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「悲しみ」の学び方


島田雅彦著『徒然王子』第一部、第二部(朝日新聞出版社)書評

 

 かつて「日出ずる処」であった国の王子テツヒトは、自分を持て余していた。齢三十と少し、いまだ恋も知らず、愛する哀しみさえも知らなかった。王家の者でありながら、政に口を出すことを禁じられ、無能な政治家や資本家が「この国」を外国に売り渡すような所業を働いても、黙っているしかない。国民からはいてもいなくても同じと思われ、飾り物に過ぎなくなった王子は、自分の存在について頭を抱えた。不眠症に陥った王子の世界は色を失いかけていた。眼に映るものすべては青みがかって、まるで「海の底から物を見ているよう」なのだ。

 だが、そんなテツヒト王子の前に忽然と仙人が現れる。「旅に出るか、憂愁の森にとどまるか」と問いかける仙人の言葉を千載一遇の機会と見たテツヒト王子は、父と母に暇乞いをする。古の王族たちが国の危機に「旅」に出て、王族の王族たる力を持ち帰り、国を救ったという物語の顰に倣い、あわよくば自身もそうした力をものにしたかった。テツヒト王子は一般人に身をやつしてアズマテツヒトとなり、従者コレミツただ一人を従え、危険を顧みず、御用地を後にした。この国を知りたい。自分を知りたい。大いなる「まねび」の扉がここに開かれ、青ざめた世界は一気に切り開かれる。

 外の世界をよく知り、王子に拾われるまで辛酸をなめてきたコレミツは、テツヒトの格好の案内役となる。怪しい雰囲気漂う場末の酒場に、そして、人生から、社会から脱落した人々が最後に行きつくという「ホープレス・タウン」に、コレミツはテツヒトを連れて行く。この現世の道行きで、テツヒトは分裂する国の現実を垣間見る。ただならぬ貧困、死に隣接する孤独、他人に裏切られた嘆き。無数にある別の「ホープレス・タウン」にはまた別の辛苦があるだろう。テツヒトの心は痛んでいた。それを救ったのは、この土地の住人たちの気さくで温かい迎え方だったろう。

 しかし、長居はできなかった。王子の行方不明に騒ぎ始めた世間の追っ手が迫る。このまま戻るわけにはいかない。テツヒトはまだ何も学んではいなかったからだ。人々の助けを借り、仙人の促す方へ、テツヒトはダイブする。すなわち、それは前世への「旅」であった。国の王たらんとするものは、その国の歴史のすべてを背負う覚悟がなくてはならない。仙人は、テツヒトに己が前世を追体験させることで、表面的な知識にとどまらぬ、何かもっと別のものを学ばせようとしていた。

 テツヒトは、合わせて四つの前世を生きることになる。第一幕は紀元前の中国、秦の始皇帝から不老不死の妙薬を探せという無理難題を押し付けられた徐福に従った無量。第二幕は源平合戦で名を成した那須与一宗高の弟で、病に臥せった兄の代わりに平家の残党討伐に加わった那須大八郎宗久。第三幕は戦国末期、ルイス・フロイスの後を受けて通事(通訳)となり、カトリックを「この国」に拡げる尽力をしたジョアン・ロドリゲス。最後は遊び人であることを誇りにさえ思い、女と酒にかまけて気の合う友、夢之介とともにキョートからエドを目指す、米問屋の四男坊藤四郎。

 第一幕では素朴な筆致で、第二幕ではかすかに雅な筆遣いが現れ、第三幕では殉教の悲愴感が加わり、第四幕では軽みと滑稽さを弾けさせて筆が走る。その書き分けも面白いが、さしずめ、この四つの生を串刺しにする原理(因縁)が存在することには触れざるをえない。どの人物も、「無主無従」の境地を守らんとした。そして、一から物事を立ち上げていくことの尊さと困難を知り、それでも何事かの建設に命を捧げ、志半ばにして倒れた点で共通である。そこには必ず権力者の横槍があった。愛しい人や親しい知己との別れがあった。次から次へと満たされぬ思いに包まれるテツヒトは「一体、歴史は何を求めているのだろう?」と忌々しがり、「私の心には悲しみだけが積もってゆく」と嘆くのだが、それこそが歴史を学ぶということなのだ。彼はそれぞれの「悲しみ」を追体験することで、「悲しみ」を引き受け、それに耐え抜く力を徐々に身につけてきた。それが王になる資格に接続するのである。

 テツヒトには、「ホープレス・タウン」で感じた痛みと温かさの正体が何であったのか、もう分かっているはずだ。住人たちは様々な経緯を辿って自分を「ホープレス・タウン」に捨てにきたのである。文字通り、そこは希望をもてない人々の集まる町だった。しかし、いざやって来てみると、町にはアナーキーな活力が湧き上がっているのだ。売り買いできるもの、目に見えるものしか信用しない社会にぶら下がっていた時、分からなかったことがここでは分かる。

 この町の象徴的な存在であるサカキは言っている。「この町に来た者はみな、人としての原点に返るのです。人としての本来の生き方に目覚めるのです」と。「ホープレス・タウン」が、「ホープ・タウン」になる可能性はゼロではない。何もないところだからこそ何かが生じる、その逆説の力は侮れないのだ。無論、覇者の邪な力との衝突は避けられない。そのときにまた多くの「悲しみ」が発生する。だが、それを支える柱があったならば、きっと希望は途切れない。そして、おそらくテツヒト一人ではなく、彼に続く者の出現が待たれているのだ。ここでは、「この国」の歴史の新たな学び方を身につけた、多くの人の到来が夢見られている。

すばる 2009年7月号掲載



島田雅彦

『徒然王子 第一部』

朝日新聞出版、1,575円

ISBN-10:4022505125

ISBN-13:978-4022505125



島田雅彦

『徒然王子 第二部』

朝日新聞出版、1,995円

ISBN-10:4022505907

ISBN-13:978-4022505903


   
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