ミャンマー人と間違えられる
2004年07月31日(土)
先週の土曜日のことでした。ともだちが入院している東京医科大学病院にお見舞いに行きました。ロビーで女の人から声をかけられたのですが、なんだか解らない言葉で話しかけてきます。「何語だろう?」と首をしばらくかしげてました。それで、とりあえず日本語で「今日は暑いですね」と言ってみました。 「日本語が上手ですね」といわれたので、ははんこれは何か間違っているなあと思いました。 「ネイティブですから」と言って笑ったら、とたんにその女性は困った顔になってしまいました。ちょっとあわてています。 「いえ、ミャンマーの人だと思ってのです。ごめんなさい。」 「じゃあ、今のはミャンマー語ですか?ミャンマー語の勉強をしているのですか?」 「少しだけミャンマーにいたことがありまして」 たいへん恐縮した様子でそう言っていました。ミャンマー人に間違えられてたのは初めてでした。なんだかちょっと気まずいので、その人にミャンマーのことを少しだけ教えてもらいました。
そういえば、韓国の出かける前に銀座の鳩居堂へお土産を選びに行ったら、そばにいた人から英語で話しかけられたので、片言の英語で答えておきましたが、きっとあの人もどこか別の国の人と私のことを思い込んでいたふしがありました。この時はなんだかだましたようで、その人が売り場から居なくなるまでに日本語を使わずに済ませました。でも何人だと思ってのかな。聞いてみたら意外な答えが帰ってくるかもしれないなあと思いました。
桔梗と赤いかさと黄色い長靴
2004年07月26日(月)
中学生の時の夏休みの宿題にスケッチをしてくることというのがありました。家の庭先に桔梗がたくさん咲いていたので、それをスケッチしました。琳派風というと大げさですが、背景を水色に、桔梗の花を紫で、花芯を黄色に塗ろうと考えていました。
めずらしくこのスケッチが美術の先生に褒めてもらえてうれしかったのですが。そのあとがいけません。ここに黄色の長靴と赤いかさを描くともっとよくなるよと、画面にかさと長靴が加わってしましいました。水色の大空が急に小さくなった感じで、この絵をどう仕上げたていいのかさっぱり解らなくなってしまいました。
今でも、そのときの感じが残っていて、創作クラスの人の原稿に手を入れるのは嫌だなあと億劫になることがあります。ううん。教えるほうに回ると黄色の長靴と赤いかさを描いた先生の気持ちもわかるのですが。
トラジ、トラジ、トラジ
2004年07月25日(日)
韓国の市場ではトラジをよく見かけます。トラジは桔梗のことです。食べるのはどうやら根っこの部分みたいです。桔梗は日本でもよく見かける夏の花ですが、どういうわけか食べるというは話はあまり聞きません。
慶州はここのところ雨降り続きだったと言います。新潟や福井に豪雨をもたらした梅雨前線の延長が朝鮮半島にもかかっていたのです。韓国では梅雨をチャンマ(長雨)と呼びます。私が慶州に行った時は幸い久しぶりのお天気となりました。(晴れ女は誰だ?)
晴れれば暑いのですが、川の土手にはオミナエシがたくさん黄色く群れていました。また、あちらこちらに桔梗の花が、白と紫で入り混じりながらさいていました。昔「トラジ、トラジ」と繰り返しのある歌を聴いたことがあるのですが、いったいどんな歌だったかそれ以上は覚えていません。でも、故郷の桔梗の花を懐かしむ内容だったと思います。
紫の花だけでなく、白い花も混じると、とたんに華やかな感じがする桔梗でした。この桔梗、東京近辺では平将門の愛妾の名前が「桔梗」で、将門はその桔梗に裏切られて敗戦に追い込まれたそうです。それで将門塚には桔梗が生えないという伝説を聞いたことがあります。
生活韓服
2004年07月24日(土)
大急ぎで韓国を旅行してきました。
日本で着物のことを洋服に対して和服といいますが韓国でも、洋服に対して、チマ・チョゴリやパジ・チョゴリのことを韓服といいます。韓服は結婚式などのお祝いの時やお葬式に着ることが多いのですが、日常的に着られるようにデザインを工夫した生活韓服が数年前から流行しています。
夏の生活韓服は蝉の羽のように薄くすけるように織った麻などの生地がとても涼しそうに使われています。今度はたった2泊3日でソウルから慶州、またソウルに戻るという大急ぎの旅でしたが、生活韓服を着た若い旅行者をよく見かけました。男性用もあります。染めや織りに伝統的技法をつかったり、天然染料を使っているので優しく見えます。
この夏用の生活韓服が一着欲しかったのですが、残念ながら選んで買う閑がありませんでした。来年の夏はぜひソウルに夏用の生活韓服を買いにいかなくちゃ。
商品名
2004年07月16日(金)
小説を書いていると意外な言葉が特定の企業の商品名であることに気づくことがあります。有名なところではテトラポットでこれは一般には「波消しブロック」と言うのだそうです。ファミコンも特定企業の商品名で「テレビゲーム」が一般的な名詞です。教科書に載せる文章になると、こうした特定の商品名を使わないという基準がもっと厳しくなります。
教科書ですから特定の商品名は使わないというのはもっともな気がするのですが、実際に原稿を書いてみると意外な単語が商品名であるのに驚いたり、困ったりします。例えば、バンドエイド。これは子どもの頃からなんとなくそう言ってきました。救急絆創膏なんて言い方はしませんでした。サビオという商品もあって、それを使っている時も、呼び方はバンドエイドでした。きっとサビオのほうが薬局においてある地方ではバンドエイドではなくてサビオの名称のほうが一般的な呼び方だったところもあるかもしれません。
調べてみれば、商品を作った企業はなくなってしまったけれども、商品名は一般的な名詞として残ったいるものなんていうものはきっとあるに違いないのです。もしそういう単語を知っていたら教えてください。
街の中と口の中
2004年07月14日(水)
思わず「なんと横着な」と言っていましましたが、朝食を済ませた娘がテーブルの前で歯を磨いていました。なんでも二度目の歯磨きだそうです。
獅子文六がフランス人は朝のカフェ・オーレの味を損ないたくないために朝食を済ませてから歯磨きをし、イギリス人はきれいな口で朝ごはんを食べたいために朝食前に歯磨きをすると書いていました。
そのことを娘と話していると彼女は日本人は朝食の前と後の両方で歯磨きをすると言うのです。だとすると、日本人のごはんの味よりの清潔好きということになる笑うと、「口の中はきれいにするのに、街の中はごちゃごちゃだね」と皮肉を言うのでした。
街並みが美しくないということと、口の中をきれいにするというのが並ぶとなんとなくみょうな気がしました。
セミプロの哲学
2004年07月13日(火)
パック・イン・ジャーナルは生放送の番組終了後に出演者どうしで雑談をしているとなかなかおもしろいことがあります。時には番組の中の激論が控え室まで持ち越しになることもあります。10日は放送中も穏やかでしたが、番組終了後の話題も、野球の一リーグ制移行で穏やかでした。幸い強烈な近鉄ファンもいなければ、頑固なアンチ巨人の出演者もいなかったので、関西の事情に詳しい評論家の八幡和郎さんから、関西経済のお話を伺うという展開になりました。
八幡さんは野球もサッカーと同じように二部リーグ制にしたほうがいいというお考えです。そういう話の中で、「セミプロの哲学」という話題が出ました。アマチュアでもなかければプロでもない。ちゃんとお金がとれることができるけれども、お金を目的にしないセミプロの哲学というものがあればいいというご意見にはまったく同感でした。
野球もサッカーのような二部リーグ制が良いのかどうかは別の議論としても、その話を聞くうちに文学も似たようなものだなあと思いました。同人誌というセミプ集団があって、プロの作家にも緊張感が生まれるという状態が崩れたのは、文芸誌が新人賞で作家を出すようになってからです。
私自身が同人誌を知らない新人賞から出てきた作家なのであまりなことは言えませんが、セミプロという存在とセミプロの哲学を失った結果の損失は、一般に考えられている以上に大きいのかもしれません。もっとも、私が小説を書くようになった1970年代後半頃には同人誌も勢いを失っていて、弊害のほうが大きいというようなこともよく耳にしました。話として聞くだけでなく、「これは困ったことだ」という光景も目にしたこともあります。それでもその頃は、セミプロの哲学と聞いて思い出す作家が幾人もいました。プロが脱帽する人々でした。
パック・イン・ジャーナル
2004年07月11日(日)
10日、パック・イン・ジャーナルに出演しました。今夜は選挙特番だそうです。私は選挙特番はおうちでゆっくり眺めさせてもらいます。
今回の選挙は投票率が低いのではないかと言われています。実際、投票率は低いかもしれません。でも、それがそのまま、政治に対する関心が薄いということになるかと言うとそうでもないとうな感じがします。関心はあるけれどもどうしていいのか解らないというのが、ほんとうのところではないでしょうか?今回は投票率が低いと自民が強いという図式が壊れる選挙になるかもしれません。
パック・イン・ジャーナルでは野球が1リーグになるかもしれないという話題も出ました。なんだかこの話も年金問題の手順前後に似ているなあと思っています。もっとも私は原元巨人軍監督が高校生だった時からのファンなので、巨人軍監督をやめさせた時から、巨人軍オーナーには良い感情を持っていません。
どんな人でもこの世をおさらばする時が必ず来るのですから、後に残る人に対する敬意と遠慮は示してもらいたいと思います。それでこそ老人は尊敬されるのだと思います。
オウムとテロ
2004年07月08日(木)
昨日、一昨日とオウム信者や元オウム信者が逮捕されています。9年前の地下鉄サリン事件の日、地下鉄は定時定刻で運行されていました。5000人からの死傷者がいるにも関わらずです。
アメリカの同時多発テロがあった時、私は北京にいたのですが、日本に帰ってくると市谷の防衛庁の前には自動小銃を持った自衛隊員が歩哨に立っていました。自分の国でテロがあったときには、地下鉄を定時定刻で運転したサリンの真ん中をいつもどうり走らせて、みんないつもと同じように仕事をしていたくせに海の向こうでビルが二本壊れたら、自動小銃を持ち出すというのは、やっぱり日本はヘンな国だと思いました。 村上春樹の「アンダーグラウンド」を読むと地下鉄サリン事件の日に、電車に乗り合わせていた被害者はもっとひどい被害を受けた人が横たわっているのを横目に見ながら、いつものように出勤して、いつもと同じに仕事をしている人がずいぶんいるんですね。
日本の野党って
2004年07月04日(日)
いつも思うことなのだけれども、日本の野党ってなぜ反対すると、そこで拘っちゃうのはなぜなのだろうかしら?イラクに自衛隊を派遣するのに反対。で、実際にイラクに自衛隊が派遣されてもまだ「反対」と言っていているだけ。
もしほんとうに「反対」であったら、イラクに自衛隊が派遣されたことを踏まえて、再検討の期限を政府に求めるというようなことはしない。結論が出たら、その次の対策を出すのがほんとうではないかと思うのですが、どうしてそれをしないのでしょうか?
例えばイラクに自衛隊を派遣したら、復興支援が出来ている状態かどうか、治安維持という程度のレベルで暴力が収まっているのか、それとももっと大規模な戦闘に発展する可能性があるのかを検討する期限を政府に求めるというような知恵がなぜ出てこないのかなと不思議でしょうがないのです。見直し期限は3ヶ月ごとでもいいでし、4ヶ月ごとでもいいのです。期限を巡って野党と政府が折衝をするうちに、政府の見通しや考え方ももっと鮮明になると思います。
こんなことを不思議がっているのは私だけでしょうか?
真夜中のドライブ
2004年07月02日(金)
子どもの頃、本というものがなかったら、とても辛い思いをしたかもしれません。本を読んでいて、なんとなく危ないところを通り過ぎたことが、何度もありました。少年事件のニュースを聞くと最初に思い出すのは、そういう記憶です。なんだか被害者もになれば、加害者にもなり、時には自分で自分を「病い」に追い込むようなこともあったかもしれないと冷や汗が出ます。最近では自分の息子や娘のぶんもあって冷や汗も2倍になっています。
「テーマで読み解く日本の文学ー現代女性作家の試み」発刊記念シンポジウムは、皆様のおかげでたいへん賑やかで和やかな会になりました。どうもありがとうございます。子どもの頃、読書を慰めにしていたことが豊かな実りを迎えたという実感があったシンポジウムでした。
シンポジウムの翌日は浦安のブライトンホテルで、大庭みな子さんを囲んで小さなパーティを開きました。こちらもゆったりとしたいいい会でした。私は車で浦安まで行ったのですが、帰りに津島佑子さんを池袋までお送りすることになりました。
なんと津島さんは車の助手席がお好き。いや、ほんとうは運転免許をとりたいのかもしれませんが「年齢的には努力が必要だから」ということで、助手席で我慢といったところでしょうか。日ごろをお嬢さんの車に乗っているのだそうです。そうと解れば、私は助手席に人を乗せるのは大好きなので、首都高を銀座線から羽田線へ、さらに足を伸ばして横浜のブイブリッジへ出て、中華街でおそばを食べました。それからまた東京に引き返し、レインボーブリッジを渡ってきました。それよりも突っ走るとまた浦安に戻ってしまうので、真夜中のドライブはこの辺で終わりにしました。
ミャンマー人と間違えられる
2004年07月31日(土)
先週の土曜日のことでした。ともだちが入院している東京医科大学病院にお見舞いに行きました。ロビーで女の人から声をかけられたのですが、なんだか解らない言葉で話しかけてきます。「何語だろう?」と首をしばらくかしげてました。それで、とりあえず日本語で「今日は暑いですね」と言ってみました。 「日本語が上手ですね」といわれたので、ははんこれは何か間違っているなあと思いました。 「ネイティブですから」と言って笑ったら、とたんにその女性は困った顔になってしまいました。ちょっとあわてています。 「いえ、ミャンマーの人だと思ってのです。ごめんなさい。」 「じゃあ、今のはミャンマー語ですか?ミャンマー語の勉強をしているのですか?」 「少しだけミャンマーにいたことがありまして」 たいへん恐縮した様子でそう言っていました。ミャンマー人に間違えられてたのは初めてでした。なんだかちょっと気まずいので、その人にミャンマーのことを少しだけ教えてもらいました。
そういえば、韓国の出かける前に銀座の鳩居堂へお土産を選びに行ったら、そばにいた人から英語で話しかけられたので、片言の英語で答えておきましたが、きっとあの人もどこか別の国の人と私のことを思い込んでいたふしがありました。この時はなんだかだましたようで、その人が売り場から居なくなるまでに日本語を使わずに済ませました。でも何人だと思ってのかな。聞いてみたら意外な答えが帰ってくるかもしれないなあと思いました。
桔梗と赤いかさと黄色い長靴
2004年07月26日(月)
中学生の時の夏休みの宿題にスケッチをしてくることというのがありました。家の庭先に桔梗がたくさん咲いていたので、それをスケッチしました。琳派風というと大げさですが、背景を水色に、桔梗の花を紫で、花芯を黄色に塗ろうと考えていました。
めずらしくこのスケッチが美術の先生に褒めてもらえてうれしかったのですが。そのあとがいけません。ここに黄色の長靴と赤いかさを描くともっとよくなるよと、画面にかさと長靴が加わってしましいました。水色の大空が急に小さくなった感じで、この絵をどう仕上げたていいのかさっぱり解らなくなってしまいました。
今でも、そのときの感じが残っていて、創作クラスの人の原稿に手を入れるのは嫌だなあと億劫になることがあります。ううん。教えるほうに回ると黄色の長靴と赤いかさを描いた先生の気持ちもわかるのですが。
トラジ、トラジ、トラジ
2004年07月25日(日)
韓国の市場ではトラジをよく見かけます。トラジは桔梗のことです。食べるのはどうやら根っこの部分みたいです。桔梗は日本でもよく見かける夏の花ですが、どういうわけか食べるというは話はあまり聞きません。
慶州はここのところ雨降り続きだったと言います。新潟や福井に豪雨をもたらした梅雨前線の延長が朝鮮半島にもかかっていたのです。韓国では梅雨をチャンマ(長雨)と呼びます。私が慶州に行った時は幸い久しぶりのお天気となりました。(晴れ女は誰だ?)
晴れれば暑いのですが、川の土手にはオミナエシがたくさん黄色く群れていました。また、あちらこちらに桔梗の花が、白と紫で入り混じりながらさいていました。昔「トラジ、トラジ」と繰り返しのある歌を聴いたことがあるのですが、いったいどんな歌だったかそれ以上は覚えていません。でも、故郷の桔梗の花を懐かしむ内容だったと思います。
紫の花だけでなく、白い花も混じると、とたんに華やかな感じがする桔梗でした。この桔梗、東京近辺では平将門の愛妾の名前が「桔梗」で、将門はその桔梗に裏切られて敗戦に追い込まれたそうです。それで将門塚には桔梗が生えないという伝説を聞いたことがあります。
生活韓服
2004年07月24日(土)
大急ぎで韓国を旅行してきました。
日本で着物のことを洋服に対して和服といいますが韓国でも、洋服に対して、チマ・チョゴリやパジ・チョゴリのことを韓服といいます。韓服は結婚式などのお祝いの時やお葬式に着ることが多いのですが、日常的に着られるようにデザインを工夫した生活韓服が数年前から流行しています。
夏の生活韓服は蝉の羽のように薄くすけるように織った麻などの生地がとても涼しそうに使われています。今度はたった2泊3日でソウルから慶州、またソウルに戻るという大急ぎの旅でしたが、生活韓服を着た若い旅行者をよく見かけました。男性用もあります。染めや織りに伝統的技法をつかったり、天然染料を使っているので優しく見えます。
この夏用の生活韓服が一着欲しかったのですが、残念ながら選んで買う閑がありませんでした。来年の夏はぜひソウルに夏用の生活韓服を買いにいかなくちゃ。
商品名
2004年07月16日(金)
小説を書いていると意外な言葉が特定の企業の商品名であることに気づくことがあります。有名なところではテトラポットでこれは一般には「波消しブロック」と言うのだそうです。ファミコンも特定企業の商品名で「テレビゲーム」が一般的な名詞です。教科書に載せる文章になると、こうした特定の商品名を使わないという基準がもっと厳しくなります。
教科書ですから特定の商品名は使わないというのはもっともな気がするのですが、実際に原稿を書いてみると意外な単語が商品名であるのに驚いたり、困ったりします。例えば、バンドエイド。これは子どもの頃からなんとなくそう言ってきました。救急絆創膏なんて言い方はしませんでした。サビオという商品もあって、それを使っている時も、呼び方はバンドエイドでした。きっとサビオのほうが薬局においてある地方ではバンドエイドではなくてサビオの名称のほうが一般的な呼び方だったところもあるかもしれません。
調べてみれば、商品を作った企業はなくなってしまったけれども、商品名は一般的な名詞として残ったいるものなんていうものはきっとあるに違いないのです。もしそういう単語を知っていたら教えてください。
街の中と口の中
2004年07月14日(水)
思わず「なんと横着な」と言っていましましたが、朝食を済ませた娘がテーブルの前で歯を磨いていました。なんでも二度目の歯磨きだそうです。
獅子文六がフランス人は朝のカフェ・オーレの味を損ないたくないために朝食を済ませてから歯磨きをし、イギリス人はきれいな口で朝ごはんを食べたいために朝食前に歯磨きをすると書いていました。
そのことを娘と話していると彼女は日本人は朝食の前と後の両方で歯磨きをすると言うのです。だとすると、日本人のごはんの味よりの清潔好きということになる笑うと、「口の中はきれいにするのに、街の中はごちゃごちゃだね」と皮肉を言うのでした。
街並みが美しくないということと、口の中をきれいにするというのが並ぶとなんとなくみょうな気がしました。
セミプロの哲学
2004年07月13日(火)
パック・イン・ジャーナルは生放送の番組終了後に出演者どうしで雑談をしているとなかなかおもしろいことがあります。時には番組の中の激論が控え室まで持ち越しになることもあります。10日は放送中も穏やかでしたが、番組終了後の話題も、野球の一リーグ制移行で穏やかでした。幸い強烈な近鉄ファンもいなければ、頑固なアンチ巨人の出演者もいなかったので、関西の事情に詳しい評論家の八幡和郎さんから、関西経済のお話を伺うという展開になりました。
八幡さんは野球もサッカーと同じように二部リーグ制にしたほうがいいというお考えです。そういう話の中で、「セミプロの哲学」という話題が出ました。アマチュアでもなかければプロでもない。ちゃんとお金がとれることができるけれども、お金を目的にしないセミプロの哲学というものがあればいいというご意見にはまったく同感でした。
野球もサッカーのような二部リーグ制が良いのかどうかは別の議論としても、その話を聞くうちに文学も似たようなものだなあと思いました。同人誌というセミプ集団があって、プロの作家にも緊張感が生まれるという状態が崩れたのは、文芸誌が新人賞で作家を出すようになってからです。
私自身が同人誌を知らない新人賞から出てきた作家なのであまりなことは言えませんが、セミプロという存在とセミプロの哲学を失った結果の損失は、一般に考えられている以上に大きいのかもしれません。もっとも、私が小説を書くようになった1970年代後半頃には同人誌も勢いを失っていて、弊害のほうが大きいというようなこともよく耳にしました。話として聞くだけでなく、「これは困ったことだ」という光景も目にしたこともあります。それでもその頃は、セミプロの哲学と聞いて思い出す作家が幾人もいました。プロが脱帽する人々でした。
パック・イン・ジャーナル
2004年07月11日(日)
10日、パック・イン・ジャーナルに出演しました。今夜は選挙特番だそうです。私は選挙特番はおうちでゆっくり眺めさせてもらいます。
今回の選挙は投票率が低いのではないかと言われています。実際、投票率は低いかもしれません。でも、それがそのまま、政治に対する関心が薄いということになるかと言うとそうでもないとうな感じがします。関心はあるけれどもどうしていいのか解らないというのが、ほんとうのところではないでしょうか?今回は投票率が低いと自民が強いという図式が壊れる選挙になるかもしれません。
パック・イン・ジャーナルでは野球が1リーグになるかもしれないという話題も出ました。なんだかこの話も年金問題の手順前後に似ているなあと思っています。もっとも私は原元巨人軍監督が高校生だった時からのファンなので、巨人軍監督をやめさせた時から、巨人軍オーナーには良い感情を持っていません。
どんな人でもこの世をおさらばする時が必ず来るのですから、後に残る人に対する敬意と遠慮は示してもらいたいと思います。それでこそ老人は尊敬されるのだと思います。
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