美容院に行きたいなあ!
2006年09月30日(土)
というわけで、明日、美容院の予約をとりました。銀座通りにある美容院に行ってます。銀座通りはデパートやミキモト、山野楽器など大きなお店が多いのですが、大きなビルとビルの間にほそっこい鉛筆ビルも建っていて、そういう鉛筆ビルのワンフロアにある美容院に行っています。いつも髪を刈って(なんという言い方だ!床屋じゃないって言われそう)くれていた美容師さんが昨年、独立してお店を持ちました。そのお店を開いた場所が少し遠かったので、今のそのお弟子さん?にカットをしてもらっています。
美容院に行くのが楽しくなったのは何時ごろかな?もう10年くらいになるでしょうか。その前は嫌でした。行きたくないから1年くらい美容院に行かずに髪を伸ばしていた時期もありました。小学校入学前までは床屋さんが大好きだったのに、なぜかその頃は髪を切るのが嫌いでした。小学校入学前までは、家の向かいに床屋さんがあった時期があって、その床屋さんにすごく可愛がってもらっていたのです。で、何時、美容院が嫌いなって、また好きになったのかって、昨日からいろいろ思い出そうと考えているのですが、分かりません。気まぐれなんです。
今は髪を短くしてます。耳たぶが出る感じ。耳たぶが出るとイヤリングができて楽しいのですが、イヤリングってすぐになくしちゃうしなあ。ピアスはいたそうで嫌だし、困っちゃうんです。日曜日に銀座まで出るなんて珍しいからデパートを覗いてこようと思ってます。豹柄のキャミソールが欲しい!なんでだか解りませんが、この時期、つまり虫の声が獰猛なほど響き渡る時期になるとなぜだか豹柄のキャミソールが欲しくなります。なぜ、この時期なのか解らないけれども、登校拒否のおまじないになるんです。豹柄キャミソールが。紺色のギャバのスーツのしたに豹柄のキャミソール着ているなんて誰も思わないだろうなって、そういうことを理由になんとか学校に出るわけで……。ま、そういうことです(笑)
ベランダの秋
2006年09月29日(金)
ムラサキシキブが紫の実をつけています。鷹の羽ススキ(鷹の羽のような斑入り)が穂を出しました。はぜの葉が赤く染まり始めました。彼岸花が9本咲いています。市谷の土手の彼岸花より咲くのはずいぶん遅くなりました。これが我が家のベランダの秋です。
彼岸花は以前、もうだめかなと思った時期もありましたが、球根を掘り返して、植木鉢に植えなおして養生をさせたら持ち返しました。植木鉢でもけっこう増えるということが解ったので、来年が楽しみです。
広い庭があったらいいなあと思うこともありますが、ベランダでもけっこういろんなものができます。ただ、庭に草花を植えるというよりも、日持ちのするいけばなという感じでやるほうが良いようです。無理に球根や種から育てるよりも、花の咲いた苗を買ってきてしまうほうがいいものもあります。コスモスなども、花の咲いた苗を秋になってから買うほうがいいみたい。というのも、夏の間、ベランダの床がかなりの高温になったり、地上では吹かないような大風が吹いたりするからです。
来年は、鷹の羽ススキの芽が出る頃に、アルミもしくは銅といった金属の円筒形の鉢を用意しようと考えています。庭よりもずっと鉢のデザインがものを言うのもベランダという場所のせいでしょう。ですから、なんとなくいけばな感覚になるのです。
コスモス
2006年09月28日(木)
コスモスはおばけのように大きくなる株を持っている花です。で、子どもの時の話ですが、近所のおばさんがコスモスの株を憎憎しげに抜いていたのを思い出します。「こんなもん、はびこっちゃってしょうがない」って言っていました。花がたくさん咲いている株は無理やりに抜いていたのです。
なんだか、もうすごく無残なものを見せられるようで今でも秋になるとその光景を思い出さずにはいられません。ええと、何がいいたいのかというと、ただただ痛ましい気がします。コスモスがではなくて、花をいっぱいつけたコスモスを抜く人の気持ちがなんとも言えず、ざらざらした感触になって私の胸の中に残っています。
雑草はどんどん伸びるものですから、その草取りはたいへんな仕事で、大きな株になったコスモスを憎む気持ちも想像してみることは大人になるとできないことではありませんが、それざもやっぱり「ざらざら」は残ります。荒地でも大きな株に育つ旺盛な生活力と可憐な花が風にそよぐ姿のアンバランスを憎んでいたのかしらと、「ざらざら」しながら考え込んでしまうことがあります。昨日は雨。今日は良いお天気になりました。
ローライズ
2006年09月24日(日)
伊藤比呂美さんのいるアメリカでも、ウェストではくスカートよりも腰骨あたりに引っ掛けるローライズのボトムが流行ってみるみたいです。で、私も持ってます。ローライズの半ズボン。でも、ねえ、腰骨で履くとお腹がはみ出しているように見えちゃって。見えるっていうか、完全にはみ出している。絶対にそれで外は歩けません。ああ、これをちゃんと着たいなあって時々、うちで着ています。来年の夏にはなんとかなるかしら?
女の子のローライズはぺたんこなお腹でにっこり笑っているおへそを見せたいという感じかしら? つまり「お腹」をほこりたいのですが、私は別の意味がお腹が勝手に誇っているって。ま、そんな感じです。
問題は男の子のローライズのジーンズ。どうせ足が短いなら思いっきり短く見せてやるという開き直りを感じます。すらりとした足の持ち主まで短足でよたよた歩いている。で、きれいなお腹を見せるのではなくて、お尻の割れ目が見えそうなのもあるし、おまけにダメージジーンズって最悪。大学のエレベーターの中などで、出会った時には、ズボンを下ろしたくなるし(ズボンを脱いで洗濯しなさい! と言いたくなる)まったく困ったものだ。中国の赤ちゃんがズボンを下ろさなくてもおしめを変えられる下穿きを履いていますが、あれにそっくりです。長い足がもったいない。
時々、へんなものが流行るなあって、おもしろいようなおもしろくないような、そんなところです。来年はローライズのボトムが履けるようになっているかしら?それから今、ローライズのボトムを履いている若い人たちも年をとったら「そんなローライズなんて年寄り臭い」なんて若い人から言われる時がくるのかしら?
去年の選挙の怨み
2006年09月22日(金)
去年の今頃は衆議院選挙が終わったというところではなかったでしょうか?あの選挙日本全国津々浦々にずいぶん怨みを残してしまいました。選挙というのは、結局、人の繋がりをたどって支持者を集めてまわるということですから、候補者に協力した人は候補者の当落によってあとに様々な感情が残るのが当たり前です。が、去年の選挙ほど大きな遺恨が残る選挙も珍しいと思います。
あと数日で安倍晋三政権が誕生しますが、この政権はそれほど長くは続かないだろうと、学生でも感じています。昨年の選挙の遺恨から生まれる争いを抑えきることはできないのではないでしょうか?若い総理にとってはほとんど無理難題というような事件が次々に起きてきそうな気がします。
それでなくても、小泉内閣の発足当初から誰が情報を流したのか納得できないような事件(金正男の密入国事件、日銀総裁のスキャンダルなど)大騒ぎしたわりには途中で立ち消えのようになった事件(マンション構造偽装事件)検察の措置に疑問が残る事件(ライブドア事件や村上ファンド事件)などなどぞろぞろありました。これからまた、そういう権力闘争が反映されたスキャンダルや刑事事件がぞろぞろ出てくると想像すると憂鬱です。マンションの構造偽装事件なんて、権力闘争にはなんの関係もないと思ってた人を突然巻き込んでしまったわけですから。そういうことがないとは限らないのです。
ミラーマンなんてあだ名を付けられた植草一秀氏が痴漢行為で二度目の逮捕されたときは、鎌倉に出かけていてニュースをまったく知りませんでした。翌日の夕方、鎌倉駅前で待ち合わせた「表現者」の佐藤さんから教えれてびっくりしました。一回目の逮捕の時は真面目に「陰謀説」を信じている人もいました。なにか裏があるんじゃないか勘ぐりの入る事件が続くと、どれが「陰謀」でどれが「珍事」でどれが「ごく普通の事件」なのかわからなくなってしまい、疑心暗鬼が蔓延するということになりそうです。そうそう、民主党をがたがたにしたへんてこな偽メール事件もありましたが、そうしたばかばかしい事件もまた起こらないとも限りません。
台湾リスとかみつき亀
2006年09月19日(火)
誰のお葬式の時だったか思い出せないのですが、鎌倉の東慶寺でお葬式があった時、参列者の間を台湾りすが平気で走り回っていたことがありました。高徳院の前にある華正楼の3階の座敷で食事をしていたときも窓辺を台湾リスが駆け抜けたので、目を丸くしました。いずれも数年前のことです。
この夏、上郷の「森の家」のテラスで缶コーヒーを飲んでいたら、なんと台湾リスが手を出しているのです。距離は1メートルありませんでした。80センチくらいまで近づいてきて「頂戴」のポーズ。リスってコーヒーを飲むのかしら。たぶん餌をもらいなれているのだと思います。大船観音へ登る山道では孟宗竹の林の中をリスが飛び歩いていました。竹に虎ならぬ竹にリスです。長い尻尾を器用にすべすべした緑の竹に巻きつけて移動していました。なるほど尻尾はそんなふうに利用するのかという実演を見ているみたいな光景でした。
この台湾リスの繁殖は三浦半島一帯でかなり問題になっていて駆除もされているようです。
我が家の近辺で問題にされているのがかみつき亀。大きく育つと1メートルにもなるという亀ですが、光が丘公園に出没するそうです。名前のとおり噛み付く力はかなりな威力を持っているという話でした。息子が「かみつき亀は拾ってこないから安心して」と言ってました。でもそのうち、公園でかみつき亀に遭遇するかもしれません。
漢字を間違えちゃいけないね
2006年09月17日(日)
40年ぶりに大船の「大船観音」に行ってみました。40年ぶりと言っても、前に行ったのはバスを使った幼稚園の遠足でした。その頃はバスに乗ると必ず酔ってしまうので、バスの中では例によって気絶(寝てしまうこと)していたのだと思います。大船観音は駅前にあったという記憶しかありません。肝心の大船観音の記憶はまったく消えてしまっています。
電車の中大船駅からはいつも眺めている笑みを浮かべた白い観音様です。駅を出ると川の匂いがしました。この川の匂いを覚えているのはきっとバスの中で気絶していてぼうっとした頭で「ここはどこ?」とあたりを眺めまわしていたせいでしょう。法政のゼミ生が一緒だったのですが、そのなかの一人が「あの観音様は顔だけがでかくて身体は小さいんだぞ」と冗談を言ってました。で、実際に山に登ってみると(観音様は山の上に建っているのです)それは胸像、つまり胸から上が唐突に鎮座している観音像でした。N君の冗談は半分くらい「当たり」だったというわけです。
階段にはさまざまな人の祈願を書いた幟がはためいていました。「身体堅固 良縁」なんて文字があって、身体が丈夫で良いお嫁さんが来ますようになんて、なんだかちょっとおもしろいねと、ゼミ生の女性に言うと「でも先生、これって良縁じゃなくて縁(えん)の字が緑(みどり)になってますよ」と指摘。ほんと「良緑」でした。「きっと良い緑さんがお嫁さんにくるんだよ」とか「いやいや、庭の植木がどんどん丈夫になって茂るようになっちゃうんだよ」とか「光合成のできる立派な身体になるんだよ」などなど、みんな、勝手なことを言っていました。やれやれ。漢字を間違えるとたいへんなことになるみたいです。
建築家のパーティ
2006年09月14日(木)
SDレビュー2006のオープニングレセプションに行ってきました。展覧会の会場でのレセプションは。美術展のオープニングに似ていました。小説家の集まりよりも、建築家の集まりのほうがおしゃれで社交的な感じがしました。デザインとか美的センスが要求されるし、いろんな人と共同でする仕事なので社交性のなければやれないということなのでしょうか?
設計は鈴木隆之氏ですが、構造計算をしてもらう建築士さんも紹介していただきました。それから会場で「施主さんです」と紹介されて、いささか戸惑いました。今まで施主というと法事の時の「施主」もしくは御塔婆供養の「施主」くらいしか経験したことがありませんでしたから。まあ、御塔婆供養もほんとうは木の札じゃなくて塔を建てなくちゃいけないんですけどね。
リゾートホテルの設計とか下町の住宅設計に混じって月光洞のモデルも展示されていました。風景をまったく無視した建築ではなくて、周辺の環境にあわせた建築というのが、最近の流れなのだそうです。で、会場で一つ、びっくりするようなことを教えてもらいました。どうやら月光洞の縁側(濡れ縁)は開閉式になるらしいのです。それを聞いたとたん、私の頭には建築家を罵りながら、寝れ縁を持ち上げている自分の姿が浮かんだのです。だってあんな大きなものを持ち上げるなんて、想像を絶しています。くれぐれも女手ひとつで動かせる設計にして下さいとお願いしてきました。
雨降り。
2006年09月12日(火)
一昨日の明け方の雷雨はそうとうなものだったようです。私はカーテンの向こうがぴかぴかしているのを夢うつつで見ていました。目は覚めませんでした。「あれで目が覚めないなんて、鈍感」って家の者に言われてしまいました。秋の長雨だそうです。
秋の長雨と言っても、8月のはじめまで梅雨空が広がっていたのですから、今年は海の家なんかをやっている人にとっては、ほんとうに目も当てられないようなひどい年ということになるのでしょう。
そして今日も雨でした。雨の日はなんとなく時間の進み方がぼんやりとしていて、とくに午後の時間はつかみどころがない感じがします。そのせいか、なんだかそわそわしているのに、仕事があまり進みません。
ゴジゴジ
2006年09月11日(月)
「豆の葉」を読むとばかになるという話。これまでの誤字でなんといっても大ヒットは「ばかざわ」でした。管理人のペンネーム「ながしろばんり」を「ばかしろばんり」とか。あやうく表に出さずにくいとめたのは「ながしりばんり」ってものありました。これは初公開。
それから「どちそう」ってものあったし、「ごちそう」の間違いです。ほかにもいろいろとあるのですが、笑って許して下さい。なんてダメかしら。
漢字が苦手なうえに、この頃、老眼と乱視が進んじゃって、もうあんまり見えてないってのがほんとうのところです。ああ、眼鏡屋さんに行かなくちゃ。
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