えっパリでデモに参加して捕まったって!!
2006年03月31日(金)
知り合いがパリでデモに加わっていて、捕まったそうです。一日拘留されただけで、逮捕はされなかったと言ってましたが、催涙ガスはあびたみたいです。なんでも友だちの結婚式に列席するためにパリに行って、ついでにデモにも加わって、あっというまに捕まっちゃったみたいです。
ロンドンでもデモをみかけたそうですが、イギリスのほうはバッキンガム宮殿の前に騎馬警官が並んでいる程度の警戒でデモのほうも静かなものだったといいます。もうちょっと詳しく話を聞きたかったのですが、別件があったのでパリの様子を詳しくは聞けませんでした。それから、フランスの警察の様子も聞きたかったのに。おしいことをしました。
さくらと夜の雨
2006年03月29日(水)
28日の東京では気温があがり、桜はもうすぐ満開に近づいています。飯田橋から市谷にかけての外堀の土手では、お花見にそぞろ歩く人の姿がたくさん見かけられました。思いのほかに早い満開で、お花見の準備が間に合わないのでしょうか?おおがかりな宴会はそれほどありません。年度末ということで、お花見をしたくても、できないでいる人も多いのでしょう。
夕刻、靖国神社から千鳥が淵を歩いてきました。昨年、同じコースを歩いた時には押すな押すなの満員電車状態で、とうとう千鳥が淵の遊歩道には入ることができませんでした。あるいは今夜あたりは時間を作ってお花見に繰り出す人も多いかもしれませんが、昨夜はまだ余裕があって、千鳥が淵から日本武道館のほうの土手に咲いた桜を見ることができました。
咲いた桜に夜の雨がさあっと通り過ぎて行きました。写真は携帯で撮影したものです。もう少しカメラの性能がいい携帯がほんとうに欲しくなりました。
中国揚子江の春
2006年03月27日(月)
弘前のお住まいのヤン・テンシーさんからお写真をいただきました。中国の揚子江を船で旅行なさってきたそうです。写真の菜の花が咲いている村はもうすぐ水没することが決まっているということでした。
カメラつき携帯電話
2006年03月26日(日)
最初はなんで携帯電話にカメラがついていなくちゃいけないんだと思ったんですが、携帯にカメラが付いちゃうとこれがなかなかで。今、私が持っている携帯は「仕方なく」カメラが付いているという品物ですが、ここ数日、カメラの性能がいい携帯が欲しくなってしまいました。カメラと携帯を別々に持ち歩くよりも一緒のほうがずっと便利であることは間違いないです。
ちょっと写真にとっておきたいなっていう場面に遭遇すると、カメラつき携帯はいいなあって思うようになりました。簡単にとれる、自然にとれるというのがカメラつき携帯のいいところでしょう。卒業式が続いていたのでそう思いました。写真にとるだけで忘れてしまうよりも、写真はないけれどもずっと覚えているほうがいいとこれまで思っていたのですが、携帯のカメラは写真機でとるほど構えて撮影しないので、その場の時間の流れをあまり邪魔せずに写真が撮れるのですね。
買おうかなあ。最新鋭のカメラつき携帯。でもまたマニュアルを読むのが大仕事なんだろうなあ。
チャー(犬ちゃんのその後)
2006年03月24日(金)
マニエリストQさんからチャー(犬ちゃん)のその後の様子をスタッフ・ルームに書き込んでもらいました。
「チャーはますます元気に我侭三昧な日々です。ものすごく甘ったれです。帰宅のときは吠え立てて向かえてくれます。大騒ぎです。以前は何を食べていたのか、肉より魚類が好物みたいですよ。カルシウムの骨が大好きで両足で上手につかんで噛み噛みします。くわえたまま仰向けに寝転がったりしながら短い足を宙でもがきます。 そのような仕草で見返り美人みたいにひょいとこちらを見るのです。あのまあるい瞳で……。でも頑固で生意気です(笑)。」
そうか、お魚が好きなのね。
ええと、悩んだんですけど
2006年03月23日(木)
産経新聞から電話で「文芸時評」を担当しないかと、ちょっと悩みました。ううと、主な悩みは時間がないこと。そのわりにはちょこちょこ遊んでいるじゃんと言われそうですが、だからモンダイ。限界を超えるとあらゆることを無視して遊びに行きたくなる。行きたくなるだけならまだいいのです。行ってしまう。これが問題です。ううん。困ったもんだ。でも引き受けちゃいました。なんとかなるでしょう(なんともならんぞ!という息子の意見)
そういうわけで四月からつき一度で産経新聞で文芸時評をやります。時評を書いくのが興味深い時期に入っている気がします。なんというか、ものの感じ方で出来上げってきているというのでしょうか?文芸という形の中に新しいスタイルが静かに浮き上がってきている感じがするので、この仕事はやってみたい仕事です。ただ時間が……。それが問題なのです。
サクラサク
2006年03月22日(水)
「サクラサク」と言えば大学の合格電報という時代がありました。ネットで合格番号を確認できるようになってから、合格電報屋さんのアルバイトが姿を消してしまいました。あれは学生アルバイトが多かったのです。
娘が受験した時は電話で合否判定を聞くという方法がありました。つい4年ほど前ですが、今のようにはまだパソコンが普及してませんでした。機械的な声で「残念ですが、あなたは不合格です。くりかえします。あなたは不合格です。」という電話を聞きながら「繰り返さなくてもいいわい!」と文句を言ってました。「不合格」よりも「サクラチル」のほうがなんだか良い気がします。
桜が咲くと言えば入学式というのが相場でしたが、ここ数年、入学式に咲くのか、卒業式に咲くのか、どっちか占うような年が続いています。今週はあっちこっちの大学の卒業式がありますが、今年の桜は卒業式に咲き出して入学式に散るくらいになりそうです。
というわけで法政大学のゼミ生法政文芸編集委員それに日大芸術学部の皆さん、お約束の発作的花見会です。 日時は4月1日。場所は飯田橋の外堀の土手。詳しくは法政の学生ページを見て下さい。学生ページのIDおよびパスワードを忘れたという人は問い合わせを下さい。
ひよこかひよこ豆かから揚げか
2006年03月21日(火)
ちょっと真面目に伊藤比呂美論とかエロティシズムの解体と再構築とか、そういう感じのものを書きたくなっているのですが、朗読会のトピックスはそういう方向で書くかもしれません。でその前に、豆ちゃんの悩みをご紹介しましょう。
朗読会の入場券?はブックカバーになっています。で前回同様また豆ちゃんが作ってくれました。前回はそら豆だったのですが、今回は春だからひよこ豆。で黄色いひよこ豆の絵が出来上がってみると、なぜかこれが「から揚げ」に見えたそうです。 「鳥のから揚げに見えませんか?いちどから揚げにみえちゃうとどうしてもから揚げに見えるんだけど」 「ううん……。から揚げねえ……。」 から揚げって言えばそう見えなくもない黄色い塊。で豆ちゃんは目とくちばしをつけてみました。これで「ひよこ」に見えるかな?というわけで今回のブック・カバーはひよこ豆かはたまたひよこかから揚げかというデザインになりました。
「で、パーティでひよこ豆の煮物を出すって言ってませんでしたか?」 「え、そんなこと言ったけ?ひよこ豆ってどうやって食べるの?」 ということで、豆ちゃんとモロッコ料理店でひよこ豆のサラダを食べながら打ち合わせをしたのが三日前のことでした。ひよこ豆は直径5ミリくらいの平たい豆です。
追記 モロッコ料理屋で食べたのはレンズ豆だったんですって。スタッフ・ルームで豆ちゃんがぼそぼそ言ってました。ひよこ豆はもっと大きいみたい。ごめん。
御礼
2006年03月20日(月)
朗読会では花かごをパーソナルメディア社からいただきました。どうもありがとうございます。 また兼子さん、金森さんからはお菓子を頂戴しました。若藤さんからはお赤飯をいただきました。 連絡が不十分で御礼を申し上げるのが遅くなりましたことお詫び申し上げます。
股間で蝉がなく
2006年03月19日(日)
ええと、なんというタイトルだと思われた方がいるかもしれませんが、実際、昨日の朗読会で自分のテキストをそう読んでしましいました。読んだのは集英社文庫の「豊海と育海の物語」に収録した「うさぎ狩り」の一場面です。「鼓膜」という字をなぜか「股間」と読んでしまったのです。「あ、」と思っても、そのまま何食わぬかおで進行してしまうことでも出来たのですが、つい焦ってしまいました。
そこで「股間じゃなくて鼓膜です」と訂正したところから、頭に血が上って、ほとんど逆上せんばかり。そのまえに伊藤さんの身体の部位の話をしていたのです。「ほと」とか「くぼ」とか「まら」とか、そういう単語が並んでいたのが頭に残っていたのかもしれません。で、股間で蝉が鳴いてしまったんです。「あれは油蝉だったの?つくつく法師だったの?」なんて聞かれました。
80年代の伊藤さんの詩の仕事は、それまで卑語とされていたような言葉をおおらかに使うことで、猥褻性を無化させる仕事をなさっていました。卑猥とか隠微とされるような要素をもって健康で明るいものに変えて行く仕事だと言ってもいいでしょう。あるいは猥褻性の解体という言い方もできるかもしれません。
「日本霊異記」を題材にした「日本ノ霊位(ふしぎ)ナ話」を書いた頃から解体した猥褻を再構築させ始めたように私は感じていたのです。猥褻ではなくて官能的なものを再度構築させようとしているという感じは「河原荒草」ではもっと強く押し出されています。官能と命の息吹の繋がりが詞(ことば)によって呼び出されているのです。股間で蝉が鳴いてしまったのは伊藤さんが「日本ノ霊異(ふしぎ)ナ話」を読み終わった直後のことでした。「豆畑の昼」を読もうか「うさぎ狩り」を読もうか迷った挙句の出来事でした。
伊藤さんは勇猛果敢に猥褻性の解体にいどんじゃいましたたが、私のほうは隠微なものを暗がりから明るみに引きずり出したかったのです。それで「豆畑の昼」を書いたので、そのあたりの話をしたかったのですが、股間で蝉が鳴いてしまって、支離滅裂。いやあ、参りました。
朗読会にお越しいただきましてありがとうございます。
2006年03月19日(日)
昨日は朗読会にお越しいただきましてありがとうございます。開演時間になぜか雨がたくさん降ったにもかかわらず大勢の方にお運びいただきました。
それから思いがけないことですが、お花やお菓子それにお赤飯までいろいろな差し入れを頂戴しました。こちらでどなたかお名前を控えていなかったので、御礼を申し上げることができない方もいます。この場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございます。
伊藤比呂美さんの朗読はすばらしいものでした。そばで聞いていてぞくぞくしました。朗読会の様子は近いうちにトピックスに掲載いたします。
高見順賞
2006年03月18日(土)
昨晩は高見順賞の受賞式でした。こんなに受賞者がうれしそうで、和やかな授賞式はめずらしいねえ、いいパーティだったとあとで二次会の時に話題になりました。
伊藤比呂美さんは受賞が決まったときは真夜中のカルフォルニアでおやすみになっていたようです。受賞を知らせる電話を選考委員の佐々木幹朗さんがかけると最初は「いったいこんな真夜中に何を言っているの」とたいへんなお怒りだったという話が選考経過のところで出ていました。そのうちにだんだん目だ覚めてきて、わけが解ってきたということで、電話のあとで、高橋睦朗さんが「きっと今頃は部屋の中をぴょんぴょんはねて、夜があけたら今度は庭をぴょんぴょんはねているよ」と予想したそうです。
授賞式では祝辞の平田俊子さんやトチ木仲明さんそれに乾杯の音頭の私などを伊藤さん自身が紹介してくれました。素敵な会は二次会、三次会と続くのですが、伊藤さああん!今日は朗読会ですからねえ。お忘れなく。 皆さんお待ちしています。
豊海と育海の物語
2006年03月17日(金)
集英社文庫から「豊海と育海の物語」が今日発売になりました。メールマガジンでは22日とお伝えしたのですが訂正します。ごめんなさい。通常、集英社文庫は20日発売なのですが、今月は20日が日曜日と祭日に挟まれているために17日になったそうです。
「豊海と育海の物語」は前回朗読会で読んだ光村図書の教科書「国語2」に書き下ろした「雨の日と青い鳥」の続編です。続編と言っても物語の時間は豊海と育海がもっと小さい頃の話になっています。豊海が幼稚園から小学校にあがる冬から夏までを描いています。文庫ではそのほかに子どもが登場する短編をコレクションしました。子ども向きに書かれたものではなくて、子どもが登場するという内容を持った短編です。
朗読会会場には集英社文庫「豊海と育海の物語」も用意します。表紙は教科書の挿絵とおなじ安井寿磨子さんにお願いしました。
河原荒草
2006年03月16日(木)
伊藤比呂美さんの「河原荒草」は詩の表題がページの右隅に小さく表示されています。うっかりすると表題を見落としてしまいそうです。実際、詩集を読み進めていると、表題をまったく無視してページをめくってしまうことがしばしばあります。きっとそれでいいのでしょう。というのも、この詩集は全体がひとつの長編詩のような雰囲気を持っているからです。
長編詩ではあっても、叙事詩ではなく、叙事詩になるまえのイメージがざわざわと犇いているような詩集です。乗り物に乗って旅をする親子。ある日、旅が急に終わって、父が出現した家の中に落着き悪く過ごす日々。あるいは乗り物に乗って、空港で「悪いパスポート」を持っていたために入国を拒否されて、そのままひからびて行く家族。あるいは河原にはびこる帰化植物。乗り物に乗って世界を旅して定着する植物の死骸。家の中の父の死骸。父の死骸とセックスをする母。いやな匂い。臭いにおい。ひからびてゆく植物。それでも芽を出す植物。そういうイメージが乗り物の「の」あるいは乗ってという言葉の「の」という音などの「の」の音で渦を巻きながら世界に溶け込むようにして、命が再生される確信にいたるまでが歌われています。
エネルギッシュです。河原荒草は私と言いたそうな詩集です。いや、実際「河原になりたい」と言っています。多くの帰化植物をはびこらせる河原になりたいというフレーズが形を変えてくりかえし登場します。すごいいなあ「河原になりたい」なんて。そういう詩集です。 私は伊藤さんの声を直接知っていますから、詩集を読んでいると伊藤さんの抑揚や声のトーンまで聞こえてきます。体から発せたれる時の、喉の感じとか胸の揺れ方まで自分の手で触れているような感じがしてきます。ついでに一緒に昼間の露天風呂に入って笑っていたときのことまで思い出しちゃいます。詩集を読んでそんなことまで思い出せるなんて、とても贅沢で、やっぱり詩人の友だちを持つべきだと思いました。
でもこの詩集を読むとセックスは「生きるための戦いだな」って感じがしてきて、朗読会をやるのが空恐ろしくなってきました。そうでなくとも詩人の迫力には負けちゃうのに……ああ、どうしたらいいんだろう。外はものすごい春の嵐で風が荒れ狂っています。
ライブドア事件
2006年03月15日(水)
ライブドアの堀江貴文氏が起訴されました。同時にライブドアも上場廃止が決定されました。ただ、この事件は裁判では相当に揉める気がします。それから、逮捕から起訴までのメディアを含む一連の動きと、東証の対応についても改めて議論される機会が巡ってくるようになきがします。ライブドア事件はこれでひと段落をいうよりもこれからが、各方面にいろいろ波紋を投げかける事件に発展しそうな気配を感じます。
昨日、広島に住む友人と電話でもちょっとそのことを話したのですが、新聞記者もテレビ局の記者も個人としてはサラリーマンで、税金の処理や会計処理などは会社まかせで暮らせる人が多いので、あまりホリエモン逮捕に違和感を感じないのかもしれないという感想でした。小さいながらも自分で会社を経営したりしていると、これはなんだかへんだなという違和感を感じるということでした。
こうした違和感の是非はかんたんには明解になることはないのですが、公権力への不信感を生み出す結果にならないといいなと思っています。
試験場のいびき
2006年03月14日(火)
試験監督が英語の試験中に試験場で居眠りをしていびきをかいたというニュースがありました。人ごとじゃない。試験監督ってのは、睡魔との闘いです。受験生に同情するよりは寝ちゃった先生に感情移入しちゃいます。なんとか寝ないでいようと歩き回ると、今度は気が散るなんて言われますし。頭に中には勝手に羊が通り過ぎて行くしで、ほんと往生しちゃいます。羊の中に豚でも混じっていてくれるとうれしいんだけど。
ソルボンヌ大学では失業対策を巡って学生と警官隊が衝突。63年以来の事態にフランス当局はショックを受けているとのことでした。63年の騒動はその後、全世界に学生運動の波として広がりました。私なぞはその大波が去ったあとで大学に入ったのでした。で、なんとなくこんにちまで、その大津波みたいなものの後片付けをさせられているような気がしているので、こんなニュースを発見するとどきりとしてしまいます。それよりは試験場のいびきのほうが切実な危険なんですけどね。
大風の日
2006年03月12日(日)
朝、目がさめたら大風が吹いていました。海から吹き上げる大風が関東平野に砂塵を巻き上げて通り過ぎて行くと春が来たのだなと確信します。
来年(08年)春から静岡新聞連載小説のために徳川家康の本を読んでいます。家康が江戸に入った時の江戸城はほんとうに荒れ果てていて、周囲は塩水が染み出す湿地だったようです。そんな場所をまるで開拓するように江戸の町の建設を始めたということが解ります。
3月10日は東京大空襲の日でした。東京でも式典があったとニュースが伝えていました。東京が焼け野原になってしまったあとで、山岡荘八は「徳川家康」を書きはじめています。これが空前のベストセラーになったのには、家康が江戸を建設した将軍だったという事情も重なっていたような気がします。豊臣秀吉が朝鮮侵攻に現を抜かし、北京に帝国を作り出す夢を見ていた時、家康は塩水が噴出す土地に上水道を作り、堀をほって水はけを良くして、土手を築いて地割りをして町に住む人を募っています。
家康のフロンティアに天皇陛下が来るまでには300年もの時が流れたのだなと、大風の音を聞きながら思いました。江戸の町はたびたび火事に襲われたそうです。さらには、関東平野は何度も大地震に襲われています。
相談しています。
2006年03月09日(木)
伊藤比呂美さんと朗読会の相談をしています。私は「豆畑の昼」を読もうかと思っています。まだ相談中で、相談はきっと当日まで決まらないと思いますが、だんだんイメージはできてきています。
次の朗読会はR30でやろうかと以前、話していたのですが、R30だと豆蔵さんが入れないのです。それでまあ、R25くらかかなあって感じになっていました。ここのところの5歳の年齢差っていったい意味があるのかどうか解んないのですが。R5とR10じゃあ、えらい違いなんですけどね。
伊藤さんはお互いにおばさんなんだからセックスの話をしようと言っていますが、私のほうは情欲の話がしたいってな具合で、微妙にずれています。この微妙なずれがいったい何を引き起こすのか、いまのところ、あまり予想がつかないでいます。
3月18日 朗読会
2006年03月08日(水)
3月18日にまた例の神田小川町の「図書新聞小川町画廊」で朗読会をやります。こんどは伊藤比呂美さんとのジョイントです。伊藤さんは「般若心経」を読もうかなんて言ってました。伊藤さんに言わせると私と伊藤さんはよく似ていて、ふたりともおばさんで、「ナマの女」でぶいぶい言わせるいるということでした。それで「般若心経」でぶいぶい言わせるかもしれません(なんだかわからないけど)というか、まだ何も決めてません。伊藤さんとだったら、何も決めないほうが、すごっくうまく行く気がします。
前日の3月17日は高見順賞の受賞式。今年の受賞者はもちろん伊藤比呂美です。私が乾杯の音頭をとることになっています。つまり朗読会は、前日に祝杯を挙げたとろこから始まる仕組みになっています。おそらく正気なのはのこホームページの管理人の豆蔵つまり豆ちゃんだけでしょう。豆ちゃんには正気でいてもらわなくては困ります。というわけで、いったいどんな朗読会になるのか、まったく解りませんが、おもしろいことは請け合いますので、どうぞ、皆さん、お越し下さい。詳しいことはトピックスをご覧下さい。
お待ちしてます。
冬眠から春眠へ
2006年03月07日(火)
東京はうらうらとした暖かいお天気がづついています。昨日はお買い物。春用の洋服を少しまとめて買いました。(無駄使いだ!という子どもたちの声が聞こえそうですが)それから映画を観ました。街歩きをしていてもなんとなくぼんやりとして、春眠の延長の気分です。
映画の予告編でやっていた「ヨコハマメリー」というドキュメンタリー映画を観たくなりました。横浜の伊勢崎町にいた街娼の行方を追う映画のようです。メリーさんと呼ばれた彼女は84歳で亡くなったとのことですが、子どもの時に映画に観に行った伊勢崎町の雰囲気などを思い出せそうです。予告編の文句がおもしろくて「奇跡の上映」なんだそうです。小さな映画館でもドキュメンタリー映画が商業映画館にかかるというのはやはり「奇跡」に近いものがあるのかもしれません。
どうやらこの映画では「伊勢崎町ブルース」を渚ゆうこが歌っているみたいです。青江美奈よりも軽い声でし高い声なので、なんというのか、言うに言われぬ違和感がある予感がします。新宿の大ガードのわきに青江美奈や五木ひろしの似顔絵が大きく描かれたキャバレーの広告が出ていたのも今は昔の話になりました。
今、私が住んでいる家の周囲ももとはアメリカ軍の朝霞キャンプがあったので、かなり高齢になった街娼がいるという話を聞いたことがあります。高校生の頃からずっと声をかけられ続けたという近所の旦那が「なんだかもう意地としかいいようがないよねえ」とため息をついていました。伊勢崎町と違って、このあたりはもともとは農家ばかりですし、今は典型的な郊外の集合住宅が多い地域になっていますから、横浜のメリーさんみたいな物語もなく、いつのまにか街から消えてしまったのでした。街道に沿った古い床屋さんや種苗屋さんが消えた頃に、姿を見なくなったような気がします。
冬眠が春眠に切り替わる境目で、なんだかうまく言えないことをうらうらと考えています。
花屋さんの前を通ったら
2006年03月04日(土)
昼間出かけるときは軽い服が着たくなる日差しの明るさになりました。花屋さんの前を通ったら、桃の花を格安で売っていました。10日の菊(9月9日の菊の節句が終わったあとの菊)なんて言いますが、桃の花も4日になると格安になるのですね。
昨日(3日)はすごくへんな日で、午前中は横浜の中華街で、地元のやくざが揉め事の始末をつけている様子をホテルのカフェで目撃。ひと目見るなりやくざだと解るところがすごいのですが、でも午前中から面倒の後始末をするのにみんな集まってけだるそうな様子で、話の成り行きを見守っているところで奇妙でした。十人以上の人がいました。
それから午後は神楽坂の喫茶店で詩人の井坂洋子さんにばったりお目にかかりました。茨木のり子さんが急折されて、来月の「現代詩手帳」は茨木のり子追悼号になることになったのですが、そのための対談の帰りだそうです。井坂さんとしばらくお話しました。頭の中に午前中のやくざの集会の様子が残っていたせいか、なんだか自分が「情けないこと」を言ったような気がしました。井坂さんは茨木のり子さんが亡くなられたのが、ほんとうに残念だった様子です。
夜中はなぜか怪電話が……。こんなにいろんなことをあっていいのかなあっていう日でした。あした、丘の上の花屋さんに行って、安くなった桃の花を買い、大きな壷にたくさん生けようと思います。
雪が溶け始めました
2006年03月03日(金)
蔦温泉の今年の雪もようやく峠を越えたそうです。毎日10時に温泉を出発するバスの運転手さんは前の日の夕方、蔦温泉までバスを運転してきて一泊して翌日の乗務となります。写真の道はバスが通る道ですが、冬の間も常時、除雪されていて、郵便屋さんも来るし宅急便さんもこの道でやってきます。
山の郵便ポスト
2006年03月02日(木)
蔦温泉玄関にあるポストです。この郵便ポストはまだ現役です。ここに葉書を投入するとちゃんとあて先に届きます。郵政が民営化してもこの旧式のポストにはまだまだ元気でいてもらいたいと思います。かんだか「顔」があるみたいなポストが全国津々浦々に立っていた昔もありました。
ぴゅっと行ってぴゅっと帰ってきました。
2006年03月01日(水)
ぴゅっと行ってぴゅって帰ってきました。八甲田山のふもとにある蔦温泉にです。八戸からバスが出ています。去年の11月15日に雪が降り出して、3ヶ月間ずっと雪が降り続いていたそうです。その雪もようやく峠を越したようです。到着した夜は大雨。ざんざんざんざんと降っていました。「ここ数日お天気もだいぶ暖かでした」ということで、雪もやや溶けたそうでした。
が、翌日、目が覚めてみるとさらさらの粉雪が降っていました。さらにその粉雪を「雨返し」の風がさあっと吹き上げてあたりが真っ白になる場面もありました。これだけの雪が溶けて水になって地下にしみ込み、これがまた温泉になって噴出してくるのです。蔦温泉は源泉の上に湯船が出来ていて、さらさらの透明なお湯が常時湧き出しています。あたりの山には水をたくさん蓄えているというブナの木の林があります。雪が水にかわり、水が温泉になったり、ブナの木の中を巡ったりといろいろに姿を変えるのです。
冬眠してきました。温泉に入って、地表に積もった粉雪が吹き上げられるのを見ていると、なぜか眠くなってこっくりこっくりしてしまいます。八甲田山の山のなかではそろそろクマが冬眠から目を覚ます頃なのかもしれません。
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