中沢けい公式サイト 豆畑の友
ホーム プロフィール・著作リスト 中沢けいへの100の質問 中沢けいコラム「豆の葉」 お問い合わせ
中沢けいコラム「豆の葉」
   
 

卒業おめでとうございます。

2009年03月26日(木)

53,567 byte

 みなさん、卒業おめでとうございます。

 3月31日お花見をしましょう。OBのみなさんもお気がむいたらどうぞ起こし下さい。

 OBの方、来られるようでしらた御一報下さい。でも私は30日まで大阪出張ですから、ご返事は30日の夜になります。

伊藤さんへ

2009年03月24日(火)

 ええとあれはテイカカズラではないとのこと。そんなんですか。あんまり無花果の実によく似ていたから、びっくりしたんですけどね。

 そういえばヘクソカズラって気の毒な名前の植物もありました。

 カポーティの「冷血」を読んでいます。一家4人が惨殺されるやつ。で、その晩はたまたま娘が外出していて一人でした。なんだか怖くなり、家の鍵がかかっているかどうかを確かめに行きました。

 布団に入って寝ると、死んだはずのおかあちゃんが「ただいま」と帰ってきました。私が寝ていたのは、子供の時に住んでいた家の子供部屋。で、なぜかおかあちゃんを抱っこして、お布団に寝かせました。ちゃんとお布団をかけて寝ないと風邪を引くよと言って自分の部屋に入り、これで安心だとすやすや眠る夢を見ました。夢の中で寝ているの。でも寝ている場所は、子供の時に住んでいた家の子供部屋で、風が窓ガラスにぶつかる音がしていました。

 途中で「あ、これは夢の中で寝ているんだ」と気づいたのです。時々、寝ている夢をみます。どうもややこしんだけど。で、これは寝ている夢を見ているんだと気づいたときに、なぜか、これまた、死んだはずのおとうちゃんがにやりと笑う顔が見えました。

 たぶんカポーティの「冷血」なんかを読んで寝たからだとその夢の話を人にしたら
「お彼岸だからだよ。おはぎでも食べたらいい」
 と言われました。ああ、おはぎを食べるまえに注射をぶしゅっと打たなくっちゃ。インスリンの注射。お腹に打つんです。伊藤さん、とらやで羊羹を買ってきました。今度、羊羹を持って遊びに行きますね。このごろ、時間にしばられるのや、義務にしばられるのがすっかり嫌になっちゃって、浮かれて遊んで歩きたいの。

夜の海

2009年03月22日(日)

 3月の初めには熊本近代文学館の庭のこぶしが真っ白に咲いていました。楠に巻きつくテイカカズラには実がなっていました。テイカカズラに無花果のような実がつくのを伊藤比呂美さんに教えてもらいました。東京でもこぶしは白い花をたくさんつけるようになりました。桜も咲き出しました。今日は春の嵐。空には黒くもが、風がびゅんびゅん吹いています。でもすごく暖かです。

 瀬戸内海を行くフェリーの話の続き。乗っていたのはトラックやトレイラーの運転手さん。それから、対外試合に行く様子の運動部の生徒たち。船内には大浴場があって、夕食後で混雑していました。それに、ビュッフェ式の食堂。こちらもけっこう人が入っていました。食堂は夜は21時まで、朝は5時から営業していました。

 瀬戸内海は波のない静かな海ですから、船が進んでもほとんど揺れることはありませんでした。この晩の海は一面の霧。霧の中にぼんやりと陸地の灯が見えました。私は個室をとってあったので、試合に行く高校生たちとはちょっと離れた船室でゆらりゆらりと揺られて白河夜船。以前、五島列島に行った時も、博多から夜の船に揺られて行ったことを思い出しました。瀬戸内海から九州沿岸は今でも、船便がけっこう活躍している様子です。

 船室の壁にサイドブレーキの引き忘れによる重大事故が多発しているという掲示がありました。国土交通省が出したもので、死亡事故の実例が書いてありました。慣れた作業でも、注意を怠らずにという通達でした。

 静かに航海を続けて朝焼けの大阪に。昨年から大阪芸術大学へ通っているので、大阪港が見えてくると半分、帰ってきたような気がしました。街の向こうに山並みが見ていました。大阪港からは地下鉄で(今度はほんとに地下鉄です(笑))新大阪へ。

 私が乗った船は博多から大阪までノンストップの船でしたが、沿岸の港に寄港する船は夕刻でも早い時刻に出船するようでした。夏の日の長い時にそちらに乗船すれば、瀬戸内海の夕景色を楽しむこともできるようです。

波の枕霧の毛布

2009年03月12日(木)

36,085 byte

 写真は朝日を浴びる大阪港です。

 豊肥線というとなぜか笑う伊藤比呂美さんです。たぶん頭の中に別の字が浮かんでいるのでしょう。熊本からの帰りは別府から船に乗って大阪に出るというと「ホウヒ線で行くの?」と聞かれたのですけど、そのときはとくに自分の考えに疑問もなく「福岡に出てから別府に行くの」と答えました。

 まさかね。福岡にも「別府」があるとは思わなかったのです。「別府(福岡)」と書いてあっても、まったく無視していました。今日、改めて調べてみたら兵庫にも「別府」がありました。福岡は「べふ」ですが、兵庫のほうはなんと読むのか解りません。

 いろんな人に聞いてみると、瀬戸内海を行く船便は今もで便利に利用されているそうです。フェリーで車も積めるので、修学旅行とか長距離トラックの運転手さんが利用するそうです。経済対策で休日の高速道路が一律に1000円乗り放題になると、こういうフェリーが打撃を受けるのではないかという新聞記事を見つけました。

 熊本駅は市街地より少しはずれたところにあって、灰色の四角い駅舎。なかなかいい感じでした。乗ったのはリレー特急「つばめ」。これが、濃いチャコールグレーの車体なのです。昔の機関車をイメージしたのかもしれませんが、私の目には「なんだかダースベーダーみたいな電車だなあ」と見えました。

 福岡へ向かう途中で田原坂公園というところがあって、桜の名所だそうです。そう、あの越すに越されぬ田原坂で有名な西南戦争の激戦地です。なせか、田原坂の桜を見てみないなあと思いました。話があとさきになりますが、大阪についてから今度は津山城の桜のポスターを見て、これも行ってみたいなあと思っていました。津山は、あの惨殺事件があった場所です。「血と桜」ってどうも、自分でもなんだか解らないのですけど、妙に気になる。どうしたわけでしょう。雨模様の中を福岡まで、ところどころに黄色い菜の花の群れが花をつけていました。

 福岡の200円では別府(大分)まで行けないと気づいたのは前述のとおり。大急ぎでJRの駅に駆け戻って飛び乗ったのはソニック特急。車両の色やデザインをまったく覚えていないのはあせっていたからです。でも座席はなんとなく革かなと思えるふかふかのシートでした。ここのところ、飛行機と新幹線で駆けづりまわっていたので、特急の車両がこんなに贅沢になっているとは知りませんでした。

 小倉で車両は向きを変えて走るので、みんなで、座席の位置を直しました。それからうとうとして、目が覚めると

 「Next station is USA」

 の文字が表示板に流れて行くではありませんか。なになに、USA(アメリカ合衆国)だって!夢の中でカリフォルニアと熊本の往復している伊藤さんのことを考えていたので、一瞬「ややや!」でした。もちろん太平洋を渡ったのではなくて「USA(うさ)」でした。で、ソニック特急が別府に到着して、大阪行きのフェリーが出るまでには20分しか時間がありません。別府到着直前には「もし船に間に合わなかったら、今晩は別府温泉に泊まっちゃおうかな」と下心も。
 が、ちゃんとタクシーの運転手さんが港まで急行してくれました。

心筋梗塞後遺症

2009年03月11日(水)

 熊本の皆さん、どうもありがとうございました。飛行機に乗るとき、気圧の変化に耐えられるかなと少し不安でしたが、おかげさまで特段のこともなく熊本に到着できました。7日8日と大勢の皆さんに起こしいただきましたことを御礼申しあげます。

 熊本文学隊の皆さんから「大丈夫ですか?」と尋ねられたのですが、心臓のほうはとくに後遺症も残していないので、元気です。後遺症といえば「死んじゃったら、あれもしなくてもいいし、これもしなくてもいいのに」とフイに思うというのが、後遺症でしょうか。どうも義務ってやつが少々メンドクサクなっていまして、いけません。それで生きているうちにやりたいことってのもあまりないものですから、このまま、この後遺症にどっぷり浸かっているとものすごい怠け者になりそうです。いや。もともとなまけものですが。

 それから熊本近代文学館の鶴本さん、お騒がせしました。帰りは別府から船便で大阪に出ることになっていたのですが、福岡に「別府(べふ)」という地下鉄の駅があって、私がその「べふ」と大分の「別府」を混同していたので、大騒ぎをさせてしまいました。ほんとうにそそっかしくてすみません。

 間違っているのに気づいたのは博多で地下鉄の切符を買ったときでした。博多から「べふ」まで200円。幾らなんでも200円じゃあ別府にはい行けないだろうと、JRの駅に駆け戻って16時20分発の大分行き特急に飛び乗りました。別府に到着したのは18時27分。タクシーで関西汽船のフェリー乗り場に急行して、なんとか18時50分の大阪行きのフェリーに乗りました。その間、皆さんが私の勘違いに気づいてご心配いただいているとは、つゆ思わず、携帯の留守番電話と着信に気づいたのは、船がゆらりゆらりと瀬戸内海の波に揺られている19時50分になってからでした。

 大阪到着は翌朝の6時30分頃。それから地下鉄で新大阪に出て新幹線で東京到着は11時50分。熊本駅まで送っていただいたのは前日の13時45分でしたから、だいたいまる一日かけて東京に戻ってきました。それでも「三四郎」に比べたらもうすごい超特急です。
 
 九州の特急と船の旅の話はまた明日にでもします。

これから

2009年03月06日(金)

 熊本に行ってきます。飛行機が揺れないといいなあ。

文章は気合だ!

2009年03月04日(水)

 そういうわけで、卒業が決まったM君、気合を入れて一日だけがんばってみて下さい。気合が入ると思いがけずすごい文章がかけます。

 「なんだかわからん」と思った皆さん。なんだかわからんままにしておいてください。

 文集担当のMさん、ごめいわくをおかけしますが、どうぞよろしくおとりはからいお願いします。

 誰か法政の学生でここを見ていたら「気合だ!」と叫んでいたとM君にお伝え下さい。ではでは、

 本日は私信でした。

   
談話室 リンク集「豆の茎」 メルマガ「豆蔵通信」 サイトマップ