中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

うわさには聞いていたけど

2006年05月31日(水)

 うわさには聞いていたんですが、税金について、今年はいろんなことが起きるのが分かりました。どうもぼんやりたるんではいられません。偶然なのですが、今年はいろんな税金の納税義務が重なってしまったのです。そういう年ってあるんですね。

 税務署のほうとお話をしたら「今年は重なっちゃったんですねえ」とあちらもやや呆れ顔でした。で、どうやって払うんだという問題が生じるわけで、そこはまあなんとかするより仕方がないでしょうということで。

 なんだか歯がゆい書き方ですが、税務署のほうも考えていて、納税の時期をそれぞれ税金の種類に応じてずらしているのです。そのずらした結果が、うちの場合は同じ年に集中しゃちゃったってことなんですね。まったく。やれやれだ。こういうことがあるって噂には聞いていたのですが、びっくりです。なにしろ自分で使ったお金じゃないから、自覚がない。あとから、ただ、ただ、びっくりです。

 今日の占いを見たら金運のところに「お金に足が生えたよう」とありました。使わなければなくならないって思っていたんだけど、使わなくてもお金に足が生えることってあるんだ。でも、いったい誰が「オアシ」なんていう言い方を考えたのでしょう。うまい言い方だなとこれも感心。

と、ここまで書いたら、ネットのニュースで架空の役所の名前を使った振込み詐欺の督促状が青森県で10件もみつかったというものがありました。ひどいなあ。うちに来た税金の納付書も振込み詐欺ってことはないだろうけどねえ。

今月はちょっと(アダプタと)

2006年05月29日(月)

72,388 byte

アダプタ 今月はちょっとたるんでいますね。
私    だって雨ばかり降っているんだもん。
アダプタ お天気のせいですかね
私    ええとねえ、魂があこがれ出ちゃってるって感じかな。遊びにいきたいってね。
アダプタ 魂が抜けちゃっているの?
私    ばか言わないの。魂が抜けていたら、死しゃっているじゃない
アダプタ じゃ、そこにいるのは幽霊?
私   だから、魂があこがれ出ているの。魂の「お」はちゃんと繋がっているから、大丈夫。大丈夫。
アダプタ だから先週の日曜日も今週の土曜日に競馬場に行っちゃったんだ。
私   しっ。それは内緒。内緒。原稿がぜんぜん真に会ってないんだから。
アダプタ ほんと気合が入ってませんでしたよ。
私   こんなに気合が入らないのも珍しいと我ながら思ってます。魂の尾を切れなかったけど、緊張の糸がぷつんって切れたんだね。
アダプタ でもダービーをとったじゃないの。僕にも何かおいしいものを食べさせて下さい。
私 豚用ペレットを買ってあげます。
アダプタ ええっ。ペレットよりミルキーがいいなあ。

なんだか、落ち着かない。

2006年05月27日(土)

 お野菜がじわじわ高くなっているというニュースが出ていましたが、今日の東京はまた雨です。白い雨。先週の日曜日は東京競馬場へ「オークス」を見に行ってました。重馬場にならなければいいけどって考えていたのを覚えていますから、やっぱり土曜日は雨が降っていたのです。翌日の日曜日はよく晴れて、馬場も「良」の表示でした。

 ご存知のとおりカワカミプリンセスが49年ぶりに無配のオークス馬になりました。49年ぶりって凄いなあ。私が生まれる前だのも。ええと馬券の「コイウタ」にかけていて、途中で競争中止。ま、残念でした。

 一年ばかり競馬場に行く暇もなかったのですが、ひさしぶりに行ってみると馬の名前が以前よりも分かりやすくなっていました。「コイウタ」なんて分かりやすい名前の馬が出てくるのは久しぶりだなあって思っていたらこれは歌手の前川清氏が馬主だとのこと。なるほど。名前で走るわけではないけど、あんまり長い名前は、覚えられなくって。競馬馬の名前はカタカナで9文字までと決まっているのですが、9文字とは思えないような長いという印象の名前があるのです。覚えやすい名前の馬が増えてくれると楽しいんですけどねえ。

 あしたはダービー。競馬場も近頃、入場者が減っているとは言ってもダービーは大混雑でしょう。今年はダービーもオークスに負けないくらいの大混戦だそうです。
こんな雨が降っちゃうと重馬場になって、またまた番狂わせがでるのかなあって、なんだか落着かない。

すごい雷雨でした。

2006年05月24日(水)

 いいお天気だから原稿を書き終えたら歩いて買い物に行こうと思っていたら、すごい雷雨になりました。おとなりの練馬区では床下浸水したり、水没した車に閉じ込められて消防隊に助けてもらったおばあさんもいるとのこと。先週の土曜日といい、今日といい、まったくなっていうお天気なのでしょうか。

 マンションのエレベーターの中で、いつも荷物を届けてくれる宅配便さんとばったり出会いました。今日のお届け先はうちではなかったみたい。「いやあ、嫌な季節になりますよ」と言ってました。夏はほんと荷物を運ぶ仕事に人にはたまらない季節です。「ほんとにちょうど良いお天気というのは、ほんの一週間あるかないかですね」と言ってました。

 車の名前が出てくる小説を書きました。新潮の8月号に乗ります。これからちょっと手直しというかお化粧直しをするつもりです。昔の道路の感じって書けそうで、なかなか書けません。日本全国、山の中まで舗装してしまいましたから、身体がでこぼこ道や砂利道の感触を忘れてしまったみたいです。

 雨はまだ降っています。今夜いっぱい降り続くのかしら?雨の音がよく聞こえてきます。

ばれちゃった?

2006年05月23日(火)

「先生、話がかみ合ってないとものすごく恐い顔しますね。気が短いし」って言われました。もとゼミ生に。
 家に帰ってその話を娘にすると「学校はまだましだって言いたい。家じゃあ、もっとすごいんだから」と言われてしまいました。で、出てきたのが「ヨーグルト頭」発言。

 「そのとろとろと溶けたヨーグルトみたいな頭であたしの周りうろつくな!」と文句を言ったことがあるのです。「お前なんか、日向のヨーグルトみたいな頭をしてくせにつべこべ言うな!あったまりすぎてもうすぐ腐りそうじゃないか!」と言った具合。
 娘に言わせると「あれはひどいよ。あれはないよ」ということでした。省略していますが、日向のヨーグルト発言のあとには、ヨーグルトが腐って行くプロセスが匂いの描写つきで入ったもおのだから、まあ、かなり襲撃力があったみたいです。

 学校にいるときはあんまりそういう罵倒って出さないようにしているんですけどね。ぴりぴりするのは出ているみたい。「先生、出ているなんてもんじゃありません。ぴりぴりです」やっぱり、ばれちゃっているんだ。

ナイトクラブとライブハウス

2006年05月22日(月)

 (土曜日の続き)結局、演歌が売れなくなった時期と純文学の衰退が言われだした時期ってかぶるんだなあと、オリコンのヒットチャートを見ながら考えていました。叙情性の変化ということから考えたことなのですが、歌謡曲ほど通俗的な叙情の変化を示すものはないと思ったのです。もっと音楽ができたら、全体の印象をリズムやハーモニー、メロディーにわけて、その変化を具体的に論述できるのに、ちょっと残念です。楽典をもう少し勉強したい気がします。

 で、話はナイトクラブに戻りますが、ナイトクラブがなくなっていったのと入れ替わりにライブハウスが登場してきます。ナイトクラブは絵看板を見るだけで、へえ、そんな場所があるんだという程度の知識しか持ち合わせていませんでしたが、ライブハウスのほうもまあ、人からそういう場所があるんだと話に聞くだけです。もっと音楽の才能があったら、バンド組んでライブハウスに出たいなんて企てたかもしれません。こっちは楽典の勉強と違って本を読めばなんとかなるというものではなくて、生まれついた才能がいるみたいです。カラオケでさえ人迷惑なのに、ライブハウスなんてとんでもない。

 で、ナイトクラブとライブハウスでは、何が違うかというと、観客と演奏者の距離です。ナイトクラブでは演奏者はプロ。ライブハウスは演奏者がアマチュアをいうことも珍しくありません。つまりライブハウスのほうがプロとアマチュアの境目が曖昧だということになります。こうしたアマチュアとプロの境目が曖昧になるという現象はなにもナイトクラブやライブハウスだけでなくさまざまな文化活動の局面で見られるものなのですが、そこにつかまってしまうと、議論は「質が低下した」という嘆きで終わってしまいます。ナイトクラブからライブハウスへの移行という「比喩」はもう少しいろんな面白いものをもっている気がします。

 叙情性の変化をいうことを考えた場合、もうひとつ興味を引くのは、エロテシズムの変化です。歌謡曲なんてものは、手っ取り早く色っぽい気持ちにされるのが目的だと言ってしまえば、あんまり簡単な結論かもしれませんが、そういう効果があることは確かです。で、どんな曲や歌詞を耳にしたら、色っぽい気持ちになるのかは、どんな歌謡曲が流行っているかの現れてくるわけです。同時にそれをどんな場所(雰囲気)で聞きたいかということも重要な要素になってきます。ナイトクラブとライブハウスという「比喩」はそうしたことを考える手がかりも与えてくれる「比喩」です。

そら豆 ナイトクラブ

2006年05月20日(土)

68,738 byte

 そら豆は天豆と書きます。なぜ天豆と書くのかというと豆の鞘が天に向かって育つからだそうです。写真は大原の田んぼのふちで5月のはじめ頃い撮影したそら豆です。房総では、米の裏作(冬の間の作物)としてそら豆を作ってました。ですから田植えが始まる頃に、そら豆の収穫があります。

 最近は鹿児島産のそら豆が2月頃から市場に出回って関東のそら豆が出るころには、もうそら豆は売れないのでしょうか?あまり房州産のそら豆を見かけなくなりました。水田の裏作としても出荷するほど作ってはいないのかもしれません。

 そら豆とナイトクラブはぜんぜん関係がないのですが、今朝、目が覚めたら、新宿東口の線路沿いに映画館の宣伝看板とナイトクラブの宣伝看板があったのをひょいと思い出しました。何時頃まで、あったのかな?ナイトクラブの看板はたいてい出演者のリアルな似顔絵で、青江ミナとか五木ひろし、森進一、クールファイブなんて人の顔が大きく描かれていました。それから、石川さゆりとか都はるみ、森昌子の顔もありました。

 森進一は鹿児島から集団就職で東京に出てきたという経歴を週刊誌か何かで読んだことがあります。年齢的にはもうすぐ定年を迎えるという団塊の世代。都はるみも団塊の世代かな。中上健二が小説「都はるみ」を書いていますが、それは世代的な近さから書かれたものだと私は思います。森昌子は山口百恵、桜田淳子と一緒に中三トリオを呼ばれた時期もあって、これは私よりも1学年上。今となれば同じ年みたいなものです。石川さゆりも中三トリオを同じ年齢。山口百恵が主演した「伊豆の踊り子」の映画で肺病で死んでしまう少女の役で出演したました。
 
 歌手のショーがあるナイトクラブなんて学生のは縁がない場所で、いつもその大きな看板を横目に見ながら、新宿を歩いていました。1980年にはまだその看板があったのを覚えています。紀ノ国屋ホールに芝居を見に行くために、東口を歩いていたある光景を記憶しているからです。80年代半ばにいわゆる演歌が売れなくなっった時期があって、そのあとのバブル期に新宿のナイトクラブは姿を消してしまったのかもしれません。今になって思い出していると、私と同じ世代までの歌謡曲の歌手はプロの仕事のひとつとしてナイトクラブのステージの経験があるのです。たぶん、それ以後はそうしたステージの仕事は激減したに違いありません。

 ちなみに85年という年はオリコンのヒットチャートに2週以上続けて1位をキープした歌謡曲がなかった年です。

 「豆畑の昼」という作品を書くときに、叙情性の変化を調べる指標にオリコンのヒットチャートを使いました。変化は確かに85年を境におきていました。ナイトクラブの話は、昨日のゼミの話の続きで、そら豆の話は夢の中でみた田んぼの景色から出てきました。そういうわけで今朝は頭の中がふた色に分かれています。

アダプタと

2006年05月17日(水)

72,388 byte

アダプタ ああ、忙しいですか?
私    まじめに考えたら、すごく忙しい。
アダプタ 考えないと忙しくないの?
私    何かをしなくちゃいけない直前まで忘れているから。そうすると、まあ、ごまかせるわけです。
アダプタ 自分をごまかすというやつですね
私    そんなことを言うとまた机の奥になげこんゃうからね。うるさいやつだなあ。
アダプタ どうぞご勝手に。机の奥って住みやすいんですよ。けっこうともだちもできるしね。 

今年もバラの季節

2006年05月16日(火)

69,632 byte

 今年もバラの季節になりました。同じバラ科でも桜の花だとみんなでうきうきという感じですが、バラはひとりでウキウキという感じです。ご近所にもすばらしいバラが咲いているのですが、なかなか写真を撮ってきれいに写る晴れた日がありません。この赤いバラはうちの庭に咲いたものです。

警察の大衆迎合と共謀罪

2006年05月15日(月)

 小泉内閣が成立した頃、ポピュリズムつまり大衆迎合的だという批判がしきりになされました。そうした傾向がまったくないわけではなかったのですが、経済政策ではあまり大衆迎合的なものは感じませんでした。が、小泉内閣が終わりに近づいて現在から振り返ってみるともっともその傾向が強く現れたのが警察関係でしょう。小泉内閣になってから、何か騒ぎが起きると必ず警察が登場して、マスコミの関心が消えるというパターンが続いています。言論がおおかみ少年状態になっていて、おおかみが来ていないのに「おおかみがきたぞ」と叫び、ほんとうにおおかみが来たときには、聞いてもらえないどころか、声もでなくなっているという具合に見えます。

 鈴木宗男事件、辻元清美の秘書給与流用事件、ライブドアの風説流布など次々に逮捕者が出ています。耐震偽装事件に至っては、関係者が逮捕はされたものの、全て別件逮捕という状態です。鈴木宗男も辻元清美も国会議員に戻っていますし、ライブドア事件はこれから公判が始まれば堀江貴文と検察の間でかなりもめることが予想されます。耐震偽装に至っては、果たして耐震偽装そのもので立件できるかどうかかなり疑問です。「なんだか逮捕されたので、これで悪い人がつかまってめでたしめでたし」という素朴な庶民感情を利用されているようで、気持ちが悪い事件ばかりです。
 それでも、司法がそれなりに機能していれば、法治国家の原理原則はかろうじて守られることはできるのかもしれません。

 今週、国会では「共謀罪」についての論議がされるとのことですが、もともとは国際的なテロや麻薬取引を規制するために、作られる法律です。が、政府はこれを犯罪予防としても使おうとしている意図があります。振込み詐欺の予防などに適応しようとする意図、市民運動の行動を規制しようとする意図などを感じます。一方、言論の世界では盗聴法や個人情報保護法の時のような、危機感が少ないのはなぜでしょうか?

 「悪い人が逮捕されてめでたしめでたし」というような素朴な庶民感情をもっている人々はその反面で、おどしに弱いのです。だから「何々罪」になるぞとおどされると、そうした罪が適応される要件が備わっているかどうかなど関係なく、おびえてしまいます。弁護士などの専門家がいれば、そうしたことはある程度、防げるかもしれませんが、ライブドア事件や耐震構造偽造事件のように警察の恣意が強く働くとなると、それも信用できません。
 
 それから、マンションを作るとか道路を通すとか、そういった事業に伴う紛争をいろいろ見ていると、お金と社会的地位があって、法律や行政に明るい人が住んでいる地域と、お金も乏しければ社会的地位もない人が住んでいる地域では、いろいろな条件を交渉する場合、あきらかに前者が有利です。知恵も金も人もいるという状態が出来上がっているのですから。そういう不公平を見てきました。そのうえに今度の国会に提出されているような共謀罪などできたら、もっとろくでもないことになるでしょう。

 私は盗聴法の時も、個人情報保護法のときも、反対の署名を求められましたが、署名しませんでした。今度は誰もどの団体も反対の署名を求めてはきませんが、反対を表明します。刑法上の罪は犯罪が行われて初めて問われるという大原則は守られるべきです。犯罪予防は安易に刑法に頼るべきではありません。

真夜中に飯田橋から御茶ノ水まで歩く

2006年05月14日(日)

 ゼミ飲みでした。で、そのあとカラオケをやろうということになって、ごちゃごちゃしたあげくに、やすいカラオケがある御茶ノ水まで歩こうってことになりました。歩きました。飯田橋からお茶の水まで。

 東京に住んでいると交通機関を利用してしまうから、なかなか地理が頭に入りません。だから、地理感覚から言えば、こんな大都会にいても、田舎の山の中の小さな村に住んでいるのと変わりがないのかな(自分の身の回りしか知らない)と言う状態になっていることがあります。で、ゼミの諸君は「歩こう」と言った「たとんに御茶ノ水って遠いのかしら」「それどこ?」っていう反応だったのですが、まあ、歩いてしまいました。真夜中ですからゼミの体力旺盛の若者が周囲を囲んでいてくれなければ、歩く気になれなかったでしょう。

 バブル後の長い不況なんて、よく言いますが、バブルの時よりもそのあとの不況時代のほうが都心の再開発が進んでいるのを、歩きながら目の当たりにしました。昭和30年代から40年代に建てられた木造モルタル作りの建物や、天井の低い小さなビルがすっかりなくなって白い壁を持つ大きなビルと、なんだかまだ街に馴染めない様子の木が生えている広場に変わっていました。古い建物は、新しい建物の威容に羞じるように闇に沈み込み、新しい建物は夜の闇の中でさえ、街との折り合いがつけられずに浮遊したがっているようでした。

 闇の中で浮遊したがっているような新しい建物の傍らを通り杉ながら、考えたことは、私が学生時代に見た街は戦争の焼け跡から立ち直って、ほっとした表情を見せている街だったのだなと、改めて思いました。その時は年齢が若かったためかもしれませんが、街が見せる充足感をそうした流れの中で感じ取ってみることができませんでした。私が大学生になったのは戦争が終わって33年目でした。それからまた27、8年の歳月が流れたのですが、新しく出来た街は、個人の充足感よりも、組織の力を感じさせるもので、そこが何か浮遊感に繋がっているのかもしれません。再開発されたビルの上部には人が住む分譲マンションもあるようですから、これからほんとうに平和な時代の東京の味が生み出されてゆくのでしょう。

 日大図書館もすっかり新しいビルになっていました。レンガを積んだような厳しい建物から、ガラスを多様した軽やかな建物に変わっていました。昔の建物が知識や理性の厳しさを表したものなら、新しい建物は、知識も理性も誰にでも利用できるものですと言っているような感じです。日大に通っている娘に聞いたら、新しい図書館はすごくつかい易いということですが、街の人は寂しがっているよと言う話でした。それから、新しい図書館はその外見とは違ってずいぶん丁寧なセキュリテーシステムが整っているということでした。

雲丹の貝焼き

2006年05月12日(金)

71,207 byte

 岩手県や宮城県にも同じ雲丹の貝焼きがあるそうですが、青森の市場で買ってきた貝焼きです。貝焼きと言っても、蒸した雲丹です。はまぐりの底までびっしりと雲丹が詰まっています。これひとつで、雲丹ご飯を4合以上炊けます。もうすぐ、雲丹の季節。でも貝焼きは冷凍保存できるから一年中買うことができます。1個700円は安い!

大家さん、大家さん(伊藤です)

2006年05月11日(木)

200回おめでとうございます。

きのうルクツゥンで大家さんのおかきになったSAYURI評読んで、あたしも感想かきました。伊藤製作所をのぞいてみてください。お茶もお菓子も用意してございます(こないだ日本で「通りもん」買ってきたんですよ)。

こんにちは。ああぁ、200回じゃなくて500回なんですけど。ま、いいか。あとで、そちらにお茶を頂きにきますね。(中沢)

こりゃまた失礼をば、いたしましたっ。祝500回。(伊藤)

アダプタとおしゃべり

2006年05月10日(水)

71,833 byte

アダプタ あー、「豆の葉」が500回になりましたね。200回のときみたいにお祝いしないんですか?
私 ええとねバンザイの絵文字の書き方を忘れちゃったの?
アダプタ 何でも忘れちゃうんだね
私 忘れるのは人間の持っている優れた能力だからね
アダプタ でもごはんを食べるのを忘れたりしないね。
私 だからあなたの立ち姿に似て来ちゃったじゃない。

アダプタ 伊藤さんがお祝いを言ってくれました。500回なのに200回と間違えているけど。
私 ここもそれだけ賑やかになったってことでしょう。お祝いを言ってくれる人がいてうれしいもん。
アダプタ 僕もお祝いをいいます。
     500回おめでとうございます。
私  アダプタ君、ちょっとのんびりしすぎ。そういえば豆ちゃんはどうしているんだろう?
アダプタ マージャンしているんじゃないかしら。

海に突き出した突堤

2006年05月09日(火)

69,612 byte

 上総一ノ宮の海岸にできた突堤です。侵食を防ぐためなのだそうですが、兼官としてはあまり美しくありません。こうした突堤が何本も海に突き出しています。

青紅葉

2006年05月08日(月)

67,573 byte

 下布施の土地は大きな木が生えているところという条件で探しました。大きな木ってどのくらいの大きさかってのはあまり考えていませんでしたから、大岡玲さんに「木の上に風呂場が作られようなやつね」と言われた時はちょっとびっくり。そんなバオバブの木みたいなのを考えていたわけではありません。

 これから苗木を植えても、木が大きくなる前に私が死んでしまうかもしれないから、もう育った木があるところがいいと考えたのです。で、みつけたのは紅葉の木のある土地。今は青紅葉です。紅葉は低木でそれほど大きくはならないのですが、幹が太くなるまでには相当な時間がかかります。敷地の中にはかなり弱った桜の木もありますが、こちらは本体は病気にかかっていますけれども、わきから若い幹が伸びていて、それがけっこう太くなっていました。

 紅葉の木のわきに風呂場があったのだそうです。でお風呂に入りながら紅葉を眺めるのが、この土地の持ち主の楽しみだったと聞きました。木の上じゃなくて木の下です。

ほんとはかわいいアダプタ

2006年05月07日(日)

68,831 byte

 嵐の夜です。風が騒いでいます。昼間、銀座のデパートでポロシャツを選んでいたら、店員さんたちが「嵐だって」と話していました。いいお天気なのでにわかには信じがたかったのですが、予報どおり嵐になりました。

 昨日のアダプタは写真のボールペンと比べてもらえれば解りますが、ほんとはこんなに小さいんです。おまけに一人(一匹?)では立つこともできません。いつも机の上で、ぶつぶつ言いながらうろうろしています。いったい、何時こんなところに移動したんだろうって思うくらいに妙なところにひょこっと立っていたりします。

おじゃまします!

2006年05月06日(土)

10,738 byte

 行方不明になっていたアダプタを見つけました。よく見て下さい。鼻がちゃんとアダプタになっているでしょ。で、このアダプタにそっくりな私の写真(非公開)が家に一枚あるのです。雪の中でベージュのコートを着ているやつ。で、このアダプタはいったい何の景品だったか忘れちゃったのですが、家じゅうで「あまりに似ている!似すぎている!」というので、すっかりマスコットになっていたのですが、ある時、子どもたちが「似ている」を連発するのに頭にきてから行方不明になっていました。

 自分で言うのはいいんですけどね。ううん、お腹のあたりとか、ぼんやりした立ち方とか、ぴょっと延びた短い足とか。ま、似てます。でも他人(たとえ子どもでも)が言うと、これが腹が立つんだなあって。

 で、机の引き出しからころっと出てきました。「おじゃまします」って感じで出て来たのです。

田んぼの夕景

2006年05月05日(金)

72,215 byte

 日がかげりはじめていたので、どうかなと思ったら案の定、暗い写真になってしまいましたが、下布施の土地の前は農地整理をされた田んぼが遠い山すそまで広がっています。

このあたりは釈迦谷とか布施とか抹香臭い地名の土地がたくさんあります。東国に仏教が広まった中世に開けてきた土地だと推測しています。近くには閻魔様を祭ったお寺もありますし、立派な鳥居と森のある神社もあります。夷隅鉄道と言って大多喜のほうにことこと走って行く一両だけの電車もあるし、造り酒屋もあります。

 敷地の裏の崖の向こうに集落があって、さらにその向こうに大原港がある海があります。太東の海岸植物群生地もそう遠くはありません。

鹿の通り道

2006年05月04日(木)

73,664 byte

 大原の下布施の土地に行ってきました。小さな家を建てようと建築家の鈴木隆之氏に図面を引いてもらっています。今日は鈴木さんの事務所で働いている人や京都精華大学の学生さんも一緒に土地を改めて測量してみました。東南に向いた敷地で、裏には小さな崖があります。

 崖と言っても高さは80センチくらい。小山の尾根が降りてきた最後のところの崖です。その崖の延長のある山に咲いていた藤です。野生の藤なので、花房は小さいのですが、写真を撮ろうとしたら、ふぁっと風が吹いてきてさらさらと花が揺れました。すぐそばにはドウダンツツジも朱色の花を咲かせていました。崖の上がいかにも房総らしい花の豊富な雑木林になっているのです。

 で、その崖に細い獣道が通っています。なんでも、鹿の通り道なのだそうです。鹿とか猪が増えていると聞いていましたが、こんな人里に鹿のとおり道があるとは思いませんでした。鈴木さんはその獣道をなくしてしまわないような図面を引くと言っていました。果たして人が出入りしても、鹿が今まで通りに同じ道を通るかどうか解りませんが、時々、鹿が出る庭というのもおもしろいなあとちょっと期待。でも夜な夜な、猪がどどっとと通り過ぎるというのは勘弁してもらいたいなあ。

海の春

2006年05月03日(水)

66,051 byte

 九十九里浜の侵食を防ぐための堤防にアオサがたくさんついていました。きれいな緑色です。ただこの堤防はかなり九十九里浜の景観を壊していることも事実です。はたしてちゃんと侵食を防いでいるのでしょうか?かえって砂浜が削りとられるようになったという話も地元の人から聞いています。

 堤防が出来てからは、地引網を引くこともできなくなってしまったということでした。堤防周辺ではサーファーが波乗りをしていますが、サーファーにとっても危険な存在になっているようです。

 黒いウェットスーツをきて、波を求めて、腹ばいで沖へ出て行くサーファーはなんだかペンギンみたいに見えました。波の乗っている時間はほんの少しで、しんぼう強く波を待っているのが長いのですね。

藤の香り

2006年05月02日(火)

73,122 byte

 水中掃除機が働いていたプールのそばの藤棚に咲いていた藤の花房です。甘い香りが漂っていました。百合の香りに似ていますが、あれほど妖艶ではなくて、もっと上品な香りです。ほんの一瞬香って、すぐに匂いはしなくなりました。

 東関東自動車道の側壁にもたくさん藤の花が咲いているところがありました。去年、叔母たちと、母の墓参に行った時に藤が香っていたのを思い出しました。

 あ、それから源氏物語の藤壷のことも。藤壷宮は、文字通り、藤が植えてある壷(庭)にお部屋があって、向かい側は弘徴殿だから、弘徴殿女御は今頃の季節は毎朝、戸を開けるたびに藤の香りを嗅いで、それこそ嫉妬で「かっ」となっていたに違いないのです。「源氏物語」って読み進めて行くうちに、なんだか弘徴殿女御もたいへんだなあって思うようになるところがおもしろいなあって思います。

 去年、この「豆の葉」に写真を掲載したエゴの木は、冬の間に伐採されてしまったので、今年は今頃はここにエゴの木の白い花が咲いてたいんだなあと思い出すだけになってしまいました。

水中掃除機

2006年05月01日(月)

75,087 byte

 もうすぐ夏と言いたくなるような暑い日でした。昨日、九十九里浜の上総一宮のホテルのプールでみつけた水中掃除機です。こんなものがあるなんて知りませんでした。

 この時期のプールはなんとなく「池のふりをしようか、それとも泳ぎに来てよと誘おうか」と迷っているような青い水をたたえています。で、ふっと水の中を覗くと写真の機械が、音もなく静かにプールの水の底を移動しているのでした。プールの端から端まで滑らかに移動すると、また向こう岸まで滑って行きます。どうやれプールの底にたまった泥やゴミを吸い取っているみたいです。あんり静かに動いているものですから、なんだか仕事をしながら物思いにふけってでもいるように見えました。機械でも長い間、水底で仕事をすると、物思いにふける癖がつくのかもしれません。賑やかに唸りながらゴミを吸い取る家の掃除機よりも賢そうでした。

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ