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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

雨と海の匂い

2005年08月31日(水)

 法政大学のゼミ合宿第二弾で館山に行ってきました。場所は館山の汐入川河口。北条海岸です。このあたりはよく学校の臨海学校に使われる場所です。というよりも母校の館山第二中学校のすぐそばです。

 毎年、臨海学校を開く東京の私立学校の中で赤ふんどしで水泳という学校があります。宿の人に聞くと現在でも生徒はあかふんどし、先生は黒ふんどしで泳いでいるそうです。で、宿舎から目の前の海までふんどし姿で駆け足。そこへ、自転車に乗って登校しようと通りかかると、ふんどし軍団に取り囲まれてしまうというようなことも、ありました。

 夕方、雨が降りました。満潮の時刻と重なって潮の匂いに雨の匂いが混じっていました。

尾道のナイフ

2005年08月31日(水)

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 ホリエモンが立候補したので、テレビにたびたび尾道の駅前が映し出されます。このナイフはその駅から東の方向に延びる商店街で見つけました。どうもナイフだのはさみだの、飛行機に乗せてもらえないものばかり見つけ出しては買っているような気がします。
 そのうちに新幹線も手荷物監査なしでは乗れないなんてことにならないようにしてもらいたいものです。

 ナイフを作ったのは山崎清春商店で、もともとは軍刀を打っていたとのことでした。尾道のともだちに聞いたら、昔は店先に折れた刀が突き刺してあって、これを包丁にしますと書いてものが張り出されていたそうです。手荷物検査どころか、道端に刀がさしてあっても無事という時代があったのですね。

 柄には漆で装飾が施されています。買ったばかりの時にはこわいほどの切れ味でした。乱暴に使って、ちょっとなまくらになってくらいのほうが安心して使えます。
 尾道の商店街のすぐ南側は海で、海の対岸には造船所
の起重機が並んでいる瀬戸内海の町です。

赤トンボを見つけた

2005年08月30日(火)

 朝、ごみを出しに行ったら、赤トンボが飛んでいました。じりじり暑いようでももう秋なのですねえ。

 でも、なんとなく騙されないぞという気分。昨年は12月のあたまに台風崩れの低気圧が来て、なま暖かいは大雨は降るわで、さんざんでした。

 ネットの掲示板を見ていると9月には災害とかテロとか起きるなんてデマに近いような書き込みをしている人もいるし……。赤トンボを見つけてもなんだか夏が終わるという気になれずにいます。

御坂峠のきのこ

2005年08月29日(月)

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 台風11号関連ニュースの中に御坂峠で土砂崩れがあったというのがありました。山梨の御坂ではそろそろきのこ屋さんが道路沿いに店を出している頃です。富士山周辺の山はきのこの宝庫だそうです。秋になると天然のきのこを売る店が出ます。植物学者できのこを専門にしている人は必ずこのきのこ屋を覗くというくらい種類が豊富だと聞いています。
 
 写真の巨大きのこは昨年の今頃、御坂を訪れた時にきのこ屋で買ったものです。一緒に並べた梨も大人のこぶしよりも大きな梨でした。その梨の大きさをしのぐ太い軸を持っています。これは炊き込みにして食べました。

少し涼しくなりました。

2005年08月28日(日)

 家の中にいるとマンションの壁を伝って鈴虫の声が聞こえてきます。虫の声は高い音のせいか、八階の家でもよく聞こえるのを毎年、不思議に思います。今の家に引っ越してきて、17年になりますが、その最初の歳の秋に、うたた寝をして目覚めたら、家じゅうに虫の声があふれていたので驚いたことがありました。

 夏の地虫が鳴く声、私が子どものころはおけらが鳴いているとかみみずが鳴いていると言ってましたが、そっちはまってく聞こえないのです。ただ秋の虫の声だけが毎年、よく、聞こえます。

横浜大桟橋

2005年08月27日(土)

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 三浦海岸から横浜に回って、横浜散歩しました。今月初めに名古屋に行った時にもセントラル・パーク(名古屋にもあるのです)のそばで、映画の撮影をしているのに出会いましたが、横浜の日本大通りでも映画の撮影をしていました。今の日本映画は製作ラッシュなのだそうです。
 
 日本大通りをまっすぐに海の方向に進むと客船が着く大桟橋です。数年まえに新しい桟橋になりました。桟橋そのものが旅客ターミナルになっています。桟橋というよりも板張り公園ですが、この桟橋から赤レンガやランドマークタワーが良く見えます。

 写真はランドマークタワーの反対側で、山下公園と氷川丸を撮っています。小学生の時、マリンタワーに歩いて昇ったことがあるのですが、周囲の建物が大きくなってしまったので、マリンタワーが目立ちません。ニュー・グランドホテルの旧館も並木に隠れています。マリンタワーに上ったのは11歳の時ですから35年も過ぎたら並木も大きくなるはずです。

城ヶ島大橋

2005年08月26日(金)

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 今年の夏は4つのゼミ合宿に出かけます。第一弾は法政の昼ゼミ。三浦のセミナーハウスでした。セミナーハウスに入る前に城ヶ島へ。写真は城ヶ島大橋です。このあと、観光船に乗りました。海には飛び魚が飛び交っていたそうですが、暑さのためにノビてしまった私は観光船の中ですやすやお昼寝してました。

 第二弾はなぜか私が卒業した中学校の門前の旅館に宿泊予定。館山です。法政の夜ゼミ。さらに日大のゼミも毎年恒例の館山セミナーハウス。最後は法政卒論合宿で仙台です。うまくすると仙台の中秋の名月が拝めそうです。

今夜は城ヶ島大橋も暴風雨の中です。ご覧のようにこの橋はかなり高い位置にあります。そして城ヶ島へ入る陸路はこの橋だけなのですが、こういう暴風雨の日には橋が閉鎖されてしまいます。さきほど、城ヶ島からのリポートを送っていたテレビのリポーターは、たぶん、今夜は城ヶ島泊まりなのではないでしょうか?

 中秋の名月の日に台風が来ないといいんですが。三浦セミナーハウスに宿泊した翌日に歩いた横浜中華街では中秋の名月用の月餅を売ってました。

スタッフ・ルームでも山の上ホテルでも

2005年08月25日(木)

 山の上ホテルロビーで東京新聞の「即興政治論」の対話をいつもの高田記者としてました。すると同じロビーにいた60代のご婦人ふたりが選挙をネタに雑談を始めたので、高田記者と顔を見合わせてしまいました。

 スタッフ・ルームでもここ数日、選挙が話題になってます。現在。日本にはいないやまんばさんからは「そんなにすごいことになっているの?」という質問が来ました。ネットの情報だけだとこの感じはつかめないかもしれません。

 ヤフーの掲示板で「しずかちゃんがいるところにホリエモンが出てくるのは当たり前」という冗談をみつけたと書き込みをしたところ、豆蔵さんが去年の冗談を思い出したようです。
「ジャイアン(ツ)とすねお(つねお)がいじめるよと
フルタ(ノビタ)がいうとホリエモンが「ライブドア」(ドコデモドア)と出てきました」
 というようなものでした。こうなると出てきてないのはドラミちゃんだけか。

渋谷で占い師に捕まえられて

2005年08月24日(水)

 渋谷で占い師のおばさん?に突然捕まえれました。なんでもカイカソウ(開花相か?)てのが出てて、すごくいい運勢がきているんですって?ほんまかいな?で、なぜかこのおばさんは迫力があって、ずっと離してくれないんです。

 迫力があるって言っても、ほっそりとした少女くさいおばさんなんてすがね。いきなり人ごみの中から手が出てきて「ああ、顔にカイカソウが出ています。手相を見せて下さい」といわれたときには、もう掌を掴まれてました。で、まじまじと掌を見ながら、「ほら、この線が」と指差し「今、お幾つですか?」と聞く、その人の手首には水晶のブレスレッドがありました。

 ああ、5時までにはどうしても行かなくちゃいけないところがあるのに、なぜか、おばさんは私の手相に夢中で、こっちの言うことなどぜんぜん聞いていないのです。そんなに珍しい手相だったのかしら?

月夜二題

2005年08月22日(月)

 8月20日は旧暦の7月の十五夜でした。大潮です。金沢八景でお月見をしてきました。翌日21日は十六夜の月を三浦海岸で見てきました。

 夏は海水の温度があがって膨張していますから、大潮の時の潮の満ち引きも大きくなります。金沢八景と数えられる八つの景色のうちのひとつに「瀬戸の秋月」があります。中秋の名月の晩には、瀬戸から見える野島の真上に月が上がるのですが、今月はまだやや東側に月が昇りました。ちょうど潮が満ちてまんまんとたたえられた平潟湾の上に昇った月を見てきました。周囲はマンションになっても、水の上には明るい月明りが落ちていました。

 翌日は三浦海岸の月。赤い月が昇り、中天を目指しはじめると、海岸の潮をどんどんと引いてゆきます。海の写った月の光は、やがて潮が引いた海岸の濡れた砂浜も照らし始めます。黒い砂が金色に光るのです。デジカメでもこれは写せません。月は空高く登るほど、少しずつ白くなって行きました。

 東洋ではこのうえなく美しいとする満月ですが、西洋ではこれを見ると狼になっちゃったりするですから、人間のものの感じ方って奇妙です。昔の人はほかに見るものがなかったから、お月様なんかをしげしげ見ていたという人もありますが、人間が作ったどんな仕掛けよりもきれいな月でした。

桜と紅葉のある土地

2005年08月20日(土)

 去年から土地を探していました。外房に桜の樹と紅葉の樹のある土地を見つけました。裏は小さな崖で、雑木林になっています。椿、マテバシイなどが生えていて、どうもたぬきが通り道らしい獣道もありました。表は一面に広がる水田です。ほんのりと黄色く色づいていました。耕地整理と農地改良が済んでいるので、整然と四角い田んぼがならんでいます。

 広い田んぼの端っこに蹲っているような感じの土地です。ここに小さな家を建てようと思っています。房総の民家をもとにした間取りの家を考えています。

博多のはさみ

2005年08月19日(金)

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 家の中で写真をとるときにはライティングにもっと気を使わなくちゃと思っています。ピンボケですが、「楽隊のうさぎ」の取材の時に見つけた博多のはさみです。飴切りばさみというのだと聞きました。ほんとうに飴を切るはさみはもっと大きなものだそうです。切れ味がよくってほかのはさみだと詰まらないくらいです。もう6年も使っているのにぜんぜん切れ味は衰えません。

名誉という火傷

2005年08月18日(木)

 名誉という言葉だけで、とたんに蔑んだような態度をとる人々がいます。「名誉なんてどうでもいい」と言います。60代以上の年齢の人が多いような気がしています。よほど「名誉」というものに手痛い火傷を負わされた経験があるような、苛烈な対応を見せるときもあります。敗戦というものは、人のこころに「名誉」に対する拒絶反応を植えつけたのかもしれません。

 もうひとつ付け加えれば国民皆兵の国の敗戦は、名誉というものを、何か触れてはならない奇妙なものに変えたのではないでしょうか。

 郵政民営化がこれほどこじれて感情的な反応を引き起こすのも、靖国問題が激しい感情を呼び起こすのも、その根底には名誉に対する考え方感じ方が横たっていると思います。しかし、この60年間の間、名誉というもにについて、ちゃんと論じてきたことがなかったというのは言いすぎでしょうか?拒絶反応に近いような様相で語られる名誉か、もしくは時代の変化には無頓着な旧来型の名誉かのいづれにしかないところに、不幸があるのではないのでしょうか。

執念と怨念

2005年08月17日(水)

 まだ公示されてない衆議院選挙ですが、自民党の候補者選びのためにかなり報道されています。郵政民営化に反対した候補のたつ選挙区へ賛成の候補を対抗馬として立てることをメディアは「刺客」と呼んでいます。

 最初に「刺客」という言葉が飛び出したのは小林興起候補の選挙区に小池ゆり子環境大臣が立ったときでした。これが我が家の隣の選挙区。と言っても我が家の選挙区の端っこなので、自分の選挙区の候補はあまり姿を現さないのです。隣の選挙区の候補の方がよく回ってくるのは毎度のこと。メディアは対立候補をみんな「刺客」と呼んでいますが、表現に工夫をして欲しいものです。

 小泉首相の郵政民営化への執念を感じさせる候補者選びですが、一方の反対した議員の言動には、とくに亀井静香候補は、怨念を感じる言動が目立ちます。この選挙は執念と怨念の戦いというところでしょうか。世論調査などでは首相側のやりすぎの首をかしげている人もかなりいるようです。対立候補を立てるのは、いきさつから言って仕方がないところがあるのでしょうが、森前首相に干からびたチーズを出して、あとでフランス高級チーズだとバラすなんてのは、いささか、執念をとおり越した妄念なのではないでしょうか。

 選挙は次の衆議院選挙だけで終わるわけではありません。首相の執念は郵政民営化法案の成立とともに、あるいは首相がその地位を降りることによって消えるでしょうけれども、怨念のほうは、これは形を変えて残って行くことでしょう。消えたと思ってもまた現れるのが幽霊の怖いところですが、怨念という人間の感情もそれと同じようなところがあります。

まくわうり見つけた

2005年08月16日(火)

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 知り合いと、甘いメロンじゃなくて昔のまくわうりが食べたいねと話してました。今頃、ソウルへ行くと黄色いまくわうりを沢山売ってます。川水とか氷水で冷やして食べると、ほんのりした甘みがおいしいのです。さっぱりと軽い甘みです。
 まくわうり見つけました。ソウルで見かける小ぶりな物ではなくてどちらかと言うとキンショウメロンに近いのですが、それでもまくわうりの味がします。見つけた場所は京都に錦市場を西の方角へ抜けたあたりの小さな八百屋さん。同じ八百屋さんで九条ねぎも買いました。九条ねぎのほうは写真にとらないうちに食べてしまいました。
 そうそうねぎを買って歩いていたら、いろんな人に道を聞かれました。新幹線でねぎを買いにくる人はいないから、道を知ってそうに思われたみたいです。

終戦記念日

2005年08月15日(月)

 私の母は小学校四年生で終戦を迎えました。神奈川県の秦野に学童疎開をしていたそうです。5月の横浜大空襲のあと山形への疎開が決まっていたのですが、ソビエトが参戦したために見合わせになったと言ってました。もし山形へ移動したあとに終戦だったら、しばらくは、交通事情が悪くて家には戻れなかっただろうと話していました。

 学童疎開の引率をしたのは20歳そこそこの若い先生で、あとから考えてみると、あんなに若かったのによく大勢の子どもを預かることができたものだと感心したそうです。終戦の日は、整列してラジオを聴いていたそうです。で、6年生は泣き出したので、なにをそんなにめそめそしているんだろうと思ったという話でした。
 ラジオの音が悪いのと言葉が難しいので終戦の勅諭を本土決戦玉砕の放送と勘違いしていたそうです。

 田んぼの中を歩いていた教頭先生がアメリカ軍の機銃掃射で殺された話とか、横浜大空襲のあと、ひそかに横浜まで歩いて戻り、家族の安否を確かめた話をしていました。母の家族も家も無事だったのですが、同級生の中には、家も家族も無くなっていた子がいたそうです。

 畑のにんじんがおいしかったのと、白い絵の具を食べると甘かったと、食べ物を送ってもらうのは禁止されたいたので、代わりに歯磨き粉を送ってもらって舐めていたのと、そういう食べ物の話が多かったのを覚えています。「戦争はひもじい」という話をしたのは母ばかりではありませんでした。いつのまにか「戦争はひもじい」という話は聞かなくなりました。私が子どもの時でも、テレビドラマの戦争の場面では、かならず、誰かが瓶にお米を入れて棒で突いていました。脱穀をしているのです。そういう脱穀の場面がテレビ・ドラマから消えて久しくなりました。

 戦後の話になりますが、中学校の時に同級生がアメリカ兵相手のパンパンをしていた話とか、聞いてはいてもなんとなく当事者ではない人間には書きづらい話もたくさん聞いています。戦争を語り継ぐと言っても、語られただけで、消えて行ってしまう話もたくさんあるのだなと思います。それに風化という言葉がしきりに使われた時期がありますが、風化しなければ見詰めることができない真実もあるように思われるのですが。

仕事をしないで

2005年08月14日(日)

 仕事をしないでテレビを見ているなんて、叱られそうですが、この一週間で、郵政民営化は結局、郵政の、とりわけ金融、保険部門の解体、縮小であり、ひいては公共投資中心の金融システムから、民間投資中心の金融システムへの転換の糸口だということが公然と議論されるようになってきました。

 明日は終戦記念日ですが、靖国問題がクローズアップされていて、昨晩と今夜とNHKスペシャルを見ていました。これも戦死者の名誉と戦没者の追悼という二つの事柄を整理する必要があることがはっきりしてきたという点で、これまで公然と語られなかったことが、議論の俎上に乗ってきたとようです。

 議論というのは、けんかではなくて言葉を生み出し、知恵を生み出し、ひいては感じ方というものを作って行くものだという眼で眺めているとこの数日はかなりおもしろい展開をしています。まるで淀んでいた川が流れ出すように、淵から瀬に流れが差し掛かるように、言葉が生まれて行く瞬間を眺めている感じです。

 物語というのは、こうした議論の生み出した感受性の向こう側に存在しているものなのでしょう。

ボイス・レコーダー

2005年08月13日(土)

 昨晩、TBSで放送された「ボイス・レコーダー」に引きこまれてとうとう最後まで見てしまいました。日航ジャンボ機墜落事故から二十年です。

 最初は再現ドラマという手法に違和感がありました。例えば機長がフライトに出るシーンは現在の羽田で撮影されていますが、二十年前は勿論、ビッグ・ウィングではありません。しかし、だんだん、二十年という歳月の表現の仕方に興味を持ちました。

 日航機の事故の時、その第一報を聞いたときの自分の動作をよく覚えています。千葉の館山の家の台所にいました。台所の勝手口の扉を開けたときに、日航機が行方不明になっている第一報のニュースがテレビから流れてきました。なぜ、そんな動作を覚えているのか自分でも解りません。

 その歳の一月に母がなくなって、新盆なので、子どもたちと連れて、館山の家に戻ったばかりでした。人のいない家は荒れやすくて、数日を過ごすための準備にはけっこう手間がかかるものです。締め切った家の扉を空けてすぐのニュースでした。

 ところで二十年という歳月ですが、例えば戦争中に集団疎開をしていた私の母にとって終戦から20年と言えば昭和40年がそれにあたります。私は幼稚園の年長組でした。八月になると、集団疎開を撮影した映像などが紹介されると、母は食い入るように画面を見てました。昨晩のTBSの番組を見ながら、そうか、二十年というのはこんな感触なんだなあと、自分の身体で、改めて歳月の質量を測っていました。

 20年前と言えばテレビのワイド・ショーが盛んになってゆく時期で、日航機事故もそのきっかけのひとつになったのです。「ボイス・レコーダー」はそのワイド・ショーが生み出した再現ドラマとか、現場からの中継映像などの技巧と、ドキメンタリーの手法を慎重に組み合わせながら作られた番組でした。テレビ局がこの二十年間になにをしてきたかを製作技法で語っているように見えたのも興味深いです。

今夜は雷ごろごろ

2005年08月12日(金)

 午後10時40分頃、停電しました。落雷のためです。今夜は雷ごろごろ。蝋燭はどこだと探しているうちに電気は復旧。コンピュターの電源を切るのがもう少し遅れていたら、「あれまあ」ということになっていたかもしれません。久しぶりに雷様のお通りです。

 我が家の上空はどうやら雷の通り道のようで、多い時だとひと夏に二回くらい停電します。ここ数年はそういした雷雨がなくて、雷の用意をうっかり忘れていました。

 雷様はまだごろごろぴかぴかやっています。

妖怪大戦争見てきました。

2005年08月11日(木)

 有楽町で最終回の「妖怪大戦争」を見てきました。16時からの回が終わったところで扉が開くと出てくるわ、出てくるわ、白髪頭のおじいさんと坊主頭の坊やたち。夏休みの孫と見るのにちょうどいい映画みたいです。角川映画は久しぶりだったのですが、社長が変わってもやっぱり角川映画は角川映画だなあという感じでした。

 小技のおもしろいところはいっぱいありました。宮部みゆきの学校の先生とか、大沢在昌の読書好き浮浪者、そのとなりのホームレスが「理事長」と呼ぶのは、推理作家協会の理事長に就任したことを知らない人にはおもしろくないでしょうけど、そういう小技がかなり利いた映画です。監修者が水木しげる、京極夏彦、宮部みゆき、それに荒又宏ですから、なんだかこちらのほうが妖怪のような気がしないでもありません。

 大画面で3000人(?)も妖怪が出たら怖いもなにもあったものではなく、隣の席の女の子(小学校低学年くらい)はきゃきゃと喜んでいました。

 昔「妖怪百物語」という映画を見たんです。その時の気持ち悪さというか、恐ろしさは今でも忘れがたいんですが、あの映画は湿っぽい怖さがありました。それとはまったく違うドライな妖怪映画でした。

 選挙のほうがよっぽど妖怪じみているかもしれませんが、ああ、夏休みって感じになりました。

あなどり、たかをくくる、かるくみる

2005年08月10日(水)

 東京新聞政治部の高田記者と毎月、即興政治論という対談の連載をしています。畑違いの人と話すのは、お互いになかなかおもしろいです。たぶん、高田記者もそう思っていただいていると勝手に決めています。政治も文学も不特定多数の人に言葉を伝える仕事ですから、畑違いと言っても、よく似ているところがあります。

 この対談は直接の政治状況よりも、もう少し広い視野で政治全般について話そうというコンセプトになっています。しかし、前回は郵政民営化法案の衆議院可決を受けて、その結果をどう思うかというかなり直近の出来事について話しています。校正刷りを見て「大予言みたい(笑)」と言ったのですが、結局、衆議院は解散で、あんまり外れたことになりませんでした。

 次回は「政治評論家」というテーマで話してみたいなあと思っています。そういうテーマが降られるかどうかは解らないのですが、政治評論家の発言には「あなどり」とか「たかをくくる」とか「かるくみる」というニュアンスの発言がけっこう出てきます。

 相手を「軽くみる」と自分を偉く見せられるし、「かたをくくった」発言をするといかにも事情に詳しいような印象を与えられるし、さらに「あなどり」を示せばそこには一時しのぎの安心感が生まれたします。こういう言葉の機能がうまく使えていた今までの政治が、今度の解散で、すっかりへたり込んでしまったのではないでしょうか?

小泉首相、どこの党に投票したらいいんでしょう?

2005年08月08日(月)

 うちの反りかって省く人(注 8月3日コラムを参照)が「小泉の小泉による小泉のための解散」のニュースを見て、「それで、首相、どこの党に投票したらいいでしょう?」という疑問を呈していました。確かに!自民党がどういう候補者を立ててくるかにもよるのですが、今のところ、かなり「ううん?」という状態です。

 日曜日は名古屋。名古屋に一泊して京都を歩いて帰ってきました。京都のタクシーの運転手さんは「良くも悪くも頑固な人ですなあ」と言っていました。

怪電話

2005年08月07日(日)

 静岡から帰って来てみると、留守番電話の録音が数件ありました。怪電話はその最後の録音。松本と名乗るおとこが「○○○○さあん」とやけに明るく軽薄な声でよびかけたあと、「お電話下さい」と凄みのある声に切り替えて、しゃべってました。録音はそのあと、電話口で誰かと喋っている声が少し入ってから切れてます。

 呼びかけられた○○○○さんという名前にこころあたりはまったくありません。それにしても前半の妙に明るい声も、後半のどす黒い声も、どちらもいやな声には変わりはありません。

 まちがい電話の類いだろうと思います。借金の催促か何かなら、間抜けな気もしないでもないです。ただ、なんとなくイヤだなあという感じはどうしてもしてしまいます。真夏の夜の怪電話でした。

さくさくさくら海老

2005年08月06日(土)

 静岡に行ってきました。さくら海老にしらす。駿河湾は小さな魚の宝庫です。用宗海岸を歩いてきました。西側には大崩が張り出しています。うすい霧が出た蒸し暑い夏の夕暮れでした。

 で、さくら海老。生で食べてみました。殻がいささか生臭いというか磯臭い。これはこれで珍味といえます。が、生で食べたあとに、掻き揚げを食べてみると、やっぱりさくら海老は油で揚げたものがおいしいと納得。なによりも、海老の殻が香ばしくさくさくした感じになって、これがおいしいのです。考えてみれば、さくら海老って小さいから、殻そのものを食べる以外にあんまり食べるところってないのですね。

 明日は名古屋に行って来ます。それから京都。

郵政民営化の「夜明け前」

2005年08月05日(金)

 歴史は繰り返すのかどうか?郵政民営化を巡る争いを見ていると、妙なだあと思うことがあります。

 今の首相のお祖父さんの小泉又次郎は慶応元年の横浜市生まれ(当時の武蔵国久良木郡金沢)とび職人の息子で、横須賀で請負師になった人物です。嘉永6年に黒船がやって来たことから、運命が開けた一族だと言ってもいいでしょう。で、郵政民営化法案反対の筆頭が綿貫民輔氏で、こちらは富山県の神主さん。現職の宮司です。かつては、運送会社社長でもあったのです。

 毎日、新聞を読んでいると島崎藤村の「夜明け前」のアレゴリーを読んでいるような気分になって来ます。

 日本各地にいた豪族や武士が、徳川の御世が始まる時に帰農して、庄屋や名主あるいは問屋になり、語維新で今度は郵便局や学事係になったものというふうに、中世から700年くらい続いてきた流れがあることを島崎藤村は自身の一族をモデルに「夜明け前」で描いています。街道筋ではこうした人々が人の往来、手紙や荷物の輸送などの世話をしていました。

 藤村の一族に限らず、全国津々浦々にそうした家があり、今でも特定郵便局を営んでいたりしているのでしょう。そうした家というのは近代工業化によって生まれてきた中間所得層とは別の意味と意義を持った中間層を形成していました。

 これを仮に旧中間層と名づければ、この旧中間層が存在したために日本は比較的スムーズに近代化をやりとげたと考えることができます。郵政民営化で、その旧中間層が消えてしまうのを怖れるのは、ある程度もっともなことに思えます。私は郵政民営化賛成ですが、反対派にはそうしたところを、もう少し丁寧に説明してもらえないものかと思います。

 こういうことを書くときは「です・ます」体は不便ですねえ。なぜか、この欄はあまり深い考えもなく「です・ます」体を使ってしまいました。時々、後悔してます。

いや、暑い、あつい、暑い(,* *;)

2005年08月04日(木)

 やいあ、暑いあつい。といわなくてもいい暑さですが、この暑いさなかに「やれ解散だ!」「いや解散回避だ!」という国会議員の皆さんもたいへんです。とくに懸案がなければ夏休み前の消化議会みたいな感じの時期なんでしょうけど。あまり暑い時に議論は、頭にきやすくてよくないんじゃないかなあと思いますが。

 ただ、この郵政民営化の法案について「それほどたいした法案じゃないよ」という言い方を耳にします。それほどたいした法案じゃないのに、どうしてこんな騒ぎになっているのでしょうか?

 ほんとうに大した法案ではないのか、大した法案なのかは判断できませんが、この発言には、これまでの日本の政治の「いやあなもの」を感じます。「いやたいしたことない、いたしたことない」と表で手を振って、裏では真剣な交渉ということが世間には、よくあります。それが、まったく形式化してしまったとき、なんでもかんでも「たいしたことない、たいしたことない」とタカをくくる風潮を作り出したりしてます。

 若者風俗はメディアでもよく取り上げられるのですが、政治家にもそれそれの時代のやり方(風俗?習俗?)があるようです。法案反対派は「いやあ、たいしたことない」といいながら裏で真剣な交渉をするという旧式な習俗に頼ったために、自らを窮地に追い込んでしまったというように見えるのですが、いかがでしょうか?あんまり涼しい話題じゃないですねえ。暑い時には余計に暑くなると、あとから涼しくなれるという話題でした。解散したら選挙で、涼しいどころじゃないよ!という声が聞こえてきそうですが。

追記 こんなへんてこなニュースを見つけました。

「出雲大社にちなむ「縁結びシャツ」で定例の記者会見に臨んだ細田博之官房長官(右の写真)。背中にも「縁」の字があしらわれている(左の写真。同写真の左下は胸ロゴのアップ)(4日午前、首相官邸)(時事通信社)13時52分更新」
写真は

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050804-02613709-jijp-pol.view-001

にあります。
はてさて、どんなご縁を結びたいのやら?でも、このシャツちょっと欲しいです。女性用はあるのかしら?

うちの息子の反省

2005年08月03日(水)

  息子があまりだらだらしているので、怒ったら、
「反省しています」
 という返事。これも聞き飽きた返事なので
「いったい、どんな反省をしているんだ」
 と怒鳴ったら
「反りえって省いております」
 と答えたのでした。やれやれ。まったく。ぷん。

タイ米に感動

2005年08月02日(火)

 タイの香米というお米を炊いてみました。アルミの片手鍋で炊いたのだけれども、日本のお米よりも簡単にたけました。なにより驚いたのは、その名のおとりに香り。すごく香ばしいのです。8月の稲が稔り始めた頃の田んぼの中を歩いているみたいな良い香りがします。

 日本のお米のような粘りがないので、軽い感じがします。暑くて食欲が落ちている時には、この粘りのない軽い感じのお米はたいへんおいしいです。タイ米というと外米の代名詞みたいになっていて、まずいものと言えば外米という人もいるくらいですが、あれはタイ米がまずかったのではなくて、まずいタイ米を食べていたのですね。米の輸入が制限されていたせいか、今までは高級なタイ米は国内に入ってこなかったようです。

 稲の花が咲いて、実が付き始めた頃の田んぼの香ばしさは独特のものがあります。暑くても、ああ、お米ができ初めているなあと思うと楽しくなりました。これからどこか田舎にお出かけの皆さん、鼻をちょっと働かせてみて下さい。きっといい香りがします。

こはだの新子と鯵

2005年08月01日(月)

 こはだというお魚がいます。お正月にはおおきなものを酢漬けにしたものを売っています。で、まだ小さいのを「新子」といいます。築地のおすし屋さんで、この新子の握りを食べるのが楽しみです。

 どういうわけだか、東京よりほかの土地では新子の握りを見たことがありません。藤沢、大船は例外。神奈川県ですが、まあ、東京のようなものです。東京の握りはこぶりですが、新子は小さいので一匹ではそのにぎりでさえ不足です。二匹がちょこんと白いごはんの上に乗っています。ままかりとも違って、ああ、東京湾のおすしだなあと思います。

 今の季節は鯵に蛸。どちらもたくさん採れます。鯵は脂がのっていておいしい季節です。「ひかりもの」なんて言い方もあります。鯵のおすしもいいですが、酢で閉めた鯵と茗荷それに新生姜に紫蘇で、冷たいスパゲッティを作りました。で、ふっと子どもの時には鯵の煮付けを食べていたのを思い出しました。新子はあまり家庭で食べないのですが、鯵はたくさん取れたのでいろんな漁料理にしていました。

   
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