行き詰まりも百人百様であるが、現代はもはや破綻者の時代と言っても過言ではない。佐伯一麦の新刊『ノルゲ』の語り手である「おれ」も、そうした破綻者の一人である。
元電気工で物書きの「おれ」は訳あって日本でいたたまれなくなり、妻の留学を機にノルウェー滞在をすることになった男だ。彼は「妻の留学にのこのこ付いてきた亭主」という立場には「意味」がない、と言う。しかし、未知なる異郷での生活は彼にいわば「人生の編み直し」のモチーフを与えた、あるいは強いたようだ。
ありきたりな生活環境を整えることにも苦労し、基本的な言葉を一から覚え、夏時間や冬時間といった人為的な時間設定に戸惑う。それらは言ってみれば、「子ども」として世界に対峙しているようなものだ。人生の編み直しを試みるなら、理屈の上ではこうした事態をただ受け入れることが早道かもしれないが、物事はそう単純ではない。
いかに破綻した過去であってもそれらを根こそぎにされて人は存在を保てない。急激な感覚の変容は大きな不安を呼び起こす。彼は滞在中に故郷の川をめぐる物語を書きつづっているが、それは人生の編み直しと、既に織り込まれた時間との、水面下のせめぎ合いではないか。
ともあれ、「生活をはじめるってことは、こんな細々したことを一つ一つ片付けていくことなんだな」と「おれ」が言うように、作者はその目で見、その耳で聞いたものを「一つ一つ」書き留めていく。だが、その筆遣いは淡々としたものではない。危険な作業に従事する電気工の手つきのように、緊迫しているのだ。
破綻した生活を解いて編み直すのに、こうすればいい、という明確な答えがあるわけではない。安易な「希望」は用意されていない。静寂を見、闇を聴こうとする姿勢。人生や生活といったものに対する揺るぎない敬意と過剰なまでの情熱。それが佐伯文学の核心のひとつだが、『ノルゲ』はその特質をより前面に押し出しつつ、純化している。
共同通信/秋田さきがけ 福島民報 下野新聞 埼玉新聞 山梨日日新聞 神戸新聞
山陰新聞 山陰中央新報 四國新聞 徳島新聞 愛媛新聞 高知新聞 熊本日日新聞
以上、共同通信社より配信。2007年9月掲載
|