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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

昨日食べた

2008年05月28日(水)

 かれいのお刺身がおいしかった。それからぷちぷちと泡が出る日本酒もおいしかった。シャンパンみたいな感じ。

 それで、また写真を撮るのを忘れてました。

仕事の合間にちょこっとネットのニュースを見る。四川の大地震は台北も揺れたという第一報から、注意してみていた。成都にも行ったことがあるし、都江堰にも行ったことがあったので、いったいどうなっているんだろうと、ネット配信される記事を読み予想以上の地震の被害のひどさに驚いていました。成都に行った時「蜀の犬は陽を見るとほえる」ということわざを教えてもらいました。蜀は四川の昔の呼び名。で、昔からあまりすっきりと晴れることが少ない地方なのだそうです。ですから、たまに快晴になると、お陽さまを見慣れない犬は驚いて吼えるのだそうです。快晴が少ないということは、地震後の感染症の手当てなどには苦労させられそうだなと感じていました。

 今日になって李白故居の様子を写した写真がネットニュースに掲載になっていました。李白故居の中庭でお婆さんたちが孫をあやしながらマージャンをしていたのを思い出しました。それから細長い口がついた薬缶でお茶を入れてもらったのも思い出しました。写真で見る李白故居は、築山が崩れて茶色の土砂が庭を埋め、壁もまた崩れ落ちていました。

 なんだかにがいわたの入った鮎が食べたいんだけど、どうしてだろう。昨日はちょっとしたお祝いで日本料理を食べたのですけど、ゴマ豆腐の上に稚鮎を甘辛く煮たのが載っていました。それでますます、ハラワタの苦い鮎が食べたくなりました。

いさきと夏みかん

2008年05月27日(火)

 お昼にいさきの干物を食べた。先週の日曜日に鎌倉の駅浦にある干物屋さんで買ってきたいさきの干物を冷凍にしておいたもの。5月になると父がいさきをバケツに何杯も釣ってきた。

 夏みかんを食べたら、子どもの時に住んでいた家の台所の昼下がりを思い出した。夏みかんの季節になると母が近所の八百屋さんに夏みかんの出荷を手伝いに行っていた。それで、たくさん夏みかんをもらってくるので、皮を剥いて砂糖漬けにした。砂糖漬けはそのまま食べることもあったが、冷たい水に溶かして夏みかんジュースにして飲んだ。

今年は苗ものが出回るのが遅いと花屋さんが話してしました。いつもはいっぱい売っている朝顔の苗もやっとひと株見つけて買ってきました。

 ネットのニュースで空き巣の操作中にパトカーが別の警察官に駐車違反切符を切られたという記事を見つけました。2、3日前にはパトカーが速度超過で違反切符を切られたというのもありました。どうなっちゃっているんだろう?

うちの薔薇

2008年05月25日(日)

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 伊藤さん、おつかれさまです。

 うちのベランダも薔薇が咲きました。去年の秋に薔薇の土を買って植え替えてやった薔薇です。

母の日

2008年05月13日(火)

 伊藤さん、次郎物語は佐賀が舞台なんですね。あんまり九州だと意識したことはありませんでした。次郎が正木のおじいさんを尋ねて冬の田んぼを歩く場面なんて、自分ちの近所(つまり房州)で考えていました。そのうちに佐賀に連れていって下さい。そうだ!下赤塚の下村湖人のお墓におまいりしたら、ここに写真載せますね。

 先週の日曜日は母の日だったので、花屋さんに行ってカーネーション赤20本、白3本買ってきました。白3本はお仏壇用。お仏壇が小さいので、それ以上あっても飾りきれないのです。で、赤20本は長い丈のまま、ガラス瓶にさして玄関に置いておきました。指示行動ですね。

 息子の反応
 「あ、今日は母の日だった。はははは」

 娘の反応
  「こういうのは一週間前にやらないと意味ないね。だってその日の夜になって気づいてもしょうがないから」

 だそうです。来年は一週間前にスプレー咲きのカーネーション50本で玄関の入り口をふさいでやろう。と母は思うのでした。

伊藤さん、次郎物語は

2008年05月08日(木)

 私も愛読しました。うちの本名が本田で、弟は生まれたとき、長男なのに「次郎」にされそうになりました。親子で愛読していたんですね。あと作者の下村湖人のお墓はうちの近くの下赤塚にあります。まだ行ったことはないけど。こんど行ってみます。うちから歩いていけるところなの。

ラコステのポロシャツ

2008年05月07日(水)

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 ラコステのポロシャツを買いました。ポロシャツって言えばラコステっていう時代がありました。高級ブランドが注目を集めた頃で、ラコステは手が届く高級ブランドって感じで紹介されていました。

 それでちょっとそんな頃のことを思い出していたついでに、欲しくなってしましました。白と紫を買ったつもりなんだけど、紫のほうは「ピンクだ」と家では言われています。薄い紫なの。でもピンクに見えるらしい。

うちのさくら それから

2008年05月06日(火)

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 青い実がなっています。

河のほとりで飲んだお茶

2008年05月03日(土)

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 河のほとりにイ・ビョンジュの文学碑があり、そのそばに藤棚がありました。藤棚の藤はまだ咲いていません。藤棚の下で水色のチマを身につけた人々が、そよそよとお茶を入れていました。胸元から足首にかけて大きく開いたチマは河からの風に揺れて、それがたった今しがた河から上がってきた水の精のように見えました。

 河東はお茶の産地でもあるのだそうです。

 ソウルでは麦茶とかコーンのお茶をごちそうになることが多く、グリーンティーは貴重です。

 お茶を入れるとき、湯冷ましに白磁の片口を使っていました。その白磁の片口がなかなか使いようさそうでした。ひとつ持っていたいものだと河東からソウルに戻り、仁寺洞に出かけました。土曜日の夕方の仁寺洞の賑わいに驚くとともに街がすっかり様相を変えているのにも、目を見張りました。

 昨年の9月にも仁寺洞を歩いているのですが、その時は夜遅かったので、あまり気づきませんでしたが、文房四宝と骨董、それに紙屋とお茶道具屋さんの多い街が、今ではファッションと現代美術とお土産屋さんの街に変貌していました。木版刷りの民画のグリーティングカードが欲しかったのですけど、今ではもう制作していないそうです。だとすると私の机の引き出しに残っている木版のカードは貴重品ということになります。しかたなく韓紙の封筒と便箋を買いました。白磁の片口は、土瓶とくみ出し茶碗がセットになったものを見つけましたが、これを日本まで持って帰るのを考えると、今回はあきらめました。が、なんでもないこんな道具は次に行った時にあるかどうか、今のソウルの変化の早さを考えると、これも幻になってしまうかもしれません。

 以前から欲しかった改良韓服を上下で買いました。夏にはそよそよとして気持ちよく着られます。もっともうちのばか息子は「焼肉屋の店員に見える」と言っていました。ま、確かに高級焼肉店では、定員さんが改良韓服を着ています。

慶尚南道と全羅南洞の間を流れる河

2008年05月03日(土)

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 河東は慶尚南道と全羅南道の境目に位置する街です。ソウルから高速道路を使って5、6時間かかりました。写真は慶尚南道と全羅南道の間を流れる河です。イ・ビョンジュの文学碑はこの河の岸に建れられていました。

 韓国では桜と菜の花が同時に咲くことが多いらしく、テレビの天気予報では黄色く咲いた菜の花に桜の花びらが散り掛かる映像が繰り返し放送されていました。河東では、もう桜の花は終わって、河岸はつつじの花が満開でした。外国に出るときは筆談のために分厚いノートを持って行きます。今回もオレンジ色の分厚いノートを持っていったのですが、そのノートにいつのまにか赤いつつじの花が一輪はさまっていました。

 この河ではたくさんのしじみがとれるそうです。朝ご飯にはラーメンの丼くらいの大きさの器でおいしいしじみ汁がでました。白いスープに殻なしのしじみ、それに韮を細かく切ったものが吸い口として浮いていました。これがおいしい。パウダー状のとうがらしをくわえるとさらにおいしくなりました。
 しじみのほかに梅の実の産地でもあって、ごちそうになって梅酒も良い香りでした。韓国では梅の木は、幹を切って、背の低い状態にして育てるようで、最初は梅の畑を桑畑と見間違えました。それからいちご!鶏の玉子ほどもある大きくて甘いいちごをいただきました。

 河東は写真のように穏やかでうららかな春の日でしたが、この日のソウルを大荒れの天気だとテレビが報じていました。大雨が降り、大風が吹き、さらには雷までなって街路樹が横倒しになったり、バス停の屋根が吹き飛ばされたりしていました。

韓国に行ってました。

2008年05月02日(金)

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 一週間ほど韓国に行っていました。

 伊藤さん、ご心配いただきましてありがとうございます。生きてます(笑)
 
 韓国のイ。ビョンジュ文学祭に行ってました。イ・ビョンジュは韓国の作家です。韓国南部の河東(ハトン)にイ・ビョンジュ文学館ができて、そこでのシンポジウムに参加してきました。それからイ・ビョンジュ国際文学賞が今年からできたそうで、ベトナム人の女性の作家が第一回の受賞者だそうです。あと中国人の女性の作家と、インド人の男性の作家とそれから、メキシコに住んでいるスペイン人の作家が来ていました(スペイン人は男性)

 写真はイ・ビョンジュの文学碑の前を行われた記念式で、韓国式のお茶を出してくれた人たちです。なんか河から抜け出てきたみたいな水色のチマ(スカートみたいなもの)を着ていました。遠くからみると「おそろい」なんだけど、近づくと、例えば背縫いにステッチが入っている人がいたり、チョゴリ(上着)に地紋があったりとそれどれ個性的でした。

   
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