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めいめい鳴かない羊椅子
2007年07月24日(火)
羊椅子が届いたぞ! これがかわいい。さっそく玄関におきました。靴を履くときって、ちょっと腰掛けたいでしょう。そうじゃないと、とんとんってつま先をぶっつけて履いたりしちゃうじゃないですか。ちゃんとした靴屋さんには腰掛けるスツールがおいてあるし。
どうやら羊椅子は研究室に行かなくて済みそうです。なんとなく、めえと鳴きそうな感じ。かわいい子羊ってところです。そんなのに座るのは(とくにその体重で)かわいそうじゃないかって言われそうだけど。ま、いいや。
靴は履いて、靴紐を結ぶにはやっぱり玄関に椅子が必要です。マンションの玄関は段差が低いから、玄関そのものに腰掛けるってわけには行かないので、ちょうど良い椅子を探していたのですが、これがなかなか、大きさと形がうまく治まるのがありませんでした。へたをすると単純に物置状態になってしまうという危険も椅子にはあります。羊椅子ならその点、物置にするには可愛すぎる! ということになるといいなと思っています。
ところでその羊椅子の組み立て説明書を読んでいたら、一度、ねじを締めてから、二週間後にもう一度ねじを締めなおして下さいとありました。へえ、そんなものかと思いましたが、これってすべてのねじについて言えることなのでしょうか?
豆ちゃんがきたぞ!
2007年07月21日(土)
ずっと牛丼パソコンからスタッフルームにはいれなくなっていましたが、今日、豆ちゃんがやってきて、スタッフ・ルームにはいれるようにしてくれました。これでスタッフ・ルームにはいれます。わい、万歳。万歳。
で、それから豆ちゃんと池袋へ。イルムスでかねてから欲しかった羊椅子を買いました。
「へへへ。これに座って洗面台の前で歯を磨くの」 「どうしちゃったんですか?」 「どうしても羊椅子が欲しかったの」
念願の羊椅子は、毛がついたままの羊の皮を張ったスツールです。うちの子供たちは購入に反対!。豆ちゃんの一言が購入の踏み切り板になりました。
「じゃまだったら、研究室に持っていっちゃえばいいんじゃないでしょうか」
そうだ!。羊椅子を研究室においたらきっと気に入ってしまうだろうという学生の顔が二、三人浮かびました。でも、研究室には持って行きたくないの。羊椅子に座って、洗面台の前で歯を磨きたいの。
「だからどうしちゃったんですか?へんだな」
どうもこうも、某ホテルで洗面台の前の椅子に座って歯を磨いていたら、すごく気持ちよかったんだもの。
その研究室には最新鋭のパソコンが入りました。本体が30cm×30cm×10cmほどの大きさというのは感動ものでした。しかもマウスとキーボードは無線で動くの。プリンターもごく持ち運びができるほど小さくって、みつけてきてくれたのはつくまさんです。つくまさんは今、大岡信さんにPDの使い方をレクチャーしているそうです。
で、豆ちゃん、この日記を書く欄の文字がものすごく小さくなっているんだけど(実はあまりよく見えてない)これはどうにかして直すことができるのでしょうか?
品川とお台場沖
2007年07月19日(木)
品川から船に乗って、お台場まで行きました。屋形船です。法政大学教員の懇親会です。品川は電車のなかからたいへんな変わりぶりだなと眺めていましたが、実際に降りて歩いてみると、なんだか建築模型の中にいるみたいでした。昨年、大原に建てている家がSDレビュー展に入賞したときに、いくつかの建築模型を見たのですけど、なんか、そのまま、でかくなった感じ。
空中回廊というのか、駅から周囲のビル群の中に歩廊が延びていて、哲学の先生がふあふあ浮かんでいるみたいだって言ってました。哲学の先生に「地に足がついてない感じがする」って言われるとなんか変な感じがしました。「路地裏の哲学」とか「空中回廊の哲学」とか「線路の哲学」なんて連作短編を書いたらおもしろそうだなあとちょっと思いました。品川のそのあたりは完全に人と車を分離した設計になっています。歩く安くて快適ですけど、品川にいる気がしないって、ちょっと思いました。
品川までくると、ああ、ここで御江戸も終わりって、自動車はややスピードを上げ、排気ガスの中によどんだ潮の匂いが混じり、寒々しい感じが夏でもしたものでした。懇親会は屋形船と聞いて「大川」だと思い込んでいました。柳橋あたりから船で出るものと。で、品川と解ってややあせりました。そんな遠くになって飯田橋から行くんだろうって。柳橋ならまだ公方さまのお膝元だけど、品川じゃあ、もう公方さまのお膝元じゃないって思うのは、もう古いのは重々承知です。
で、日が暮れてからお台場沖にでました。いつも思うんだけど、お台場の自由の女神は、陸地のほうを向いていて、海に背中を向けているのはなんかへん! フジテレビの見える海の上は赤い提灯を並べた屋形船だらけで、夜だというのにかもめがたくさん飛んでました。大胆にも人間の頭上すれすれを飛ぶかもめさえいました。かもめって、鳥目じゃないのかしら?お台場沖って言ってもビルの明かりに取り囲まれた池みたいな感じです。ただ船底に海のうねりがどおんと当たるときだけ、海の上にいるんだという実感がわきます。
お台場そのものは埋め立てられて、なくなっちゃたのかと思い込んでいたら、ちゃんとまだあるんですね。 黒船が来た時は、急造のお台場に石灯籠を横倒しにして大筒に見せかけ、幕府は諸大名を江戸城に集めるのに火事装束にするか戦装束にするかで、延々と評定を続けて、結局、火事装束で集合させたなんて話を思い出しました。 加藤清正が伊豆から江戸城の石垣のための石を運んできたときには品川なんて、遠浅の海岸が広がっていただけなんでしょうねえ。
アジアンタム
2007年07月15日(日)
南側のベランダは以前はとても日当たりがよかったのですけれども、今は隣に建物が建ってしまったので、日陰になっています。それだけじゃなくて、風の通り道にもなっています。あんまり大きな声では言えないけれども、バスタオルを干した物干し竿が、まるごと一本、飛んでいってしまったという椿事も起きています。 人の頭にでも当たったら大怪我ではすまないかもしれないと想像するだけで「クワバラ クワバラ」でした。
で、その縁側にアジアンタムの鉢を置きたいなあと5月頃からずっとそう思っていました。アジアンタムは葉っぱがしゃらしゃらした羊歯ですが、羊歯だから日陰がいいの。でも このごろ、アジアンタムはそんなにたくさん売ってません。どっかで見つけてこなくちゃ、あるいは花屋さんに御願いして、どこかの市場から引いてきてもらうかしなくちゃとなどなどあれこれと考えているうちに夏が終わっちゃんだろうなとあきらめかけていたら、昨日、アジアンタムの大きな鉢を花屋さんでみつけました。とりあえず、一鉢、買ったけれども、もう一鉢欲しいなあと、いやさらにもう一鉢、あるだけ買ってきちゃおうかな……。外は台風なのに、なんだかアジアンタムが欲しい。湿った羊歯の茂みに隠れちゃいたいような気分。これはまたどうしたことでしょう。
4月に買ったデジタルカメラはまだ使い方がよくわかりません。というか、マニュアルを読む気がしないままになっています。で、今週は法政大学のほうの研究室にパソコンが入ります。今度、パソコンの設置を助けてくれるのはつくまさんです。で、またマニュアル読むのが面倒でそのままになっちゃうのかな?ああん、やっぱり羊歯の茂みに隠れちゃいたいよ。何?お盆だからそんな気分になるんだって。そうだ東京は東京お盆でした。
なんで「です ます」体を使っちゃったのかな?
2007年07月06日(金)
「豆の葉」を書き始めるときに、なんとなく「です、ます」体を使ってしまいました。で、時々、それがうっとうしいような感じがしてしまいます。自分でもなぜ「ですます」体を使ってしまったのか、よく思い出せないのです。最初は、もっと素朴なホームページでしたから知っている人が見ているだろうくらいの軽い気持ちで「ですます」体を使ったのかもしれません。
大学一年生で原稿料がもらえる原稿を書き始めた頃、不特定多数の人に向けた原稿を書くのにとまどいを覚えました。「豆の葉」は、そのとまどいを思いださせるようなところがあります。今日は「すばる」8月号のすばるカフェ欄に韓国から東京に滞在中の姜英淑さんがエッセイを書いていることを書こうとして、なんだか「ですます」体では書きにくいなあ、いや「ですます」体ではなくて「だ だった」体を使おうかなと迷っているうちに、なんで「ですます」体を使っちゃったんだろう? とまたまた「???」になっていました。
以前は「豆の葉」も時折、「ですます」体ではなくて「だ、だった」体を使っていました。これからも時々「だ、だった」体を使うと思います。ちゃんとフォルムがある文章を書こうとすると「だ、だった」の語尾を用いたほうがしっかりとしたものが書けるのですが、ばかみたいにタイプするだけの時は「ですます」体のほうがごまかしが聞くのです。
新潮文庫の背
2007年07月04日(水)
新潮文庫にカバーがかかったのはいつごろだったかな?と考えてみたのですが、思い出せません。まだパラフィン紙を使っていた頃もちょこっと覚えています。母がスポンジケーキを焼くときに、あれを使えないかしら?と言い出したことがありました。ううん。やっぱり本棚の中にずっとおきっぱなしにしてあると、パラフィン紙も弱くなって、しかも茶色く変色しているし、埃もかぶっているしで、さすがにケーキには使えませんでした。
見慣れたはずの新潮文庫の背ですが、作家によって色が決まっていると言われてみると「あ、そうだった」と気づく感じでした。みんな違う色というわけでもないのだそうです。あいうえお順に並んで隣同士にならなければ、同じ色を使うこともあるそうです。で、背の色が決まるのは二冊目から。一冊目はどの人も「白」の背を使うそうです。というわけで今回「うさぎとトランペット」ではいくつかの候補の色から背の色を選ばせてもらいました。選んだのは「洗朱」という色名の色です。「楽隊のうさぎ」もこれまでは白でしたが、次回の重版から背は「洗朱」に変わるそうです。へえ、そんな決まりがあったのかと感心。本屋さんで年中眺めている新潮文庫ですが、そんな決まりがあったとは知りませんでした。
カバーの背には短い紹介文があります。これを読んでいるとなかなかおもしろいのですが、パラフィン紙のカバーから今のカバーに変わった時には大量の紹介文を書かなければならず、担当者はものすごく苦労したそうです。確かに出版点数を考えると、これは突然、大量の仕事が降って湧くような出来事だったでしょう。 背の色は「白」がいいという作家ももちろんいるわけで、その場合は背に載る文字の色が墨から別の色に変わるそうです。そういう目で一度、新潮文庫の棚を見てみたら、それはそれでおもしろそうです。
うさぎとトランペットの文庫がでました。
2007年07月03日(火)
「うさぎとトランペット」が新潮文庫に入りました。解説は文芸評論家の日比勝敏さんです。この解説がすごく良い解説で、日比さんに感謝しています。親本には解説はないので、文庫はこの解説を読むだけでも価値があると思います。装丁も親本と少し違った雰囲気になっています。どうしたことか?アマゾンではまだこの本の表紙の画像がありません。出版点数が多いので、画像のアップがまにあっていないのかもしれません。
メディア・パル社で「大人になるヒント」という本を作っています。法政大学の06年度の中沢ゼミ卒業生に中学校時代の話をしてもらいました。それに私がコメントをつけるという形式の本です。これも最終の原稿を入稿中で、もうすぐ新刊のご案内ができると思います。ゼミ生に中学時代のことを聞いてよかったなあと思っています。中学生って、今、この時代に生きるための工夫をものすごく試行錯誤しながらしているんだなということが実感として伝わってきました。
静岡新聞、熊本日日新聞連載の「ジュリアおたあ異聞」ですが、8月23日スタートと決まりました。こちらのほうはこれから急ピッチで、入稿をしていこうと準備をしているところです。挿絵は宮本恭彦さんです。宮本さんには、舞台となる熊本の宇土などをスケッチしていただくなどの、準備をしていただています。この仕事を私はこれまでにないほど楽しむことができそうだという予感がしています。
昨日「法政文芸」3号を責了にしました。「法政文芸」は一年に一冊、法政大学の文学部日本文学科で発行している文芸誌です。編集は法政文芸編集委員会というかたちで学部学生の皆さんにやってもらっています。3号の編集長は私です。特集は「ヤングアダルト」です。笹生陽子さんのインタビューをはじめとして充実した内容になりました。途中、麻疹休講などもありました。
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