柳のまな板
2006年06月05日(月)
小料理屋さんでみかける白い木のまな板は柳で出来ているのだそうです。柳はあまり太くならない木なので、料理屋さんにあるような大きさのまな板をつくるのは随分と費用がかかるだろうと思います。
で、柳のまな板を買いました。お料理屋さんにあるみたいな大きなやつではないけど、家庭用としてはややおおきなまな板です。けっこう高価でした。でも包丁がすとんとまな板の表面に下りるときの感触が柔らかくてとても気持ちがいいです。
柳といえば折れないので、お正月のお雑煮のお箸は柳のまる箸を使います。色の白いからおめでたい感じがするのですが、まな板くらいの厚みがでると感触はまた格別です。ああ、台所を掃除する時間が欲しい!
登校拒否
2006年06月04日(日)
池袋のリブロから本が届いた。木曜日の夕方に買って配送を頼んだ本だ。大学のゼミのテキストに使う文庫本を探しに行ったついでに、アナトール・フランスの小説集とバタイユの著作集を見つけてついつい買ってしまい、あんまり重いから配送を頼んでおいた。
地下鉄有楽町線の江戸川橋の駅は壁面がピンクとブルーに塗りわけられている。たぶん、護国寺や飯田橋と勘違いして降りてしまう乗客がいるから、壁をそんなふうに塗りわけたのだろう。この4月からこのピンクとブルーの壁を見るとことんと寝てしまうということが何度もあった。目が覚めるのは市谷であったり、ひどい時には桜田門だったりする。ははん、これは登校拒否の症状が出ているなと内心で感じていた。ひどく不思議な眠り方で、江戸川橋だと思ったとたんに眠ってしまうのだから。5月になってどうにか登校拒否の症状が治まってきた。つまり江戸川橋のホームを列車が滑り出しても、眠気を襲って来なくなったということ。
登校拒否の薬は「本」。結局、フランスの小説が好きだったのだなと思う。なんだ、かんだと言っていちばん楽しんで読んだのは、とゆうより夢見るように読んだのはフランス小説だったんだなあと、この頃思う。夢の見たくない日は日本の小説を読んでいたので、日本の小説は別格。それからバタイユやロラン・バルトなどの評論やエッセイ。そんな本がいっぱいあっても、なかなか高価で手に入れられなかったし、読んでもわけがわかんなかったし、それやこれやで、持ってなかったり、うんざりして古本屋に売り払ったりした本をまた買いあさっている。気まぐれに。で、また学校をサボって本を読んでいたいなあという気になっている。
毒は毒を持って制すではないけれども、学校サボって本を読んでいたいなあと思って本を買いあさるほうが、江戸川橋の駅で気絶したみたいに眠ってしまうよりはやや実害が少ないと、思いたい。
君が代の替え歌
2006年06月02日(金)
【詞】 Kiss me, girl, your old one. Till you’re near, it is years till you’re near. Sounds of the dead will she know? She wants all told, now retained,for, cold caves know the moon’s seeing the mad and dead. 【訳】 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。 死者たちの声を知ってくれるのかい。 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。
よく出来ている!
うわさには聞いていたけど
2006年05月31日(水)
うわさには聞いていたんですが、税金について、今年はいろんなことが起きるのが分かりました。どうもぼんやりたるんではいられません。偶然なのですが、今年はいろんな税金の納税義務が重なってしまったのです。そういう年ってあるんですね。
税務署のほうとお話をしたら「今年は重なっちゃったんですねえ」とあちらもやや呆れ顔でした。で、どうやって払うんだという問題が生じるわけで、そこはまあなんとかするより仕方がないでしょうということで。
なんだか歯がゆい書き方ですが、税務署のほうも考えていて、納税の時期をそれぞれ税金の種類に応じてずらしているのです。そのずらした結果が、うちの場合は同じ年に集中しゃちゃったってことなんですね。まったく。やれやれだ。こういうことがあるって噂には聞いていたのですが、びっくりです。なにしろ自分で使ったお金じゃないから、自覚がない。あとから、ただ、ただ、びっくりです。
今日の占いを見たら金運のところに「お金に足が生えたよう」とありました。使わなければなくならないって思っていたんだけど、使わなくてもお金に足が生えることってあるんだ。でも、いったい誰が「オアシ」なんていう言い方を考えたのでしょう。うまい言い方だなとこれも感心。
と、ここまで書いたら、ネットのニュースで架空の役所の名前を使った振込み詐欺の督促状が青森県で10件もみつかったというものがありました。ひどいなあ。うちに来た税金の納付書も振込み詐欺ってことはないだろうけどねえ。
今月はちょっと(アダプタと)
2006年05月29日(月)
アダプタ 今月はちょっとたるんでいますね。 私 だって雨ばかり降っているんだもん。 アダプタ お天気のせいですかね 私 ええとねえ、魂があこがれ出ちゃってるって感じかな。遊びにいきたいってね。 アダプタ 魂が抜けちゃっているの? 私 ばか言わないの。魂が抜けていたら、死しゃっているじゃない アダプタ じゃ、そこにいるのは幽霊? 私 だから、魂があこがれ出ているの。魂の「お」はちゃんと繋がっているから、大丈夫。大丈夫。 アダプタ だから先週の日曜日も今週の土曜日に競馬場に行っちゃったんだ。 私 しっ。それは内緒。内緒。原稿がぜんぜん真に会ってないんだから。 アダプタ ほんと気合が入ってませんでしたよ。 私 こんなに気合が入らないのも珍しいと我ながら思ってます。魂の尾を切れなかったけど、緊張の糸がぷつんって切れたんだね。 アダプタ でもダービーをとったじゃないの。僕にも何かおいしいものを食べさせて下さい。 私 豚用ペレットを買ってあげます。 アダプタ ええっ。ペレットよりミルキーがいいなあ。
なんだか、落ち着かない。
2006年05月27日(土)
お野菜がじわじわ高くなっているというニュースが出ていましたが、今日の東京はまた雨です。白い雨。先週の日曜日は東京競馬場へ「オークス」を見に行ってました。重馬場にならなければいいけどって考えていたのを覚えていますから、やっぱり土曜日は雨が降っていたのです。翌日の日曜日はよく晴れて、馬場も「良」の表示でした。
ご存知のとおりカワカミプリンセスが49年ぶりに無配のオークス馬になりました。49年ぶりって凄いなあ。私が生まれる前だのも。ええと馬券の「コイウタ」にかけていて、途中で競争中止。ま、残念でした。
一年ばかり競馬場に行く暇もなかったのですが、ひさしぶりに行ってみると馬の名前が以前よりも分かりやすくなっていました。「コイウタ」なんて分かりやすい名前の馬が出てくるのは久しぶりだなあって思っていたらこれは歌手の前川清氏が馬主だとのこと。なるほど。名前で走るわけではないけど、あんまり長い名前は、覚えられなくって。競馬馬の名前はカタカナで9文字までと決まっているのですが、9文字とは思えないような長いという印象の名前があるのです。覚えやすい名前の馬が増えてくれると楽しいんですけどねえ。
あしたはダービー。競馬場も近頃、入場者が減っているとは言ってもダービーは大混雑でしょう。今年はダービーもオークスに負けないくらいの大混戦だそうです。 こんな雨が降っちゃうと重馬場になって、またまた番狂わせがでるのかなあって、なんだか落着かない。
すごい雷雨でした。
2006年05月24日(水)
いいお天気だから原稿を書き終えたら歩いて買い物に行こうと思っていたら、すごい雷雨になりました。おとなりの練馬区では床下浸水したり、水没した車に閉じ込められて消防隊に助けてもらったおばあさんもいるとのこと。先週の土曜日といい、今日といい、まったくなっていうお天気なのでしょうか。
マンションのエレベーターの中で、いつも荷物を届けてくれる宅配便さんとばったり出会いました。今日のお届け先はうちではなかったみたい。「いやあ、嫌な季節になりますよ」と言ってました。夏はほんと荷物を運ぶ仕事に人にはたまらない季節です。「ほんとにちょうど良いお天気というのは、ほんの一週間あるかないかですね」と言ってました。
車の名前が出てくる小説を書きました。新潮の8月号に乗ります。これからちょっと手直しというかお化粧直しをするつもりです。昔の道路の感じって書けそうで、なかなか書けません。日本全国、山の中まで舗装してしまいましたから、身体がでこぼこ道や砂利道の感触を忘れてしまったみたいです。
雨はまだ降っています。今夜いっぱい降り続くのかしら?雨の音がよく聞こえてきます。
ばれちゃった?
2006年05月23日(火)
「先生、話がかみ合ってないとものすごく恐い顔しますね。気が短いし」って言われました。もとゼミ生に。 家に帰ってその話を娘にすると「学校はまだましだって言いたい。家じゃあ、もっとすごいんだから」と言われてしまいました。で、出てきたのが「ヨーグルト頭」発言。
「そのとろとろと溶けたヨーグルトみたいな頭であたしの周りうろつくな!」と文句を言ったことがあるのです。「お前なんか、日向のヨーグルトみたいな頭をしてくせにつべこべ言うな!あったまりすぎてもうすぐ腐りそうじゃないか!」と言った具合。 娘に言わせると「あれはひどいよ。あれはないよ」ということでした。省略していますが、日向のヨーグルト発言のあとには、ヨーグルトが腐って行くプロセスが匂いの描写つきで入ったもおのだから、まあ、かなり襲撃力があったみたいです。
学校にいるときはあんまりそういう罵倒って出さないようにしているんですけどね。ぴりぴりするのは出ているみたい。「先生、出ているなんてもんじゃありません。ぴりぴりです」やっぱり、ばれちゃっているんだ。
ナイトクラブとライブハウス
2006年05月22日(月)
(土曜日の続き)結局、演歌が売れなくなった時期と純文学の衰退が言われだした時期ってかぶるんだなあと、オリコンのヒットチャートを見ながら考えていました。叙情性の変化ということから考えたことなのですが、歌謡曲ほど通俗的な叙情の変化を示すものはないと思ったのです。もっと音楽ができたら、全体の印象をリズムやハーモニー、メロディーにわけて、その変化を具体的に論述できるのに、ちょっと残念です。楽典をもう少し勉強したい気がします。
で、話はナイトクラブに戻りますが、ナイトクラブがなくなっていったのと入れ替わりにライブハウスが登場してきます。ナイトクラブは絵看板を見るだけで、へえ、そんな場所があるんだという程度の知識しか持ち合わせていませんでしたが、ライブハウスのほうもまあ、人からそういう場所があるんだと話に聞くだけです。もっと音楽の才能があったら、バンド組んでライブハウスに出たいなんて企てたかもしれません。こっちは楽典の勉強と違って本を読めばなんとかなるというものではなくて、生まれついた才能がいるみたいです。カラオケでさえ人迷惑なのに、ライブハウスなんてとんでもない。
で、ナイトクラブとライブハウスでは、何が違うかというと、観客と演奏者の距離です。ナイトクラブでは演奏者はプロ。ライブハウスは演奏者がアマチュアをいうことも珍しくありません。つまりライブハウスのほうがプロとアマチュアの境目が曖昧だということになります。こうしたアマチュアとプロの境目が曖昧になるという現象はなにもナイトクラブやライブハウスだけでなくさまざまな文化活動の局面で見られるものなのですが、そこにつかまってしまうと、議論は「質が低下した」という嘆きで終わってしまいます。ナイトクラブからライブハウスへの移行という「比喩」はもう少しいろんな面白いものをもっている気がします。
叙情性の変化をいうことを考えた場合、もうひとつ興味を引くのは、エロテシズムの変化です。歌謡曲なんてものは、手っ取り早く色っぽい気持ちにされるのが目的だと言ってしまえば、あんまり簡単な結論かもしれませんが、そういう効果があることは確かです。で、どんな曲や歌詞を耳にしたら、色っぽい気持ちになるのかは、どんな歌謡曲が流行っているかの現れてくるわけです。同時にそれをどんな場所(雰囲気)で聞きたいかということも重要な要素になってきます。ナイトクラブとライブハウスという「比喩」はそうしたことを考える手がかりも与えてくれる「比喩」です。
そら豆 ナイトクラブ
2006年05月20日(土)
そら豆は天豆と書きます。なぜ天豆と書くのかというと豆の鞘が天に向かって育つからだそうです。写真は大原の田んぼのふちで5月のはじめ頃い撮影したそら豆です。房総では、米の裏作(冬の間の作物)としてそら豆を作ってました。ですから田植えが始まる頃に、そら豆の収穫があります。
最近は鹿児島産のそら豆が2月頃から市場に出回って関東のそら豆が出るころには、もうそら豆は売れないのでしょうか?あまり房州産のそら豆を見かけなくなりました。水田の裏作としても出荷するほど作ってはいないのかもしれません。
そら豆とナイトクラブはぜんぜん関係がないのですが、今朝、目が覚めたら、新宿東口の線路沿いに映画館の宣伝看板とナイトクラブの宣伝看板があったのをひょいと思い出しました。何時頃まで、あったのかな?ナイトクラブの看板はたいてい出演者のリアルな似顔絵で、青江ミナとか五木ひろし、森進一、クールファイブなんて人の顔が大きく描かれていました。それから、石川さゆりとか都はるみ、森昌子の顔もありました。
森進一は鹿児島から集団就職で東京に出てきたという経歴を週刊誌か何かで読んだことがあります。年齢的にはもうすぐ定年を迎えるという団塊の世代。都はるみも団塊の世代かな。中上健二が小説「都はるみ」を書いていますが、それは世代的な近さから書かれたものだと私は思います。森昌子は山口百恵、桜田淳子と一緒に中三トリオを呼ばれた時期もあって、これは私よりも1学年上。今となれば同じ年みたいなものです。石川さゆりも中三トリオを同じ年齢。山口百恵が主演した「伊豆の踊り子」の映画で肺病で死んでしまう少女の役で出演したました。 歌手のショーがあるナイトクラブなんて学生のは縁がない場所で、いつもその大きな看板を横目に見ながら、新宿を歩いていました。1980年にはまだその看板があったのを覚えています。紀ノ国屋ホールに芝居を見に行くために、東口を歩いていたある光景を記憶しているからです。80年代半ばにいわゆる演歌が売れなくなっった時期があって、そのあとのバブル期に新宿のナイトクラブは姿を消してしまったのかもしれません。今になって思い出していると、私と同じ世代までの歌謡曲の歌手はプロの仕事のひとつとしてナイトクラブのステージの経験があるのです。たぶん、それ以後はそうしたステージの仕事は激減したに違いありません。
ちなみに85年という年はオリコンのヒットチャートに2週以上続けて1位をキープした歌謡曲がなかった年です。
「豆畑の昼」という作品を書くときに、叙情性の変化を調べる指標にオリコンのヒットチャートを使いました。変化は確かに85年を境におきていました。ナイトクラブの話は、昨日のゼミの話の続きで、そら豆の話は夢の中でみた田んぼの景色から出てきました。そういうわけで今朝は頭の中がふた色に分かれています。
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