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中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

日仏学院の枝垂れ桜

2012年04月28日(土)

 日仏学院のレストラン入り口の枝垂れ桜です。しばらく日仏学院のレストランに行ってなかったのですが、予約がとれるようになっていました。桜の季節ももうおしまいですが、叔母と従妹それに叔母のおともだちと4人で御昼を食べました。

 母の形見の着物を着てきた叔母です。小さな扇面がいっぱいにちらしてある柄で、叔母が縫ったものです。母が亡くなった後、叔母に形見としてもらってもらったのですが、ちゃんと着てもらっていたので、うれしくなりました。この頃は、形見分けと言っても、ただかたちだけで、実際に使ってもらえるということは少なくなりましたから。扇面の柄がいっぱいに散らしてある着物はまだ40代だった母には、地味だったようです。いや、本人が気に入って作ったにもかかわらず、高校の同窓会に着ていったら地味に見えたというので、たいそう不機嫌になりました。母が着たのはそれ一度きりでした。

 なんて地味な着物を作っちゃったのだろうと、おかんむりなところへ持ってきて、松の柄とおもっていたものが実は扇面と解ってなおさら不機嫌に。扇面の柄は嫌いだったのです。なんで、そんな勘違いをしたかと言えば扇面の柄がほんとに細かくって、ちょっと見には松に見えるのです。だから、母は松林のイメージで、その着物の柄を見ていたのです。広々とした松林を身にまとうという感じで気に入っていたのに、いざ、着てみたら想像よりもずっと地味で、腹を立てながらよくよく見てみたら松じゃなくって扇面だったというおまけまでついて、この着物は箪笥の中で眠ることになりました。

 反物で想像したよりも作ってみたら地味だったということが着物にはよくあります。ひとつは洋服の感覚が身についてしまっているので、それが反映されてしまうためということがあります。それから、反物を選ぶときには、近くから見て選ぶのですが、実際に着るときには、かなり遠くから眺めることになります。地味なものを選んでしまう理由の二つ目です。

 母を不機嫌にさせた着物ですが、60半ばの叔母にはよく似合ってました。それに、その着物はモノトーンではありますが、扇面の細かい柄が全体に大きなうねりを作っているので、母が言うほどには地味ではありません。それや、これや、おもしろくお話しながら、日仏学院のランチ(フレンチのフルコース)を食べました。鯛のポワレを選んだのですが、鴨の赤ワインソースのほうがおいしそうでした。あと、従妹が食べた豚肉のコンフィがおいしそうだったので、家にあった豚肉の塩漬けをコンフィにしてみました。これがすこぶる美味でした。

赤いさくら白いさくら

2012年04月26日(木)

 さくらはぱっと咲いてぱっと散るとよく言われますが、花の盛りの期間としてはそんなに短いわけではないと思います。2週間くらいのうちに、蕾から花盛りを迎えて、だんだんに散って行く花はほかにもいろいろあります。でも、桜は、枝いっぱいに咲いた花に見とれているうちに、周囲の木々の芽がみどりに葉にかわり、はっと気づくと若葉が青葉に変わろうとしているという、背景とのコントラストが見事なので、より一層、ぱっと咲いて、ぱっと散るという印象が強くなるのでしょう。

 白い里桜と赤い染井吉野が並んで咲いているのが、家から見えましたが、もう、この桜も若葉青葉の中に沈んで、遠目には、どれが桜の木なのか解らなくなりかけています。今は白い里桜のとなりで八重桜が、ぼってりと咲いています。八重桜は桜のしんがりですね。

散る桜

2012年04月15日(日)

伊藤比呂美様

 御父上様ご逝去とのこと。御悔やみ申し上げます。

                  中沢けい   
 

さくら

2012年04月09日(月)

 今年の桜です。4月6日に市ヶ谷の外濠土手でお花見をしました。この時はまだ寒くって、みんな、地面に座っているとだんだん冷えてきました。今年のお花見は、ちょっと飲みすぎる人が多いらしく、救急搬送された人の数は先昨年にくらべて10倍とか。お花見自粛だった昨年ですが、2010年に比べても5倍とか8倍とか、そういう数字がニュースに出ていました。

 昨年の春が暗くってさびしかったことを話すと、よく覚えている人、すっかり忘れているのに驚く人、ああ、そうだったとすぐに思い出してくれる人と、いろいろです。

 ところで、乱暴な植木屋さんの仕事にまた悩まされています。こんな仕事は植木屋さんの仕事と呼ぶべきではないでしょう。春休みの間に法政大学の校舎のケヤキと樅の木の剪定が行われました。いや、これも剪定などと呼ぶべきではないでしょう。だって、ケヤキも樅の木も電動のこぎりで半分にちょん切られたのです。ケヤキは大空に伸びた樹木の姿を失いました。ただの丸太棒です。樅の木は、5、6年前に植樹したものですで、クリスマスの頃にはツリーとして電飾で飾られてました。でも半分にちょん切られました。こんな仕事にお金を払うべきではないと私は思います。こんな仕事には、損害賠償を求めるべきです。ケヤキは枯れてしまう可能性が大きいです。樅の木が姿が良くて、幾らと値段が付くのですから、半分にちょん切られたのではに二束三文になってしまいます。しかしお金の問題ではありません。

 たまたま用事があって小池昌代さんと学内を歩いている時、ひどい剪定の木の話になりました。小池さんは「学校を愛していないのかしら」と嘆息。そうかもしれません。学校だけでなく、樹木が天に向かって伸びて行く、その健やかな時間の流れに、なにか憎しみを持ってはいないかしらと疑心暗鬼になっています。樹木の姿が象徴しているものへの敵意を感じてしまいます。
 電動のこぎりで、根の生えた丸太を作っている人はそんなことを考えてはいないかもしれないのですが、考えてはいなくっても、感じてはいなくっても、感覚の中に時間の流れへの敵意が潜んでいるということは、充分にあり得ることでしょう。

 それにしてもこんなひどい仕事にお金を払ってはいけません。むしろ損害賠償を求めるべきです。雨漏りの修理と称して大工さんがやってきて、屋根をべりべりと壊し、屋根がなくなりましたから、雨漏りはなくなりましたと言っても、お金を払う人のいないのと同じです。

 さくらの季節にちょっと憂鬱でした。そのさくらも、13日の夜からの雨で、もうおしまいですね。

天上の時間

2012年04月09日(月)

 3月の末、金星、月、木星が夕方の西の空に並びました。びっくりするほどの明るさで、ベランダへ洗濯物を取り込みにいったついでに撮影してみました。写真の腕はないので、遠い空に輝く星が写るとは思わなかったのですが、改めてデジタルカメラの性能の良さに簡単しました。

 震災の時、佐伯一麦さんは月を眺めていたというお話を聞きました。2012年3月19日は月が地球に最も接近するスーパームーンという現象のあった日です。11日の震災と、津波、それに続く原発事故で、緊張していたツイッターのタイムラインには、大きな月の話題が並んでいました。19日は東京消防庁が原発に放水を行った日でもあって、深夜に記者会見をありました。実際はこの時、危機は去ったわけではなく、依然としてかなり危機的な状況が続いていたのですが、11日以来の緊張がやや緩んでいた夜でした。ツイッターのタイムラインを見ていると、じつに多くの人が月を見上げて言葉にならない感慨にふけっている様子でした。

 閖上を案内してくださった方から聞いた話です。3月11日の午後は曇っていたのですが、夜半になって空が晴れ渡ってきたそうです。津波で、中学校へ逃げ込み、その晩はそのまま中学校で過ごしたとのこと。学校の屋上へ上がってみると、晴れ渡った夜空に満天の星が輝いていたとお話になってました。地上はと言えば、繰り返し押し寄せた津波が、そのまま水浸しの状態であたり一面に広がり、その水面に星空が映し出されていたのを見たそうです。頭上も星空、足元も星空。なんだか宙に浮いているような感じがしたと。

 そして、暗闇の中で火の手が上がるのを見たそうです。民家の屋根の上に避難していた人が、寒さのあまりたき火をした火だとあとで解ったとおっしゃっていました。そのたき火をした人と、その後、避難所で出会ったとも。そのお話を聞いてから、かれこれ3週間ほどが過ぎているわけですが、ずっと天上の時間というものを考えています。人間が住んでいる下界の時間に対して天上の時間というものがあるという考え方はずいぶん古くからあるようです。永遠とか無限とか、人間の人生の感覚では測りがたい時間を「天上の時間」として捉える感じ方がありますが、星空の光とたき火の火は、その天上の時間と下界の時間が暗闇の中で出会った瞬間のような印象を持ってお話を伺いました。

 今日明日の食べ物の心配から、日常生活を取り戻すための手立てに必死な時に、天上の時間などという抽象的な感慨を持ちだすのは、なんだか悪いことをしているような気がしないでもありません。それでも、言葉というものを扱う世界に住んでいると、ああ、天上の時間がこの下界に大きな裂け目となって現れる瞬間があるのだと、言葉にならない感覚が湧きあがってくるのは抑えがたいのでした。

 津波をかぶった土地は、水を含んでしょっぱい湿地となっています。もともと、海岸付近のそのあたりは、塩気を含んだ湿地だったのでしょう。塩気を含んだ湿地にも昨年の春は、菜種の花が咲いていたようで、その写真を見せてもらいました。ほんの数分で、その土地のもともとの姿に帰ってしまった場所に、自然はもくもくと仕事をして、植物の芽を出させ花を咲かせるのでした。そこにまた、人の手が加わって、波に飲まれる前の肥沃な土地が生れてくるわけです。肥沃な土地は、人と自然の共同作業で生まれてくるわけでと、私はそのことに興味を持っています。それが、言葉が生れるプロセスに似ているようなイメージを持っています。言葉が物語に凝固するプロセスと繋がっているような予感を持っています。物語が歌になるために必要な時間がそこに眠ってはいないでしょうか。

 テレビで仙台の映像を見てただただ驚いてしまったのですが、津波は千葉県の九十九里浜の海岸や、九十九里浜にそそぐ川も遡っていたことを最近、耳にしました。

   
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