頑張ればいいことがあるって本当ですか? 私はこの疑問にうまく答えられる自信がない。だが、今の日本にあって、こうした問いが前景化していることも確かだろう。 本書の主人公・ワンちゃんこと「木村紅」の本名は「王愛勤」、名前どおりの働き者で、文化大革命後の「改革開放」の波のなか、服飾業界で若くして成功を収める。けれども、男の子を授かって一緒になった相手は、実は女好きの遊び人。結婚生活が破綻しても、金の無心だけはやめない。どこへ逃げても男は姿を現す。いたたまれなくなったワンちゃんはすべてを捨てて日本の片田舎へ嫁ぐことにしたのだが、これがまた大誤算なのだ。言葉の問題以前に無口で意思疎通しようともしない旦那との生活はあまりにも窮屈でやりきれないものだった。 それでも、否、それゆえにワンちゃんは中国人女性と日本人男性との間を取り持つ結婚仲介業を始め、自立を求めて奮闘する。まさに、頑張る、頑張る人生だ。なのに、久しぶりに会えた一八歳になる息子はワンちゃんに「母さんみたいに働きに働いて、何か良いことでもあった? オヤジって結構頭が良いよな……」とうそぶき、小遣いをせびって去っていく。ワンちゃんは「名状出来ないほどの悲しさと失落感」に苛まれ、みずからの過去を振り返る。自分の存在意義とはなんだろう。自分を必要としてくれる人になぜ巡り合えないのだろう。
ワンちゃんが求めているのは平凡な市井の幸福とでも言ったらいいようなものだ。しかし、それはとても大切なもので、そして得るのが難しい。中国現代史の怒涛のような流れと、日本の地方の閉塞を背景にして、そのささやかな願いが決して馬鹿にできないものであることが滲んでくる。かつては人民革命のシンボルだった色が、解放されつつある個人の幸福のイマージュに読み換えられて、やがて悲喜劇のあわいからその「紅」が鮮やかに浮かび上がる。
東京新聞 中日新聞 2008年3月2日掲載
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