この小説の語り手である「オレ」を、節度あるやさしさに満ちた男であると見るか、自己完結した小器用なだけの男であると見るか、それによって全体の印象は左右されもしよう。
しかし、そういう見方はあまり意味がない。当世のやさしさも小器用も、マニュアルのようなものによって支えられ、それを微調整することで得られるという実態は無視できない。結構うまくやっている自分が大好きなつもりの「オレ」が、ナルシシズムをもてあまし気味になったり、自分の足場の不安定さにふと寂寥感を覚えたりするところは「いま」をうまく活写している。
そんな「オレ」が、気ままな自由人の梅田さんに強引に連れ込まれるのが「カツラ美容室別室」だ。そこには「オレ」とはちょっと違う座標の上で生きている人たちがいた。
店長の桂孝蔵はわざわざ一見してそれと分かる「カツラ」をかぶっている。ここは本当は笑うべき部分ではない。この人のきまじめさと過剰なまでにデリケートな神経が仮託されているからだ。従業員のエリコと桃井さんも非常に繊細な人たちである。だが、人間は難しい。デリケートといっても、人によってその形は違う。互いに思いやっていてもなおすれ違いや軋轢が生じてしまう。
「オレ」はそういうことになれていない。というか、かかわるのが面倒だ。物語の後半になると、「カツラ美容室別室」という緩やかな共同体が徐々に崩壊し始め、「オレ」もまた以前と同じ生活に戻っていくような気配が漂ってくる。何だかもったいない。
それを救ってみせたのは「春の匂い」だった。みんなでお花見に行こう。彼らはまたひとつになる。「かさかさに乾いた茶色い枝から、柔らかな花が吹き出るという、この世の不思議さ」に彼らは触れたのだ。
人間同士の関係というのは、ひょっとするとそんなささいなことで回復したり、持ち直したりするものなのかもしれない。本当の「やさしさ」って何だっけな、と考えているうちに温かい気持ちになる一冊だ。
2008年1月上旬
北日本新聞、岩手日報、北國新聞、下野新聞、福井新聞、日本海新聞、神戸新聞
山陰中央新報、徳島新聞、宮崎日日新聞、大分合同新聞、熊本日日新聞、南日本新聞
琉球新報、沖縄タイムス
以上、共同通信社より配信され、掲載
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