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「自分殺し」の物語


松尾依子著『子守唄しか聞こえない』(講談社)書評

 

 現代の地方における「閉塞」は一昔前のものとはちがう。そこには外部がない。

 たとえ幻想に過ぎなくても、東京に出れば何かがあると信じられる時代があった。だが、既得権益にしがみつき、勝ち馬にばかり乗りたがる人間で構成された今の社会に、何が求められよう。若者は「場所を変えただけで何かが変わるとは思えない」と言うだろう。圧迫感が漂い、覚醒を待望する自分を常に苛立たせる「平穏の中に沈みこんだ」町。地方の空間では、もう「子守唄しか聞こえない」のである。

 主人公は美里ミサ、地方の小都市に住む高校二年生の女の子だ。自分の町を照らす太陽が「偽物」だと考える彼女は、ここで死ぬまで暮らすかもしれないと思うとうんざりしてくる。

 ボーイフレンドを含む仲良し男子四人組にまじって「内輪」を作り、美里は外を見ようとしない。自分だけが女性であることに違和を感じはしても、その輪が崩れることが何よりも怖い。閉じた空間の中にもうひとつバリアーを張って「眠たげな」空気を遮断したいのだ。だが、それがただのごまかしであることを彼女は知っている。

 美里には自分をかすめるいくつかの体験が、どこかに通じているという実感があった。子どものころに遭遇した海難事故、ボーイフレンドとのはじめてのセックス、みずからの分身のような女生徒の自殺、そして、自分のなれの果てとも見えた老人との出会いと別れ。

 それらの出来事に触れるたびに、一瞬の「解放感」が美里とすれ違う。これらはみな、いわば「自分殺し」である。自分を失うこと、自分の影を消すことで、逆説的にこの世界と「偽物の太陽」が消える。そうすれば、「本物の太陽」が昇るかもしれない。保証はないが、そんな希望しか見つからないのだ。

 「死に物狂い」で何かを達成する夢の時代は遠くなった。「ささいな自分の死」とまみえることで生き延びる生命。それは異様な存在のあり方なのか。美里は干上がった現実に窒息する、ありきたりな若者のひとりにすぎない。

東奥日報、秋田さきがけ、北國新聞、
信濃毎日新聞、福島民報、下野新聞、
山梨日日新聞、京都新聞、中國新聞、
長崎新聞、熊本日日新聞
以上、共同通信より配信。



松尾依子

『子守唄しか聞こえない』

講談社、1,500円

ISBN-10:4062149028

ISBN-13:978-4062149020


   
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