能が好きだという湊比呂子が八木沢省三郎に感謝の意を表明するあたりで、遅ればせながらはたと膝を叩いた。この小説は、日本の戦後から現代を舞台にした夢幻能に他ならない。通称「骸骨ビル」に縁ある人々に思い出を語らせ、当初の目的に拘ることなく、それにぢっと耳を傾ける八木沢は、まるでワキ方の僧侶のようだ。人々は語ることで、「思い出の奥に隠れてたものを見つめさせ」られた。そのように比呂子は理解する。「骸骨ビル」に対する妄執に似たもの。それが解き放たれることはあるのか。
八木沢はとある企業から「杉山ビルヂング」(骸骨ビル)の明け渡しを要求する交渉担当者として派遣された。このビルには戦後から住みついてずっと離れない人々がいた。昭和二十四年、復員してきた阿部轍正は親友の茂木泰造とともに孤児たちの親代わりとなり、この地で苦難の共同生活を営んできた。比呂子もその中にいたのだ。ビルの庭に畑を作る試行錯誤の過程を通じて、二人の青年と孤児たちは取替えのきかない絆で結ばれた。阿部はもうこの世にないが、茂木を中心に、あるいは彼を支えるように生きる人々を立ち退かせるのは生易しくない。ある者は自覚的に、ある者は無意識だが、皆「骸骨ビル」への特別な思いを抱く。それは当然のことだ。
「骸骨ビル」の人々は必ずしも敵愾心を露わにするわけではない。与えられた一室で八木沢は思う。徒に策を弄するより、彼らとともに生活してみたらどうか。解決するかしないかを半ば度外視したところで、一人の人間として付き合おう。かつて彼らがやったという畑作業を、できるなら自分もしてみたい。こういう八木沢の寄り添い方が、茂木と元孤児たちの心に緩やかな流れを生み出す。そして、彼らは知らず知らずのうちに、自分たちの当時の思い出を語り始める。
語ることで、間延びしかけていた部分が引き締まっていく。「パパちゃん」こと阿部轍正や「茂木のおじちゃん」の言葉がしかと思い返される。数十年を経て、彼らの絆が更新される。「骸骨ビル」は、死線を乗り越えた二人の青年が「まるごとの存在という実例」をもって、生きるとは何かを孤児たちに伝えた場所であった。彼らの魂魄が孤児たちに伝染した奇跡のトポスが、確かに北大阪の一角に存在したのだ。「骸骨ビル」の意味が腑に落ちたとき、人々は穏やかな気持ちで離れていく。宮本輝は、生き生きした記憶というものが胸に染み入る瞬間を書き留めるために、その健筆を存分に振るっている。
すばる 2009年9月号掲載
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