神田すずらん通り
2005年02月27日(日)
神田駿河台下の靖国通りは古本屋さんの多い街として有名です。リンクに追加したアジア文庫と東京堂書店はその靖国通りと平行しているすずらん通りのお店です。 新刊本屋さんのほうが裏通りにあるのです。すずらん通りと靖国通りの間にはさらに細くて車の通れない路地があり、喫茶店や古本屋さんが軒を並べています。このあたりはお散歩にはぴったりな地域です。
近年、再開発が進み始めました。再開発で大通りがあり、商店街のある通りがあり、路地があるという三種類の空間が混在する街のかたちがなくなってしまわなければいいのですが。ちょっとそれが心配です。再開発は図面の上で計画がたてられたなと感じさせるものが多いのですが、もともとの街は人の足で踏み固められて作られたところが多く、身体が自然に馴染むような空間ができています。
現在、リンクには加えていませんが、ここには大きな本屋さんとしては三省堂もあり、書泉もあります。古本屋さんはそれこそ数えきれずです。若い主人のいる古本屋さんも路地には何件もオープンしています。
ピュア・ダージリン・ティー
2005年02月27日(日)
インドのコルカタから日本文学研究者のギタ・ニキさんが研修のために日本に来ています。コルカタでインドの文学者とシンポジウムに参加した時にはたいへんお世話になった方です。今回は北浦和にある国際文化交流基金の研修所で短期研修のために来日されました。
どことなくお顔が坂上次郎に似ているので、シンポジウム参加者の間では「あ、あのジローさん」なんて言っています。女性ですから、ちょっとご本人には聞かせられないのですが・・・。研修所では、各国の日本語研究者が合同で日本語の研修を受けているとのことでした。久しぶりにお目にかかって「北浦和なんて何もないところでしょう」と言うと、「それだけ集注して勉強できますよ」というお話でした。
10歳になる娘さんも今回はご一緒ということで、娘さんは仙台のご親戚の家にホームスティをしているので毎週、週末には東京駅まで娘さんを迎えに行ったり、ご自分が仙台まで出かけたりなさっているとの聞いて、ちょっとびっくり。今年は太平洋側でも雪が多いので、お母さんのほうは寒くて困ると言っていましたが、娘さんのほうはそれほど寒さを感じていない様子だというお話に、「やっぱり子どもは強いのねえ」と、感嘆しました。
お土産にピュア・ダージリ・ティーを頂戴しました。このお茶の産地のダージリンでは雪は振ることもあるのだそうです。お茶は少し緑色の茶葉が混じるもので、澄んだ色の紅茶が出ます。爽やかな香りのお茶でした。お母さんのギタさんは学生時代を東京で過ごされているのですが、10歳の娘さんに日本の冬がどのように感じられたのか聞いてみたい気がしました。
押江千衣子さんの絵
2005年02月23日(水)
押江千衣子さんの個展を見てきました。テーマは「はだか」「ヌード」です。押江さんの生命力のある植物の絵がすてきで、個展を楽しみにしています。ベルギーに留学中で、美術学校の授業の一環として描いた「はだか」と「ヌード」が今回の個展に出ている絵です。
水彩画で描かれた人の体系はさまざま。でも、その絵も服を着ていないことに寛いだ感じがして、肩の力が抜けた開放感がありました。あまり適切なたとえではありませんが、露天風呂で寛いでいるときの感じです。見ているだけで、お日様の光を背中に受けてお風呂に入っているような気分になってきます。
雑誌や新聞では女性がモデルの絵が紹介されていますが、男性を背中から描いた絵もありました。すとんとしたはだかの背中の線がきれいな絵です。押江さんが「はだか」や「ヌード」をテーマにするのは意外でした。画廊の人を少しお話をしましたが、ベルギーの美術学校に行かなければ描かなかったテーマだろうということでした。
荒川土手 うさぎがいっぱい
2005年02月20日(日)
ホームレスの人が飼っていたうさぎが、どんどん増えて、今や荒川の土手を壊しそうになっているというニュースを発見しました。うさぎが土手に穴をほり、土手の草を食べるので、うっかりすると堤防の決壊の原因になりかねないそうです。
写真をみると、土手の上には白いうさぎと灰色のうさぎがいっぱい、跳ね回っています。多い時で70匹ほど、現在は50匹くらいのうさぎがいるそうです。最初のつがいの2羽がどんどんどんどんどんどん増えて、これほどの数になってしまったとのことでした。
弱い動物はどんどん増えるのも、種を守る手段のひとつなのですね。「自分」を守るのではなくて「種」を守るという感覚は、人間にもあるのでしょうか?
あなたの常識力を10倍にする本
2005年02月18日(金)
管理人のながしろばんりさんから
「あなたの常識力を10倍にする本」 実業之日本社刊 日本常識力検定協会監修
が送られてきました。ながしろさんがイラストを担当しています。
常識力検定なるものがあるのは初耳でした。なるほど、世の中が変化すれば、常識も変化するので、そういう客観的な評価でできる検定も必要になるのでしょう。
この本、なかなかためになります。ひとおり読んでおくとニュースを聞いたり読んだりするときの基礎知識にもなるし、お祝い事は宴会での振舞い方も出ていると、常識の世界は広いなあと感心します。
今朝の東京は雪になりました
2005年02月16日(水)
雪です。細かい雪や羽のように大きな雪や、いろいろ入り混じって、降っています。
未明には地震もありました。長く揺れ続けていました。内陸型の地震のようです。茨城県震源の地震は数日前にもあったように記憶しています。
雪は大雪になりそうな気配です。春の雪。
グーグルの表紙が
2005年02月14日(月)
風邪を引いて熱を出て、もうろうとしているので、グーグルのバレンタインデーの表紙が、赤い薔薇と白いリボンだとわかっているも、包帯と血に見えてしまいます。ああ、しんど。
ええと、ご報告をひとつ。ようやくメールマガジン創刊号を出せました。「豆蔵通信」です。このホームページの管理人のながしろばんりさんが豆蔵を襲名しました。派手な襲名披露をしたいのですが、なにぶんにも風邪を引いてそうも行かなくすみません。
小説の猫 映画の犬
2005年02月12日(土)
先日、文芸家協会発行のアンソロジー「文学2004」の編纂委員会で「どうしこんなに猫の小説を書く人」が多いのだろうと話題になりました。町田康、笙野頼子、平出隆などなど、みんな猫を描いた小説があります。犬がいないわけではないですが、猫が目立ちます。
昨日、豊島園に映画を見に行きました。予告編を見ているとその名もずばり「いぬのえいが」という映画の予告をしていました。ううん。ここまで来たか!と思わず「ふふふふふ」でした。「さようならクロ」「クイール」などここのところ犬の映画が多かったのです。なぜか猫の映画はない。こちらもまったくないわけではなくて「子猫物語」などがありましたが、今は「犬」です。
今度、馬の話を小説に書いてみようかな?馬だってけっこう人間とは仲良しです。うちで飼っているって人は少ないでしょうけど。
北区浮間の火事
2005年02月11日(金)
昨日の夕方、東京北区浮間の温泉掘削現場で火事がおきました。天然ガスに何かの火が引火したみたいです。簡単に言えばガスバーナーに火はついた状態だと思えばいいようです。今朝になってもまだ鎮火していません。
夕方のニュースが流れた時、ベランダへ出てみました。浮間までは少し距離があるので、さすがに火は見えないのですが、一緒にいた息子が「お母さん、ヘリコプターがいっぱい飛んでいるよ」と、雲のかかる夜空を指差しました。赤く点滅するヘリコプターの明かりが、雲よりも低いところを接近して飛んでいました。 今朝の新聞をみますと南関東の地下には大きなガス田があるのだそうです。知らなかった。
100歳を越えるドライバー5人
2005年02月10日(木)
日本には100歳を超える運転免許保持者が5人いるそうです。実際に運転をしているわけではないかもしれません。が、60歳以上のドライバーがかなりな数に登っているのは確かです。高齢化社会は道路上も例外ではないのです。
いったい幾つまで運転をしてもいいのか?時々、考え込みます。個人差が大きいだけに、法令で規定してしまうのも、少しやりすぎの気がします。ですから個人的に自分の判断で運転をやめなければいけないのでしょうけれども。多くの人はどう考えているのでしょうか?
運転をするのと、しないのとでは、大げさに言えば人生設計が変わってくるところがあるので、こういうことはいろんな人の意見を聞いてみたいところです。
60代になった私の叔母は、ナビ付きの自動車で気ままな旅行をしてみたいと言っていました。60代はまだまだ大丈夫。いや、大丈夫であるためには努力がいるというところでしょうか?さすがに100歳は・・・
私は運動神経が鈍いから65歳が限界かもしれません。でも年齢って、下から見ているとすごく年寄りに見えるのですが、なってみるとそうでもないということがあります。小学校一年生の時の6年生は「おっさん」と 「おばさん」でしたら、自分がなってみたら、そうでもなかったというあの感じです。運転免許書についてはこれが曲者かもしれません。
替え歌の歌詞
2005年02月08日(火)
加茂靖子さんからビビデバビデブーの別の歌詞を紹介していただきました。こちらもなかなかです。
「私が幼少のころ(1980年代の千葉県内)は、 こんな歌詞でうたわれていました。
やめてよして さわらないで 垢がつくから あんたなんか嫌いよ 顔も見たくない ぷん!
誰が誰に対して歌っていたのか・・・ 今から思うと、ひどい歌詞ですね。」
なるほど、東京から千葉に伝ってパワーアップしたのですね。この歌詞はリズムをとりやすい感じだし、歌いやすくなっています。「ぷん」っていうところがすごくいい。ほかにも何かご存知の方がいたら教えてください。
正調替え歌ビビデバビデブ
2005年02月07日(月)
トピックスに掲げた「うさぎとトランペットに使用した音楽」ですが、ビビデバビデブの替え歌には正調の歌詞があったようです。 スタッフ・ルームで管理人のながしろばんりさんが正調のビビデバビデブの歌詞を教えてくれました。
「面白いことに気がつきました。ビビデバビデブーの替え歌、小生が幼少のみぎりも(笑)あったのですが
さわらないで ちかよらないで 垢がつくから あんたなんか嫌いよ 顔も見たくない
だったように記憶しています。進化するのかしらん」
津島さんや伊藤さんの歌っていたのにも「垢がつくから」というのがあったので、たぶんこのほうが正しい(!)のではないでしょうか?私の聞いたのは進化したというよりも退化したやつだったみたいです。だって「垢がつく」ほうが強烈だもの。
あんまり好きじゃない単語
2005年02月06日(日)
「うさぎとトランペット」にも「楽隊のうさぎ」にも宣伝文句は「成長」という言葉を使っています。本の宣伝は出版社におまかせしています。それに私はどうも解りやすい言葉というのが苦手なので、わかりやすくなくちゃいけない宣伝文句はおまかせしたほうがいいと考えています。
で、「成長」なのですが、この単語があんまり好きじゃありません。単語を差別しちゃあいけないのかもしれませんが、子どもの頃「成長したな」って言われると妙に腹が立って仕方がなかった。植物じゃああるまいし、成長なんかするもんかと思っていました。「都合良くなってくれたね」って言われているような気がしたのです。早く大人になりたいとは思っていました。なにしろもう充分一人前で、「大人」という資格さえ授与されれば充分と考えていたからです。
「成長」のかわりに「一人前」という言葉は好きです。赤ちゃんでも「一人前」3歳でも「一人前」であるのに、45歳でも「半人前」になっちゃったりするところが大好きです。一直線な感じがする成長よりもぐるぐる回ってくねくねしているので。5歳くらいの男の子なんて「おうおう、いっちょうまえに、やっておるわい」という感じで、公園の木に蹴りを入れたりしていることがよくあります。あれは「一人前」と「半人前」の間くらいかな。
関が原の雪
2005年02月05日(土)
ああ、もう2月も5日ですね。2月は去ると言いますが、ほんとうに月末が少し短いだけであわただしい感じがします。
ここのところ、新幹線に乗る用事がある日というと何かしら奇妙なお天気に遭遇します。今度は大阪の大寒波でした。2月の寒波は当たり前ですが、高速道路で路面が凍結して、通行止めがでるとか、玉突き事故がおきるというような寒波の最中の大阪に行ってきました。
黒門市場でてっちりをごちそうになりました。それから白子の塩焼き。これは素焼きの蓋付きの入れ物に白子がぎっしり入って、蒸し焼きになってました。こんな塩焼きを食べたのは初めてです。それにしても寒い晩でした。空気の中の水分が凍っているような硬い感じの冷え方でした。
帰りは京都がうっすら雪化粧。瓦屋根の凹凸が、雪に覆われるとはっきり見えてなかなかきれいでした。関が原は猛吹雪で、新幹線は徐行運転。東京到着は一時間送れでしたが、急ぐ旅ではなかったので、雪景色が見物できてちょっと得した気分でした。
「ごちそう」を「どちそう」と打ち間違えていたら、スタッフ・ルームで管理人のながしろばんりさんが大笑いしていました。(6日追記)
杜甫草堂のジャン卓
2005年02月01日(火)
マージャンはいつ頃、日本に入ってきたのでしょう?三島由紀夫の「豊饒の海」第一部「春の雪」に宮家に嫁ぐことが決まった総子がマージャンを習う場面があります。これはフィクションですが、大正の末頃には実際に家族でマージャンを楽しむ宮家もあったようです。
文化大革命時代の中国ではマージャンをする人の姿などみかけることはなかったそうですが、今はまた街の中、いたるこころでマージャンをする人の姿を見かけるようになりました。商店の店先などで、お客をそっちのけにしてマージャンをしている商売人もいます。
杜甫が住んだという草堂が成都にあります。この杜甫草堂のある公園の中に気持ちの良い茶房がありました。茶房は中庭を囲むような建物で、庭のテーブルとお茶を飲んでいると、中庭を挟んだ向かい側の棟で、四人の女性が熱心にジャン卓を囲んでいました。いや、正確には5人と二人の子どもです。
子どものひとりはまだ這い這いもできないような赤ちゃんで、白い髪をおかっぱ型に切りそろえたお婆さんに抱っこされていました。このお婆さんは、気が向くとジャン卓の女性と交代でマージャンに加わっていました。おばあさんに変わって赤ちゃんを抱っこしていた女性がどうやら、この赤ん坊のお母さんのようでした。
もう一人はかわいらしい女の子で、この子はジャン卓の周りを回って、それぞれの手の内を見比べていました。年のころは7歳か8歳くらいです。もうマージャンのルールがわかっている様子で、それぞれの手のうちが解っても、顔色もかえずに眺めていました。
女性たちは冬の短い午後をマージャンに興じて過ごすのが日課のような様子でした。これが私が見たなかでいちばん穏やかなマージャンの様子です。しかし、あの静けさは、案外、真剣な勝負であったかもしれません。
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