業のひとつに育てることもできるでしょう。現在の経営者側の言い分はパ・リーグの赤字をどう解消するかという発想ですが、そこにネット時代のコンテンツを育てるという発想はみじんもありません。現在の観客をよろこばせようとするサービス精神さえ感じられないのですから当然ですが。
スポーツ選手はお金をかければ数年で優秀な選手を育てることはできます。かつての共産圏がオリンピックで金メダルをたくさん獲ったことでもそれは証明されています。しかし、しんにスポーツを愛する良い観客はそう簡単には育てられないのです。良質な観客は質の高い試合を生み出し、名場面を作る証言者になって行きます。ですから、良質な観客がいるということが、ネットの良質なコンテンツを生み出す条件になってくるのです。単純に勝ったからうれしい、負けたから悔しいでは、それほどの詳細情報を必要とはしません。試合の多様な楽しみ方を知っている観客こそが詳細情報を欲しいと思うのです。
試合の見方を知っていてマナーを守り、愉快な観戦をする観客を育てるのはむずかしいなあと思ったのは先日の中国でのサッカーのアジアカップの時もそうでした。観客は意図的に育てるわけには行かないのです。自然に育ってくるのをしんぼう強く待つしかないのです。
そういう優れた観客を持っているのは、日本が70年かかって築き上げてきた財産でしょう。日本のように経済成長をしてしまった国が、次に育成すべき産業はソフト産業だと言われています。プロスポーツはまさにソフト産業であって、そこを大事にして欲しいのです。何事にも一日の長(ちょう)というものがありますが、近代工業社会の高度成長をすでに経験してしまった日本の一日の長の一端は、プロスポーツの優れた観客がいるというてんにあると思います。
選手会の思いはプロ野球を衰退させたくないというところにあります。それを情緒的感情的だという批判もあるのは承知しています。しかし、芸術やソフト産業それに興行の世界は情緒や感情にうったえて、利益を上げているわけです。ですから、私の目には選手会のほうが経営感覚があるように見えるのです。もちろん、選手には経営の技術はないかもしれません。経営の技術で選手を支えるのが興行の世界の経営者なのではないでしょうか。
唸ってしまいました。
2004年09月16日(木)
今朝の新聞はどこも佐世保の小学生の同級生殺害事件の保護処分決定について報じています。私は東京新聞のコメントを出したこともあってこの事件に興味を持っていました。
加害児童の特徴について家裁は三つの特徴を指摘したと朝日新聞1面は報じています。 1、対人的なことに注意が向きづらい 2、物事を断片的に捉える 3、抽象的なものを言語化することが不器用
うなってしまったのは、大学生に文学作品を読ませた時の特徴が全部出ている点です。ですから被害者の父親の御手洗さんが、一線を越える子とそうでない子の境はどこにあるのかと戸惑うのも当然だと言えます。これに加えて愉快な感情は表現できても、怒りや寂しさ悲しさなどの不愉快感情が表現できないということも付け加えられているのですが、これも、大学生に文学作品を読ませたときの特徴のひとつです。
事柄の重い軽いを別にすれば、現代の大学生に文学作品を読ませた時の特徴が出ている指摘が家裁から出されたということは、それだけ今までの精神障害を発見しようとするだけの鑑定よりも、より実際に近い結果を裁判所も出してきたと言えるでしょう。
文学作品はなにか人生の問題を解決するためのものではなくて、喜怒哀楽すべてを鑑賞に耐えるものとして表現しようという意図を持って製作されています。 作者がその意図をどれだけ明快に持っているかどうかはまた別問題ですが。ともかく鑑賞に堪えるものとして表現しようとする努力だけはどんな作品にも施されています。
鑑賞するだけで、あとはどうなるのだ言うような人には文学作品を鑑賞する資質がないということになります。逆に鑑賞に堪えないというのは作品に対する最大の侮辱になるわけです。学文学作品を鑑賞する資質に欠けているのに、「鑑賞に堪えない」という批評用語だけを覚えて振り回されると、これはもう手に負えないのです。 こちらは、殺人事件ではなくてせいぜい学校の評価をどうつけるかというようなことですから、まあ、「ああ困った」と唸っているより仕方がないし、教師が唸っているうちにどんどん鑑賞の能力を磨いてしまうので大学生です。でも時々、頭がおかしくなりそうという気分になることも事実です。
プロ野球中継
2004年09月15日(水)
プロ野球のリーグ再編問題がいろいろと言われていますが、ある時期から夕暮れの飲み屋や食堂で野球中継の音を聞かなくなりました。いったいいつ頃からでしょう?
今のダイエーの王監督が巨人軍を引退する時にニュースは西荻の「ダンテ」という喫茶店で、誰かが読んでいたタブロイド誌で知りました。「ダンテ」の向かいに「初音」というラーメン屋さんがあって、そこではラジオの野球中継が流れていました。「ダンテ」を出て「初音」に行くとお客さんたちが王選手の話をしていたのをよく覚えています。
よく覚えていると言えば、長島選手が巨人軍を引退する時のことも記憶に鮮明です。まだ中学生でしたが、中間テストが終わって、写生会に出かけていました。館山港で船舶を写生しながら、ずっとラジオで野球の試合を聞いていました。「巨人軍は不滅です」という挨拶を長島がしたのはこのときでした。お天気の良い秋の日でした。
水道橋の会社に勤めて、明治大学の2部に通っていた頃には、後楽園スタジアムはドームではなかったので、球場のライトが点等すると、「あ、これは一限に間に合わないなあ」と思ったものでした。野球ファンではないのですが、そんなふうにあっちこっちに野球をその中継が記憶の背景として残っています。まるで昔の写真の背景に写りこんでいる景色のように。
写真は嫌いだあ
2004年09月13日(月)
自分の写真をみると嫌だなあと思うことがしばしば。身体の小さい人と写るのが嫌い。だって、こっちがううんと大きく見えちゃうんだもの。
子どもの時は同じ歳の子どもと比べてううんと小さかったので、自分では今での小さいと思い込んでいるところがあります。でも写真をみると「デカイ」というギャップに耐えられ無い。だから写真はキ・ラ・イです。でも撮って欲しいし、だからと言って小さくなるのは嫌だし。
最近ますますドラえもん化しているし(顔とお腹が大きくなる現象)ああ、写真は嫌いだ。
北朝鮮と中国
2004年09月12日(日)
お昼のHNKニュースで北朝鮮北部で大きな爆発があったとことが報じられました。韓国のメディアが北京からの情報として伝えたようです。爆発があったのは9日のことで、この日は北朝鮮の建国記念日でした。
最初は核実験が疑われていましたが、これはアメリカ、韓国、ロシアなどの政府によって否定されています。核実験であれば放射能などの影響が出ますから、たぶん、核実験ではないでしょう。次に取りざたされたのは反政府活動があったのではないかという推測です。こちらのほうはまだ否定も肯定もされていません。龍川の列車爆発事故の3倍の規模ということで、軍用車両の爆発事故や軍需工場もしくは武器庫の事故ではないかとも言われています。
朝鮮日報の日本語サイトが掲げていた両江道キンヒョンジク郡付近の写真では現場は山岳地帯です。中国国境からは20キロないし30キロほどのところです。このあたりには軍関係の施設や基地が多く、韓国側からは攻撃しにくい地域とされたいたそうです。
とろこで12日には平壌で金正日総書記が中国の李長春政治局常務委員と会談しています。龍川の列車事故の時もニュースは北京から流れてきました。事故現場は中朝国境から30キロほどでした。龍川の列車事故は金正日総書記が北京を訪問した帰りでした。あの時は私は直感的に中国の関与を感じたのですが、今度も符号しているような気がします。もっとも爆発になんらかのかたちで中国が関与していたとしてもそれが明るみに出ることはないでしょう。
建物の運命
2004年09月11日(土)
昨日、書いた不思議な運命の建物の話の続きです。今は葬儀用のセレモニーホールになっているある建物は、7、8年も借り手がなかった挙句に、銀行の差し押さえられたということでした。その建物はT字路の突き当たりにあります。
T字路はかなり大きな道で、信号が無ければ交通にも不便が出る場所です。駅からは近いのですが、T字路の突き当たりでは信号の関係で、建物の前に車を止めたりはできません。ここはもともと和風の個人住宅が建てられていたそうです。そのもそれほど古い建物ではなかったようで、個人住宅が取り壊された時には、その家を建てた大工さんが涙を流して見詰めていたという話でした。
木造の個人住宅をわざわざ取り壊して、一階を貸し店舗、二階を貸し事務所に、3階に住居を作るという鉄筋コンクリートのビルを建てたところ、7、8年も借り手は一人も現れず、とうとう銀行に不良債権の担保物権として処理されることになったようです。その間の銀行は利子をとっていたのでしょう。それにしてもなぜそんな立地の悪いところに銀行はお金を貸したのかと不思議になる話です。
日本じゅうのあっちこっちでそんな運命の建物を多くの人が目にしているのだろうと思います。建物には人の運命も付随しているわけですから、ため息のでる話でした。葬儀用のセレモニーホールはそんな立地の悪いところでもやって行けるというのも、なんだか複雑な心境を呼びます。こういうのをバブルの遺跡というのでしょうか?
夜はこれから
2004年09月10日(金)
漸く、暑さが通り過ぎようとしています。秋は夜が楽しい季節です。
3年ぶりくらいに自分の部屋を大々的に片付けてます。片付けというよりも発掘作業です。2002年にインドを訪問した時に松浦理英子さんにとってもらった写真が出てきました。デリー郊外の中世の遺跡です。インドの作家に「インドでは若い人はどこでデートをするのか」と尋ねたら「遺跡で」という答えが帰ってきて笑ったことがありました。男女関係に厳しい社会なので、二人で静かに過ごすには遺跡くらいしか場所がないということでした。
その遺跡ですが、デリーの南側の郊外には中世以来の遺跡が幾つもジャングルに埋もれています。日本だと同じ土地の地下に遺跡が埋まっているのですが、インドでは、遺跡は南から北へ街が北進した様子がそのまま地表のジャングルの中に残っています。私はカメラを持たないので、松浦理英子さんに写真をとってもらいました。河原弘通さんにいただいた赤いハスの写真の隣にインドの遺跡の写真をピンで留めました。
話は変わって、葬儀用のホールというのが最近、街に増えました。これは、あっちこっちで金融機関が潰れたり、不良債権の補填のために売られたビルで葬儀用のホールになってところが多いことを知りました。その中には不思議な運命の建物もあることを話に聞きました。インドの遺跡と葬儀用のホールがどうるながるのか解りませんけど、なんだか、ひとつながりになりそうな気がしている宵の口です。
まだ風が吹いている
2004年09月08日(水)
台風が通りすぎて、まだもまだ風が吹いています。それにかなり暑くなりました。
9月の暑さというのは、これでもか、これでもかとお日様に我慢比べをされているようなところがあります。
さて、この風が止んだらベランダの植木鉢に水をやることにします。台風の風のすごいところはそれが潮風だということです。海から巻き上げた塩分を台風は内陸の町まで運んで来てしまいます。植木鉢の植物もその潮で茶色く変色してしまいますから、水で洗い流すのです。
それにしても今度の台風の風は長時間です。せっかく芽吹いた薔薇の芽がこれでダメになってしまうかもしれません。
火山、地震に津波それから台風
2004年09月06日(月)
昨夜の紀伊半島の二度目の地震では、気象庁がこれまでにない経験としてやや困惑していたことが新聞に出ています。
最初の地震ですが、私の家では7時のNHKニュースを見ていました。テレビ画面に地震があったことを告げる速報が出るほうが先で、それからゆっくりと建物が揺れだしました。電波で情報が伝わる早さのほうが、地面を伝わってくる振動よりも早いのはあたりまえかもいしれません。しかし地震情報のあとを追いかけるような、ゆっくりした揺れに、あらためて地面というものも生きて動いているのだなあと感じさせられました。地球のプレートというのはこんなものだよとからかわれているような最初の地震でした。
二度目の地震は最初の地震よりの小さな揺れがしばらく続きそれから大きな横揺れに変わりました。おおきな横揺れに変わるまでの時間が最初の地震より長かったようです。身体で感じる揺れの程度は最初と同じくらいでした。居間に行ってテレビを見るとNHKのアナウサーは最初の地震の時よりもあきらかに緊張していました。
浅間山が爆発したのは先週ですが、今週はこれから大型の台風の襲来も予想されているところに地震で気象庁はさぞかし大忙しだろうと思います。幸い、浅間山の噴火も地震もさしたる被害はでませんでしたが、日本列島の災害の見本市をやられているような感じです。まさか地球が防災訓練に協力しているなんてことはないでしょうが。
白いシャツ
2004年09月05日(日)
季節のかわりめ。夏から秋へと、冬から春への時期には白いシャツを着るのがとても気持ちがいい時期があります。台風が近づいていて、ちょっと空気が湿っぽいのですが、今頃になると白いシャツが着たくなります。
先日、聞いたファンファーレ・チォカリーアのおじさんたちのシャツは真っ白というわけではなくて、何度も洗濯をしたくすんだ白でしたが、身体によく馴染んでいて、いいなあと思いました。
海辺の漁師町では夏場は、白いステテコにしろい前開きのシャツそれにパナマ帽というのでお出かけスタイルでしたが、あれとフェンファーレ・チォカリーアのおじさんたちのシャツはそっくりです。気分としてはね。でもステテコと前開きシャツにパナマ帽で私が町を歩こうとは思わないなあ。
今度の台風は18号と19号がアベックで来るみたいですね。先日、「アベック」と言ったら、「ああ、なんて古い表現なんだ」と呆れられてしまいましたが、なぜか台風は「アベック」じゃないと感じがでません。まちがっても「カップル」なんて言えないし、「ペア」もなんだか今ひとつヘン。ともあれ、夏の終わり、白いシャツの季節です。台風があんまりひどい被害をもたらしませんように。
香りの来訪者
2004年09月03日(金)
夜はさすがに涼しくなりました。8階の家でも騒がしく鳴く虫の声が窓を開けているとよく聞こえてきます。クーラーよりも自然の風は身体に優しいので、くつろげます。昨晩も夕食の時は外の風を家に入れていました。
すると、甘い香りが風にのってやって来ました。パイプ煙草の香りです。きっと隣のご主人がベランダでパイプを楽しんでいるのでしょう。香りのおすそ分けです。チョコレートフレーバーでした。
ちょうど、こちらも食後ののんびりした時で、香りの来訪者は大歓迎でした。外の風をひとりで楽しみたくなるような夏の終わりの晩でした。
最近は受動喫煙なんて言葉もあって、喫煙者は形見が狭く、ベランダでしか煙草がすえない蛍族なんて言葉もあります。もし、隣家が強固な非喫煙者だったらベランダでの喫煙も苦情の対象になるでしょう。ほんとうお隣さんとの関係は難しい。遠くの何の関係もない人と喧嘩をするなんていう人はいないのですから、隣こそむずかしいのは当たり前でしょう。
ロシアとは北方領土問題、中国とは尖閣所要問題、韓国とは竹島問題、太平洋を挟んだアメリカとな日本国内の基地問題。こんなふうにならべてみると島国の日本もなかなか国境を接している国とは、解決の難しい事柄を抱えているものですなと、なぜか、パイプの煙に誘われて途方もないことを考えていました。
アメリカの国力
2004年09月02日(木)
アメリカ大統領選挙が近づいてきました。そのニュースを見ていたふっと思ったのですが、アメリカの国力は弱まりを見せているのではないでしょうか。
そう感じたのは強いアメリカが極端に強調されているからです。この点では共和党も民主党もあまりかわりありません。人も国も弱くなっている時ほど強さを強調したがるものなのだと思います。
原油価格の高騰が伝えられていますが、それに加えてテロに備えての厳戒態勢、イラク戦争にかかる出費と数え上げて行けば、どこれもこれも生産性が乏しいのにお金のかかることばかりが続いているのではないでしょうか?
アメリカは強いという思い込みは日本にもありますし、アメリカの国力が弱まっているのではないかなどというと観念的な反米感情からそう言っているように聞こえるかもしれません。各種のニュース画面を見ていてそう感じただけです。
異常潮位
2004年09月01日(水)
昨年、沖縄に行った時に沖縄タイムスの記者から聞いた話ですが、沖縄ではここのところ毎年、異常潮位に悩まされているそうです。海の潮が高くなって、海辺の村が浸水する異常潮位です。県知事選挙でも異常潮位対策が話題になったといいます。
南太平洋の島が水没の危機にあるという話を伝え聞いたのはもう10年も前です。異常潮位は北上する傾向にあり、沖縄の次は、昨年、広島の宮島が潮位の高まりのために浸水していました。今度の高松で、台風の接近と満潮時間が重なったために高潮が起きたのは異常潮位の北進とは無関係なのでしょうか?
そう言えば京都議定書はどうなってしまったのかなと思いました。アメリカが批准しないままになっていたのではないでしょうか?今の外務大臣が就任した時にアメリカの批准に向けて努力をしていたのをかすかに覚えていますが、その後はイラク戦争で、すっかり影が薄くなってしまいました。
日本は島国です。地球温暖化というのは、異常潮位などももたらすのですから、京都議定書はかなり切実な課題であるはずなのですが。
時間さえあれば沖縄や広島の宮島の異常潮位というものを見てみたいなあと思っています。海がじわじわと陸に上がってくる光景は、きっとあまり怖くはないのだろうと想像しています。潮の満ち引きですから時間さえ過ぎればまた引いて行きます。そのあまり怖くない光景がじわりじわりと広がった時に、人間の力では対抗できないとような大きな力になって行くのではないでしょうか。
プロ野球観戦の楽しみ
2004年09月21日(火)
昔、日本ハムに落合がいた頃、誰もいない後楽園で日本ハムの試合を見ていました。観客が少なくてもホームランを打つ落合選手が好きでした。一度だけ試合後にインタビューをしたことがあります。
プロ野球ではありませんが、明治が東大に負けてしまいました。昨日は祝日ですが、明治大学は月曜日の振り替え授業。月曜日は祝日が多いので、振り替えで授業をしないと時間が足りなくなってしまいます。出講して、野球部の学生さんの立ち話をしたのですが、一場が抜けたのはかなり痛いようでした。ここはひとつ気を取り直してがんばって欲しいと思います。いや、外野席の観客としてはそんなことしかいえないのですが、久しぶりに神宮へ行こうかなという気になりました。春は優勝したのですから。
落合はいまや中日監督、ついでに優勝もかかっているし、日本ハムのほうは新庄選手がとんでもない大活躍。新庄はアメリカに行っていい意味でのショーマンシップを持ってきてくれました。
プロ野球はおじいさんやおばあさんと孫がそれぞれの楽しみ方で楽しむのことができるエンターティメントだなあと、スト明けの試合を見て、そういう感想を持ちました。60歳から野球を始めたいという人は少ないでしょうけれども、60歳になったら毎日でも野球を見たいという人も、孫と野球をみたいという人も 大勢いることでしょう。
プロ野球のストライキの議論を聞いていると野球を衰退産業と見ているとようですが、そもそもそれがおかしいのではないでしょうか。産業の中には役割を終えて縮小に向かう産業も実際あります。かつての石炭産業がそうでした。銀行は大型公共投資への融資からほかの産業への融資にビジネスモデルをかえることをここ10年要求されてきました。そうした衰退産業の整理の発想の延長でパ・リーグの経営が取りざたされているように見えます。それで、良質な観客という大事な財産まで失うようなばかげたことをしているのではないでしょうか?
日本の政府は海外からの観光客の誘致ということを言い始めています。観光は名所旧跡景勝を訪ねるだけでなくて、スポーツ観戦も含まれます。パ・リーグもほんもののパシフィック(環太平洋)リーグといえるような築き上げることができれば、いっそう、おじいさん、おばあさんと孫が一緒に楽しめるでしょう。
確かに野球は国民的スポーツではなくなってしまいました。しかし、だからといってもう観客動員はできないかと言えば、そうではありません。観客は国境の向こうにいるということに目を向けてもいいのではないでしょうか?物を輸出することも大事ですが、人に来てもらうという仕事もあります。ネットでホテルの予約もできれば試合のチケットも購入できるのですから、それは不可能ではありません。
プロ野球の経営責任(番外)
2004年09月20日(月)
ゆうべからずうっと考えていたんだけど以下のような罵倒しか浮かびませんでした。
プロ野球球団の経営責任を無視して、教団側がストライキをした選手会に損害賠償を求めるならば、それはたとえて言えば以下のようになります。
打率0でかつ、たびたびエラーをかさねた選手が試合中に負傷したことを理由に年俸の上積みを要求するようなものです。ばか。
法律のほうがもしそんなに経営者側に有利にできているならば、法律のほうを変えればよろしい。頭の悪いやつにもすっきりと解る法律を作ったらよえろしい。いや番外でした。
プロ野球球団の経営責任
2004年09月20日(月)
こだわってしまいますが、プロ野球のストライキでなんだかヘンだなと思っていたのは、球団の経営責任について誰も何も言わないことです。そもそもパリーグが赤字で規模を縮小しようとしたことからこのストライキが始まっています。
で、もし球団経営が赤字であるとすれば、その責任は選手にあるのではなくて経営者にあるのです。選手は毎年の契約更新の時に試合の成績を問われています。それは選手の仕事が野球をすることだからです。経営者は球団の財政を黒字にするか、もしくはとんとんに採算がとれるようにするか、最低でも赤字の幅を小さくするのが仕事です。もし、それがうまく行かなければ、シーズン中の成績が悪かった選手と同じように責任を問われるべきです。
経営者はその仕事がうまくいかなかったからこそ縮小を考えたのです。確かに縮小もひとつの方法ではあります。が、その時、経営者は経営責任を問われるべきです。その経営者側が、まだストライキが決行される前から経営者側は損害賠償を求めると言っていました。損害賠償を求めると言うのでは経営者側はまったくの被害者になってしまい、そもそもの経営責任を放棄したにも等しいことになります。
リーグの縮小は経営事項であって、労働基準法で正当なストライキの権利を認められた雇用問題ではないからというのが、損害賠償を求める根拠になっています。それは、選手に対しての経営責任を負っている球団の経営の失敗はまったく無視した考えかたと言わなければなりません。こんな理屈が通るなら、プロ野球だけの問題ではなくなってしまいます。うまく言えませんが、資本主義の社会の根幹を揺るがすようなルール無視をそこに感じます。もし、縮小よりも他に方法がないとしても、それを納得させるだけの説明と情報の開示が必要になります。そうした経営者側の責任を果たさずに、交渉の最中に損害賠償という言葉が出てくるのは誠実な対応とは言えません。
損害賠償という言葉が出てくるのは、球団経営者は金を出す側、選手は金を出してもらう側という発想に縛られているという感じがするのです。しかしほんとうにプロ野球にお金を出しているのは、観客です。もしそれがスポンサーによる提供であったとしても、観客はスポンサーの商品を買うとか、電車に乗るという形でお金を出しているのです。そこで、経営者は球団の黒字経営をする努力をするのがお金を出してくれた人に対する仕事であり、選手はおもしろい試合を見せるのが仕事なのです。
ストライキをした選手はファンサービスをし、ファンにストライキへの理解を求めました。しかし、球団経営者側はテレビや新聞が伝える限り、ストライキという結果を招いてしまったことを詫びる態度は示していません。あの読売新聞でさえ、球団経営者側がそうした態度を示したことを報道していないのですから、たぶん、そんな態度は示していないのでしょう。ストライキは本来、経営者の責任を問うものなのです。そのような視点が欠落した報道が多いので、なんだかもやもやしていたのです。
昨日のサンデープロジェクトで野村克也氏が「今まで何もしてこなかった漬けが回った」と言っていましたが、それは経営責任のことを具体的には指し示しているのだと思います。
法律上の解釈以前に経営の失敗を無視して選手会側に損害賠償を求めるようなことを球団がするとすればこんなモラルハザードな話はほかにないと思います。
プロ野球ストライキ
2004年09月19日(日)
特別な野球ファンでもないくせに、プロ野球のストライキには自分でもおかしいと思うくらい興味を持っています。そして古田がんばれという心境になっています。
昨日、パック・イン・ジャーナルでストライキについて話ましたが、それで、この問題に興味を持った理由が少しわかるような気がしました。
プロ野球は新聞やテレビという20世紀のマスコミとともに歩んできたプロスポーツです。ネット時代に入って新聞やテレビは、これからの行き方に悩んでいます。それとプロ野球のリーグ再編問題がダブって見えているのです。
話の方向が少し変わりますが、ネット時代に入って、よく良質のコンテンツが求められているという話を聞きます。スポーツは音楽と並んで言葉の壁が低い分野です。ですからオリンピックなども成り立つわけです。スポーツというコンテンツはグローバルな性質を持つネットには向いている分野です。
野球に限って考えれば日本のプロ野球はすでに70年の歴史を持ったいるわけで、これをネット時代の良質なコンテンツにする工夫をすれば、日本の重要な産業のひとつに育てることもできるでしょう。現在の経営者側の言い分はパ・リーグの赤字をどう解消するかという発想ですが、そこにネット時代のコンテンツを育てるという発想はみじんもありません。現在の観客をよろこばせようとするサービス精神さえ感じられないのですから当然ですが。
スポーツ選手はお金をかければ数年で優秀な選手を育てることはできます。かつての共産圏がオリンピックで金メダルをたくさん獲ったことでもそれは証明されています。しかし、しんにスポーツを愛する良い観客はそう簡単には育てられないのです。良質な観客は質の高い試合を生み出し、名場面を作る証言者になって行きます。ですから、良質な観客がいるということが、ネットの良質なコンテンツを生み出す条件になってくるのです。単純に勝ったからうれしい、負けたから悔しいでは、それほどの詳細情報を必要とはしません。試合の多様な楽しみ方を知っている観客こそが詳細情報を欲しいと思うのです。
試合の見方を知っていてマナーを守り、愉快な観戦をする観客を育てるのはむずかしいなあと思ったのは先日の中国でのサッカーのアジアカップの時もそうでした。観客は意図的に育てるわけには行かないのです。自然に育ってくるのをしんぼう強く待つしかないのです。
そういう優れた観客を持っているのは、日本が70年かかって築き上げてきた財産でしょう。日本のように経済成長をしてしまった国が、次に育成すべき産業はソフト産業だと言われています。プロスポーツはまさにソフト産業であって、そこを大事にして欲しいのです。何事にも一日の長(ちょう)というものがありますが、近代工業社会の高度成長をすでに経験してしまった日本の一日の長の一端は、プロスポーツの優れた観客がいるというてんにあると思います。
選手会の思いはプロ野球を衰退させたくないというところにあります。それを情緒的感情的だという批判もあるのは承知しています。しかし、芸術やソフト産業それに興行の世界は情緒や感情にうったえて、利益を上げているわけです。ですから、私の目には選手会のほうが経営感覚があるように見えるのです。もちろん、選手には経営の技術はないかもしれません。経営の技術で選手を支えるのが興行の世界の経営者なのではないでしょうか。
唸ってしまいました。
2004年09月16日(木)
今朝の新聞はどこも佐世保の小学生の同級生殺害事件の保護処分決定について報じています。私は東京新聞のコメントを出したこともあってこの事件に興味を持っていました。
加害児童の特徴について家裁は三つの特徴を指摘したと朝日新聞1面は報じています。 1、対人的なことに注意が向きづらい 2、物事を断片的に捉える 3、抽象的なものを言語化することが不器用
うなってしまったのは、大学生に文学作品を読ませた時の特徴が全部出ている点です。ですから被害者の父親の御手洗さんが、一線を越える子とそうでない子の境はどこにあるのかと戸惑うのも当然だと言えます。これに加えて愉快な感情は表現できても、怒りや寂しさ悲しさなどの不愉快感情が表現できないということも付け加えられているのですが、これも、大学生に文学作品を読ませたときの特徴のひとつです。
事柄の重い軽いを別にすれば、現代の大学生に文学作品を読ませた時の特徴が出ている指摘が家裁から出されたということは、それだけ今までの精神障害を発見しようとするだけの鑑定よりも、より実際に近い結果を裁判所も出してきたと言えるでしょう。
文学作品はなにか人生の問題を解決するためのものではなくて、喜怒哀楽すべてを鑑賞に耐えるものとして表現しようという意図を持って製作されています。 作者がその意図をどれだけ明快に持っているかどうかはまた別問題ですが。ともかく鑑賞に堪えるものとして表現しようとする努力だけはどんな作品にも施されています。
鑑賞するだけで、あとはどうなるのだ言うような人には文学作品を鑑賞する資質がないということになります。逆に鑑賞に堪えないというのは作品に対する最大の侮辱になるわけです。学文学作品を鑑賞する資質に欠けているのに、「鑑賞に堪えない」という批評用語だけを覚えて振り回されると、これはもう手に負えないのです。 こちらは、殺人事件ではなくてせいぜい学校の評価をどうつけるかというようなことですから、まあ、「ああ困った」と唸っているより仕方がないし、教師が唸っているうちにどんどん鑑賞の能力を磨いてしまうので大学生です。でも時々、頭がおかしくなりそうという気分になることも事実です。
プロ野球中継
2004年09月15日(水)
プロ野球のリーグ再編問題がいろいろと言われていますが、ある時期から夕暮れの飲み屋や食堂で野球中継の音を聞かなくなりました。いったいいつ頃からでしょう?
今のダイエーの王監督が巨人軍を引退する時にニュースは西荻の「ダンテ」という喫茶店で、誰かが読んでいたタブロイド誌で知りました。「ダンテ」の向かいに「初音」というラーメン屋さんがあって、そこではラジオの野球中継が流れていました。「ダンテ」を出て「初音」に行くとお客さんたちが王選手の話をしていたのをよく覚えています。
よく覚えていると言えば、長島選手が巨人軍を引退する時のことも記憶に鮮明です。まだ中学生でしたが、中間テストが終わって、写生会に出かけていました。館山港で船舶を写生しながら、ずっとラジオで野球の試合を聞いていました。「巨人軍は不滅です」という挨拶を長島がしたのはこのときでした。お天気の良い秋の日でした。
水道橋の会社に勤めて、明治大学の2部に通っていた頃には、後楽園スタジアムはドームではなかったので、球場のライトが点等すると、「あ、これは一限に間に合わないなあ」と思ったものでした。野球ファンではないのですが、そんなふうにあっちこっちに野球をその中継が記憶の背景として残っています。まるで昔の写真の背景に写りこんでいる景色のように。
写真は嫌いだあ
2004年09月13日(月)
自分の写真をみると嫌だなあと思うことがしばしば。身体の小さい人と写るのが嫌い。だって、こっちがううんと大きく見えちゃうんだもの。
子どもの時は同じ歳の子どもと比べてううんと小さかったので、自分では今での小さいと思い込んでいるところがあります。でも写真をみると「デカイ」というギャップに耐えられ無い。だから写真はキ・ラ・イです。でも撮って欲しいし、だからと言って小さくなるのは嫌だし。
最近ますますドラえもん化しているし(顔とお腹が大きくなる現象)ああ、写真は嫌いだ。
北朝鮮と中国
2004年09月12日(日)
お昼のHNKニュースで北朝鮮北部で大きな爆発があったとことが報じられました。韓国のメディアが北京からの情報として伝えたようです。爆発があったのは9日のことで、この日は北朝鮮の建国記念日でした。
最初は核実験が疑われていましたが、これはアメリカ、韓国、ロシアなどの政府によって否定されています。核実験であれば放射能などの影響が出ますから、たぶん、核実験ではないでしょう。次に取りざたされたのは反政府活動があったのではないかという推測です。こちらのほうはまだ否定も肯定もされていません。龍川の列車爆発事故の3倍の規模ということで、軍用車両の爆発事故や軍需工場もしくは武器庫の事故ではないかとも言われています。
朝鮮日報の日本語サイトが掲げていた両江道キンヒョンジク郡付近の写真では現場は山岳地帯です。中国国境からは20キロないし30キロほどのところです。このあたりには軍関係の施設や基地が多く、韓国側からは攻撃しにくい地域とされたいたそうです。
とろこで12日には平壌で金正日総書記が中国の李長春政治局常務委員と会談しています。龍川の列車事故の時もニュースは北京から流れてきました。事故現場は中朝国境から30キロほどでした。龍川の列車事故は金正日総書記が北京を訪問した帰りでした。あの時は私は直感的に中国の関与を感じたのですが、今度も符号しているような気がします。もっとも爆発になんらかのかたちで中国が関与していたとしてもそれが明るみに出ることはないでしょう。
建物の運命
2004年09月11日(土)
昨日、書いた不思議な運命の建物の話の続きです。今は葬儀用のセレモニーホールになっているある建物は、7、8年も借り手がなかった挙句に、銀行の差し押さえられたということでした。その建物はT字路の突き当たりにあります。
T字路はかなり大きな道で、信号が無ければ交通にも不便が出る場所です。駅からは近いのですが、T字路の突き当たりでは信号の関係で、建物の前に車を止めたりはできません。ここはもともと和風の個人住宅が建てられていたそうです。そのもそれほど古い建物ではなかったようで、個人住宅が取り壊された時には、その家を建てた大工さんが涙を流して見詰めていたという話でした。
木造の個人住宅をわざわざ取り壊して、一階を貸し店舗、二階を貸し事務所に、3階に住居を作るという鉄筋コンクリートのビルを建てたところ、7、8年も借り手は一人も現れず、とうとう銀行に不良債権の担保物権として処理されることになったようです。その間の銀行は利子をとっていたのでしょう。それにしてもなぜそんな立地の悪いところに銀行はお金を貸したのかと不思議になる話です。
日本じゅうのあっちこっちでそんな運命の建物を多くの人が目にしているのだろうと思います。建物には人の運命も付随しているわけですから、ため息のでる話でした。葬儀用のセレモニーホールはそんな立地の悪いところでもやって行けるというのも、なんだか複雑な心境を呼びます。こういうのをバブルの遺跡というのでしょうか?
夜はこれから
2004年09月10日(金)
漸く、暑さが通り過ぎようとしています。秋は夜が楽しい季節です。
3年ぶりくらいに自分の部屋を大々的に片付けてます。片付けというよりも発掘作業です。2002年にインドを訪問した時に松浦理英子さんにとってもらった写真が出てきました。デリー郊外の中世の遺跡です。インドの作家に「インドでは若い人はどこでデートをするのか」と尋ねたら「遺跡で」という答えが帰ってきて笑ったことがありました。男女関係に厳しい社会なので、二人で静かに過ごすには遺跡くらいしか場所がないということでした。
その遺跡ですが、デリーの南側の郊外には中世以来の遺跡が幾つもジャングルに埋もれています。日本だと同じ土地の地下に遺跡が埋まっているのですが、インドでは、遺跡は南から北へ街が北進した様子がそのまま地表のジャングルの中に残っています。私はカメラを持たないので、松浦理英子さんに写真をとってもらいました。河原弘通さんにいただいた赤いハスの写真の隣にインドの遺跡の写真をピンで留めました。
話は変わって、葬儀用のホールというのが最近、街に増えました。これは、あっちこっちで金融機関が潰れたり、不良債権の補填のために売られたビルで葬儀用のホールになってところが多いことを知りました。その中には不思議な運命の建物もあることを話に聞きました。インドの遺跡と葬儀用のホールがどうるながるのか解りませんけど、なんだか、ひとつながりになりそうな気がしている宵の口です。
まだ風が吹いている
2004年09月08日(水)
台風が通りすぎて、まだもまだ風が吹いています。それにかなり暑くなりました。
9月の暑さというのは、これでもか、これでもかとお日様に我慢比べをされているようなところがあります。
さて、この風が止んだらベランダの植木鉢に水をやることにします。台風の風のすごいところはそれが潮風だということです。海から巻き上げた塩分を台風は内陸の町まで運んで来てしまいます。植木鉢の植物もその潮で茶色く変色してしまいますから、水で洗い流すのです。
それにしても今度の台風の風は長時間です。せっかく芽吹いた薔薇の芽がこれでダメになってしまうかもしれません。
火山、地震に津波それから台風
2004年09月06日(月)
昨夜の紀伊半島の二度目の地震では、気象庁がこれまでにない経験としてやや困惑していたことが新聞に出ています。
最初の地震ですが、私の家では7時のNHKニュースを見ていました。テレビ画面に地震があったことを告げる速報が出るほうが先で、それからゆっくりと建物が揺れだしました。電波で情報が伝わる早さのほうが、地面を伝わってくる振動よりも早いのはあたりまえかもいしれません。しかし地震情報のあとを追いかけるような、ゆっくりした揺れに、あらためて地面というものも生きて動いているのだなあと感じさせられました。地球のプレートというのはこんなものだよとからかわれているような最初の地震でした。
二度目の地震は最初の地震よりの小さな揺れがしばらく続きそれから大きな横揺れに変わりました。おおきな横揺れに変わるまでの時間が最初の地震より長かったようです。身体で感じる揺れの程度は最初と同じくらいでした。居間に行ってテレビを見るとNHKのアナウサーは最初の地震の時よりもあきらかに緊張していました。
浅間山が爆発したのは先週ですが、今週はこれから大型の台風の襲来も予想されているところに地震で気象庁はさぞかし大忙しだろうと思います。幸い、浅間山の噴火も地震もさしたる被害はでませんでしたが、日本列島の災害の見本市をやられているような感じです。まさか地球が防災訓練に協力しているなんてことはないでしょうが。
白いシャツ
2004年09月05日(日)
季節のかわりめ。夏から秋へと、冬から春への時期には白いシャツを着るのがとても気持ちがいい時期があります。台風が近づいていて、ちょっと空気が湿っぽいのですが、今頃になると白いシャツが着たくなります。
先日、聞いたファンファーレ・チォカリーアのおじさんたちのシャツは真っ白というわけではなくて、何度も洗濯をしたくすんだ白でしたが、身体によく馴染んでいて、いいなあと思いました。
海辺の漁師町では夏場は、白いステテコにしろい前開きのシャツそれにパナマ帽というのでお出かけスタイルでしたが、あれとフェンファーレ・チォカリーアのおじさんたちのシャツはそっくりです。気分としてはね。でもステテコと前開きシャツにパナマ帽で私が町を歩こうとは思わないなあ。
今度の台風は18号と19号がアベックで来るみたいですね。先日、「アベック」と言ったら、「ああ、なんて古い表現なんだ」と呆れられてしまいましたが、なぜか台風は「アベック」じゃないと感じがでません。まちがっても「カップル」なんて言えないし、「ペア」もなんだか今ひとつヘン。ともあれ、夏の終わり、白いシャツの季節です。台風があんまりひどい被害をもたらしませんように。
香りの来訪者
2004年09月03日(金)
夜はさすがに涼しくなりました。8階の家でも騒がしく鳴く虫の声が窓を開けているとよく聞こえてきます。クーラーよりも自然の風は身体に優しいので、くつろげます。昨晩も夕食の時は外の風を家に入れていました。
すると、甘い香りが風にのってやって来ました。パイプ煙草の香りです。きっと隣のご主人がベランダでパイプを楽しんでいるのでしょう。香りのおすそ分けです。チョコレートフレーバーでした。
ちょうど、こちらも食後ののんびりした時で、香りの来訪者は大歓迎でした。外の風をひとりで楽しみたくなるような夏の終わりの晩でした。
最近は受動喫煙なんて言葉もあって、喫煙者は形見が狭く、ベランダでしか煙草がすえない蛍族なんて言葉もあります。もし、隣家が強固な非喫煙者だったらベランダでの喫煙も苦情の対象になるでしょう。ほんとうお隣さんとの関係は難しい。遠くの何の関係もない人と喧嘩をするなんていう人はいないのですから、隣こそむずかしいのは当たり前でしょう。
ロシアとは北方領土問題、中国とは尖閣所要問題、韓国とは竹島問題、太平洋を挟んだアメリカとな日本国内の基地問題。こんなふうにならべてみると島国の日本もなかなか国境を接している国とは、解決の難しい事柄を抱えているものですなと、なぜか、パイプの煙に誘われて途方もないことを考えていました。
アメリカの国力
2004年09月02日(木)
アメリカ大統領選挙が近づいてきました。そのニュースを見ていたふっと思ったのですが、アメリカの国力は弱まりを見せているのではないでしょうか。
そう感じたのは強いアメリカが極端に強調されているからです。この点では共和党も民主党もあまりかわりありません。人も国も弱くなっている時ほど強さを強調したがるものなのだと思います。
原油価格の高騰が伝えられていますが、それに加えてテロに備えての厳戒態勢、イラク戦争にかかる出費と数え上げて行けば、どこれもこれも生産性が乏しいのにお金のかかることばかりが続いているのではないでしょうか?
アメリカは強いという思い込みは日本にもありますし、アメリカの国力が弱まっているのではないかなどというと観念的な反米感情からそう言っているように聞こえるかもしれません。各種のニュース画面を見ていてそう感じただけです。
異常潮位
2004年09月01日(水)
昨年、沖縄に行った時に沖縄タイムスの記者から聞いた話ですが、沖縄ではここのところ毎年、異常潮位に悩まされているそうです。海の潮が高くなって、海辺の村が浸水する異常潮位です。県知事選挙でも異常潮位対策が話題になったといいます。
南太平洋の島が水没の危機にあるという話を伝え聞いたのはもう10年も前です。異常潮位は北上する傾向にあり、沖縄の次は、昨年、広島の宮島が潮位の高まりのために浸水していました。今度の高松で、台風の接近と満潮時間が重なったために高潮が起きたのは異常潮位の北進とは無関係なのでしょうか?
そう言えば京都議定書はどうなってしまったのかなと思いました。アメリカが批准しないままになっていたのではないでしょうか?今の外務大臣が就任した時にアメリカの批准に向けて努力をしていたのをかすかに覚えていますが、その後はイラク戦争で、すっかり影が薄くなってしまいました。
日本は島国です。地球温暖化というのは、異常潮位などももたらすのですから、京都議定書はかなり切実な課題であるはずなのですが。
時間さえあれば沖縄や広島の宮島の異常潮位というものを見てみたいなあと思っています。海がじわじわと陸に上がってくる光景は、きっとあまり怖くはないのだろうと想像しています。潮の満ち引きですから時間さえ過ぎればまた引いて行きます。そのあまり怖くない光景がじわりじわりと広がった時に、人間の力では対抗できないとような大きな力になって行くのではないでしょうか。
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