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建築現場に夏が来る
2011年06月13日(月)
今のマンションを買うときに不動産屋さんに「マンションってどのくらいの耐用年数なのですか?」と尋ねました。「査定では50年となっていますけど……」とのお答え。その頃、今のマンションは築8年というところでした。それからもう24年。我が家も築30年を超えました。 ところで日本のコンクリート建造物はだいたい築30年くらいで立て直されているそうです。それはどこで聞いた話なのか、それとも新聞で読んだ話だったのか?よく記憶していないのですが、そう言えば、戦後すぐに建てられた建物が姿を消して新しくなったのは、私が大学へ通っていた頃でした。それから子どもの時に昭和30年代40年代の建物が順次に姿を消して行きました。
飯田橋の警察病院や郵便局があった一画の再開発が始るという掲示を発見したのは、昨年(2010年)秋でした。警察病院はもう閉鎖されていました。3月11日の地震のときにはまだ、建物の取り壊しは始っていませんでしたが、工事のための囲いは出来ていました。通りがかりの女の人が「え、郵便局も地震で崩れちゃったの!」と驚いていたのは4月のはじめだったか。思わず「いいえ、再開発です」と声をかけそうになりました。
それから見る見るうちに取り壊しが始りました。今ではもう、すっかり地上の部分は取り壊され、地下の構造物の撤去まで進んでいます。写真は外濠側から解体の様子を写したものですが、富士見側からみると、外濠土手がくっきりと姿を現して、幕末の写真で見るような景色を見ることができます。
工事現場にカメラを向けていたら、年配の男性、たぶん70代半ばくらいでしょうか? そのくらいのお年の方から声をかけられました。 「ああ、なんて乱暴な工事でしょう。埃がもうもうとたっている。音もひどい。もっと、きれいに取り壊せるのにねえ」 と憤慨していました。確かに住宅密集地での工事に比べる大胆で乱暴な工事の進め方です。そういうお仕事をしていた人なのでしょうか。少し御返事に困りました。
取り壊した跡地には、40階建ての建物が2棟できるそうです。まさかそんな巨大な建物も50年余りで取り壊すなんてことになるのかしら。そんなことはないだろうと、自問自答。どうなるものやら、わかりませんが、そろそろ30年サイクルで景色が変わるということも終わりだろうなという気だけはします。
そうすると幕末の写真にみるような外濠土手の眺めを楽しめるのは、これからほんの数週間ということになりそうです。富士見側からの写真を撮りたいと思いつつ、なかなかそれが出来ずにいます。写真を撮るならお天気の良い日の、光がちょうど上手い具合に差し込む時間がいいなあと、へたくそなくせに高望みをしてしまうからますます写真を撮るタイミングを逸しています。
さくらの実の熟するころ。
2011年06月11日(土)
外濠の土手の桜。毎年、小さな実をつけます。今年は例年にもましてたくさんの実がなっているような。そんな気がするのは、いつもの年よりも注意深く、外濠のさくらの変化を、こちらが見ているせいかもしれません。
桜の実は小指の頭よりも小さい。黄色い実が赤くなり、それから赤黒くなるとヒヨドリがやって来て実をついばみます。だから外濠の石畳はヒヨドリの黒い糞でまだら模様になっています。うまくしたもので、雨がふればヒヨドリの黒い糞はみな洗い流され、あとには桜の種が無数に残っています。目の良いヒヨドリは、桜の実が食べごろになるのをほんとによく見つけるものです。
ヒヨドリの大宴会が終わる頃には、泰山木の花がぽっかりと開きます。いつもの年は泰山木の花が突然開いて驚くのですが、今年は細い花芽がついたときから、目がいっているということは、やっぱり注意を特別に払っているということでしょう。人間の世界はなかなかうまくいかない事も多いのですが、自然の世界はちゃんと地球は公転して、冬が過ぎれば春が来て、行く春を惜しんでいる間にも夏の支度は整うようになっているようです。
鎌倉 鶴岡八幡宮の大銀杏ひこばえ
2011年06月10日(金)
鎌倉の鶴岡八幡宮は懐かしいお社です。子どもの時のなじみのお社は金沢八景の瀬戸神社。館山へ移ってからは船形の崖観音と那古観音。鎌倉の鶴岡八幡宮は、子ども時代に境内で遊んだお社とはちょっと違って、なんだか晴れがましくなつかしいところがあります。
小学校の修学旅行は金谷から東京湾フェリーに乗って鎌倉、小田原というものでした。鎌倉の八幡様の石段で撮影した集合写真を持っています。でも私はそのなかに写っていません。風邪を引いて熱を出したものだから修学旅行に行けなかったのです。で、翌年のお正月、母と叔母に鎌倉へ連れて行ってもらいました。鶴岡八幡宮へ行ったのはその時が初めてでした。金沢八景育ちの母や叔母はもちろんもう何度も出かけているお社です。鎌倉に行くなら駅前の豊島屋の喫茶室に寄ろうと、母と叔母が相談していたのを覚えています。このお社が、なんだか晴れがましく懐かしいのは、そんなことも関係しているのかもしれません。それから、30代の頃は、鎌倉在住の富岡幸一郎さんたちに誘われて、夏に鎌倉の飲み会をやってました。そいうことも懐かしさにきらびやかさを加えている理由になっているのでしょう。
城戸朱里さんに芸術選奨新人賞を受賞されたお祝いを差し上げたいと言ったら「鎌倉の宴会!」という御返事が来て、それが震災やら原発事故でのびのびになっていました。で、約束を果たしに鎌倉へ。藤沢周さん、八木寧子さんも加わってささやかな祝宴を楽しんできました。
八幡様の大銀杏が強風のために倒れたのは、1昨年の秋のことでした。一度、様子を見に行きたかったので、城戸朱里さんとは大銀杏の前で待ち合わせました。紗の覆いで保護された大銀杏の株からひこばえが出ているというニュースは聞いてました。
紗の覆いをどれどれと覗き込んでみると、おおきな株の中からにょきにょき。出ているではありませんか、幾つものひこばえが。いや、もうひこばえと言うにはやや大きくなりすぎていて、若木と呼べそうな大きさに育っていました。一本の大木が倒れて、そのあとに、若い木の林が生まれつつあるのを見てきました。
地上の幹は折れて倒れても根はまだ生きているのです。生きている根は、もう一仕事もふた仕事もしてから、だんだんとこの世を去ってゆく様子です。根を張るというのはそういうことなのでしょう。大木が倒れたあとに若木の林が出来て、若木の林の中から強い木が、ほかの木々を圧倒してまた大木になる。その間に100年ぐらいが過ぎて行く。紗の覆いの中を覗きながら、そんなことを考えました。もっとも、紗の覆いに注連縄が張られた大切な木ですから、ひこばえの根本には栄養剤が注入されていて、たくましさよりはやや過保護? な様子も見て取れました。
復興書店に本がならびました。
2011年06月05日(日)
たいへん遅くなりましたが、復興書店に本が並びました。絶版になっている新潮社「楽隊のうさぎ」単行本。新潮社「うさぎとトランペット」単行本。それから新刊の「書評 時評 本の話」集英社文庫「豊海と育海の物語」新潮文庫「うさぎとトランペット」などを提供しました。いずれもサインと入れました。
昨晩アップされたのですが講談社文芸文庫「女ともだち」は早くもSold Outの表示になっていました。お買い上げく下さった皆様、どうもありがとうございます。また、ほかの本もお早めにお買い上げいただければ、うれしいです。どうぞよろしくお願いします。
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